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01_日算50円の努力



自分には分からない。


「何ぼさっとしてるの、早く書き取らないとホワイトボード消されるよ」


最低限の化粧気で整えていると以前に語った言葉が、はたして今も同じなのか。坂本真矢という人間は、隣から言外に机上を指す。


長髪の片側に留めを飾る。こちらへの視線も次には正面に。講義へ意識を戻せば、教授の語りを聞き入る余裕もなく、ひたすら耳に流れてくる言葉をノートに書きとる作業に追われる。


聴講終わり、昼休憩に窓際から離れたテーブル席に着けば、料理を運ぶ真矢が向かい合わせの席に来る。その場で直前の出来事が話題に上がる。


「ねえ、なんか悩みでもあるわけ?」

「はぁ?」

「さっきの講義、どこか集中できてなかったみたいだし、もうすぐ試験なのに危ない感じ」

「ああ……」

「嗚呼、って――――」


食事の手は進まず、半端な答えが真矢の追及を強める形になるが、自覚がなければ答えようもない。


「――――そんな反応だと本気で心配になるんだけど?」

「いや、何も」

「本当に?」

「少なくとも、ここ数日で変わったことはない」

「そう、ならいいけど」


食器に髪が触れない程度に身を乗り出す真矢は、煮え切らない答えだろうと姿勢をとく。


決して料理に文句はない。厨房付きの食堂では、きっちり温かい食事が提供される。


学徒大勢の腹持ちを支える冷温そろえた軽食の自販機エリアは二人に限れば利用は少なく、少々の箸休めが付く定食と飲み放題の水も、空席が限られる程度に利用されている。


並みの食事量なら身なりを整えても休憩時間は余る。天井付近の壁紙には経年の色落ちもある食堂では、腹休めの会話を責める相手もいない。


「そういや、その鞄、買い替えたのか?」

「ああ、これのこと? 今回は新品。前のも残してあるけど、どちらが似合っていると思う?」

「中高一貫のファッション感覚で良いなら、今度のも似合っているとだけ」

「あはは……、うん、ありがと」


バックパックを卒業できない自分と季節柄の鞄を持ち込む相手では、観察眼も異なるに違いない。諦めてしまえば表現に富んだ言葉は生まれようもない。

真矢も、空いた席の薄茶のサイドバッグからすぐ手を離す。


「小物細工だったか、才能があると違うな」

「まさか、経費と売上でトントンだよ。流行りの時期に売り切れなくて自分で分解する時なんて、ほんと悔しいし」


真矢と自分。

おかずの一品か、相応の盛り付けにしか表れない学食の金額差と、それを足しても及ばないだろう夜勤労働を続ける自分は、何の理屈で生きているのか疑問を覚えることがある。


最低限の安心は、親から金銭的な補助を受けられたためであり、料理を落とさず食べ、不必要に食器で遊ばないことを教わっていたためだろうか。少なくとも、学生食堂において場違いに思われないテーブルマナーを身に着け、それが現生活を支えていると自負している。


「教師になった後も、その副業は続けるのか?」

「無理無理、こんなことができるのは学生の内だけ。定期的にまとまった時間が取れないと儲けにならないからね」

「そんなもんか」


話題の終わりに真矢に食事をうながされる。残りの休憩時間を身支度に使い切れば、午後からの講義に向かう。


そのような日常でしかないのが、自分という人間である。


集合住宅の自室に帰れば、売れ残りの弁当を居間のちゃぶ台に置く。

予約給湯もできない浴槽機器が壁や床を響かせる。幼い頃には窓の外が暗くなる頃には寝ていたはずだが、その事実を忘れるように個人端末に手を伸ばす。


「そういや、資格試験が近いんだったな……」


端末画面の発光で通知を知り、届いていた真矢から応援メッセージを読んでつぶやく。重要な内容もこれといって書かれない文章の返事は、着信時刻からの経過や睡眠を邪魔を気にして翌朝に見送り、不要な電子広告を取り除く作業に追われた。


近場の食料品店の割引情報、連絡先登録で仕分けすらされない情報も目に通す。地域単位か国民全体に向けた広告は題名だけでも雲の数ほどあり、社会人未満をも標的とした広告競争にも慣れた。


そうして並ぶ文字を追っていた目が、一つの文章で止まる。


端的に、銀行口座の不審な振り込みを知らせる題名は、詐欺広告でも珍しくない。

とはいえ、個人情報に合致する内容が含まれていれば無視もできず。自分自身の頼りない労働対価に見合わない入金とは、どんなものか。


平時から連絡が届くわけでもないそれは、個別に仕分ける設定をしたまま存在すら忘れていた銀行のものであった。


急な入金に関する、第三者による不正利用への注意喚起。

詐欺を覚悟で本文を読めば題名通りの記載があり、正規を経由した銀行口座で確認すると確かな入金記録の実在を知る。


目減りする一方の学業預金に対するおよそ不似合いな入金額に、その、やや端数の多い入金額にも目が留まる。


数値に自身の記憶が呼び起こされて、部屋のゴミ箱をひっくり返して中身を漁る。拾い上げられた白い封書は、その表面に唯一書かれた数値の並びが入金額と一致するものであった。


封書を開封してみれば、取り出されたのは数枚の写真。

およその光景は、建物の陰に立つ人物を写したもので、遠方から撮ったように解像度に粗のある写真の数々は、背景が異なりつつも一人の男を被写体としたものであった。


印字された日付は、ここ一年以内のもので最新では一か月未満。


荒れたゴミ箱周辺を無視して押し入れに向かえば、一つの古びた段ボールを引き出す。中身を開け、広げた写真アルバムの自らの母と共に写る人物と見比べる。


「今まで何やってたんだ。こいつ」


幼児期の自分を抱えた母と並んで映る男。

かつてのそれ違い、見比べたものは印刷も色鮮やかで細かい。


中庸な背格好の男は、整った着衣から生活に困窮した様子は見られない。

白亜調の街並みは、いずれの写真も撮影地点が知らないものだとして、十年程度の経過では本人の特徴を隠しきれておらず、昼空の下で仮装行列に加わる写真の数点は、見知らぬ少女を連れ歩く様子を明確に写している。


写真と共に同封されていた、知らない住所が書かれた紙に手を伸ばしていた。



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