王太子妃選抜共通テストに出願しました。志望理由がいちばんハードル高いです
ディアルセス王国には少し変わった法律がある。
それは、次代の王妃となる王太子妃を「厳正なる審査」で選ぶことだ。
その昔、ディアルセス王国では、王太子妃の位をめぐって令嬢たちの暗殺が相次いだらしい。年ごろの令嬢は、仮に王太子妃になれなかったとしても、他の貴族家に嫁ぐべき女性たちでもある。
王朝だけでなくそれに連なる貴族家たちの持続的な繁栄のため、時の国王は「王太子妃は厳正なる審査で選ぶ」という法律を発布・施行した。これで仮に時の王太子が愛に溺れるような愚王だったとしても、「厳正なる審査」で妃を選べるので重大な過ちになる前に火種を消せるというわけである。
この「王太子妃選抜共通テスト」への出願についての制限はない。各貴族家の判断で受ける・受けないを選択できる。出願の際には出願料を王家に収める必要があり、応募書類を整えて期日までに王家に提出すれば選考に参加したことになる。
――そういうわけで、貧乏子爵家に生まれたわたしには「共通テスト」なんて関係ない話だと思っていたのだけれど。
「セレスティーヌ、『王太子妃選抜共通テスト』に出願することになった」
父の仕事の手伝いとして、書斎で一緒に書類整理をしていたら、まるで明日は雨らしいみたいなテンションで父が言う。
「へえ……」
書類に集中していたわたしは何を言われたのかすぐには理解できず、生返事で返してしまう。
「一ヶ月後の期日までに応募書類を準備して、出願料とともに王家に提出しておくように」
「ちょっと待って父様」
応募書類、出願料という耳慣れない単語に顔を上げる。――この人、さっきなんて言った?
「何ですか、応募書類とか出願料って」
「いやだから、『王太子妃選抜共通テスト』を受けるんだ」
「……誰が?」
「セレスティーヌが」
わたしはまじまじと父である子爵の顔を見る。エルヴァン子爵もわたしの顔を見て、こっくりと大きく頷く。
「嫌です!」
「なんで!?」
「めんどくさいですし、当家に出願料を払うお金はございません。それに、めんどくさいです!」
「王国広しと言えど、妃の位をほしがらない令嬢はセレスティーヌくらいだろうなあ……」
父はあきれたように笑う。王太子妃になって王妃になるよりも、わたしはエルヴァン子爵領の領民たちを幸せにすることのほうが重要だ。
エルヴァン子爵領は比較的寒冷な気候で主食となる小麦が育ちにくい。そのうえ、山や森が多く――と言えば聞こえはいいが、そのおかげで害獣の被害と隣り合わせで、せっかく育った農作物も害獣に食い荒らされることも多い。
そうして領民たちから徴収する税金をおさえ、当家から支援を惜しみなく行っていたら、あっという間に借金苦に陥ってしまった。数年前から、見込みのある領民たちを育成して害獣駆除に力を入れ始め、ようやく成果が見えてきたところである。
そういうわけで、エルヴァン子爵家には、お金も、人の余裕もない。わたしだって令嬢らしくつつましやかに生きている余裕は当然なく、父や母の仕事を手伝う重要な労働力のひとりだ。
「ただ、お金については心配ないんだ」
「まさか、借金……!?」
わたしがぎっと目をつりあげて睨むと、父は慌てて手を振る。
「ち、違う違う。その、セレスティーヌが出願するなら、それに関わる費用をヴァルクロー侯爵家が負担してくださるという話だ」
ヴァルクロー侯爵家は、エルヴァン子爵家とは寄親と寄子の関係にあたる。
ヴァルクロー侯爵の名前を聞き、わたしは幼いころ一度だけ目にしたことがあるレオナール・ヴァルクロー様を思い浮かべた。いつも腰に代々伝わる「聖剣」をたずさえ、鋭い青い瞳は、ひとにらみするだけで周囲の人々を震え上がらせる。いつも眉間にしわを寄せ、笑ったところは見たことがない。
建国の際、当時の国王の右腕として蛮族を退けたという英雄の子孫で、歴史ある武門の一族として重用されているが、ここ最近は中央の政治から遠のいているようだ。戦のない時代に、武力自慢の侯爵家の発言力が弱まってしまうのは仕方がない。
「たしか、ヴァルクロー侯爵家にご令嬢はいらっしゃらなかったですね……」
「そうだ。他の寄子の貴族家にも声をかけているそうだよ」
「はあ……。名門侯爵家様も大変なんですねえ」
もしこの「共通テスト」で、ヴァルクロー侯爵家の息のかかった令嬢が王太子妃になれば、ヴァルクロー侯爵家は再び力を取り戻せると考えているのだろうか。えらい人の考えることはわたしにはよくわからない。
