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1-9

 ヴァレリー・モーリス中尉が、小気味いい音をたてて廊下を走り抜けていく。

 同じような部屋がいくつも並んでいるが、目もくれずに目的の部屋に向かうと、開閉センサーを殴った。頑丈なもので、センサーは無事に作動し、扉が左右に開いた。空気の流れが変わって、ヴァレリーの長い髪が揺れる。


「白河、ボーダー要塞の天使ことヴァレリーちゃんがごあいさつにうかがいましたよ!」

「死神の間違いじゃないのか、それは」


 即座に返事があったことに満足して、先に進む。白河はキーボードの前で頭をかかえていた。

 白河の隣にははじめて見る女性がいて、ヴァレリーは足を止めた。白河が女性といるのはよくあることだけれど、いつもとは距離感が違う。普段の白河なら、もっと女性に対して馴れ馴れしい。


「誰?」


 たずねてみても答えはない。白河は右手を自分のこめかみに当てて考えこんでいる。寝ているようにも見える。


「はじめまして。一昨日研究開発部から派遣された伊庭祥子といいます。白河さんの助手をしています」


 黒髪の女性はにっこり笑って頭をさげた。その様子は礼儀正しくて、どこにも文句をつける気など起こらないのに、どこか気に入らない。胸ポケットには毒々しい色合いの菓子がいくつも詰まっていて、お世辞にもおいしそうとは思えなかった。

 白河のところに女の助手をよこすなんて、人事部は一体何を考えているのだろう。作業効率的に最悪な組み合わせだ、とヴァレリーは内心辟易する。


「どうも」


 気があいそうにないので、ただ短くあいさつするだけにする。


「あのさ、さっき整備部の若いにーちゃんから伝言もらったんだけど」


 白河はようやく顔を上げて、「ああ」と指を組んだ。それでもヴァレリーと視線をあわせない。疲れているようにも見えるが、それだけではない気がする。


「せっかくファウストをお前の専用カラーリングにしたんだからさ、一度くらいはちゃんと乗ってもらわなきゃもったいないと思って」


 いつもならきっと嫌味の一つも言うだろうに、それがない。ヴァレリーは妙に居心地の悪い思いをしながら、素直にうなずいた。

 開発にでも行き詰ったのだろうか。いや、白河は行き詰ったときの方がテンションが高い。ずっと笑っているかと思えば、突然「すっげー、オレ、よくやった」と叫ぶような姿を何度か見た。今日はそんな気配が微塵もない。


 何があったの?


 後ろで助手の祥子が微笑んでいる。彼女の仕事はデータ整理のようだ。せっかく開発部から助手を呼んだのだから、開発を手伝わせればいいのに、とヴァレリーは思う。研究者の役目もさまざまなのだろう。


「それもそうね」


 ヴァレリーは頭をかきむしる。

 自分が何も喋らないだけで、こんなに沈黙が続くものだろうか?


「いとしのファウストちゃんと空中散歩してこようかしら」


 会話を弾ませようと努力するが、どうもうまくいかない。いつもならこんなことはないはずなのに、歯車がかみあわない。祥子がいるからだろうか? いや、それだけではない。

 せっかく退官のあいさつに来たというのに、空気がぴりぴりしている。ため息をついて部屋を出ようとすると、白河にヘルメットを投げられた。


「前に忘れて帰ったやつ? 消臭剤かけといてくれたの?」

「かけないと臭いだろ」

「臭いって失礼な。うら若き乙女にむかって」

「臭いもんは臭い」


 薄く笑った白河に、ヴァレリーは満足する。灰色の部屋で、腕をぶんぶんとまわした。


「なにおう、臭いっつーなら嗅いでみろこの野郎」

「白河さん、下から通信です」


 祥子の声が割り込んできて、ヴァレリーは「ようやくいつも通りに動き出したところなのに」と非難したいのを堪えた。ヴァレリーはあきらめて、パイロットスーツのままドレスの端をもちあげるような仕草をしてあいさつする。


