第十章 冒険者ギルドへ
「大変なことって、一体何があったんだ?」
今までとは違う尋常ではないシロニャの様子に、さすがに鋼も気を引き締めた。
【よ、よいか? お、落ち着いて聞くのじゃぞ?
どんなにびっくりしても冷静に、決して走らず、急いで歩いてきて、そして早くワシを助けるんじゃぞ?】
「どんな助け方だよ! そっちが落ち着けって!」
このままでは話もできないので、鋼はまずシロニャを落ち着かせることにした。
「ほら、深呼吸だ。
吸って、吐いて、吸って、吐いて、」
「すぅー、はぁー、すぅー、はぁー、」
「吸って、吐いて、吸って、吸って、吸って、吸って、……とっておきの秘密を吐いてー」
「すぅー、はぁー、すぅー、すぅー、すぅぅ、す、ぅぅ、うぅぅ……………母様にゲームは一日一時間って言われたから、裏庭にこっそり『精神と時の部屋』を作ったのじゃ」
「秘密が神様規模!!」
などというしょうもない一幕を交え、ようやく落ち着いたシロニャは、厳粛な声音で語り始めた。
【さっきまでワシは、おそるべきモンスターと戦っておったのじゃ】
「ええとそれは、実は台所等に生息するGとかいう虫だった、なんていうオチじゃないよな?」
【ば、バカにするでない! 奴はそんなものとは比べ物にならないのじゃ!
彼奴こそは本物の竜、月光にも例えられる白銀の鱗を持つ空の王者じゃ!】
「お、おい。それって真面目な話か?」
【もちろんじゃ! ワシは神として、今まで鍛えた技、持てる知識の限りを尽くし、彼奴と死闘を繰り広げた。
彼の竜の翼を傷つけ、尻尾を切り落とし、勝利への道筋が見えた辺りでスタミナが切れた。
一度離れて態勢を立て直そうとしたその時、ワシは自分がとんでもないミスをしていたことに気付いたんじゃ】
常ならぬシロニャの深刻そうな口ぶりに、鋼は唾を飲み込んでから尋ねた。
「い、一体、どうしたんだ?」
【肉を、こんがり焼けた肉を持ってくるのを忘れておったんじゃぁああああああ!!!】
「やっぱりゲームの話かぁああああああああああああああああああああああああ!!!」
二人の叫びが交差する。
ちなみに一般の人にはシロニャの声は聞こえないので、鋼は路上で一人でシャウトし始めたかなり変な人である。
【じゃってあんなに頑張ったのに、今はスタミナが全然なくて、あの前回り受け身みたいなのもろくに出せんのじゃよ!?】
「知るか! っていうか支給された食料はどうしたんだよ!」
【全部食べちゃったのじゃ! じゃって、おいしそうじゃったから……】
「……。ま、まあ正直、そんな理由なのは予想外だけど、とにかくあきらめて次に……」
【嫌じゃ嫌じゃ嫌なのじゃ! おぬしも勇者なら何とかするのじゃぁ!】
「僕は勇者になった覚えはない!」
【そんなこと言わずに助けてほしいのじゃ! むしろ、アレじゃ!
……助けてくりゃれ?】
「ここに来て新しい語尾を使いだした?!」
新しい語尾まで出されては仕方ないので、鋼は少しだけ考えて、
「……死ねば?」
結果、かなりひどい台詞を言った。
【ひ、ひどいんじゃよ! おぬしは最悪の冷血人間なのじゃあ!
小学校の通信簿の担任のコメント欄に、
『まさに哺乳類離れした冷血さです。前世はきっとトカゲかイグアナ辺りでしょう』
とか書かれるくらいの冷血さじゃよぅ!】
「勝手に人の通知表のコメント捏造するなよ!
別にシロニャ本人が死ぬとかじゃなくて、ゲームの中で死ねばいいんじゃないかってことだよ!」
【お、おお! ……つまり?】
「スタミナ回復手段がないのなら、いっそ死亡してでもスタミナを回復させたらどうかって提案だよ!」
【なるほどのう! ……分かりやすく言うと?】
「いや、だから復活した時はスタミナが回復してるから、そこから頑張れば何とかなるんじゃないかって話だよ!」
【ふむふむ! ……ちなみにかっこよく一言にまとめると?】
「死ねば、助かるのに……」
【カッコイイのじゃ!!】
シロニャは大はしゃぎだ。
【それにしても、そんな方法、ワシは全然思いつかなかったのじゃ!
