最終章 ハーレム温泉!!!
月面で魔王が決死の鬼ごっこに興じているのと同じころ、
「ふぅー。いい湯だなぁ……」
鋼はのんびりと温泉に浸かっていた。
そして、その周りには、
「むぅ。まさか他の神の力でこの世界に呼び寄せられることになるとはのう……」
「しょ、少々ここは熱くないか? 私はお風呂はぬるめ派なのだが……」
「ううーん! 温泉、久しぶりだなぁ!」
「ハガネ様? お背中や人には言えない色々な場所をお流ししましょうか?」
「こっこれがルウィーニア様の秘湯!! ……案外普通ですねー」
「わ、わたしは本当は水着もNGなんだから! こんなサービス、滅多にしないんだからね!」
「これが、リリーアたんの生水着姿! ほっほぁああああああああああ!!!」
それぞれ思い思いの水着を着た、シロニャ(本体)、アスティ、ララナ、ラトリス、ミスレイ、リリーアのいつもの面々……+αがいて、鋼を取り囲んでいた。
ここはルウィーニアの秘湯。
魔王とのいざこざが一段落したら鋼の関係者全員を温泉に招待するという約束をルウィーニアが守り、温泉にたくさんの人や神を召喚。
当然その中には異世界勇者のクロニャがいたため、月の上からクロニャの名前を呼んだ鋼もここに転移してきた、という次第である。
さすがに服を着たまま入るワケにも裸で入るワケにもいかないので、鋼も備え付けの脱衣所で服を脱ぎ、なぜか用意されていたサイズぴったりの海水パンツを着用している。
「それにしても、よく集まったなぁ……」
鋼は呆然とつぶやいた。
とにかく人数が多い。
しかもなぜか(?)女性ばかりだ。
「そうだろう? ふふ、我も苦労したのだぞ?」
そのつぶやきを聞きつけ、ある人物が鋼に近寄ってきた。
自分のことを『我』とか言っているが、魔王ではない。
女神ルウィーニアだ。
「我ながら、よく集めたものだ。
何しろ人が一、二、三、四……ええと、とにかくたくさんいるのだからな!」
「…そうですね」
普段であれば『お前はカラスか!』、と女神相手でも容赦なくツッコミを入れる場面だが、温泉に浸かっている内にどうでもよくなっていた。
恐るべきは温泉の力である。
「ここは我の自慢の湯でな。
たまにオーロラが見えることもそうだが、泉質もなかなか凝っている。
この温泉の効能は、若返りに死者蘇生、不老不死にレベルアップ、金運向上に学業成就と盛りだくさん。
他にもエーテル病治療やSAN値回復にも効果がある……という感じにしようと思ったのだが、なぜか審神者に止められてな。
結局、エーテル病治療とSAN値回復だけになった」
「一番要らないの残しちゃったよ!!」
しかしどうあがいても鋼は鋼なので、やっぱりツッコミは入れた。
所詮エーテル病と SAN値にしか効果のない温泉である。
大した力はなかったと言える。
「しかし……」
そこで、ルウィーニアは西の空を、赤い月の方向を見つめた。
「魔王はまだ生きているようだが、良いのか?
べ、別に、コウがどうしてもと言うなら、ちょっと行って我がぷちっとやってきても良いが……。
あ、か、勘違いするなよ!? コウのためではなくて、世界平和のためだぞ!?」
ほおを赤らめながらそう告げるルウィーニアに鋼は、
(この人、いつの間にここまでツンデレを使いこなすようになったんだ?)
とおののいた。
そして神であるルウィーニアが魔王をぷちっとしてしまったら、世界平和どころか因果律のせいで世界が大変なことになるだろう。
鋼は二重の意味で慄然した。
「だ、大丈夫です。たぶんもう魔王は倒せますから」
鋼はあわてて止めた。
「そうか? それならいいが……」
なぜか残念そうにそう言うルウィーニアに、鋼はこっそり息をつく。
すると、
「あ、でも、魔王をどうやって倒したのか、ちょっと興味があります!」
意外なところで意外な人物が食いついてきた。
さっきまでリリーアたんの水着ハァハァとかやって、常人離れした、いや常神離れした変態力を見せつけていた審神者である。
そしてその騒ぎを聞きつけたのか、
「それはワシも気になるのじゃ!」
「あ、ボクもボクもー!!」
いつものメンバーも集まってくる。
完全に解説待ちモードだ。
「あー。ややこしい割に大して面白い話でもないから、興味ない人は特に聞いてなくてもいいけど……」
と前置きしたが、誰もいなくなりはしなかった。
あの脳筋世界一を狙えるアスティすら、かぶりつきで話を聞こうとしている。
面倒なのであまり説明したくはないのだが、これは話さないと収まりそうにない。
鋼は仕方なく、口を開いた。
「まあ、ならとにかく順を追って話そうか。
きっかけは、僕が初めてラトリスに会って、この世界のダメージに関する話を聞いた時かな。
その仕様、強敵対策に使えないかなって思ったんだ」
こうして、長い解説が始まった。
「ぼんやりと考えてただけの計画が形になってきたのは武闘大会前、シロニャと一緒に色んなタレントとかスキルを発掘した時。
『フラッシュカウンター』ってスキルの、ええと……『絶対時間にして約0.017秒の間、発動している間のダメージを無力化し、その予測ダメージを次のこっちの攻撃力に加算できる』って効果を聞いた時に、ラトリスから聞いた『防御力が0だとダメージが跳ね上がる』って話を思い出したんだ。
で、じゃあ防御が0の状態でこのスキルを使えばどんな奴でも倒せるんじゃないかなって考えた」
「……成程」
それを聞いて、まずラトリスがうなずく。
「それが成功すれば、相手は必ず『威力が増幅された自分の攻撃』を返されることになる。
その時のダメージは相手自身の攻撃力と防御力の割合で決まるので、どんなに相手が強くても勝てる可能性がありますね」
「うん。ま、ちょっとした必勝法というか、言ってみれば一種のハメ技みたいな物というか。
ちょうど、僕がどれだけ頑張って強くなっても勝ち目がなさそうな異世界勇者と出会ったばっかりだったからね。
今度似たような敵が出た時のために、対抗手段を用意しておきたかったんだ」
最近インフレが過ぎて適正な能力値を見失ってしまうが、普通の人はどんなに頑張っても能力値百を越えられない者がほとんどで、一部の天才や転生者であっても二百以上の能力値を持つ者はそういない。
勇者や魔王というような者は、そもそもまともに戦って倒せるような相手ではないのだ。
「ということでまず、僕は防御0の状態を維持するために、特定の能力値を変化させなくする『ゾロ目キーパー』のタレントを使って、頑強と抵抗の値を0に固定した」
「あぁ。あんたの頑強がいつまで経っても0なのは、そういう理由だったのね」
リリーアを筆頭に、全員がふむふむとうなずく中、
「でも、その技、0.017秒しか持たないんだよね?