「そういうわけで、よろしくね」
「いやいやいや、だから嫌です!そもそも、わたしが受かるとは思えません」
「大丈夫だ。ヴァルクロー侯爵からは、『出願すればとりあえずよし』って言われてる」
安心するようにほほ笑む父に、わたしは何も言い返せなくなった。とりあえず声をかけられる家に片っ端から声をかけているようだ。そして、エルヴァン子爵家もそのうちのひとつに過ぎず、期待も何もしていないということだろう。
だったら断る選択肢がほしいが、ヴァルクロー侯爵家はエルヴァン子爵領の困窮ぐあいを踏まえ、寄子としての負担を免除してくれたり王家への納税を一部肩代わりしてくれたりしている。その恩義に報いるにはちょうどいいのかもしれない。
「わかりました。とりあえず出願すればいいんですね?」
「よく言った、セレスティーヌ!これが応募要項だから」
父に渡されたのは何十枚と重ねされた紙の束だった。恐る恐る受け取って目を通し、わたしは「ひえ」と小さく声をもらす。
出願期間や応募資格、求める人物像までこと細かく条件がまとめられている。どう考えてもわたしにはあてはまらないだろうと思ったが、必要な書類と出願料さえあれば応募自体は自由なのだからある意味平等とも言える。
わたしは出願料の金額を見て、思わず息を呑んだ。――令嬢の数と照らし合わせると、税収とは別にこれだけの金額が国庫に入るのだから、王家にとっても重要な財源のひとつなのだろう。この金額があればエルヴァン子爵家の借金におつりが返ってくる。
「仕事はいいから、セレスティーヌは応募書類の準備をしなさい」
父の言葉に、わたしはため息とともに静かに頷いた。
「これが『王太子妃選抜共通テスト』の応募要項ですか……」
侍女のアリーが紙の束を見てごくりと唾を飲み込む。そして出願料を見て、「え!?」と短く悲鳴を上げた。……気持ちは痛いほどわかる。
アリーは当家に長年仕えてくれている執事のひとり娘である。小さいころはわたしの姉のような存在として遊び相手にもなってくれていた。給料も少ないのに、「お嬢様のそばを離れません!」と言ってくれる頼もしい存在である。
わたしはアリーの淹れてくれた紅茶を一気に飲み干し、応募要項に目を落とす。
「さっさと書類をつくって、早く仕事に戻らなきゃ」
「お嬢様、仮にも王太子妃の選抜なのに」
「わたしはそんなものより、エルヴァン子爵家を立て直すほうが大事だもの」
「もう、お嬢様ったら……」
「えーっと、必要な書類は――」
応募要項に書かれていたのは以下の内容だ。
王太子妃を志望する理由、王太子妃になったら実現したい政策を二つ、話せる言語、趣味・特技、自己アピール、自領が抱える課題とその解決に向けた自由記述のレポート十枚――
「最後のレポートは問題ないけど、あとはめんどくさいのばっかりね……」
「しかも代筆不可ってありますよ」
「ふつうの貴族令嬢にはハードルが高いから、代筆を頼む家がでてもおかしくないわ」
「あ、全身と上半身アップの絵姿も必要みたいです」
「……絵師って、高いのかしら?」
「確認してみます」
一ヶ月で絵姿まで含めてすべての書類を用意するという事実に、今さらながら焦りを覚える。そもそも王太子妃になりたくないのに、「志望する理由」なんてあるわけがない。
それでも出願まではすると約束した以上、できるところまでやって出願はしようとわたしはやる気を出す。そもそも受かるわけがないんだし、気楽にやればいい。
わたしはその日から、寝る間を惜しんで書類作成に取りかかった。まずは一番取り組みやすいレポートから。これはエルヴァン子爵家主導で行った害獣対策の話を書けばいい。レポートは書き始めると興が乗り、三日で書き上げることができた。レポートについては我ながらいい出来である。
絵師は、「共通テスト」出願間際ということもありほとんど確保できず、できても高額になりそうなため、絵が得意な領民をアリーに紹介してもらった。本格的なキャンバスに描くのははじめてとのことで、領民も喜んで引き受けてくれた。
「とびっきり美人に仕上げます!」
「ほどほどにお願いね……」
わたしと二つしか違わないニックはにこりと笑って、さっそく絵姿の作成に取りかかる。わたしにとってはこの時間が一番苦痛だった。笑みを浮かべてじっと座っていないといけないので、他の作業に取りかかれないからだ。
それでも真剣に筆をすべらせるニックを見ていると弱音は吐けない。絵姿は出願期日ギリギリに仕上がった。
