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ファウストのコックピットから、出しっぱなしになっていたタラップに降りたつと、ワルターもあとを着いてきた。
格納庫の奥で白河と祥子が話している様子が目に入って、ヴァレリーは「前にもあったね、こんなこと」とワルターに苦笑いする。初期化されたワルターは「そう」と短く応えただけだった。覚えていないのだろう。
ヴァレリーは二人からそっと距離をとりながら、注意深く様子をうかがった。≪ひつじ≫に座ったままの祥子を、白河が横目で見ている。手元では作業をつづけたままだ。声が聞こえるところまで近づいてみる。
「祥子ちゃんは、リミッターのことも全部知ってたんだな」
「データを参照するに、どうやらそのようですね」
「先代のオレのことがあったから」
「ええ。今の私にその記憶はなく、データとしてしか理解できませんが」
「オレよりも、オレのことにくわしかったのかも」
やっと気がついたか、とヴァレリーは憤懣やる方ないと鼻から荒い息を漏らした。今の祥子にはデータとしての記憶しかないだろうが、初期化前の祥子の苦労が少しだけ報われたような気がしてならない。守っている白河に疎まれているのは、さすがに気の毒だった。
「以前はそうだったのかもしれません」
「ごめんな、誤解してて」
「いえ」
祥子の淡々とした応答に、ヴァレリーは「白河、遅いよ」と小さくぼやいた。初期化前の祥子なら、どう返しただろうか。もしかしたら、あまり変わらなかったかもしれない。祥子にとって大切なのはあくまでも先代の白河海であって、今の白河とは違う。アウトサイドにフェシスを目覚めさせに行く前の、格納庫でのワルターの言葉が思い起こされた。
祥子には過去の記憶がデータとしてあるが、記憶が戻ったからといって、≪ココロ≫が以前と同じように動くとは限らない。初期化した≪ココロ≫が再び動けばデータの意味も変わってくるかもしれないと白河は言うが、そこまでの道のりはまだまだ遠そうだ。≪ココロ≫が動いたところで、初期化前の祥子と同じように感じるかどうか、わからない。
個々の記憶は人間のアイデンティティだとヴァレリーは思うけれども、ロボットの場合はどうなのだろう。ロボットも同じであればいいなと願う気持ちはあったが、マスターへの忠誠であったり、機能であったりするのだろうか。人間と同様に、これもロボットそれぞれで違うのだろうなとヴァレリーはため息をついた。
「どこかに一緒に出かける?」
「なぜその必要があるのですか?」
「……埋めあわせ? 結構な苦労をかけたみたいだし」
少し悩んだ白河の言葉に、きっと以前のヴァレリーなら「よくやった! 行け! デートだ!」と内心拳を握りしめるところだろうが、今のヴァレリーは違う。先ほど思わず口からこぼれ落ちた「白河、遅いよ」……これに尽きる。
「先代の白河海博士は、私のマスターです。私に当時の記憶はありませんが、マスターのために尽力するのはロボットとして当然のことと推測します」
初期化前の祥子がマスターへの忠誠だけで動いていたとは、とうてい思えない。けれども今の祥子には、記憶がデータとしてあったとしても、そういう理解しかできないのだろう。
データに付随する感情情報の欠落といえば適切だろうか。当時どういった感情があったのか、≪ココロ≫の動きが抜け落ちている。いつか祥子さんの≪ココロ≫が再び動いて、その感情を読み取れるようになれたらいいなとヴァレリーはそっと目を伏せた。
ようやく手元での作業を終えて立ち上がった白河が、左右に腰をひねりながら力なく笑う。白衣のすそがひらりと踊った。
「フラれたわあ」
「外出に同行せよというご命令でしたら、付き添います」
「ええ……それはなんか違うから嫌だ。祥子ちゃんの意思じゃなく、オレの期待に過剰に応えようとした結果じゃん」
「申し訳ありません」
長く床に座っていたから、腰が痛いのだろう。白河はしばらく身体のあちこちを伸ばしていたが、ようやく祥子に向き直って「いいんじゃない」と軽い調子で返した。
「祥子ちゃんが好きだったのは先代のオレで、今のオレじゃない。だからデートはやめておこう」
「了解しました」
「きっと祥子ちゃんには、先代のオレとデートした記憶があるだろ?」
「はい」
「もしも今、君とデートしたら……先代のオレとのデートの記憶と、今のオレとのデートの記憶が、同等に扱われることになる。君の≪ココロ≫は動いてないから」
ヴァレリーはきょとんとして、白河の言葉を反芻してみる。≪ココロ≫の動いていない祥子にとっては、先代の白河とのデートも、今の白河とのデートも区別ができない。ただ一緒に出かけた記憶にしかならない。今の祥子は≪ココロ≫が動いていないから──。
おそらくそういうことを言いたいのだろう。
「それは祥子ちゃんが初期化されたって弱みにつけこんでるみたいで嫌だから、やめとくよ」
……初期化される前の祥子さんの感情を、尊重してるんだ。
案外ちゃんとしたところもあるではないか。女好きの白河のことだから、てっきり手当たり次第だと思っていた。ヴァレリーは白河の恋愛事情を少しだけ見直した。