「どうぞ、ごゆっくり」


 ヴァレリーは肩を怒らせたまま灰色の廊下を進む。今からドックに直行して、ファウストに乗ろう。空中散歩は憂さを晴らすのにちょうどいい。

 見慣れない男が向こうからやってきて「やあ」と気軽に声をかけてきた。頭頂部が少し薄くなった中年男性だ。妙に猫背だから、ハゲタカに似ている。あまりいい印象を抱けない。ヴァレリーは「どうも」と軽くあいさつを返した。


「今日の食堂のメニューはミネストローネだねえ。賭けてもいいよ。あんまり美味しい匂いがぷんぷんするものだから、お腹が空いていけない。夕食まであと二時間もある」

「はあ」


 そうですか、と返事をして、保管庫へ向かおうとする。ヴァレリーの背中へ向けて、中年男が声をかけた。


「つれないねぇ、隼のお嬢ちゃんは。おじさん、仲良くしてほしいんだけどなぁ」

「……急ぎなんで失礼します」

「寂しいなぁ。また今度会ったら仲良くしてよ」


 初対面のくせに馴れ馴れしい、と心の中で毒づいて、ヴァレリーは保管庫へと駆け出した。加速するたびに風が頬をなでる。空調の送る機械的な風で、格納庫で見送る発進の風圧とは違うが、それでも気持ちがいい。

 保管庫の扉が左右に開くと同時に近くにいた整備員に声をかける。


「ヴァレリー・モーリス、ちょっとお散歩」


 先ほど白河からの伝言をくれた若い男だった。


「了解」


 戦闘機がずらりと並ぶさまは圧巻だ。手にライトを持った若い男がファウストを誘導しながら声を張り上げる。


「燃料満タンにしといてね。これが最後かもしんないからさ」

「退官するんか!」


 隣で緊急用の酸素ボンベをチェックしていた男が驚きの声をあげる。


「ま、隼もね、ちったぁ羽を休めたくなるってわけですよ」

「あんたは飛びながら羽休めるタイプやと思ってたけどな」

「飛んでちゃいつまでも羽休めらんないでしょ。ま、寂しいけど」


 じわじわとにじむ汗を首にかけたタオルで拭いていた男は、またいつでも飛びたくなったら、と言ったところで口をつぐんだ。


「そうそう。そこから先は言ったってはじまんないっしょ。万が一、軍に復帰したってこの要塞に戻ってくるとも限らないし」

「残念やな。最後にちょっとリュウさんて呼んでや」

「は?」


 男は白髪の数本まざった短い髪をなでながら照れた。つなぎの上半身を脱いでいるせいで、筋肉が見える。


「あんたなぁ、俺が見てきたパイロットん中でも、度胸がトップクラスなんよ。操縦もたいしたもんやしな。整備班の中にもファンが多いんや。影でこっそり姐さんって言うとってん」


 しゃべるたびにくわえた禁煙パイプが上下に揺れる。ヴァレリーは少し目を丸くして、にやりと笑った。


「整備班にファンがいるなんて、パイロット冥利につきるわ」

「あんたみたいに無茶やるパイロット、そうそうおらんからなぁ」

「えー、そっちなの?」

「見てて楽しいやん? ま、整備は大変やけどな」


 二人で笑いあっていると、ふと胸の奥がざわめいた。

 リュウが右手を差し出したところで我に返る。指紋に油がしみこんで、黒い筋を作っていた。

 そんなふうになるまで、どれくらいの年月を経たのだろう。毎日こつこつと一つのことをつづけてきたプロフェッッショナルと手袋のまま握手をするのは忍びなく、ヴァレリーは手袋を脱いだ。

 握手すると、リュウの手の皮がごわごわしているのがわかった。手にぎゅっと力がこもる。それは今までパイロットのヴァレリーを見守ってきた思いのあらわれなのだろう。


「よっし、リュウさん、最後の散歩としゃれこむからさ、よっく見ててね」

「おう」


 一度だけ敬礼して、ヴァレリーは指定位置に運ばれてきた愛機に向かって駆け出した。備え付けの階段を一段飛ばしで駆け上がって、操縦席にするりと乗りこむ。

 手袋をして、ヘルメットをかぶって、シートベルトをしめる。右手の親指で、ずらりと並んだスイッチをオンにしていく。

 起動音がして、正面の画面に光がともった。計器類をチェックして、異常がないかを確かめる。整備班がアウトサイドの自然にむしばまれないように避難したあとに、保管庫の扉がゆっくりと開きだした。