うむうむ。やっぱり持つべき者は友じゃな!】
などとシロニャが言った瞬間だった。
「――ッ!?」
不意に鋼の脳内で『テッテレー』という感じのファンファーレが鳴り響いた。
頭の中にメッセージが浮かび上がる。
しろにゃ の なかよしど が 12 あがった。
しろにゃ との かんけい が こころのとも に なった!
おらくる(ただとも) を しゅうとく した。
おらくる の つうわりょう が むりょう に なった!
「な、なんだこれ……」
【おお! どうやらタダ友になったようじゃな!
これでワシといつでも通話できるぞ! オラクルには圏外もないしのう】
「というかコレ、今まで使うたびに何か取られてたのか?」
喜ぶより何だかぞっとしないものを感じる鋼である。
【ふふーん。それよりワシは、ゲームに戻るのじゃ。
さくっと死んで、すぐに……あ】
「ど、どうした?」
【……ゲーム、つけっぱなしになっておった】
「お、おい! とりあえずすぐに一時停止して……」
【あっ……。いま、じかんぎれに、なった……】
「…………」
そうなってしまえば、鋼にも、もうかける言葉もアドバイスもない。
しばらくして……。
【ぐ、ぐすっ…。う、うぁ、ぐずっ……】
ずっと無言だったオラクル越しにシロニャのすすり泣きが聞こえてきた。
(めちゃくちゃ、気まずい…!)
鋼には何も言えないし、シロニャも泣きじゃくる以外の何かをする様子はなかった。
ゲームの時間は停止できなかったが、今、二人の時間は確実に凍り付いていた。
……まったくうれしくないが。
この間に冒険者ギルドに向かってもよかったのだが、鋼も泣いている三歳児を放っておいて、自分の用事を済ませるのはさすがに気がとがめた。
「なぁ。そろそろ機嫌直せよ。もう一度今度は肉もちゃんと持って狩りに行けばいいだろ?」
泣き声がある程度収まったタイミングを見計らい、鋼はそう声をかけたのだが、
【……もう、いいのじゃ】
「え? だけど……」
【ふん! 大体ハンターとかろくでもない奴らなんじゃよ!
罪のないモンスターを自分の欲のためだけに狩って、その体で作った装備でその家族をまた狩りに行く。
どこまで外道なんじゃ! まるで戦闘狂のサイコ野郎の44番じゃ! 最悪じゃよ、まったく!】
「えぇー」
自分が負けた途端、ゲームそのものの猛烈パッシングを始めるシロニャに、さすがの鋼もひいた。
【日本人はそもそも農耕民族じゃし、こういうアクションは向いてないんじゃ!
やっぱりRPGこそ至高じゃよな! これからはRPGをやろう! RPGを!】
そうして何だか分からない内にシロニャは復活してしまった。
【ところでおぬしは何をしておるんじゃ? 教会はもういいのか?】
「……ミスレイさんの紹介で、冒険者ギルドに行くことになったんだよ」
一応冒険者ギルドがあると教えられた方に歩き出しながら、鋼は答えた。
【冒険者ギルドのう。転生物の王道じゃよな。よいのではないか?
しかし、もしギルドランクが最高まで上がったとしても油断は禁物。
銀の竜を討伐する依頼は軽々しく受けてはいかんのじゃぞ?
ほんとに、ほんとにダメじゃぞ?】
そう忠告をしてくるシロニャに鋼はまだ癒えきらない心の傷を見て、とりあえず話を逸らすことにした。
「でも、今の僕は自分の素性が分からないというか、転生した後の自分の立場が分からないんだよな」
誰かさんのせいで、と声音に非難を載せて言ってみる。
【じゃけどそれは冒険者登録には問題ないはずじゃぞ?