そんな短い時間でどうやって攻撃をしのいだの?」
この中では意外と戦闘経験が豊富なララナがもっともな疑問を提示する。
「だから、これを使ったんだ」
ふたたび集まるみんなの視線を受けて、鋼はスイッチを出した。
それを見たみなは首をひねるばかりだったが、鋼とシロニャ以外で唯一そのアイテムの効果を知っているラトリスが、眉をひそめた。
「それは……時間が200倍に加速される空間を作るアイテムですね。
しかし、たとえそれを使っても、その空間の中ではスキルの効果時間も200倍に加速される為、特に意味はないはずですが……」
「ああ、まあ普通はそうだけどね。
でも、クリスティナにスキルの効果時間について聞いたら、彼女はこう答えたんだ。
『特に但し書きがない限り、アビリティやタレントにおける時間とは作用者の主観時間なんです』、ってさ」
その鋼の言葉に、
「『特に但し書きがない限り』……ああ、そういう事ですか」
ラトリスがうなずき、
「えー? どーゆーことー?」
ララナが首をかしげた。
そんなララナに、ミスレイが助け船を出す。
「『フラッシュカウンター』の発動時間、覚えてますか?」
「ん? 絶対時間にして約0.017……あ、『絶対』時間か」
それで、ようやくララナも何を言っているのか思い当たった。
それを受け、鋼が種明かしをする。
「僕もそれを聞くまで『絶対時間』って言葉の意味が分からなかったんだけど、結界の中でスキルを使ってみてはっきりしたよ。
『フラッシュカウンター』の効果時間は時間の加速の影響を受けない。
つまり、結界の中で使えば、『フラッシュカウンター』は体感的に0.017の200倍、3.4秒発動できるってことになる」
「うわ。なんて地味な言葉のマジック……」
リリーアが呆れ顔で言った。
と、ここまでは面倒な説明にみんなよくついて来ていたが、さすがにこの頃になると脱落者も出始めた。
言わずと知れたアスティである。
「む、む? みんな、何を言っているのだ?」
すっかり、アスティは混乱している、状態になっていた。
とはいえ、あとはもう語ることはそう多くない。
頑強0の状態で防御0のヒーロースーツを着た鋼は、魔王を加速結界の中に誘き寄せ、わざと魔王の攻撃に当たり続ける。
そうして40個目の『身代わり人形』が壊されたのを確認すると、すぐに『フラッシュカウンター』を発動。
魔王が危機感を抱くように、『天魔滅殺黒龍灰燼紅蓮撃』を放つ『フリ』をして、魔王が時間を止めるように誘導した。
時間を止められている間はスキルがストップするため、『フラッシュカウンター』のカウントは進まない。
もちろん、時間の停止が切れた瞬間、時間停止中に受けたダメージが一気に鋼に押し寄せたが、そのダメージは全て『フラッシュカウンター』によって無効化され、『鋼の次の攻撃の攻撃力』に変換された。
それが今の状況だった。
「え? ちょっと待って?
じゃあ、コウくんは今『魔王を倒せるほど強い攻撃力』を持ってるだけで、これからちゃんと攻撃を魔王に当てないと勝つことはできないじゃ……。
というか、今まちがえてコウくんに殴られたりしたら、ボクら死んじゃうんじゃない?」
ララナが驚いて、叫ぶように問いかける。
だが、鋼は心配ないという風に手を振った。
「まあそうなんだけど、それについては心配することはないよ。
この温泉は非戦闘区域らしいから殴っても攻撃扱いされることはないし、それにもう、とっくの昔に最後の一撃は投げてきたから」
「投げる?」
ララナの疑問に、鋼は丁寧に答えた。
魔王は、封印の回廊でルファイナの人形を食べた時、一緒にルファイナの人形がつけていたペンダント、『相思相愛の証石』を食べてしまっていた。
『相思相愛の証石』は、『片方の証石を離すと、その証石はもう一つの証石を持った生き物のところへ、あるいは、最後に証石に触れていた生き物のところへ飛んでいく』という性質を持っている。
「だから、僕が持ってるもう片方の『相思相愛の証石』を、魔王と戦い始めた時に投げて来たんだ。
だいぶ遠くに投げたけど、そろそろもどってきて魔王を追いかけまわしてるころだと思うよ」
そして、鋼の持つ投石アビリティの効果によって、鋼に投げられた物は全て、攻撃だとみなされる。
つまり、鋼の攻撃であるという属性を持ったこの石が、魔王を追いかけまわすことになる。
しかも『相思相愛の証石』は、『絶対に破壊できない』し、『途中に障害物があっても必ずすり抜け』て、逃げようとしても『相手が加速した分だけ加速する』上、ついでに『相手にぶつかった時、演出で光る』という鋼の目的にとって最適な代物で、魔王にこの石から逃げる手段はなかった。
もちろん普通の状態であれば、いくら高速であっても石にぶつかった程度では大したダメージはないはずだが、それが『鋼の攻撃』である以上、そこに『フラッシュカウンター』で増幅された自身の攻撃が上乗せされることになる。
「……だから、もう魔王の運命は決まってるんだよ」
その静かな鋼の声に、辺りが静まり返る。
そして、
「自分たちの身勝手な目的のために魔王を犠牲にしたみたいで、さすがにちょっと気が咎めるけどね」
という言葉で締めて、鋼は長い解説を終わりにした。
それから数秒の間、にぎやかだった温泉に沈黙が満ちた。
それぞれが聞かされた話を整理していたための沈黙だったのだが、それをシロニャがあっさりとまとめた。
「――つまり! コウはすごくせこくてややこしい手を使って、魔王を倒した、ということじゃな!!」
「台無しだよ!!」
と鋼は思わず叫んだが、大体合っていると言わざるを得ないのがつらいところだ。
なんとなく弛緩してしまった雰囲気の中で、この中で比較的常識人なリリーアが提案する。
「なんか、ちょっと頭を使いすぎて疲れちゃったわ。
わたしたちはもうちょっとここで休んで頭の中を整理するから、あんたは他を回ってきたら?
