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ヴァーチャル・アウトサイドでしばらくフェシスと話をしたあと、ヴァレリーはリアル・アウトサイドで目覚めた。中にいる人間が目覚めると≪ひつじ≫のふたは自動的に開く。カプセル状の≪ひつじ≫に座って、ヴァレリーはリアル・アウトサイドの様子をうかがった。ずらりと≪ひつじ≫の並ぶ様子は壮観だ。どの≪ひつじ≫もふたが閉まっている。ヴァーチャル・アウトサイドが復旧したことで、そこに暮らしていた人々も戻っていったのだろうなとヴァレリーは推測した。
「おはよう、ロリ子ちゃん」
「おはよう。代表も白河もおつかれ」
≪ひつじ≫から立ち上がって、白河兄弟に視線を向ける。代表はいつもと変わりないが、白河が開発ばかりしていると、またリミッターが外れてしまいそうで心配だ。「また鼻血出してない?」と聞くと、白河は嫌そうな顔をして「出してませーん」とそっぽを向いた。
「アウトサイドの人たちが助かってよかったな」
「うん。フェス、すごいんだよ! 再起動してからあっという間だったもの。記憶は……残ってなかったけど」
だんだんと言葉をしょげさせていくヴァレリーに、白河は「残念だったな」と声をかける。ヴァレリーがなぜヴァーチャル・アウトサイドから戻るのを遅らせたのか、友人にはお見通しのようだった。
「フェス、インサイドのボーダー要塞に接続して」
ヴァーチャル・アウトサイド内のあちこちの様子がわかる大きなモニタから、フェシスが「了解しました」と返す。
≪通信回線開きます≫
≪はいはい、アウトサイドから……おう、隼の姐さん、おつかれ≫
ザザザと軽いノイズが入ったあと、音声のみの通信がはじまった。音声だけでもわかる独特のなまりのあるしゃべり方は、ボーダー要塞にいる熟練整備士のリュウ・ファーだろう。
「アウトサイドでの任務、完了しました! ボーダー要塞はどう? フェシスは再起動したけど、ワルターと祥子さんの様子は?」
≪どうかなあ、まだ起きてきてないからわからへんわ。隼の姐さん、今度はこっちに来て起こしたってくれるか? 『眠り姫』を一人起こした手腕をやな≫
「そんなにホイホイあっちこっちに『眠り姫』がいるんじゃ、王子はよほどの人たらしだね。大体そっちの『眠り姫』の王子様は先代の白河なんじゃない? 『眠り王子』のお姫様は誰だかよくわからないし」
「お前だろ」
間髪入れずに口をはさんできた白河に、ヴァレリーは「起こしにいかないとは言ってない」と返した。
「でもワルターは妹だって言ってたじゃん」
「ダンゴムシしてたくせに」
ボーダー要塞での格納庫での様子が思い起こされて、ヴァレリーは小さくうなってみせる。「行くよ!」と白河にヘルメットを投げた。アウトサイドに来るときに、白河がそこらへんに脱ぎ捨てたヘルメットだ。消臭剤など使っていないだろうから、汗の臭いが充満していそうだなとヴァレリーは口をへの字に曲げた。アウトサイドでは≪ひつじ≫を使ってヴァーチャル・アウトサイドから戦闘機を動かしている。消臭剤や替えのヘルメットの用意はなさそうだ。
アウトサイドの格納庫まで向かう。道順はもう何度か行き来したから、さすがに覚えた。ヴァレリーは格納庫の入り口付近の壁にかけていた自分のヘルメットを回収して、ファウストにつながるタラップをのぼった。軍支給の靴のかかとが甲高い音をたてる。ベルトを装着して準備を整えていると、白河がもたもたとコックピットに乗り込んできた。
見送りに来たアウトサイド代表白河陸に手を振って、ファウストの電源を入れる。ヴァレリーはふうと息をついて、座席にもたれた。コックピットのドーム型の天井が閉まって白河陸が距離をとったところで、ファウストのエンジンが点火した。少しずつ前進したファウストが誘導灯に従って加速し、発進する。
