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第1話

 私の名は田中 かなた


 確か30代で死んだのだと思うが記憶がかなり失われており、自分の身に何が起きたのかまるで思い出せないのだが、何故か自分は死んだのだという事だけは間違いないと確信している。


 しかし死因が事故なのか病気なのか誰かに殺されたのかは全く覚えていない。


 私が生まれ育ったのは札幌で、その後成人して家を出て一人東京に移って何かの仕事をしていたような気がする。多分スーツを着て毎日満員電車に乗って通勤していた普通の会社員だったと思う。


 家族が何人だったのかも両親の顔すらも覚えておらず、当然友人の顔も覚えていない。そもそも友人がいたのかも覚えていない。


 恋人は・・・残念ながら多分いなかったんじゃないだろうか、当然結婚もしていなかっただろう。


 自分の名前は憶えているが、自分の容姿がどうだったかということまでも覚えていない。


 ただ私が過ごしていた世界での日常生活様式や社会情勢などは割と覚えている。例えばスマホや温水シャワートイレの使い方とかコンビニとかドラッグストアとか日本以外の国のアメリカや中国やその他の国々があったことなどは覚えている。


 そして今、私は木造の簡素な小屋に一人で住んでいる。壁は丸太がむき出しのまま積み重ねられただけで、窓はあるがガラスがないので木製の窓を閉めると小屋の中は真っ暗になるはずなのだが、窓を閉めても何故か小屋の中はランプなどの灯りがないにも関わらず明るかった。暖を取るための暖炉のようなものはなく、煙突もないので冬が来たらどうすればいいんだろうか。


 実は私はこの小屋に住んで今日で3日目になる。3日前に目が覚めると私はこの部屋にあるベッドに横たわっていたのだ。


 我ながら不思議な事に、私はこの状況に取り乱すこともうろたえることもなく冷静に状況を考えることが出来た。自分の事なのにこんなに冷静な性格だっただろうかと少し考え込んでしまう程だった。


 ともあれ3日前の私は自分が置かれている状況をしっかり把握することを開始した。


 まず私がいる小屋だがとても小さな小屋で、部屋は一つだけでキッチンもトイレもなく家具の類はベッドしかなく、掛け布団も毛布もなかった。


 ただ、目が覚めてすぐに気が付いたのがベッドの上で横たわっていた私の身体の傍らに一本の刀があったことだった。


 私は刀に関する知識はほとんどないが、それが日本刀の見た目と全く同じだという事は分かった。もちろん日本刀など手にした記憶はないし、以前剣道などをやっていたこともなかったと思う。


 私はベッドから起き出して刀を手に取り、部屋の中の様子は先程説明した通りの簡素過ぎる状態なのですぐに小屋の中の確認は終了したため、まず窓を開けて外の様子を確認した。


 ちなみに私は靴を履いたまま寝ていたようで、次からは寝る時は靴を脱いでから寝る事にした。


 窓から見える範囲では外はとても静かで大体10メートルくらいまでは短い草の芝生の絨毯が広がっていたが、その先は鬱蒼とした森林になっていた。


 特に危険はなさそうだという事で私は一つしかない出入り口の扉に向かい、ドアノブのない実に簡素なスライド式の木製のかんぬきを外して扉を押して外へ出た。


 外は窓から見た通りの状況だったが、窓の反対側には小さな池があり、とても綺麗な澄んだ水が池の底から湧いていて、そこから小川というよりは用水路のような幅の狭い自然の水路があって鬱蒼とした森に向かって流れていた。


 私は池に近付き水面を覗いてみると、そこでようやく自分の姿を見ることが出来た。


 特に可もなく不可もない容姿の男、青年位の黒目黒髪の日本男子がいた。そして実に地味な色でシンプルな形の七分袖の丸首シャツを着ていた。


 目線を変えて私は自分の着ている服を確認したところ、シャツ同様に地味だがそこそこ丈夫そうな生地のズボンを履いており、靴はくるぶしを覆う程度のショートブーツを履いていた。靴ひも式ではなく側面に小さな革ベルトが二つついて調整するブーツで足のサイズは丁度良かった。


