第八話 カクテル
アンバーの照明の下。
バーカウンターの席でグラスを傾けた。
グラスの内側をカミュのさざ波が立つ。
それに遅れて透明なティアーズがゆっくりと撫でるように降りていった。
キーツは無言でI,W.ハーパーを煽っていた。
ワンフィンガーだが、ペースが早い。
「話して楽になるなら聞くぜ。そうじゃないなら、飲み干しちまえ」
そう言ったが、キーツは答えなかった。
私はマルボロの煙をくゆらせると、そこに肺を通った煙を吐きかけた。
無意味な行為だ。
でも私はこの無意味さが嫌いではない。
無意味さを嫌う事は自己否定に思えるからだ。
「ボクは......」
不意にキーツが口を開いた。
「詩人になろうと上京したんです」
(なるほど)
私はキーツと呼ぶのが良いと思った『なんとなく』の理由を理解した。
「井の頭公園や、表参道、下北沢......詩集を売ったり、即興で詠んだりしました」
そこでキーツは一口、喉を湿らせた。
「そんな暮らしの中、出会ったのが緋那でした」
「こんにちは、詩人さん」
コンビニで品出しをしていたボク。
目の前で笑い掛けてくれたのが、井の頭公園に行くたびに来てくれた子だと気付くのに暫くかかった。
「ああ、キミはいつも買ってくれる」
「緋那です。先日の詩集良かったです」
「ありがとう」
ボクが次の言葉を言いかけた時「レジお願いします」と声がかかった。
慌てて立ち上がったボクに「また来ますね」と手を振って緋那は店を出て行った。
それがボクと緋那の最初だった。
「そうなんだ、ダンサーを」
ボクたちは会う度にお互いのことを知っていった。
「でも、先月のオーディションは全滅」
「ボクも、詩の公募も少なくて」
田舎から成功を目指して東京に来たボクたち。
外からはキラキラして見えた街。
でも、住めばそこが現実になった。
多くの日の当たらない場所がボクたちのステージで、苦しさに喘ぐ日々だった。
いつしか一緒に住むようになって二年。
緋那のデビューが決まった。
端の方で踊るだけと言っていたが、大きな舞台だった。
お祝いに指輪を送った。
安物のファッションリング。
「つけて」
差し出された左手に、照れながら指輪を通した。
——その翌日、緋那が消えた。
捨てられと思った。
未練がましいとは思ったが、舞台を見に行った。
緋那がいるはずの場所で、知らない誰かが踊っていた。
そして今日、一年ぶりの再会は左手だった。
ぽつり、ぽつりと想い出を辿るように、キーツは話した。
「あの男は緋那を——」
言葉を遮るように、バーテンダーがカクテルグラスを静かに置いた。
黄色みがかった僅かに不透明なカクテル。
「二人が愛し合えば、幸せな結末はありえない」
そうマルボロの煙と共に吐き出すと、キーツは僅かに口許歪ませて笑った。
「ヘミングウェイですか」
午後の死——
文豪ヘミングウェイの作品。
そして彼が考案したカクテルの名だ。
「博識ですね」
「ただのもの好きだ」
「緋那に」
キーツがグラスを持ち上げるのに合わせて、私もグラスを小さく掲げた。
献杯の後、キーツと約束をした。
「明日、埋葬してやろう」
倒れた二人はミルに放り込んだが、彼女は火葬した。
非合法の火葬だったが、他の処理を全て止めて焼いた。
残った骨が殆ど無かった事実が、彼女が何をされて来たかを雄弁に語っていた。
「簡単に殺らなきゃ良かったかな」
私はそう彼女に囁いた。
キーツには聞こえないように。




