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1-6

 灰色の廊下を突き進んで、扉の開閉システムに指紋を照合させる。

 ヴァレリーはファウストに乗るとき以外、手袋をしていない。いちいち脱ぐのは面倒だからだ。

 照合完了、と平坦な機械音声がかえってきてうんざりした。

 聞くたびにいらいらする。早く開けてくれればいいのに。

 研究棟に入るにはこれを何度もくりかえさなければならない。研究成果を持ち出されないようにしているのだろうが、何度も何度も照合されたのではたまらない。一体誰が研究成果を持ち出すというのだろう。アウトサイドとインサイドに行き来はないし、大昔の地上のようにインサイドに国家が乱立しているわけでもない。

 壁の受話器から突然着信音がして、あわてて受け取った。黒い画面に一瞬光が走って、映像が現れる。


「はい」

「あ、隼?」


 写ったのは人の後ろ姿だった。金髪の、白衣。肩幅は広い癖にひょろひょろしていて、骨ばって見える。


「白河」


 白衣をだらしなく着た男がようやくこちらを向いて、手をあげた。目の下にクマがあった。白衣の下の上半身は裸で右手でキーボードを操作している。左腕の中には女がいて、うっとりした視線で白河を見つめている。


「……失礼しました」


 すぐさま受話器を置く。ヴァレリーを呼び出したのは白河だが、問答無用で通信を切った。

 毎度のこととはいえ、よくやる。あれじゃそのうち生殖法違反で捕まるんじゃないか。人口操作のための生殖法が施行されて、もう何百年と経つ。くりかえしクローニングされてるならいい加減慣れればいいのに。

 わずかに肩をすくめて、きびすを返す。申し訳程度に緑が植えられている廊下に出ると、背後で扉の開く気配がした。ふりかえって見ると、強化ガラス製のドアを隔てた向こうに白河がいる。


「隼!」


 ドアが開くごとに、段々と声が近づいてくる。白河がなにやらリモコンを操作しているから、それで音も聞こえるのだろう。


「上半身裸のまま白衣をはおるのはどうかと思うよ」


 前のめりに出てきた白河には、転がり出る、という言葉がぴったりだった。


「お前がいきなり通信切るからだ!」


 呼吸の乱れを無理に飲み込んで、白河は最後のドアを開けた。背中を曲げて顔だけ上を向いた白河は、肩で息をしていた。


「兄さんパンツ見えてますよ」

「見たけりゃ見ろ」


 ふんぞりかえるわけでもなく、背を丸めて隠そうとしているのが哀愁を誘う。来るんじゃなかった、とヴァレリーは後悔した。


「隼、お前軍やめるらしいな?」


 そんな格好で切り出されても。

 ヴァレリーは本来の用事を思い出した。


「あー、うん」


 本当は特務課……特殊部隊に転属したのだけれど、表向きは軍をやめることになっている。アウトサイドに長期滞在することになる。エースパイロットが敵対国家に亡命、その後帰国というのでは、格好がつかないからだ。


「なにかあったな?」


 人の出入りが少ない研究棟への廊下だが、それでも通行人はいる。白河の様子に一瞬のけぞってニヤニヤする者もいれば、露骨にイヤな顔をして通り過ぎる者もいる。どうやら通行人には痴話ゲンカに見えるらしい。それでも白河は研究棟の前から動かない。「とうとう本命に逃げられたか」と飛んだ野次に向けて、白河は「オレはロリコンじゃねえ」と怒鳴った。


「子供で悪かったね」

「いや、若いのはいいことだ。基本的には」

「はっ、そうやってお嬢さんがたと生殖法違反すれすれ、崖っぷちを走っとるわけですか」

「生殖法には違反してないぞ。五歳だから」


 コツコツコツと、かかとの高い靴を鳴らして走り去る女性研究員は、白河の姿を見てショックを受けたようだ。恋人なのか、うぶなのか、どっちだ? きっと前者なのだろう。頭が痛い。大体変な格好で出てくる白河が悪いのだ。


