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5-3

 ワルター・ミュラーの眠る≪ひつじ≫のドーム型天井が開いたのは、祥子が目覚めてしばらく経ってからだった。どうやら白河が祥子の起床を優先させたためらしい。そういうとこあるよね、とヴァレリーは言葉にはせず、友人を見た。口にしたところで「レディー・ファーストだ」とでも言うのだろう。

 ピピッと軽快な電子音がして、≪ひつじ≫のドーム型天井が開く。赤い髪のシステムは横たわったまま、目だけを開けた。かけっぱなしだった眼鏡が少し傾いている。


「おはよう、ワルター」


 声をかけたけれど、返事はなかった。ワルターは自分の動作を確認するように左右の手指を何度か曲げてから、まばたきをくりかえした。


「調子はどう?」

「音声を確認しました」


 メイジスの偵察機、ワルター・ミュラーの返答にヴァレリーは絶句した。祥子よりも数段状況が悪いのではないか。さっと白河に視線を送るが、白河は首をかしげるばかりだ。白河の端末では、ヴァレリーが懸念するほどの悪い状況ではないようだ。


「インサイド基幹システム・メイジスより情報取得します。……更新中……つづけてワルター・ミュラーの人格プログラムを適用します……」


 しばらく横たわったまま機能確認をするように身体の各部位を動かしているのを見て、ヴァレリーは心配する。祥子よりも回復が遅れているのだろうか。固唾を飲んで見守るヴァレリーをよそに、ワルターは≪ひつじ≫の上に起き上がると、ようやく傾いていた眼鏡を直した。


「……おはよう」

「反応遅くない? 寝ぼすけね」


 先ほどの様子とはうってかわって、聞き慣れた返事がある。そういえばワルターは以前から行動に少しズレがあったと思い直して、いつものようにヴァレリーは茶化した。同じように接することで、何か思い出すことがあるかもしれない。


「君は?」

「……ヴァレリー・モーリスだよ。覚えてない?」

「ごめん。初期化したから」


 祥子と違って、ワルターらしい口調はそのままだ。そのことに少しだけ安心して、ヴァレリーは茶化す言葉をつづける。


「妹の顔を忘れるなんて! まだ寝ぼけてるの、お兄ちゃん!」

「……?」

「バカだなあ、ワルターは。そこは、おお妹よ久しぶりと返すところでしょうが」


 不思議そうにまばたきをくり返すワルターに、ヴァレリーの表情が泣き笑いになっていく。その様子を察したのか、ワルターは遠慮がちに「記憶しておく」と告げた。


「……しなくていい」

「じゃあ記憶しない」

「うん」


 ボーダー要塞の格納庫内は、皆せわしなく動いている。どうやらヴァレリーたちの乗ってきたファウストの整備が済んだらしい。自分の金髪をわしゃわしゃとかき回して、ヴァレリーはワルターに向き直ると手をつかんだ。


「行こう。ワルターに馴染みのあるもの、見せるから」


 端末とにらめっこしている白河の横を通り過ぎて、青色に塗装されたヴァレリー・モーリス専用機に向かう。「発進はしないけど、座っていい?」と近くにいた整備班に一声かけてからコックピットをのぞくと、ヴァレリーはワルターに「ここ、座って」と脱出用ポッドに座らせた。自分はコックピットに座る。


「ワルターはここに座ってたんだよ。一緒にファウストで戦った」

「そう。コーパイロットか」

「うん。副操縦士みたいな。ROPに侵入して制御権を奪うし、すごく頼りになった」

「お褒めにあずかり、どうも。覚えてないけど」


 見られたくない、悟られたくない、そんなふうに思ってしまったのは何故だろう。ヘルメットをかぶって、ヴァレリーはその中で唇を噛みしめる。


「いろんなことがあったね。あなたの頭、なでたよ」

「なんで?」

「お母さんがどういうものか知りたかった、って言ってた。私が自分の親に頭をなでられた話をしたら、じゃあそれで、って。初期化されるかもしれないから、なにか心残りはないかって聞いたら、そう言われた」


 涙が声に出ないように明るくふるまったつもりだったけれど、声色が沈んでいる。

 伊庭祥子の場合とは違い、ワルター・ミュラーの記憶は保管されていない。


「はい、頭出して」


 素直に前のめりになったワルターの頭に、ヴァレリーは手を乗せる。いつかのように髪の中に手をうずめて、よしよしとなでる。そういえば最初は照れてしまって動物をなでるようにしてしまったっけな、と思い出した。