絵姿以外の書類は、アリーや母と相談しながら進めていった。とくに志望理由が一番の鬼門だ。王太子妃になりたいわけではないが、かと言って嘘を書けば王家を欺いたととらえられかねない。「とくになし」ではふざけていると思われる。わたしは苦肉の策で、ありきたりではあるけれど、「王国の繁栄」と書くことにした。
政策は、不敬罪ととらえられないギリギリのラインを見極め、地方分権と税制改革にした。
ディアルセス王国は中央集権国家だ。それぞれの領地は領主となる貴族が運営することにはなっているけれど、あくまでも王家が定めたルールに則って領地経営を行わなければならない。国としてひとつにまとまることはできるけれど、地方独自の事情は加味されにくい。
その被害を、エルヴァン子爵家も受けているともとれる。そもそも害獣駆除について、エルヴァン子爵家は王家に何度も陳情を送り、騎士団の派遣も依頼したが「戦争以外で騎士団の派遣はできない」と断られている。かと言って、ディアルセス王国では各領ごとに騎士団を持つことは許されていない。
税制にしても同じで、害獣被害が相次ぎ納税が厳しくなっても、「害獣被害による免税は王国法で認められていない」とつっぱねられた。そういうわけで、王国法からはみ出さないギリギリの範囲内でヴァルクロー侯爵家が肩代わりしてくれたというわけなのだ。
王太子妃になるつもりはないけれど、いつももやもやしていたことを文字にするのはなかなかやりがいのある作業ではあった。もちろん一歩間違えたら反逆の意ありと見られかねないので、表現は本当に気を遣ったけれど。
こうしてわたしはなんとか応募書類を仕上げ、父に報告する。
「お父様、ギリギリでしたけどなんとかできました」
「おお、よくやったセレスティーヌ!――明日朝、ヴァルクロー侯爵家が手配する馬車が来る予定だ」
「ああ、わたしが手ずから提出に行くんですよね……」
わたしはほぼ毎日のように睨み続けた応募要項を頭のなかで思い浮かべる。
応募書類と出願料は応募者本人が提出すること、という条件があったのだ。
エルヴァン子爵領から王都までは馬車で一日はかかる。期日ギリギリなので、休憩なしで馬車を走らせることになるだろう。
「今までよくがんばったな。今日は早く寝なさい」
「はい、ありがとうございます」
わたしは父の言葉に素直に甘えて、ベッドにダイブした。ここ数日はほぼ徹夜続きで寝不足だったので、体力をできる限り取り戻したい。
明日のことを考える余裕もなく、わたしは眠りについた。
「お嬢様、お時間です」
いつもよりも早くアリーに起こされ、わたしは目を覚ます。
「やっぱり行かないといけないのね……」
「ヴァルクロー侯爵家の馬車がくるまでに準備をいたしましょう。旦那様からは、なるべくお嬢様を着飾るよう言われております」
「馬車に一日乗りっぱなしなんだから、あんまり意味がない気もするけれど」
わたしは苦笑してベッドから起き上がった。絵姿を描くときに用意した新しいドレスに袖を通し、アリーに薄い化粧を施してもらう。
そうこうしているうちに、ヴァルクロー侯爵家の馬車が到着しわたしたちは慌てて玄関ホールに向かった。ヴァルクロー侯爵家の従者としてやってきたダンヘルと名乗る年嵩の男は、わたしのような底辺貴族令嬢にも慇懃に礼をとり、馬車に案内してくれる。
ヴァルクロー侯爵家が用意してくれたのはわが家がひっくり返っても手に入らないような馬車で、長距離移動を踏まえて座席もふかふかで居心地がいい。しかもダンヘルさんが護衛もかねてこの王都行きに随行してくれるようだ。現役のときは王都で一個小隊の隊長をしていたらしい。頼もしい限りである。
「お父様、お母様、行ってまいります」
馬車の外にいた両親に声をかけると、ゆっくりと馬が走りはじめた。
「お嬢様、応募書類を拝見してもよろしいでしょうか」
「こちらです」
ダンヘルさんに言われるがまま、わたしは応募書類を手渡す。絵姿は雨に濡れないようぐるぐるにくるんで荷台に置いていた。
「確認いたします」
自分が書いた書類を目の前で見られるのはやはり緊張する。わたしは眠いのも忘れて、ダンヘルさんの様子から目を離すことができなかった。しかしさすがヴァルクロー侯爵家の従者と言えばいいのか、ダンヘルさんはわたしの視線を気にすることなく、一枚一枚の書類をていねいに確認していく。
「実に立派でございます。とくに最後のレポートはすばらしいですね」
ダンヘルさんのほほ笑みに、わたしはほっと胸をなでおろす。実際は何を思っているかわからないところはあるが、ひとまず提出しても問題ないとは思われたようだ。