「快適な空の旅をお楽しみください」
「快適かなぁ……運転荒いだろ」
冗談めかしてそう言ったヴァレリーに、重力でベルトが食い込んだ白河が半ばうめきに近い声をあげた。
白河の予想とはうらはらに、空の旅は快適だった。発進時こそ重力がかかったものの、一度空に出るとそうでもない。敵機も僚機もいない空を、ヴァレリーのファウストが飛んでいく。風は少しあるが、晴天である。真っ直ぐな飛行機雲が、ファウストから尾を引いて伸びていく。
しばらく空の旅を楽しんで、ボーダー要塞に着陸する。着陸時の衝撃はあるが、舌を噛むほどでもない。
予想もしなかった快適さでボーダー要塞に到着した白河は「できるんだったら普段からさぁ……」とぼやいたが、ヴァレリーは聞き流した。
ボーダー要塞の格納庫では整備班が目まぐるしく働いている。ファウストのエンジンが停止してヴァレリーがベルトを外したころ、タラップをかける人員や整備班が一斉に集まってきた。
ドーム型の天井を開けて、ヴァレリーが飛び出す。操縦席にヘルメットを置いて、整備班の一人に「リュウさんは?」とたずねた。スパナを持った手で指し示された方向を見る。リュウ・ファーは「おう」と手を上げてヴァレリーを出迎えた。
「寝ぼすけたちは?」
「あっち」
ベルトを外すのに手間取っている白河を置いて、熟練整備士の案内についていく。それぞれの≪ひつじ≫のドームの中に、祥子とワルターがいるのが見えた。うなされている様子もない。まぶたの下で眼球が動いているのがわかるから、停止してはいないだろう。おそらく作業に集中している。まぶたの下で瞳の色がせわしなく変わっているのだろうなと思い出して、ヴァレリーはワルターを見た。
眼鏡をかけたまま寝ている。外さなかったんだな、とおかしくなって、それが元々はメイジスの干渉を避ける目的の品だったことを思い出した。ヴァーチャル・アウトサイドで人命救助をするにあたり、白河陸が警戒心を減らせるように眼鏡をかけたままにしたのだろう。目を閉じてるんだから視覚情報をメイジスと共有しないはずなのにな、とヴァレリーは少し笑った。ワルターの気遣いは、そんなふうに少しズレている。
ようやく合流した白河が、ヴァレリーの隣で端末を開いた。≪ひつじ≫のコードを端末に接続して、白河が床にどっかりと座る。そのまま偵察機二体の状態を見はじめた白河をよそに、ヴァレリーはワルターの眠る≪ひつじ≫のドームをぺちぺちと叩いた。
「動作自体はしてるっぽいよね」
「うん。どっちも停止はしてない。目覚めるための機能回復中ってところかな」
白河の言葉を聞いて「早く起きておいでよ」と呼びかけたヴァレリーの横で≪ひつじ≫のドームが開いた。先に目覚めたのは伊庭祥子のようだ。
「祥子さん、戻ってきたよ!」
「こっちでも確認した」
ロボットらしい無駄のない動きで≪ひつじ≫の上に起き上がった祥子は、まばたきをしてあちこちを観察している。
「おはよう、祥子さん」
「……」
祥子が首をかしげると、黒髪がさらりと揺れた。その様子は人間らしくも見えて、ヴァレリーは息を呑む。フェシスが記憶をなくしてしまったことを思い出して言葉をかけあぐねていると、祥子はヴァレリーをまっすぐ見つめて口を開いた。
「祥子というのは、私のことでしょうか?」
記憶が初期化されると、任務説明中に聞いてはいた。わかってはいたけれど、とヴァレリーは唇を噛む。そうまでして人命救助に乗り出した二体の偵察機の払った代償に、言葉がつまる。
「そうだよ。伊庭祥子、それがあなたの名前」
「記憶しておきます」
