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 無駄に広い食堂に、インサイド政府からやってきたという視察団の姿を見つけて、ヴァレリーはそれとなく近づいた。ボーダー要塞に視察にくる理由などアウトサイドに関することしかないのだから聞いておきたい。アウトサイドの情報がもっと欲しかった。

 食事を終えてトレイを片付けたばかりだが、古来から言うようにデザートは別腹だ。デザートを手にして視察団の連中がいるすぐ後ろに座り、そっと聞き耳をたてる。


「潜入捜査ですって?」


 黒髪の女性の声だ。思わず露骨にふりかえる。


「ボーダーにくるだけでうんざりしてる者がほとんどだと言うのに、この上潜入捜査ですか?」

「イバ君、君、声が高いよ」


 周りの様子を気にした中年男性が、隣に座った黒髪の女をなだめる。きりりとした顔つきの女性はその言葉に少しも動揺せず、中年男性をにらみかえした。中年男性は動揺した様子もなく、オレンジをほおばる。

 久々に見た本物の果物は、ヴァレリーの口の中に唾液を分泌させた。一般市民が口にすることのできない生の果物が出るとは、インサイドからの視察団をずいぶん丁重にもてなしているものだ。うらやましく思いながら首を元に戻すと、女性の吠える声が耳に入った。先ほどから耳が釘付けだが、目も離せない。


「誰が望んでアウトサイドになんか行くんです! 寿命を縮めに行くようなものでしょう!」

「潜入捜査だからね」

「人的資源を無駄にするなら、電脳への侵入でも盗聴でも盗撮でも電波傍受でも方法があります。アウトサイドにインサイド並の技術がないとされている以上、わざわざ人間を使うことに意味があるとは思えません。失礼します」


 凛とした声でまくしたてると、イバと呼ばれた女は有無を言わせぬ様子で踵を返した。肩までの黒髪が揺れて、眉をよせた女がヴァレリーの横を通り過ぎる。

 せっかく面白そうな話なのに、彼女に逃げられては元も子もない。まだ手付かずのデザートが乗ったトレイを片付けるふりをして立ち上がる。まっすぐ返却口へ向かった女に、ヴァレリーはすぐに追いついた。


「すみません。食べないんならください」


 女のトレイに乗ったオレンジにひょいと手を伸ばす。ぴしゃりと手でも叩かれると思ったのに、彼女はそっけなく「どうぞ」と言っただけだった。


「……オレンジですよ?」

「私、甘党なの。生の果物は珍しいけど、こっちの方が好き」


 その言葉が終わるや否や、女はヴァレリーのトレイからデザートをひょいとつまんで口に放り込んだ。


「物々交換ね」


 よく見ると、制服の胸ポケットに派手な色の菓子がたくさん入っている。どれだけ菓子を持ち歩いているのだろう。きりっとしているが甘いものに目がなさそうな辺り、さすがは甘党を自負するだけある。視線に気づいたのか、女は少し笑って胸ポケットから菓子の袋を取り出した。瞬時にしぼんだ胸を見て、さらにヴァレリーは視線を外せなくなった。思わず自分の薄い胸と比べてしまいそうだった女の胸が、急に小さくしぼんで見えたのだ。菓子袋は巨漢のにぎりこぶしほどの大きさで、妙に納得した。


「気に入ってもらえるといいのだけれど」


 女はヴァレリーに二つ三つ菓子を手渡すと、やわらかに微笑んで敬礼した。

 次の瞬間には金属製の床を進む足音がこんこんと律動的に鳴っている。思わずため息が出る。ヴァレリーは手にしていたオレンジにかじりついて皮だけ器用に捨てると、自動扉の向こうへ消えた女を追った。追うのは簡単だ。インサイド政府中央部の支給する女性靴はかかとが高いから足音が響く。音のする方角を探せばいい。耳を澄ますとすぐに行方が知れた。