「ありがとうございます!実はレポートが一番楽しく書けました」
ダンヘルさんは驚いたように目を見開く。
「これはこれは。一般的なご令嬢なら、このレポートに一番苦労されます。レポートのために何人もの教師を雇う家もあるそうですよ」
「ええ!?そんな、お金のもったいないことを……」
「お嬢様は、大変聡明でいらっしゃるんですね」
まるで子どもに「えらいね」と言うような声音に聞こえて、わたしは小さくなる。こういうときは、笑って流すのが正解だったようだ。
ダンヘルさんのおかげで、わたしの王都行きはまったく退屈しなかった。ダンヘルさんは騎士団に所属していたけれど、指揮官なので文官的な素養も必要だったようで、いろんな知識を持っており、貧乏でなかなか本を買えないわたしにとってはすべてが新鮮な内容だった。
そうは言っても、一日馬車にただ乗っているというのは退屈には違いない。わたしはいつの間にかウトウトしてしまい、そのまま眠っていたようだ。馬車の大きな揺れではっと目を覚ますと、ダンヘルさんが変わらぬ笑みを浮かべてわたしに声をかける。
「もうまもなく王宮に到着します」
「申し訳ございません。わたし、眠っていたみたいで……」
「休憩なしですから仕方ありません」
「ダンヘルさんは、眠くないんですか?」
「徹夜は慣れております」
騎士団というのはなかなかに過酷な環境のようだ。
窓の外に目を向けると、見たこともない街並みに変わっていた。街並みは整っており、道路もでこぼこしていない。山や森に囲まれて育ったわたしには新鮮な景色である。
「王都はすばらしい街並みですね」
思わず漏れた声に、ダンヘルさんも静かに頷いた。地方貴族のわたしにとっては好奇心がくすぐられるが、だからといってやはり王太子妃になりたいと思うかと聞かれれば、わたしはやはりエルヴァン子爵領のほうが好きだと感じる。
ヴァルクロー侯爵家の馬車が止まり、わたしはダンヘルさんのエスコートで馬車を降りる。はじめて見る王宮は荘厳で美しく、重厚な門扉は威厳たっぷりである。ダンヘルさんのあとを静かについて行きながらも、わたしの視線はきょろきょろと周囲を見渡すのに忙しい。
どうやらここは正面入口ではなく、裏口のようだ。出入りの商人らしい男たちが忙しなく動き回り荷物を運んでいる。
「……お嬢様、このような光景ははじめてですか?」
「はい!当家に出入りする商人は少ないですから」
「おや、てっきり――いえ、なんでもございません」
ダンヘルさんが何を言いかけたのかわからなかったが、わたしは黙ってついていく。
出入りの商人たちが荷物を運び込むその隣に、小さな仮設の小屋があり、「出願受付」という看板が立っている。小窓がついたカウンターがあり、分厚い眼鏡をかけ、室内だというのになぜか山高帽をかぶった男性が中に座っていた。
「エルヴァン子爵家の娘、セレスティーヌと申します。このたび、『王太子妃選抜共通テスト』に出願したくやってまいりました」
「……どうぞ」
男性はちらりとわたしを見ると、カウンターの上を指し示す。ここに、書類と出願料を置けということらしい。
「応募書類と、こちらが絵姿になります。それから――」
「こちらが出願料でございます」
ダンヘルさんがずっしり重そうな小袋を置く。男性は興味なさそうに頷くと、書類をぱらぱらとめくりはじめた。
最初はぼんやり眺めていたが、途中から真剣に文字を追い始め、わたしの心臓は早鐘を打っていた。眼鏡をかけて表情が見えないせいか、ダンヘルさんに見られていたときよりも緊張する。
「――こちらは、あなた様がお書きになったので?」
目線を向けられ、わたしは小さく頷く。
「は、はい。応募要項に代筆は認めないとありましたので」
「そうですか。では、こちらの台帳にサインをお願いします」
わたしは差し出された台帳に素直にサインをする。男性はじっとわたしのサインを見て、小さく頷いた。
「ありがとうございます。これで出願手続きは完了です」
何ごともなく終わり、わたしはほっと胸をなでおろす。これでわたしの仕事は終わりだ。どうせ実際はどこかの高位貴族の令嬢しか受からないだろう。また明日から心新たに、エルヴァン子爵家の仕事に邁進して、領民のために身を粉にして働こう。
――と、思っていたのだが。
「先般行われました『王太子妃選抜共通テスト』について、厳正なる審査の結果、貴殿を合格といたしました」
なぜか合格しているのだが!?