「感想は?」

「特には」


 今のワルターには照れる様子もない。神妙な顔でヴァレリーを見ている。ボーダー要塞の格納庫で一緒に照れて座り込んで、ダンゴムシ二匹と白河に揶揄されたことが遠い昔のようだった。


「……あのときのワルターには、お母さんがどういうものか、わかったのかな」

「ごめん。今の俺に、そのときのことはわからない」

「……わかったんなら、いいな。わからなくてもなんとなく、お母さんってこういう存在なんだよって伝わってたらいいな」

「そのときのことはわからないけど、俺も君と同じように思う」


 ワルターがぽつりとつぶやいた言葉に、ヴァレリーは感極まってとうとう泣き声をあげた。コックピットの背もたれに、ヘルメットをかぶったままの頭をこつんとぶつける。

 人間のためにそこまですることなんかなかったじゃないかというのは、祥子にしてもワルターにしても同じだ。彼らはそれがロボットの役割であると思ったのだろうか。かつてフェシスが言ったように「人間が夢を見るために、ロボットがいる」と信じたのだろうか。アウトサイドの人々の命を助けるために? それとも祥子のように、大切な人を守るために?


「ごめん。ごめんね、ワルター」


 アイデンティティは記憶にある。それぞれの時間を生きた、それぞれの記憶だ。

 初期化によって記憶を失ってしまった祥子やワルターを見ていると、人間はそこまでしてもらうだけの価値があるものだろうか、とヴァレリーは思う。


「初期化前の俺が選んだことなのに、なぜ君が謝る?」


 ワルターの言葉に、ヴァレリーは顔を上げる。ヘルメットをかぶったままのせまい視界に、心底困惑しているワルターの姿が飛び込んできた。


「そうまでして優先したいものがあったんだろう。それは俺が決めたことだ。そのための行動を、悪いことのように言わないでほしい」


 ……そういうところは、以前と変わらないんだな。


 フォローになっているのか、なっていないのかよくわからないワルターの言葉に、ヴァレリーは再び泣き笑いのような顔になる。

 ワルターの気遣いには、いつでも少しズレがある。きっとそれは記憶があってもなくても変わらない、ワルターという人格プログラムの本質なのだろう。ズレた気遣いをありがたく受け取って、ヴァレリーはヘルメットを脱いだ。


「私のこと、妹って言ってたんだよ」

「ロボットに妹はいない。兄弟型や姉妹型はあるけど」

「ボーダー要塞に突入して、インサイドの守備隊に銃を向けられたとき、お姫様抱っこされた」

「そう」

「頼りになった、すごく。あまりにも私のこと守ってくれるから、ワルター、私のこと好きなんじゃないの? って聞いたら、C-0に向かうエレベーターの中で『妹』って言われた。自分を開発したレイリーのクローンだから、妹みたいなものだって」


 エレベーターで白河とテイラー主任に大笑いされたことを思い出す。テイラー主任……白河陸の偵察体はもういない。メイジスに倒されてしまった。めまぐるしく事態が変わったことを思い起こしながら、ヴァレリーはワルターの様子をうかがった。

 他人の思い出話を聞くように無表情で話を聞いていたワルターが眼鏡をかけ直す。あごに手をやってしばらく思案したのち、ぽつりと口を開いた。


「もしかしたら君のことが好きだったのかもしれない。もうわからないけれど」

「は?」


 ワルターの意外な言葉に、ヴァレリーはしばらく口をぱくぱくさせた。驚きのあまり、声がかすれている。


「聞いてないよ! 違うって言ってたじゃん!」

「今の俺には、もうわからない。……君はどう思いたい?」


 どう思いたいかと聞かれても答えようがない。今ワルターが言ったように、もしもヴァレリーのことを想っていてくれたのだとしても、それはそれで苦しくなる。ワルターが初期化されてしまった今、その想いに応えることは二度とできないのだから。

 ヴァレリーは「ああ、もう」と乱暴に頭をかきむしって、考えるのをやめた。考えたところで、真相は決してわかることがない。


「君の思いたいように、思ってくれていい」


 そうすることで君の気持ちが落ち着くなら、と言外に伝えたいのだろう。ハルシネーション……事実とは違う事柄を事実のように語るAIのウソ……のようにも思えてしまう。ロボットも人間の期待に応えようと過剰に気を回すことがある。先ほどの言葉がその結果なら、それはそれでやはり苦しい。

 ワルターの気遣いは、やはり少しズレている。姿形はワルターのままで、ズレた気遣いもそのままだけれど、中身は違うのだと突きつけられているようで、ヴァレリーは三度目の泣き笑いの表情になった。

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