……わたしたち以外にも、あいさつしておきたい人とかいるんでしょ?」
リリーアはそう言うが、当の本人に疲れた様子は見られない。
疲れたというのは、おそらく鋼を行かせるための方便だろう。
「そうだな。ありがとう、リリーア。
お言葉に甘えさせてもらうよ」
それが分かった鋼は、本心からそう礼を述べたのだが、
「な、何言ってるのよ! 別にあんたのために言ったんじゃないんだからね!」
あいかわらずの台詞で照れられた。
ツンデレの鑑みたいな奴だなーと思いながら、鋼は別の場所に向かうことにした。
「――あ、あの! お待ち下さい、ご主人様!!」
みんなから離れて数歩といかない内に、鋼は背後から呼び止められた。
しかし、今まで色々な呼ばれ方をしてきたが、自分のことをご主人様と呼ぶ相手に心当たりはない。
だが、鋼は振り向いてしまった。
なんというか、こう、あれだ。
ご主人様と呼ばれると、背中の辺りがうずうずっとして、じっとしていられなかった。
「……君は?」
妖精、とか、精霊、とか、そんな風に呼ばれる何かだろうか。
体長三十センチくらいの、ふよふよと宙に浮かぶかわいい生き物がこちらを見ていた。
だが、その言葉は、妖精(?)をいたく傷つけてしまったらしい。
「ま、まさか、相棒であるわたしを忘れてしまったんですか?」
まるでとてつもなくひどいことを言われたというように、フラッとよろめく妖精。
だがその時、『相棒』と言われ、鋼はようやくその正体に見当がついた。
同時に、変身、とか、変化、なんて言葉が脳裏を駆け巡る。
理屈はさておき、鋼は思いついたその妖精の真の名を、高らかに叫んだ。
「さては、お前…………蒲田だな!? お前が女体化とか、誰得――」
「ち、ちがっ! わたしは木の枝ですぅ!!」
だが、完全に間違っていた。
「え? あ、木の枝?
……あ、うん。そうだよな。
蒲田なんて完全に脇役中の脇役だし、出て来るはずないよな。
あ、あははははは……」
「…………」
ただの木の枝(?)は鋼をじとーっとした目で見ている。
「そ、そういえば、足が二股になってるとことか、すごく面影があるよ、うん」
鋼は必死でとりつくろった。
木の枝、いや、木の枝の精的な何かは、よよと目元を押さえた。
「ひ、ひどいです。
ちゃんと審神者様の祝福を受けた時に、『・・・おや!? ただの木の枝のようすが・・・!』って前フリをしておいたのに……」
「分かりにくすぎる!!」
というか木の枝の進化先っていうのは人間なんだろうか?
疑問は尽きないところだが、そこで鋼は大事なことに気付いた。
「ええっと、じゃあもう武器としては戦ってはくれないってことか?」
それは結構な問題だ。
「あ、いいえ、まさか!
わたしは人化、つまり自由に人の形を取れるようになっただけで、もちろんこれからもご主人様の相棒として、ご主人様の前に立ちふさがる敵を存分にミンチにしていきますよ!」
「いや、敵をミンチにしたことはないけど……」
木の枝って実は好戦的な性格だったんだな、と鋼はこっそり思った。
そんな風に木の枝の精の姿を見ていて、鋼はもう一つ気になってしまった。
「あれ? でも、自由に人の形を取れるようになったにしては、だいぶサイズが控えめみたいだけど……」
鋼がその小さな体を見下ろしてそう言うと、
「ご、ご主人様、そんな、エッチです……」
恥ずかしげに胸元を押さえられる。
そこはたしかに、そう盛り上がってはいないが……。
「いや、そういうことではなく……。
なんというか、普通に、全体的な体の大きさ的にね?」
何でこんな弁解をしなきゃいけないんだ、と世の理不尽を思いながら鋼がそう訂正すると、なぜか木の枝はさらにほおを染め、上目づかいで鋼を見た。
「だってそんな、質量保存則を無視するようなはしたない女、ご主人様はお嫌いでしょう?」
そう言って妖艶(?)な目付きで見上げてくる木の枝の精。
「……はぁ」
だが、そう言われても正直基準が分からない。
明らかにエネルギー保存則とか無視してそうな高威力極太レーザーをガンガン撃ってたのはいいんだろうか。
あ、もしかしてMP減ってたからセーフとかそういうことなのか?
思わず考え込む鋼だが、そんな時、鋼と木の枝の精を引き離すように、白い閃光が飛び込んできた。
「こ、この泥棒猫めぇ!! ワシが……ふびゃっ!!」
飛びかかって来たのは、まあ予想通りというかなんというか、どうやら鋼の後を追ってきたらしい猫形態のシロニャ(本体)だった。
シロニャはさっそうと鋼の前に降り立とうとして温泉の中に沈んでおぼれかけたところを鋼に救出され、温泉の縁に下ろされたところで何事もなかったかのように木の枝の精に前足を突きつけた。
「お、おのれぇ! コウの隣に引っ付いているだけでは飽き足らず、マスコット兼愛人のワシのポジションを奪おうとするとは……許せんのじゃ!」
「いや、そんなポジションないから……」
鋼はそうツッコミを入れるが、シロニャが聞くはずもなく、
「望むところです! 貴方とは、いずれ決着をつけなければならないと思っていました!」
木の枝の精まですっかり乗り気で、宿命の対決ムードでシロニャと向かい合う。
あ、これはもう何やってもダメだな、と悟った鋼はこっそりとその場を離れることにする。
「うにゃー!」
「ぶらーんち!!」
どうでもいいが『ぶらーんち!』というのは掛け声だろうか。
えらくゴロが悪い。
そんな本当にどうでもいいことを考えながら、鋼はこそこそとその場を後にした。
ルウィーニアの秘湯は、秘湯とか言う割にやたらでっかい。
行ったことはないが、たぶん健康ランドとかよりでかい。
なので温泉もいくつかのブロックに分かれており、それぞれの場所に数人ずつ分かれて温泉を楽しんでいるそうだ。
最初に訪れた場所には、二つの人影があった。
近付いてみると、
「ルファイナ! それに、クロニャか!」
さきほど別れたばかりのルファイナと、鋼が着替えている間にいつの間にか消えていたクロニャがいた。
「あれ? というかルファイナ、みんなと一緒にいたんじゃないのか?」
最終決戦前、一緒に鋼を見送ったはずなのに、なぜ今クロニャといるのだろうか。
鋼が不可解さに頭の中に疑問符を浮かべていると、
「あ、あの。わたし、温泉での作法を知らないので、皆様の失礼にならないように距離を置こうかと……」
なんか斜め上な回答をよこしてきた。
「いや、別に温泉に作法とかないから」
当然鋼は否定する。
まあ日本を考えると全くない訳でもないだろうが、少なくとも鋼の知り合いはそんなもの気にしそうにない連中ばかりだ。
そして、その筆頭が、
「隣、見れば分かるじゃないか」
「……呼、んだ?」
風呂の中でもバリッバリに服を着ている、とある異世界勇者だった。
あいかわらずゴスロリっぽい服を着て、無表情に湯につかっている。
しかも、お湯にひたっているはずの服が全く濡れていない。
これには不思議とか通り越して理不尽すら感じた。
その視線の意味を察したのか、クロニャが口を開く。
「『絶対的隔意』、は、絶対、にして、孤高、の能力。
湯の侵食、すら、防、ぐ」