まさかの合格通知に、エルヴァン子爵家は上へ下への大騒ぎとなった。わたしは火にあぶったり太陽光にあてて透かし見を試みたが、「合格」の二文字は変わらない。しかも次は二次試験のため、また王宮に行かなければならないという。めんどくさい。
父はヴァルクロー侯爵にもすぐに連絡をしたようだ。ヴァルクロー侯爵からは、有無を言わせぬ勢いで「二次試験を受けるように」と返ってきたようだ。二次試験の間は王都に滞在しなければならないが、その間はヴァルクロー侯爵家のタウンハウスに身を置き、すべての世話――金銭的な負担を含む――はヴァルクロー侯爵家で行うという。
そうしてわたしの意志を確認されることもなく、わたしは二ヶ月ぶりに、今度はアリーも伴って王都に向かうことになった。王都へは再びダンヘルさんが付き添ってくれて、二次試験が終わるまではアリーともどもわたしの身の回りの世話もしてくれるらしい。
「お嬢様、このたびはおめでとうございます」
「はあ……もう、何が何だか……」
わたしは再びあの乗り心地が最高なヴァルクロー侯爵家の馬車に乗り、王都に向かった。今回は旅程に余裕を持ち、休憩を挟みながらの移動である。
ヴァルクロー侯爵家のタウンハウスに到着すると、わたしはさっそく登城用のドレスに着替えさせられ、王宮に向かうことになった。二次試験まではまだ時間があるが、その前に担当者との面談があるらしい。
今度は裏口ではなく正面入口からだったので、わたしはその見事な建物に目を奪われっぱなしだった。王城までの広大な庭には季節の花々が咲き誇り、見たこともない大きな池が中央に設置してある。横長の宮殿は左右対称につくられ、窓の多さから数え切れないほどの居室があるのだろうと想像できた。
どんなに困窮しても減税が認められず、なおかつあれだけの出願料を王太子妃選定のたびに納めさせている理由がなんとなくわかる。
馬車を降りると、応募書類を提出したときの眼鏡をかけた男性とその従者らしい男性の二人が出迎えてくれた。男性は今日も山高帽をかぶっている。わたしは不思議に思いつつも、その男性にカーテシーを披露する。
「セレスティーヌ・エルヴァンと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「お待ちしていました。どうぞ」
書類を提出したときと違い、男性はにこやかな対応をとってくれた。もしかしたら将来王太子妃になるかもしれないからていねいに応対してくれているのかもしれない。
宮殿の中も豪華絢爛で、磨き上げられた大理石の廊下の光沢や、天井からぶら下がるシャンデリアに目がくらみそうだ。壁にかかった絵画や高そうな壺も、それだけでエルヴァン子爵家なら何年も暮らしていけそうな一級品ばかりだろう。
男性に案内されて入った応接間はわが家では見たことのないような調度品で飾り立てられ、ソファも五人は座れそうな大きさが二つ向かい合う形で並んでいる。
「どうぞおかけください」
言われるがままソファに腰を落とすと、音もなく侍女が現れ湯気の立つ紅茶を用意してくれた。
こんなに大きなソファなのに、ダンヘルさんは当然のように座ることなくわたしの後ろに控えてくれている。相手の従者も同様だった。
「このたびは『王太子妃選抜共通テスト』のご応募誠にありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、身に余る光栄で……」
「私は面談を担当するレックスと申します。帽子はわけがあってこのままでお願いします」
「セレスティーヌと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
レックス様との面談は、終始和やかなものだった。志望理由や自己アピールの再確認や、レポートの出来の良さをほめられ、わたしも自然と笑みが浮かぶ。
「――ちなみに、セレスティーヌ嬢は、王太子に求めることはございますか?」
突然の質問に、わたしは一瞬言葉に詰まる。こちらは審査をされる立場であり、王太子に何かを求めるなど不敬そのものだ。