「黙れエロサイダー」


 白河が遠慮もせずに頭をかきむしる。


「あー、もう、どうしてお前と顔あわせるとこういうことになるかな。話すことがあったから来たのに」

「あ、それすっごく同感」


 ここでこうやって漫才してたら勘違いの種を余計に増やす。とっとと用事を済ませて帰ればいいんだ。

 私、軍やめる、それだけ言えば話は済む。


「……なんでやめんだよ」

「エロサイダー、反論がないってことは認めたのね」


 思いとは裏腹に、つい口が滑ってしまう。


「ああ、もう、肝心の話をさせろ」


 しびれをきらして怒鳴った白河に、ヴァレリーはため息をついた。

 白河はアウトサイドの秘密を教えてくれた。自分も隠しごとはしたくない、とヴァレリーは躊躇する。特務課に転属した以上、機密をもらすわけにはいかない。

 一瞬唇を噛んで、すぐ離した。


「やめる、それだけのことよ。なにもないってば」

「ウソつけ」

「どうしてあんたにごちゃごちゃ言われなきゃいけないの?」


 確かに白河とはケンカ友達だ。でも、そこまで詮索される仲じゃない。

 白河に呼ばれてわざわざ会いに来たのは別れのあいさつをするためだ。特務課に所属した以上、これから先白河と気軽に会うことはできなくなる。表向きは退役ということになっているから、住民票も最前線の要塞からインサイド中央部に移される。なによりアウトサイドに行けば帰ってこられないかもしれない。

 決死の覚悟があるかと問われれば、返答に困る。普段ファウストに乗るときと大差ない。

 死など遠い向こう岸の出来事だ。己の操るファウストが落とされるわけがない。そう思っていなくては前線で戦えない。

 それでも不安になる。期待が上回っていたから今まで気づかなかった。


 アウトサイドって、基本的に人が住めないところなんじゃないの──?


 ためらうように一瞬視線を逸らした白河が、再びヴァレリーに向き直る。


「……アウトサイドに調査に行くんだろ」

「な、なんで知ってるの?」

「ハッキングした」


 ヴァレリーはあきれて床を蹴った。かかとの高い靴が、こつ、と高い音をたてた。

 靴音はヴァレリーの不安をかき消すように、辺りに反響する。

 相変わらずマヌケな格好を維持したままの白河が再び「誰に誘われた?」と問う。

 ヴァレリーはそれに答えない。答えられない。


「どうして聞くの?」


 もう一度床を蹴った。今度は思いきりだ。硬かったはずの靴底が、ぐにゃりと曲がったのがわかった。


「わかってるでしょ、しゃべれないってことぐらい」


 ヴァレリーの声など気にもかけないのか、白河の視線は揺るがない。


「引き抜きに来たのは誰だって聞いてるんだ」

「……だから、機密が」

「いいから言え」


 ──ちょっと待ってよ、本気で怒ってるの?


 白河の声が段々尖っていく。表情はかたく、怒りと殺気がこもっているように見えた。

 ケンカになっても負ける気などしない。研究者と軍人では、いくら男女でも鍛え方がちがう。

 けれども、友人をここまで怒らせてしまった。そのことが申し訳なくて、心苦しい。

 目がちかちかして、頭の芯が重くなった。


「……言えるわけ、ないでしょ……」

「じゃあ特務課に行く」


 白河は短くそう答えると、問答無用でヴァレリーの襟首を捕まえた。


「ちょっと白河! なんで場所知ってんのよ! ねぇ、ちょっと白河! これは自分で選んだことで……」

「うるさい」


 ヴァレリーは抵抗するが、後ろ側にひきずられてよろけてしまう。

 左腕をふりあげて白河の腕をつかむ。強くにぎりしめて、爪をたてた。


「やめてよ変態! 助けてー、連れ去られて変なことされるゥー」


 後ろ側に脚を伸ばして蹴ろうとすると、白河が鼻息荒く告げた。


「本当にお前が在籍してるか確かめるんだよ!」

「在籍してるに決まってるじゃない!」

「特務課所属リストには載ってたさ。でも来月退役予定って書いてた」


 なんですって?

 ヴァレリーは暴れるのをやめた。


「表向き……には出てないやつだよね。特務課なんて所属リスト、表に出さないし」

「ご名答。ハッキングした方の所属リストだ」


 ヴァレリーが暴れないことを知ると、白河は手を放した。向き直る。ズボンが腰骨のあたりでひっかかっているのが見えて、ヴァレリーは一気にやる気がうせた。


「とりあえずさあ……着替えてからにしない?」

「あ、それすっごく同感」

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