「お湯に悪意はないだろ?」
「わたしが嫌だ、と思え、ば、そ、れは悪意があ、るも同じ」
なんだそのセクハラだと思えばセクハラですみたいな理屈。
「というか、それじゃあ風呂入る意味がないだろ」
「服、にくれば悪意、だが、体に当たる、の、は、セーフ」
あまりの言い種に鋼は呆れたが、当人はすまし顔だ。
いつものこととも言う。
一方で、ルファイナはどこまでも真面目だった。
そんなクロニャを熱っぽく見つめ、
「その、ですからわたしも、クロニャさんを見ていて勇気がわいたんです。
だから、作法に疎いことを承知で皆さんのところに行こうかと思うんですけど、大丈夫でしょうか?」
真剣な顔でそんなことを言っているが、仮にルファイナが服を着たまま温泉につかっていたりしても、あのメンバーの中では気にするのはリリーアくらいだろう。
ラトリスは当然のようにスルーしそうだし、アスティはそういうものだと言われたら信じそうだし、ララナはマネしかねないし、ミスレイは無責任に煽ってきそうだ。
「まあ、知らないなら教えてもらえばいいじゃないか。行ってきなよ」
「は、はい!」
鋼がそう言うと、ルファイナは鋼が元いた方に向かってばしゃばしゃと駆け出していった。
後には、鋼とクロニャだけが残る。
「……ええと、クロニャ?」
場の空気に耐え兼ね、鋼が特に意味もなく声をかけると、クロニャは鋼をちらりと一瞥し、おもむろに手を差し出してくる。
染み一つない綺麗な手が、鋼の前にさらされる。
「え、っと?」
意味が分からず、鋼が首をかしげると、クロニャはたどたどしく言った。
「こ、れも、勇者の、力」
「??」
なおも理解できない鋼に、クロニャが言葉を重ねる。
「いく、ら、お湯、に、浸かって、も、指が、ふや、けない」
「…………………うん、そいつはすごいな」
どうやら自慢したかっただけらしい。
生温かい気持ちになった鋼は、クロニャの頭をぽんぽんとたたいてやる。……左手で。
「「……あ」」
今、完全に左手の親指がクロニャのつむじに当たった。
驚きの声が重なって、続いて恨みがましい目がクロニャから向けられる。
「あい、かわら、ず、ドS」
「いや、わざとじゃ……」
鋼は慌てるが、
「でも、そこ、がいい」
「ええっ!?」
「そ、れじゃ……」
クロニャは問題発言を残したまま、どこかに飛んで行ってしまった。
……たぶん、最短でも十数分はもどってこないだろう。
鋼はクロニャが去った方に向けて合掌していると、
「はがねお兄ちゃんはほんと、そしょっかしい人だにゃ」
後ろから声がした。
「お、お前は…!!」
突然後ろを取られたことに驚きながら、鋼が振り向くと、
「ええと…………だれ?」
スクール水着を見事に着こなした、見知らぬ黒髪巨乳舌っ足らず美少女……いや、むしろ美幼女がこっちを見ていた。
相手が見知らぬ子供だったことに気が緩みかけるが、
(――いや! こいつは、見るからにただ者じゃない!!)
すぐに鋼は気を引き締めた。
だってさすがにこれはあからさまに不自然過ぎる。
明らかなロリなのに、スクール水着の胸元は大きく盛り上がっている。
こんな不可解な生き物が自然界に存在するはずがなかった。
何より舌っ足らず度が尋常ではない。
すでに解読が困難なレベルだ。
(いや、そもそも……)
普通の人間が、わざわざ温泉でスクール水着なんか着るはずがない!
鋼は最大限に警戒する。
それをあざ笑うように悠然と、幼女は立ち上がろうとして、
「ふっ。そんにゃに警戒…ふびゃっ!!」
すべって湯の中に頭から突っ込んだ。
鋼の震えが大きくなる。
(舌っ足らずな黒髪巨乳ドジッ娘幼女だと…!?)
ここまでの属性が重なると、二次元世界にもほとんど存在しない。
明らかに属性載せすぎだった。
しかし、
「ふ、ふっ。ぼくを、わしゅれてしみゃったのかにゃ?」
健気にも立ち上がった幼女は何事もなかったかのように話し始め、それはなんとなく誰かを連想させたが、鋼はさらに警戒を強めただけだった。
(まさか、ここでさらにボクッ娘要素を重ねてくるなんて…!?)
まるで萌えのデパート、いや、萌えの総合商社だ!
と、鋼が不思議とごく最近聞いたようなフレーズで戦慄を表していると、とうとう幼女が名乗りを上げる。
「にゃら、もう一度にゃのろうか。ぼくは……クロニャだにゃ!!」
だが、
「……え?」
その言葉に、鋼は首をかしげるしかなかった。
幼女はいかにも言ってやったというように、大きな胸を張って自慢げにしているが、
「あ、いや、クロニャはさっきどっかに飛んでったけど?」
鋼はさっきクロニャと会ったばかりだった。
言下に否定する。
「ち、ちぎゃうにゃ! ぼくはクロニャだにゃ!」
「? だからクロニャはさっき向こうにいた奴だって……」
「だからちぎゃうにゃ! ぼくはクロニャじゃにゃくてクロニャだにゃ!!」
なんて、どこかのゲームとかにありそうなやりとりを繰り返していたが、鋼もようやく気付いた。
「あ、もしかしてお前……クロニャじゃなくて、クロナか!?」
不運と不幸を司る神、クロナ。
シロニャの姉妹神にして、鋼たちの敵。
シロニャを狙って事故を起こしたり、魔王に厄介なアイテムを授けた張本人だ。
「さっきからじゅっとしょう言ってるにゃ!」
(いや、言えてなかったし!!)
鋼は心の中でだけツッコむ。
クロニャは憤慨しているが、一度も人間形態を見ていない上、あのどちらかというとクールな少年系に見えたクロニャがこんな幼女だったなんて、鋼の想像の埒外だった。
というか、人間形態が残念すぎる。
いや、むしろおいしいのか?
とにかく、○川がブラック○川になったくらいの違和感があった。
というかキャットとタイガーはともかく、ファミリーは生き物じゃないんじゃないか?
あとエンドとか言っといて終わらないとか大概にしろよ?
と全く関係ないことを考えてしまうほど鋼も混乱してきた。
「ふぅ。やむをえにゃいにゃ!」
それを見て取ったクロナは、一瞬でその姿を変える。
水着の首部分から、夜の闇よりなお昏い、漆黒の毛並持つ神なる猫が飛び出して、
「ふびゃっ!!」
デジャブな悲鳴とともにそのまま温泉に突っ込んで、おぼれだした。
仕方なくクロナを助け出しながら、
(ああ、こいつやっぱりシロニャの妹だわ)
と納得したのだった。
そして、
「……なぁ。そろそろやめてもいいか?」
「う、うにゃぁあん。
も、もうちょっとやってよぉ、鋼お兄ちゃぁん」
濡れまくったクロナを拭いている内に、おかしなことになってきた。
猫形態になったクロナが体を撫でられるのを気に入って、なかなかやめさせてくれないのだ。
「にゃふぅ。僕にここまで言わせるとか、お兄ちゃんは、なかなか……うにゃー」
もうなんか、クロナに当初の軽妙洒脱なライバルキャラ的な面影はみじんもなかった。
だが、それも無理はない。
鋼だって、伊達にシロニャを毎日撫でてはいない。
ひとたび撫で始めたら最後、この世全てのネコは鋼のなすがままである。
しかし、
「……敵同士だったはずなのになぁ」
と鋼が漏らすと、さすがに我に返ったのか、
「はっ!? そうだったよ!