たしかこの世界での冒険者登録なんて、ちょっと行ってカードにピッとするくらいで、スイスイ簡単に作れたはずじゃ。
……まあ、犯罪歴の確認はあったはずじゃから、前世で悪行の限りを尽くしておったら分からんがのう】
「なぁ。僕って、仮にもシロニャが直々に見つけ出した徳の高い人間なんじゃなかったのか?」
【うむ? あぁ、そういえばそんな設定もあったのう】
「設定って……」
そんな適当なことでいいのか、と呆れる鋼。
【そういう出会いをしたとしてもじゃ。
おぬしとは短いながらも密度の濃い付き合いをしておるからのぅ。
もう、そんな風には思えんのじゃ】
「ま、僕も今さらシロニャのこと、神様扱いなんてできないけどね」
【そうじゃろう? 今となってはおぬしは徳の高い人間でも、ワシの命の恩人でもない】
【ただの……ワシのたった一人の友人じゃ】
「シロニャ……」
鋼は思わず絶句してしまった。
シロニャが打ち明けてくれたその事実に、一言一言、想いを込めるようにして、答えた。
「やっぱりお前、友達、いなかったんだな」
【ええ! そういう反応じゃと!?】
シロニャはそうやって驚いていたが、鋼にだって照れくさい時はあるのだ。
さっきだってシステム上は『こころのとも』になったみたいだし、今さらなことだと戸惑う思考を追い出した。
照れくさかったのは鋼だけじゃなかったらしい。
シロニャもあわてて違う話を始める。
【ま、まあこの話はもういいのじゃ。
それよりおぬしは本当に大丈夫なんじゃろうな。ほれ、犯罪歴】
「お前、本当に僕のこと信じてなかったのか…」
冗談で言われてたとばかり思っていたので、本気で疑われて鋼は少しショックを受けた。
「大丈夫じゃないか? 補導とかされたことないし、小さい時先生に怒られたことくらいは……まああるけど」
【逮捕、いや、タイーホは?】
「ないよ! つうか今なんで言い直したよ!」
【じゃが、軽犯罪くらいはいくらかやっておるんじゃないか?】
「どうだろ。物心ついてからはアルコールの類は飲んだことないし、信号はきちんと守ってるし、路上にゴミとかを捨てたことはないし……。
まあそれでも知らない内に何かやっちゃいけないことをやってるかもしれないけど」
【ふん。つまらんのじゃ。それではまるで、おぬしは本当に善人ではないか】
オラクルで聞こえてくる声を通じて、鋼にはつまらなそうに口をとがらせながらそう口にするシロニャの姿が透けて見えるようだった。
それを、愉快に思いながらも、
「善人っていうのと、悪いことを何もしなかったのは、違うよ」
鋼は静かに否定した。
「向こうにいた時の僕の人生なんて、本当に平坦で退屈で何もなかったんだ。
そりゃ、ちょっとくらい友達はいたけど、事件どころか女の子とだって……」
【ぬ。コウよ。ちょっと待つのじゃ】
「なんだよ?」
ちょっとだけ不機嫌そうな鋼の言葉に、シロニャは「うむ」と特に意味のない相槌をはさんでから、
【その話、長くなりそうじゃからハ〇ター×ハンターが完結した後で改めてゆっくり聞かせてもらってもよいじゃろか?】
「ああ。分かっ……って、何年待たせるつもりだよ!」
【あるいは永年、かもしれんのう】
「…………」
ああ、こいつと真面目な話をすることなんて一生できないんだな、と鋼は達観した気持ちになった。
【ところで、なんじゃが……】
「なんだよ?」
さきほどよりも幾分、トゲのある声で鋼は聞き返した。
しかし、シロニャはそれほど気にした様子もなく、軽い調子でこう言った。
【なんでたかが冒険者ギルドに行くだけに、こんなに時間がかかっとるんじゃろうな?】
「全部お前のせいだよ!!!!!」
そうやって、いつものようにシロニャのボケ発言にツッコミを入れながら……。
もし鋼が異世界に来てからの一部始終を本にまとめたら、シロニャとのやりとりだけで紙面の半分が埋め尽くされてしまうのではないか。
鋼は漠然と、そんな危惧を抱いたのだった。