 私は日本刀を芝生の上に置いてもう一度水面に近付き、数秒間池の綺麗な水を眺めてから意を決して両手を差し入れて水をすくって一口飲んでみた。


「ゴクリ・・・」


「・・・ッ!美味い!」


 無色無臭で味もない水なのに、どこがどう美味しいと脳が判断したのかも分からないのに、ともかく美味しいと感じた。私は続けてゴクゴクと飲み、何杯もおかわりした。


 十分満足してからついでに顔を洗ったが、顔を拭くタオルがないことに気付いて少し顔をしかめたが、そのまま自然乾燥させることにした。


 その後家の周りを一回りしてみたが池の他にはなにもなく、後は周りを取り囲む森林しかなかった。


 その森林は温かな優しいぬくもりを感じる光が差し込める小屋周辺とは異なり、ほとんど日の光が入ってこない暗く鬱蒼とした森林で、直感肌感で危険だと感じた。


 私は森林を見つめたままその場に立って考え事をした。


 まずここはどこだ?何故どういう経緯で私はここにいるのだ?私をベッドに横たえたのは誰だ?何故日本刀が添えられていたのだ?この先食べ物はどうする?今は全く気配はないが誰かいるのか?目の前に広がる森林に入って大丈夫か?


 次々ととりとめもなく疑問しか湧いてこず、しかもそのどれにも明確な解答が閃くことはなかった。


 どうしたものかと目線を移動させると地面に置いた日本刀が目につき、私はそれを手に取っておもむろに鞘から抜いてみた。


 思えば生まれて初めて日本刀なるものを手にして間近でその刃を見てみたが、抜いた瞬間何かが起こることもなければ見事なまでに美しい刀身に魅了されることもなかった。


 確かにこれが日本刀かと少し感動したが、特に日本刀好きの愛好家というわけでもないので、惚れ惚れしてずっと見続けることはなかった。


 それよりも何故私の傍らに日本刀が添えられていたのかという事の方が気になった。


 当然日本刀など手にしたことはないし、刀はおろか竹刀ですら素振りしたこともなかったが、私は何の考えもなくそのまま片手で無造作に無作法に無遠慮に無意味に日本刀を振ってみた。


 ブンッ


 という音すら出ない程に遅くて全く迫力のない一振りで、当然もろに素人の素振りだったと思うが、それでも私としては片手で日本刀を振るう事が出来た事に驚いた。


 確か日本刀ってとても重いんじゃなかったか?


 今度は刀の鞘を地面に置いて、両手で日本刀を持ち、一応正眼の構えをとって垂直に両腕を真上にあげてからいったん静止して息を吸った後に一気に刀を振り下ろした。


 少しだけ何かファンタジー小説的な事を期待したが、やはりまたしても素人の一振りに変わりなく、一切何も起こらなかった。風を切り裂く音すらしなかった。


 まぁそうだよな・・・と私は納得して、鞘を拾って刀を納めようとしたところで手を止めて、抜き身の刀を右手に持ったまま、もう一度鬱蒼とした森林を見た。


 獣道でもいいからどこかに道はないだろうか。


 私は円を描くように小屋を取り囲んでいる森林の縁をなぞるようにして歩き、通路のようなものがないか調べ始めた。


 注意深く辺りを良く見ながら歩いていると、ピンク色の丸い何かがあるのを見つけて立ち止まり、良く目を凝らしてそれを見た。


 それは桃のようではあるが桃とは異なっており、背の低い木になっていた。


 食べられる果物だといいな。


 私はそう思いつつも危険な生き物の気配などがないか森林を良く観察し、しばらくの間呼吸すら静かにして入念に森林のあちこちを見回してから、意を決して森林の中に足を踏み入れることにした。


 もちろん日本刀は抜き身のまま、鞘をもう一度芝生の上に置いてから私はいよいよ鬱蒼とした森の中へと入って行った。

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