くぅ、僕としたことがっ!!
変神!!」
ちょっとかっこいいセリフとともに、人間形態にもどる。
人間形態なら、鋼の魔手にかからずに済むと考えたらしいが、
「どうしたにょかにゃ、はがねお兄ちゃん。
人間形態ににゃったぼくにおそれをにゃして……」
鋼はクロナから目をそらしながら、そばに落ちていたスクール水着を差し出した。
「いや、その……とりあえずこれ、着た方がいいと思う」
「え? あ、うみゃぁああああああ!!」
猫形態になった時、着ていた水着を脱いだことを忘れてしまっていたようだ。
破滅的な鳴き声を上げると、すごい勢いでどっかに走り去ってしまった。
……全裸で。
それをなんとなく見送ってから、鋼はふと思った。
「あ、そういやぁシロニャにはそういうトラブルなかったな」
そう考えると、シロニャの方が変身の術には長けているかもしれない。
「ああ見えて、お姉ちゃん、なんだなぁ……」
……胸は、完全に負けてるけど。
なんてことをしみじみと考えながら、鋼はしばらく、のんびりと一人風呂を楽しんだのだった。
さすがに誰もいない場所にずっと留まっているワケにもいかない。
そこから少し移動すると、奥にクリスティナ、マキ、真白の学院留守番組の姿が見えた。
もともと魔法学院の生徒だったクリスティナ、なぜかこっちの世界に魔法使いとして転生してきた真白、鋼の巻き添えで特に意味もなくこちらの世界にやってきてしまったマキ、と境遇はバラバラだが、それなりに仲良くやっているようだ。
「あ、ハガネさん! 魔王、倒したそうですね!
おめでとうございます!」
クリスティナが一番に気付いて、鋼にそう声をかけてきた。
それに笑顔で応えながら、
「ああ、うん。なんとかね。魔法学院の方も変わりなかった?」
と鋼が聞くと、なぜか三人は目を逸らした。
「あー。つい数時間ほど前までは変わりなかったんだけどねー。
学院長、温泉に招待しに来た女神様の胸の質素さについて、ついうっかり言及しちゃってさぁ……」
「ちょっと、筆舌に尽くし難いというか、克明に描写すると残酷表現でR18になるような状況に……」
マキと真白が続けて目を伏せる。
どうやら、語るのもおぞましい残虐刑が執行されてしまったようだ。
道理でこの場に学院長とレメデスがいないワケである。
しかしまあ、どうせあの学院長なのでどうにかなるだろう。
気持ちを切り替えた鋼に、クリスティナが不満げに語りかけてきた。
「わたし、最終決戦だって聞いたから、鋼さんからいつ『みんなの元気を僕にちょっとずつ分けてくれ!』って呼びかけがくるかなと思って待ってたんですけど……」
「うん。クリスティナはちょっと、少年漫画の読み過ぎだな」
しかも、実際に元気を送る魔法とか使えそうなところが恐ろしい。
ついでに言えば、マキや真白とは違いこの中で唯一こっちの世界の人間なのに、この中で一番向こうの世界のマンガに詳しいというのもどうかと思う。
「ん? ていうか、よく僕らが魔王と戦うなんて知ってたな」
考えてみればマンガ云々より、そっちの方が重要だった。
それに答えたのは、見た目は十二歳、中身は女子高生な真白だった。
「あ、それはわたしの魔法で、だよ。
魔法学院でね。今までに会ったコウくんの動向を確かめられる魔法を開発したんだ」
「へー、それは……んん?」
今までに会ったコウくんってなんだろうか。
コウくんってそんなにたくさんいるのか?
「あ、もしかして、今までに会った人物の、って言った?」
何かの聞き間違いだろうと鋼はそう尋ね直したのだが、真白は首を横に振った。
「え? 違うよ? その魔法、『ロケート・コウくん』って名付けたんだけどね。
コウくんに会ったことがある場合、コウくんがどこにいて、大体何をしてるか、なんとなく分かるって魔法なんだ」
「へ、へぇー」
相槌を打つが、なんか冷や汗がたれた。
もしかして、自分にしか効き目のない、対鋼専用の魔法なんだろうか。
何だかその、激しくニッチというか、効果がピンポイント過ぎる割に、一部の人間とか神様とかの間で熱狂的なファンを獲得しそうな魔法だった。
助けを求めてマキを見ると、マキはしっしと犬でも遠ざけるような動作をしていた。
たぶん、もういいからそろそろ逃げろ、の合図だった。
少なくとも鋼はそう解釈した。
「じゃ、じゃあ僕はそろそろ行くから!」
とりあえず話を切り上げてその場を去ろうとすると、
「あっ、もう行っちゃうんですかぁ?」
「待ってよコウくん! まだまだ話したいことが……」
クリスティナが残念そうな顔をし、真白は露骨に引き留めにかかった。
しかし、そんな真白の背後にマキが迫る。
抵抗する真白を、マキは羽交い絞めにして止めた。
「どうどう、どうどう、落ち着いてねーマメシロー。
ほら、いい子だから……」
「ちょ、マキ離してよ! ていうか私はマメシロじゃなーい!」
水着姿でもみ合う女の子二人という、ある意味眼福な光景を目に焼き付けることもせず、鋼は一心不乱にその場を後にする。
水音と喧騒が遠ざかっていく中、
「『ロケート・コウくん』!!」
後ろから不吉な呪文が聞こえてきたような気がしたが、鋼は振り返らずに駆け抜けた。
次に来た場所にいたのは、
「ワタシの、炎……」
とつぶやく真っ黒なローブを着た不気味な女性で、
「あ、急に用事を思い出した」
鋼はすかさずきびすを返して逃げようとした、が、
「のわっ?!」
いきなり側頭部に火球がぶつかってきた。
ここは攻撃行動が不可能な場所なので、ぶつかった魔法は鋼に一切の傷を負わせずに消え去るが、いきなり魔法をぶつけられた鋼は当然驚いた。
そしてその魔法のでどころを探ってみて、
「あ、あぁっ!! 君は……」
鋼は、今までの誰に会った時よりも大きな声をあげた。
何しろ、そこにいたのは、
「き、君はまさか、結局名前さえ聞かなかった武闘大会の前に能力の実験に付き合ってくれたエルフの女の子!?」
かつてシロニャと一緒にタレント実験とかに付き合ってくれた、名前も知らないエルフ少女だったからだ。
