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出る杭は打たれる

作者: 山中幸盛
掲載日:2011/07/03

 アメリカでトヨタ車のリコール問題がマスコミで騒がれているのを見聴きして、幸盛はしみじみ思う。やはり、ガリレオ・ガリレイの例を引くまでもなく、真実か否かの問題ではなく「出る杭は打たれる」ものなのだ。

 今から二十五年くらい前、幸盛がガス工事会社に勤めているときに同僚の息子がトヨタ自動車に就職できたので彼は誇らしげに教えてくれた。「トヨタは東大入学を人生の目標にして燃え尽きた東大生よりも、日大工学部で主席だった息子の方を選んでくれた」と。そして今からほんの二、三年前、景気が好調な時に新聞で知ったのだが、トヨタ自動車は新車の研究開発部門に一兆円を投じているらしい。いずれも、さすがトヨタと感心したエピソードだ。

 日本仏教界にも似たようなところがある。そもそも仏教はお釈迦さまが説いた教えで、三十歳で悟りを開いた彼は八十歳で死滅するまでの間に多くの教典を残した。そして最後の八年間で説く法華経の冒頭で「四十余年未顕真実」と述べ、それ以前の教説には未だ真実は顕していないと宣言しているにもかかわらず、多くの宗教家はそのことを知らずにいるし、あるいは見て見ぬふりをしているとしか思えない。法華経の勧持品第十三にある「悪世中比丘 邪智心謟曲」(悪世の中の比丘は邪智にして心はへつらい曲がり)「未得謂為得  我慢心充満」(未だ得ざるをこれ得たりとおもい我慢の心充満せん)との『予言』通りの実態をなしている。

 現在の日本では法華経以外の教典を依教とする比丘(男の出家者)が圧倒的多数なるがゆえに、法華経を語る者が『杭』のごとく出ると、よってたかってその杭をたたきのめすことになる。法華経のなかに釈迦の真実の教えがあるかどうかは問題ではないのだ。このことは、コペルニクス的発想の転換を必要とする視点といえるかもしれない。


 幸盛が血気盛んな二十代前半の頃、一宮市に住む友人の家に遊びに行ったところ、法事が終わったばかりで、お坊さんがお茶を飲みながら親戚一同と懇談しているところだった。

 いきなり、友人が突拍子もないことを提案した。

「おい、いい機会だから坊さんに質問してみろよ」

「えー、何を?」

「決まっとるがや。おまはんがこないだ言っとった『四十余年未顕真実』について、坊さんが何と答えるか興味があるんや。坊さんはプロだから、まさか知らんはずはないやろ」

「どうかなあ、知らんというより知らされていないような気がするけどなあ」

「ええから、ためしに聞いてみろって」

「あとで親戚に怒られても知らんで」

「親戚連中も惰性でつきあっとるだけだで」

 それでも幸盛は気乗りがしなかった。

「後になって、大事な法事の席に殴り込んできた非常識な若造がいた、とかとデマを流されてもかなわんからなあ」

「おい。痛ましいかな、悲しいかな、末代の学者、仏法を習学してかえって仏法を滅す、じゃなかったのか?」

「よく覚えているなあ、おまえは何者だ?」

 幸盛が苦笑すると、彼もニヤリと笑って問答無用で襖を開け、袈裟をまとった坊さんに向かって頭を下げた。

「次の檀家に回るところをお忙しいとは思いますが、いま法華経を勉強してる奴が遊びに来て、一つだけ質問してみたいと言っているんで、少し耳を貸してもらえますか?」

 一同は何事かと幸盛に注目する。こうなると幸盛も後には引けず、友人に続いて部屋に入り、彼の隣に正座して坊さんと向きあった。三十歳代に見える坊さんは泰然自若として微笑んでいる。おい、と友人がひじで突いて促すので、幸盛は開き直って尋ねてみた。

「涅槃経は法華経の結経といわれていますが、法華経の開経といわれている無量義経のなかに、『四十余年未顕真実』と記されていることはご存じですか?」

「ほほう」

 と坊さんは感心する体で幸盛を見つめた。

「どのような意味ですか?」

 と邪気もなく聞いてきた坊さんの顔を見て幸盛は確信した。あかん、弁明の用意があるどころか何も知らん。かくなる上は行きがかり上教えて差し上げるしかない。

「釈尊は三十歳の時に伽耶城近くの菩提樹の下で悟りを得て以来、華厳経、阿含経、阿弥陀経、金光明経、大日経、般若経など多くのお経を四十年余りかけて説いたとされていますが、これらのお経の中には『未顕真実』つまり、未だ真実を顕していない、としているのですが?」

 坊さんは心の底から感心しているようだ。

「へえー、お若いのによく勉強されてますなあ」

 幸盛は黙ったまま坊さんの顔を見つめて待った。坊さんは腕を組み、やおら口を開いた。

「寺に帰ったら早速調べてみます。分からなかったら図書館にでも行ってみます。今日の所は堪忍して下さい」

 と坊さんは言って、冷めたお茶を口に運んだ。

 幸盛は今になって思う。どうやら、『法華経を学んでいる青年』というだけでは、『出る杭』としては不足らしい。



* 文芸同人誌「北斗」第567号(平成22年5月号)に掲載 

*「妻は宇宙人」/ウェブリブログ  http://12393912.at.webry.info/ 



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