「そんな、恐れ多くもそのようなこと」
「大丈夫です。何を言っても不敬罪には問いません。お約束します」
相変わらず表情が読み取りづらいが、口もとの笑みを見てわたしは小さく頷いた。
「でしたら、そうですね……。王国をよりよくするために、お互い切磋琢磨できるような方ですとうれしく存じます」
「へえ?」
「国を治めるとは大変な苦労があるかと存じます。しかし王太子殿下と励まし合い、お互いに高めあえる関係であれば乗り越えることができると信じておりますわ」
ひとまず当たり障りのない返事をして、わたしは笑顔を浮かべる。レックス様はこくりと頷き、立ち上がった。
「大変興味深いお話をありがとうございます。本日の面談はこれで終了といたします」
わたしはほっと胸をなでおろし、続いて立ち上がり礼をする。
「三日後、お会いできるのを楽しみにしております」
帰り際レックス様に言われ、わたしは素直に頷く。
このときのわたしは面談が終わった解放感で、レックス様についてや彼の言葉の意味をよく考えていなかった。
なぜ一介の官僚のような彼に従者がいたのか。なぜ彼が「お会いできるのを楽しみにしております」と言ったのか、その意味を。
レックスは従者とともに自室に戻ると山高帽を脱ぎ、眼鏡を外して一息ついた。
「お疲れ様でした、アレクシス殿下」
「ああ。――まさか、このような出会いがあるなんて」
絹のような金髪に濃紺の瞳のレックスと名乗ったこの男こそ、王太子となるアレクシス・ディアルセルその人である。彼は王族の特徴を色濃く受け継いでおり、眼鏡と山高帽はそれを隠す苦肉の策だったのだ。
「いかがでしたか」
従者の言葉に、アレクシスはうれしそうに頷く。
「セレスティーヌ嬢はすばらしい方だ。妃はあの人しかいない」
「よかったですねえ。セレスティーヌ嬢の応募書類を持って駆けてきたときは驚きましたけど」
「からかうな、ライル」
ライルと呼ばれた従者はつい数週間前のアレクシスの様子を思い出して小さく笑う。
「運命の相手を見つけた!って大はしゃぎでしたもんねえ」
「……うるさいぞ」
むすっとした顔をする主人を見て、ライルはさらに笑った。いつもは鉄面皮の冷淡な王太子と言われているが、普段のアレクシスは感情豊かな人間だ。
「ただ、調査によると、セレスティーヌ嬢はあんまり王太子妃になりたくないみたいで、エルヴァン子爵領のために働きたいと考えているみたいです」
「領民思いなのはセレスティーヌ嬢の美徳だな。心苦しいが、なんとか気持ちを向けさせなくては」
アレクシスは、当初、この「共通テスト」に乗り気ではなかった。王太子として忙しく結婚を考える余裕もなかったし、アレクシスの周りの令嬢は彼に気に入られようと見た目を飾ることばかりで、王太子妃としてアレクシスを支えよう、国をよくしようと考えてる者はいなかったように思う。
そんななかで見つけたセレスティーヌは、まさにアレクシスの理想そのものだった。最初は自分の妄想かと疑ったほどである。
今日のセレスティーヌとの面談を思い出し、アレクシスは思わず笑みがこぼれる。
「国を治めるとは大変な苦労があるかと存じます。しかし王太子殿下と励まし合い、お互いに高めあえる関係であれば乗り越えることができると信じておりますわ」
彼女の言葉を思い出し、アレクシスはやはり妃にしたいのはセレスティーヌだと考える。治世の難しさを理解し、辛酸をともになめ合えるのはセレスティーヌを逃せば他にいないだろう。何より、アレクシスはセレスティーヌが時おり見せた心からの笑顔にも心ひかれていた。あんなふうに政治について、領民について楽しそうに話す令嬢がいるだろうか。
「二次試験は、殿下がセレスティーヌ嬢のお心を射止められるかにかかっていそうですね」
からかうように言ったライルに、アレクシスは大きく頷く。
「そのつもりでがんばるしかないな。セレスティーヌ嬢に見合う男だと証明しなければ」
そう言ってほほ笑むアレクシスに、ライルはこの主人の気持ちが報われることを願わずにはいられないのだった。