まあなんやかんやで、鋼はエルフの少女ともローブの女性とも仲良くなった。
エルフの少女とは今度こそ互いに自己紹介をして、再会の喜びを分かち合った。
無口な子なのであまりしゃべらなかったが、それなりに喜んではくれているようで、鋼が何か言うたびに魔法を乱射して感情表現してくれるので、むしろ分かりやすかった。
何でも彼女は来年度に魔法学院に入学することがほぼ決まっているらしいので、そこで次なる再会を約束した。
ローブの女性と鋼は明らかに初対面で、なぜ彼女がここに呼ばれていたのか分からないが、色々と話をした。
着衣温泉をして電波なことをつぶやいてはいたが、ローブの下を見ると意外にも結構普通な女の子で、何でも魔法使いにあこがれていた時、家の倉庫にあったローブ(一度着るとどうやっても脱げない)を付けた途端に体から魔力があふれだし、スーパー魔法少女(本人談)になったらしい。
その後、偶然にも鋼たちと同じ武闘大会に出場していたそうなので、もしかするとその辺りがここに呼ばれた理由なのかもしれない。
現在はスーパー魔法少女は卒業し、普段はバス・チーユという狭い集合住宅で質素な暮らしをしているそうだ。
彼女とも再会(本人は面会とかいう言葉を使っていた)の約束をし、鋼は先に進むことにした。
湯煙渦巻く温泉迷宮を進むことしばし、
「は、ハガネさーん!」
こっちを呼ぶ声に振り向くと、そこには懐かしい顔が五つも並んでいた。
……まあその内の三つはミスレイの飼い犬(?)であるケルベロスのポチ(♀)だが、残る二人は鋼にとっても忘れられない人物だった。
一人はトーキョの街のギルド員のキルリス。
そしてもう一人は……。
「キルリスさん! ……と、ええと、ドラ〇エとかに出てきそうな名前の……あ、ソレイユ!!」
「ミレイユよ! 一字違いまで思い出されたのがむしろ腹立たしいんだけど!!」
名前を間違えて呼んでしまった、ラトリスの弟子とかいう死に設定がある短剣使いのミレイユには当然怒られたが、
「いや、これは僕の持ちネタだから……」
と、適当なことをぬかして鋼はうやむやにした。
しかしまあ、懐かしい顔に出会ったものだ。
「トーキョの街からはお二人だけですか?」
近況を聞くようなつもりで、鋼はそう尋ねると、
「あとついでにファルザスさんも連れられてきましたが、あまりの女子率の多さにいたたまれなくなって三秒で帰りました」
「そういえば『魔剣が、魔剣が呼んでるんだー』とか騒いでたけど、あいつ大丈夫なの?」
予想外に世知辛い事実を聞かされてしまった。
「いや、うん、たぶん……」
ファルザスさん、ムチャしやがって……と鋼は目頭を押さえた。
「ええと、それはともかくおめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
キルリスに祝いの言葉を受け、思わず鋼は顔をほころばせたが、続く言葉にその表情を凍らせた。
「これ、ハガネさんのハーレム結成記念パーティなんですよね?
トーキョにいる内からミスレイとかラトリスとか、すごくたくさん女の子を連れてましたし、わたし、きっとハガネさんならやってくれるって思ってました!
結局ハーレムって何人になったんですか?」
「え? ちょっと待った!
あたしは神様との結婚披露宴だって聞いてたけど?」
「またあの女神は適当なことを…!!」
どちらも事実無根であり、さらに万歩譲って事実だとしても、どっちも温泉でやる理由が謎すぎる。
「え? 嘘だったんですか?
……こんなに女の人がたくさんいるのに?」
「いや、それはないでしょ。
あの女神様、たくさんのろけていってたよ?」
「「「ワン!!」」」
口々に言い立ててくる二人と一匹。
何だか雲行きが怪しくなってきた。
「そういうのに騙されちゃいけないよ、お二人さん。
あっもうこんな時間だそれじゃあ僕はもう行くから」
途端に胡散臭い口調になった鋼に途端に胡散臭い顔をする二人を残し、鋼は戦略的撤退を決行した。
なんだかここに来てから逃げてばっかりである。
「思い返せば、結構いろいろあったよなぁ……」
鋼は歩きながら、自然と今までの冒険を思い出していた。
単なる偶然には違いないのだが、あいさつ回りをしていた相手が、不思議と今まで別れた順番と似通っていた。
ラターニア王国、現実世界、魔法学院、武闘大会、トーキョの街、と、まるで時間をさかのぼっているような心地がしていた。
そして、
「そろそろ、最後の場所かな…?」
旅の、終着点。
キョートの街を超えた場所に当たる、そこには……。
「――ふぅ。ようやく見つけたのじゃよ」
誰よりも見慣れた、小さな白い猫が待っていた。
やっぱり最後はそうなるのか、と鋼は苦笑しつつ、シロニャに近づいていく。
「もう、木の枝とのバトルはいいのか?」
鋼がそう問うと、白い子猫は不敵な笑みで答えた。
「ふっ。ワシを侮るでないのじゃ。
まあ、13勝0敗、と言ったところかの。……あやつ視点じゃと」
「思いっきり負けてんじゃねえか!!」
というか、一勝もできていない。
つまり、逃げてきたということだろう。
鋼が呆れた視線を送ると、シロニャはあわてて言い訳を始めた。
「ち、ちがうのじゃよ?
あやつ、近頃になってすごく腕を上げて来てるのじゃ!
あの戦闘力、あるいは斬〇刀のない時の黒崎〇護級、いや、二人そろった亜城木○叶すらも超えるやもしれん……」
どのみちちょっと強めの一般人止まりだった。
「……まあ、いいけどさ」
そう言って鋼は空を、赤い月の浮かぶ、西の空を見上げた。
その表情を見て、シロニャは自分の胸がきゅっと絞まるような感覚を覚えた。
思えば、魔王のことを話す時、鋼の目にはいつも陰があった。
自分たちの勝手な都合で魔王の命を奪ってしまうことを気に病んでいるのだと、シロニャは正しく洞察していた。
「コウ!」
だからシロニャは猫から人間の姿にもどり、できるだけ鋼と同じ目線で、鋼の心に訴えるように呼びかける。
「おぬしは、みんなにほめられるようなことをやったのじゃ!