祥子にとって、先代の白河海から与えられた名前は大切な記憶だったはずだ。任務開始前に白河が彼女の名前を呼んだとき、幸せそうにはにかんでいたことを思い出す。型番ではない特別な名前だったはずなのに、その記憶さえも失ってしまった彼女を見ていると、ヴァレリーの胸が苦しくなる。当の祥子は記憶をなくしているから、ヴァレリーの様子にきょとんとしている。
ヴァレリーは一番初めの……クローンのオリジナルとなった自分、レイリー・モーリスのことをふと思い出した。レイリーとヴァレリーの違いは色々あるけれど、一番違うのは保持している記憶ではないか。
……これじゃ、クローン技術で再生されたのと同じだ。
つまり祥子は一度死んでしまった、と言えるだろう。祥子は白河を助けてアウトサイドに送り出したときにも、記憶を失っている。そこまですることないじゃん、とヴァレリーは自然ににじんでくる涙をぬぐう。
ふと、祥子の記憶を旅したことを思い出して、ヴァレリーは勢いよく顔を上げた。すぐにフェシスを呼ぶ。
≪はい。ヴァレリー・モーリス、私に何かご用でしょうか≫
白河が無言のまま、端末をヴァレリーに向ける。端末の画面に通信枠が開いて、フェシスの姿が映っていた。
「前に祥子さんの記憶を本にして、フェスに保管してもらったのを覚えてる?」
≪記憶にはありませんが……少々お待ちください。検索します。……本というのはヴァーチャル空間上の比喩的表現で、どうやらデータとして存在するようですね。送信します≫
「祥子さんに送信お願い」
了解しました、というフェシスの言葉に、当の祥子は無反応のままだ。自分の話をしているという実感がないのだろう。
「祥子さん、これがあなたの記憶だよ。最新の状態には更新されてないけど、それでも、これにはあなたの大切な記憶がいくつか含まれてると思うんだ」
「バックアップがあったのですね。ロボットの私に過分なご配慮、いたみいります……。受信完了しました。データを展開中です」
過分な配慮なんかじゃない、と言いかけてやめる。ヴァレリーにとって、伊庭祥子は戦友のようなものになっていた。最初は同僚で、その次はだまされた。白河海を守るためだったのだという理由を知ってからは、距離こそ少しあったものの、共に戦う存在になっていた。
今の祥子は自分の知っている伊庭祥子とは別人のようで、ヴァレリーは悲しみに震える息を押し殺した。
「データを適用しました」
「……どう?」
「このようなことがあったのですね。ヴァレリー・モーリス、目的のためとはいえ、あなたを欺いてしまったことを謝罪します」
「違うよ、そんな話が聞きたいんじゃない」
祥子とヴァレリーの噛み合わない会話に、無言でその様子を見ていた白河が割って入った。
「おかえり、祥子ちゃん」
「白河海博士ですね。ご無事だったようでなによりです」
「そう。先代のじゃないけどね」
気落ちするヴァレリーに、白河は「初期化ってそういうもんだから」と淡々と言う。開発者として何度か似たような経験があるのだろうが、ヴァレリーからすればあまりにも淡白すぎる反応のように思えて、軽くローキックをくらわせた。
「いってぇ……。しょうがないだろ、祥子ちゃんにとって大切なのは俺じゃなくて、先代の白河海なんだから」
「そうだけどさ!」
「≪ココロ≫が初期化されてるんだから、データとしての記憶しかないっての」
「それじゃあんまりにもさ……」
言葉をしょげさせていくヴァレリーに、白河は面倒くさそうに頭をかき、視線をそらした。
「≪ココロ≫が発達したら、今受け取ったデータへの理解も、少し変わってくるんじゃないの」
白河の言葉に勢いよく顔を上げる。ヴァレリーは「うん!」と何度もうなずいた。きっとフェシスも同じように、いつか≪ココロ≫を作動させてくれるに違いないと信じて。