「すみません!」


 ふりかえった女に目線で続きをうながされて、ヴァレリーは思わず天井を仰ぎ見た。やわらかいライトがじんわり廊下を照らす様子が目に入った。


「あの、さっき、潜入捜査の話をしてましたよね。あれ、アウトサイドに潜入するんですか?」

「所属先、氏名は? 名乗ってもらわないと質問に答えることはできない。情報公開にも制限があるから」

「ボーダー要塞、飛行部隊S-3所属、ヴァレリー・モーリスです」


 背筋を伸ばしたヴァレリーに敬礼を返し、同様に名乗る。女の靴音がかつんと鳴った。


「特務課所属、伊庭祥子いば しょうこです。現在は中央地区で宮仕え中」

「女性キャリアなんですね。かっこいい」

「特殊部隊なんて便利屋みたいなものよ。……それでさっきの話だけれど」


 背筋を伸ばしたまま、化石を前にした考古学好きのように目を輝かせるヴァレリーに、祥子は苦笑を返した。


「こうやって聞いてきてくれると派手にやりあった甲斐があるわね」

「えっ、さっきの、わざとなんですか!?」


 廊下を歩く数人がふりかえったのに気づいて、ヴァレリーが慌てて頭を下げる。


「うわっ、ごめんなさい。声が大きかったかも」

「私が言ったことは本心。潜入捜査があるのも本当のこと。あのやり方は上官の案。スマートじゃないけど」


 周囲の視線が気になったのか、祥子はヴァレリーの手をひいた。

 どこに行くんですか、という言葉を飲み込んでついていく。元はといえば自分が大きな声で叫んだのが原因だ。

 廊下を少し歩くと、全面強化ガラスの休憩室についた。自動販売機がいくつか並んでいる。


「いい? これは世間話よ。私のことを友達だと思って話して。でないとあなた、目立つから」

「すみませ……じゃない、ごめん」

「アウトサイドがどんなところか知っている?」

「ちょっとだけ。学校で習ったくらいだけど」


 白河に教えてもらったことはいくつかあったけれど、嘘をついた。口を割れば、どこからその情報を得たのかと詮索されるにちがいないし、教えてくれた白河にも迷惑がかかる。

 祥子は一瞬瞳をかげらせて、ヴァレリーに問うた。


「アウトサイドに行きたい?」

「行ってみたい」


 即座にうなずいて、祥子を真っ直ぐ見つめる。憂鬱な顔で視線を逸らされた。

 自動販売機のすき間に置かれた植物は、金属の壁に囲まれて所在なさげだ。


「じゃあ特務課に異動を出すわ」

「私の気が変わらないうちに、お願い」


 インサイド政府は一年に一度、国民の記憶情報を精査する。それまでに一度白河が教えてくれた情報をどこかに隠さなければならない。いらない記憶を引き取ってくれる消去屋もいるにはいるが、前線のボーダー要塞では接触するのも一苦労だ。

 アウトサイドに潜入することになれば、事前情報としてさまざまな機密に触れることができるだろう。そうすれば白河がくれた情報も目立たなくなる。潜入後は記憶情報を調べられるだろうが、アウトサイドで知った情報だということにしてしまえば問題ない。


「大丈夫よ。異動ならすぐ出るから」


 不敵に微笑むと、祥子はポケットから端末を取り出した。ふたを開くと瞬時にぼうん、と起動音がする。しばらく画面操作をしているようだ。


「あれ? 異動ってそんなにすぐ出るものなんですか?」

「腐っても特殊部隊ってことね。迅速第一」


 祥子の声に重なるように「メールが到着したよ」と端末が声をあげた。

 声を聞いた瞬間、祥子があわてて端末を開いて画面操作をするのを見て、ヴァレリーはおかしくなった。


「祥子さん、好きな人いるんだ?」


 携帯端末のメール着信音を、好きな男性の声にするのがインサイドの女性の間ではやっている。

 祥子が赤面していくのを、じっと見ていると楽しい。ついからかいたくなる。


「彼氏?」


 その言葉を聞いた途端、祥子の動きが固まった。聞いてはいけないことを聞いてしまった。瞬時に悟ったヴァレリーは頭を下げる。


「あ、えっと、ごめんなさい」

「……いいの。もう死んでるわ、きっと」


 祥子の短い言葉が灰色の床に転がった。ヴァレリーは自動販売機のすき間に入りこんで隠れてしまいたい気持ちになりながらフォローを入れる。


「行方がわからないの? インサイドだったら情報管理されてるもの、亡くなってたらすぐにわかるよ。わからないってことは、きっと生きてるってことだよ」

「生きているなら情報が送信されてくるはずだわ」

「アウトサイドにいるかもしれないじゃない」

「もしそうなら、私があなたの代わりにアウトサイドへ行くわ」

「あ、それは困る」


 苦笑ではあったが、笑みを浮かべてくれた祥子にヴァレリーはほっと胸をなでおろす。

 端末画面の上を指が軽々と動いたかと思うと、端末から情報が送信された。派手なドラムの音がして、ヴァレリーの端末に情報が届いたことを知らせる。


「辞令、出たでしょ」


『ヴァレリー・モーリス中尉、飛行部隊S-3から特務課への異動を命じる』


 確かにヴァレリーの端末には、辞令が届いていた。あまりの速さに感嘆のため息が出る。


「祥子さんの彼氏、私が探してきてあげる。名前は?」


 苦笑して、祥子は背筋を伸ばした。


「いいのよ。……もう、他の人がいるから」


 新しい恋人がいるってこと? じゃあどうして、着信音声がそのままなのよ。

 ヴァレリーは唇をかみしめたが、それ以上追及する無神経さは、さすがの隼も持ち合わせてはいなかった。

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