魔王は倒さねばならない敵だった。
おぬしは、正しいことをしたんじゃよ!!」
だが、その言葉でも鋼にまとわりつく暗い空気を取り去ることはできなかった。
「シロニャ、ありがとう。
そう言ってくれるのはうれしいけど……。
でも、まだ終わっていない」
むしろさっき以上に険しい顔で、鋼は空を見上げる。
それを見て、シロニャはハッとした。
鋼の策略を聞いて、シロニャたちは全員、鋼の計画が成功したものと思って喜んだ。
だが、魔王自身に打開する術がなくても、以前のクロナのように、外から手助けをする存在が現れれば話は別だ。
(ワシは……そんなこと考えもせずに、能天気に喜んでいるだけじゃった)
鋼の悩みを理解してやれていなかったのだと、シロニャは肩を落とす。
だが、そんなシロニャを逆に励ますように、今度は鋼が声をかけてきた。
「あのさ、シロニャ。
僕だって、魔王を倒したこと自体を、後悔しているワケじゃない。
ただ……」
「ただ…?」
そうシロニャが促し、鋼が口を開きかけた時、
「あっ! あれ見てよ! オーロラ!!」
大声で叫ぶララナの声に、鋼たちは動きを止めた。
話の内容よりも、思ったよりもずっと近くからララナの声が聞こえて驚いてしまった。
どうやら進んでいる内に一周して、最初の場所にもどってきていたらしい。
「……ぁ」
しかしそれよりも、シロニャは西の空に現れた光に目を奪われていた。
突然空に現れた幻想的な光景。
まるで光の花びらが花開いていくように、その光はゆっくりと同心円状に広がっていく。
それは、オーロラというよりも、
「まるで……」
「――綺麗な花火、だろ?」
シロニャの独白の後を引き取るように、鋼が言う。
なんでもない言葉のように聞こえた。
だが、
「きれいな、花、火…?」
その瞬間、シロニャの脳裏によみがえる、ある会話の記憶。
あれはたしか馬車の上、ララナと鋼、シロニャの三人で魔王について話をしていた時のこと。
『そ。コウくんは、どーんと構えてさ。
いつもみたいに「ハッ! 魔王なんて、オレ様がきたねえ花火にしてやんよ」とか言っとけばいいんだよ!』
『それ誰!? というか、汚い花火はちょっと……』
『じゃあ、きれいな花火にするのじゃ!』
『ま、まあ、それならいい……のか?』
『きれいな花火、楽しみなのじゃ!』
『そういえば温泉もそうだけど、最近花火とか見てないねー』
シロニャも、今この瞬間まで忘れていたような会話。
しかし、
「……ん?」
鋼の、邪気のない笑顔を見る。
そういえば鋼は、魔王を倒しに行く時、
『大丈夫。約束は、守るよ』
と、ルファイナだけでなく、なぜか『ララナとシロニャを見て』、言っていたような気がする。
そしてそして、思い返してみれば『相思相愛の証石』には、『ぶつかった時、演出効果として衝突の勢いに応じた発光をする』機能が備わっていたような……。
いやまさか、いくら鋼でもそんな、と思いながら、
「お、おお、おおおおおおお、おぬし、まさか……!!」
とどもりまくった声で、鋼に問いかけると、
「いやいやいや! そんなことないから!」
鋼はぶんぶんと首を横に振ったので、シロニャはホッと胸を撫で下ろし、
「いくら僕だって、さすがに二人に花火を見せるためだけに魔王倒しに行ったりはしないって。
まあただ条件的に、何だかできそうだなぁと思ったからついでにやっただけでさ!!」
続く台詞にガクッと膝を折り、地面に両手をついたのだった。
恐るべき真実にシロニャが倒れている間にも、西の空から円状に広がった光の花火は、消えるどころかさらに大きさを増していき、その先端がとうとう地表に到達。
まるで流星群のように光が地上に降り注ぐ。
突然の光は人々を驚かせたものの、熱も質量もないその光に害がないと分かると、かつてない神秘的な光景に人々は驚嘆した。
ルウィーニアの温泉でも、あちらこちらで歓声が上がる。
それを聞き、よかったよかったとうなずく鋼だが、いつまで経っても起きてこないシロニャがそろそろ心配になってきた。
「大丈夫か、シロニャ?」
そう近寄って声をかけると、
「うわっ!?」
突然シロニャが起き上がり、鋼に指を突きつけた。
「よいか! おぬしに三つ、言いたいことがあるのじゃ!」
その迫力に圧倒され、鋼は思わずうなずいた。
「まず一つ目じゃが、今度ワシが連れて行ってやるから、菓子折り持って『はじまりの森』までついてくること。
魔王にはひどいことしたからの。
ガリガリ君の梨味かコーラ味でも渡して、魔王の魂にはちょっと謝っておくのじゃ」
「え? ええっと……」
ガリガリ君が菓子折りかどうかはおいといて、はじまりの森ってなんだったかと思い出す。
そういえば冒険の最初期に、死んだ生き物の魂はそこに送られるとかいうぬるゲー設定を聞いた気がする。
あれはマジだったのか。
得心しながらも戦慄する器用な鋼に、シロニャはさらに言い立てる。
「そして、二つ目じゃが……コウ!
魔王を花火にしちゃうとか、常人の発想じゃないのじゃ!
というかもうぶっちゃけ、おぬしは軽く頭がおかしいのじゃ!」
「ええっ!?」
ただ約束を果たしただけなのに、ひどい言われようだ。
鋼はびっくりするが、それだけで終わりではなかった。
「そ、そして三つ目、じゃが。
その、頭のおかしいおぬしじゃが、そんなおぬしのことを、ワシは……そのぅ……」
そこでシロニャは言いよどむ。
日常の会話の流れでならある程度平気だが、あらたまって口にするには、これからシロニャが言おうとする台詞は恥ずかしすぎた。
「だ、だから、ワシは、おぬしのことが……」
そこまでは言えるのに、どうしてもそこから先が言葉として出てこなかった。
ついには、
「ええい、もういいのじゃ!」
自分の態度に自分で痺れを切らしたシロニャは、鋼に飛びついてその首に両手をまわす。
「し、シロニャ…?」
「な、何も言うな……なのじゃ」
動揺する鋼に、精一杯に背伸びをして、自分の顔を近づけていく。
これには、いくら朴念仁な鋼にもどういう意味か理解できた。
自分からも、少しずつ顔を近づける。
緊張に震えるシロニャのまぶたが閉じられたのを確認して、鋼も目を閉じる。
そのままそっと、顔を近づけて、
――チュッ!
鋼の唇に、小さい、本当に小さい唇の感触がたしかに触れて……。
そっと目を開けた鋼は、目に映った光景に二重の意味で目を見開いた。
「えへへ。ご主人様と初キスです」
目の前にぷかぷかと浮いて、ほおを染めているのはシロニャではなく、
「き、木の枝…!?」
シロニャを追いかけていたはずの、木の枝の精だった。
「なっ、なっ、なぁっ!! お、おぬしぃいいいいい!!!」
ようやく異変に気付いたシロニャが目を開き、当然ながら騒ぎ出して……。
さらにはその騒ぎを聞きつけて、各地から女性陣が駆けつける。
「あー、抜け駆けだぁ!!」
「全く、私にお命じ下されば、ハガネ様の足にだって喜んで口付けするというのに!」
「ゴワゴワ教の教祖として、ご神体を保護する必要がありますね!!」
「なるほど、キスか……。うむ、……うむ!!」
「も、もちろんわたしはそんなの別に気にしないわよ?!