 一枚、二枚、三枚……扉の枚数を数えるうちに、オレンジ色の光が進路を示しはじめる。


「ヴァレリー・モーリス、行きます!」


 はじめはのろのろと、そこから段々加速していく。ぐん、と重力がかかって、ヴァレリーは目をみはった。久しぶりの重み。耳元でエンジン音が聞こえるような気がする。


「飛べ!」


 正面画面に障害物はない。オレンジの光に誘われて、ファウスト00Aは空へ飛んだ。

 全身が重力に堪えきれずに小刻みに震えている。


 いやだな、少し乗らなかっただけなのに。


 ヴァレリーは笑って、音楽をかけようと伸ばした手を止めた。


 前に乗ったのは、いつだ?


 記憶をたどるが、はっきりとは思い出せない。もやがかかったように思い出せないのではない。持ち去られたように思い出せない。


 いやだ、なにこれ……きっと酸欠で脳がおかしくなってるんだ。


 酸素量を確認する。上空の薄い空気にあわせて、酸素はきちんと補給されている。リュウのような熟練のプロフェッショナルがやる作業だ。間違いない。


 ちょっと疲れているのかもしれない。


 左手でゆっくり音楽をかける。いつもの習慣にあわせて、左手は任務をこなした。


「隼」

「わっ」


 突然耳に飛び込んできた声に、ヴァレリーはあわてふためいた。

 通信を確認するが、正面画面にも、左右のサブ画面にも、空の景色が映っているだけだ。


「白河海だ。通信で話せる内容じゃないから、録音してこうして音楽代わりに入れといた。これだったらお前、絶対聞くだろ」

「なによ、そんな大事な話があるんだったら、さっき会ったとき、すりゃあよかったでしょうが」


 白河の声に、いつもの茶化す様子はない。真剣だ。


「単刀直入に言う。お前は記憶を消去されてる」

「はあ? 何言っちゃってんですか。徹夜のし過ぎで頭おかしくなったんじゃ……」


 ひとまず毒づいて、言葉を飲み込む。


 まさか――まさか、前回ファウストに乗ったのを思い出せないのは、記憶を消されたから?


「ヘルメットの耳当ての間にデータカプセルが入ってる。お前の消された記憶を電気信号に置き換えて並べた。うまくできたかどうか、自信はないけど」


 自動運転に切り替えて、左手をヘルメットの中に入れる。手袋ごしにこつんとカプセルが当たったのがわかった。


 ……うそ、ほんとにある。


「助手とかいって監視がつくしさ。おかげでこっちは徹夜で内職だよ。しかも三日連続だよ。コーヒーとか、もう全然効かねー。もういやだ。こんな仕事絶対辞めてやる」

「辞めないくせに」


 あんたその仕事、向いてるよ。


 左手の中のカプセルを見ながら、ヴァレリーは笑った。


「つーか、記憶戻ったって記憶検査でひっかかったらアウトじゃない? 意味ないんじゃないの?」


 カプセルをピン、と指ではじきかけたところで、録音された白河の声がつづけた。


「アウトサイドへ逃げろ。お前の記憶を消したやつらは、自分がアウトサイドの関係者だって言ってたけど……陸がこんなことするとは思えないんだ」


 手を止めてカプセルを握りしめる。状況を全て飲みこんだわけではないが、妙に笑いがこみあげてきた。

 どうやらアウトサイドに関係することに巻き込まれたらしい。


「残念ながら、私は悪女じゃないんだよね。裏切れって言われてもなぁ」


 ヴァレリーは言葉を濁すが、腹はもう決まっている。

 自動運転中のファウストの右画面に、緑の点が三つともった。領空をパトロールしている、インサイド所属の連中だろう。

 カプセルを口の中に放りこんで水を補給すると、ヴァレリーはふふん、と笑ってみせる。


「ボーダー要塞の死神ってそういうこと? 笑っちゃう」


 運転を手動に切り替える。


「……行くわよ」


 インサイドとアウトサイドの境界線を示す黄色いラインは、まだずいぶん遠かった。

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