き、気にはしてないけど……と、とにかく待ちなさーい!!」
そこそこ近場にいた数人に加え、あまりの騒ぎに他の場所にいた者たちまで全員、鋼の下に駆け寄ってくる。
それを見た鋼はというと、
「な、なんだこのスタンピード……」
駆け寄ってくる女性陣の迫力に、完全に気圧されていた。
「と、とにかく逃げるぞ」
言って、猫形態になったシロニャを肩に乗せ、木の枝の精にいつもの定位置につかまってもらうと、一目散に逃げ出した。
「逃げたぞ、追えー!!」
それを見咎めたララナが、面白がって追撃の号令を出す。
――女性陣全員VS鋼の、新たなる鬼ごっこが始まった。
……ちなみに、だが。
空に光が現れた途端、脱衣所に入れたままの鋼の冒険者カードがけたたましい音を立てていたのだが、それには誰にも気付かれることはなかった。
なぜなら――
「あ、あのね、コウくん! 今まで黙ってたけど、ボクのソウルネーム、ううん、本当の名前は、篠塚あ――むぐっ!?」
「口封じの札です。害はありません。……ところでハガネ様、『血縄の絆』で結ばれた主従が異性だった場合のデータなのですが、男女の関係になる割合がなんと――」
「全くハガネはいつも騒動に巻き込まれるな。し、仕方ない。こうなれば私がハガネの専属の騎士になって守るしかないな! もちろんそれだけでなく、プライベートも――」
「コウ様、これからも末永くわたしとゴワゴワ教をよろしくお願いします。あ、あの、コウ様がゴワゴワをさわらせてくれるというなら、その、すごく恥ずかしいですけど、少しくらいならメロンを――」
「アイドルに恋人はNGっていうけど、一度くらいそういうので噂になってみるのも楽しそうだから、あんたと付き合ってやってもいいわよ! か、勘違いしないでよね! 別にあんたのことなんて――」
「審判は下りました。結城鋼は審神者の生涯の伴侶となること、だそうです。こうなれば仕方ないですよね。あ、あの、結婚式はもちろん神前で――」
「ず、ずるいぞ審神者!! 我だってその、恋人になってくれたら毎日凄い尽くすぞ! 毎日十回はお弁当作ってくるし、毎日千通はメール入れるし、ネクタイの結び方なんて三百二十六通りも――」
「封印の巫女でなくなって、自由になったわたしが何をすべきか、何がしたいか、考えたんです。やっぱりわたし、ハガネさんと一緒にいたい! ハガネさんと一緒に、新しいものを見て、たくさんの経験をして――」
「勇者、に、とって、名前、を、つけられる、のは、相手、に命を握ら、れた、も、同じ。あなた、には、わた、しと、一生添い遂げ、る、義務が――」
「う、うう。ぼくのはだきゃを見たしぇきにんは、とってみょらうから――」
「あの、わたし将来、魔法使いじゃなくて漫画家を目指そうかなーって思うんです。だからその、漫画に詳しいハガネさんがずっと隣にいて、力を貸してくれれば、なんて思っちゃったり――」
「あーもー! こういうのはガラじゃないってのに! いい、コウ! この際だからもうはっきり言っちゃうけど、あたしの気持ちは前からずっと変わってない! あんたのことがずっと好き――」
「ま、マキ!? もうもうもう! 日本にいた時は、こんなにライバル多くなかったのに!! コウくん! 私だって、あなたのことを異世界まで追いかけてくるくらい、だい――」
――ボン!!(無言の魔法攻撃)
「ワタシの炎は、あなたを逃さない――」
「こ、こうなったらわたしだって言っちゃいますよ?! い、いいですか? 最初会った時は頼りないなって思ってましたけど、巨竜が攻めてきた時は毅然としててカッコイイなって思っちゃいました。そんなハガネさんが、わたしは――」
「え? 何? あたし? ……いや、まあ、き、嫌いじゃない、けどさ――」
「「「ワン!!」」」
「えへへ。これからもわたしはご主人様の相棒として、ご主人様の剣となり妻となり、公私に渡って文字通り一生懸命にご奉仕しますよ!」
――みんながみんな、鋼を追いかけることに夢中で、
『空が光った瞬間、遠い月の上で《とある生物》が断末魔の声を上げ、その経験値で鋼のレベルが尋常じゃないスピードで上昇し始めた』
……なんて、そんな些末でどうでもいいことは、誰一人として気にもしていなかったのだから。
「な、何でみんな追いかけてくるんだよ!?
う、うわぁあああ!!
怖い! 怖い! 怖いってぇえええ!!」
とうとうカードのレベル表示が百万を超え、職業表示が『真神』に変わる中、鋼は無邪気に温泉の中を逃げ回る。
そしてそれを楽しそうに眺めながら、その肩に乗った白い猫が、オラクルで鋼に呼びかける。
この物語の、最後の天啓。
そして、シロニャがずっと胸の内で温め続けた言葉。
それはもちろん……。
【コウ、大好きじゃよ!】
「それはいいから助けてくれよぉおおおおおおおおおお!!」
Fin
最後の最後まで、合言葉は『台無し』!!
さて、ここまで読んで下さった方、本当にお疲れ様です
作者としては寂しい気持ちもありますが、これでこの物語はおしまいです
やりたいことは全部やったので、この話についてはこれ以上、続編、外伝等を書くつもりもありません
……と、書いた本人としては思っているのですが、この終わり方はどうだったでしょうか?
最後のオチというか、魔王の倒し方が問題の解決法としては複雑な割に弱いので、その分苦心して色々と詰め込んでみました
最終話のコンセプトは『間違いなく大団円でありながら、読んだ人が思わず画面を殴りたくなるくらい最低で台無しなエンディング』だったのですが、果たしてうまく出来ているか、評価が怖いところです
何だか余計なことまで語ってしまいましたが、とにかく完結させることが出来てとりあえずはホッとしています
書き始めた時は絶対途中で飽きると思っていましたし、あまり弱音を書くのもと思って黙っていましたが、数カ月も連載していればそれなりに色々あって、その度にくじけそうになっていました
それでも続けられたのは、お世辞ではなく、読んで下さった方々の応援のおかげです
ありがとうございます
この作品はこれで終わりですが、まだしばらくは『小説家になろう』で文章を書かせてもらうつもりです
もしまた別の形で皆さんにお目にかかれれば幸いです
では、『天啓的異世界転生譚』への長い長いお付き合い、本当にありがとうございました