4-10
久しぶりのヴァーチャル・アウトサイドは、以前訪れたときとは大きく様子が変わっていた。
気温は以前から高めだったが、湿度が上がっている。おそらく≪ひつじ≫の中での空気循環が足りていないのだろう。見えている世界には絶えずノイズが走り、ときおりブロック状のモザイクのようなものまで見える。リアル・アウトサイドの景色を再現したというヴァーチャル空間は今や歪んでおり、ザリザリとした砂を噛むような音が絶えず聞こえてくる有様だった。
ヴァレリーは汗まみれの金髪を手早く一つにまとめると、前をにらんだ。
ヴァーチャル空間のどこにフェシスがいるのか、判然としない。
……見つけなきゃ。
ヴァレリーはアウトサイドのヘルプシステムを呼び出すと、手早くマップの表示を依頼した。「バーチャル空間で手に入れた地図を開いて表示してください」という機械音声にあわせて持ち物を探る。以前手に入れた地図がそのまま使えるようだ。地図を開くと立体映像がヴァーチャル空間の紙の上に表示されて、現在位置を伝えてくれた。
エリアを指定してルート誘導を依頼したが、立体映像までもがチラつく。機械音声が聞き取りづらい。アウトサイドの基幹システムであるフェシスが眠りについたのが原因だろう。
ヴァレリーは進路を東にとって走り出す。走り出したところで、ふと足が止まった。
眠っているとはいえ、フェシスのいる場所に近ければ近いほど、ノイズは発生しにくいのではないか。闇雲に探すよりは、まだエリアを絞れるだろう。
そう思い至って、ノイズについての情報を参照する。味気ないヘルプシステムは、以前ヴァレリーが暮らしていたエリアを提案した。
じわじわと額に汗がにじむのをぬぐって進路変更し、荒野を進む。普段なら、走り出したヴァレリーの靴が蹴り上げる砂ぼこりが舞い上がるところだが、その気配がない。以前とは違う状況に戸惑って、ヴァレリーは少し速度をゆるめた。ヴァーチャル・アウトサイドにいた期間はそれほど長くはないけれど、どうにも慣れない。インサイドやボーダー要塞の道は舗装されているから、砂ぼこりが舞い上がることはない。じきに建物の群れが見えてくる。
ヴァーチャル・アウトサイドに住む人々とすれ違う。戦闘機のパイロットをしていた男がその中にいることに気が付いた。以前見たときとは違って、のそのそと歩いては肩で息をしているのを見て、栄養状態がよくないのかもしれないと察する。きっと二体の偵察機がヴァーチャル・アウトサイドの環境維持に尽力してくれているのだろうが、それでも以前通りに栄養補給を得られるわけではないのだろう。フェシスを早く目覚めさせなくてはいけない。
いったいどこにいるんだろうと、エリア内の建物のドアを片っ端から開けて調べていく。部屋の中でぐったりと座り込む人、寝ている人、動作を停止して床の上に転がったままになっているロボット……あまりいい景色ではない。
探し疲れてヴァーチャル・アウトサイドでの自分の部屋に戻った。汗ばんだ手を洗って、ついでに顔も洗う。タオルで顔をぬぐいながら「ただいま」と力なく独り言をいって、リビングへの扉を開ける。寝室に眠っているフェシスに気がついた。
……なんでこんなところに?
ヴァレリーは驚いてそっと近づいた。ヴァーチャル・アウトサイドで慣れ親しんだフェシスがベッドで横たわっている。まぶたは閉じられていて、以前のように基幹システムとしての動作はしていないのが一目瞭然だった。処理中に変わるフェシスの瞳の色を思い出しながら、ヴァレリーはそっとベッドの脇に座った。
「フェス、起きて」
つとめて明るい言葉をかける。よき友人と呼んでくれたフェシスの姿が思い起こされた。
「フェスはさ、『あなたがた人間が夢を見るために、私たちロボットがいるのです』って言ってたけど。それって人間に尽くしすぎてると、私は思うんだ。フェスはロボットだけど、私のこと、よき友人って言ってくれたでしょ? 対等な友人って、そういうものじゃないと私は思う」
対等な友人と言えば、白河海が思いつく。軽口を叩きあって、お互いにふざけて、でも困ったときは助け合う……白河とヴァレリーはそういう関係だ。きっと現在はリアル・アウトサイドでフェシスの再起動を急いでいるだろう。
「フェスはアウトサイドの基幹システムだから、それが仕事です、とか言いそうだね。でもすべての機能を停止してとか、記憶をなくしてとか、友人がそんな状態になってるのは嫌だよ。……ああ、でも私はロボットに助けられてばかりだな。フェスもそうだし、ワルターだってそう。祥子さんは白河を助けてた。フェスには、何もお返しができてないね」
大昔にはロボット三原則というものがあったらしい。人間に危害を加えないこと、人間に従うこと、自分の身を守ること……。
その三原則は、ロボット兵器の開発によって崩れ去った。戦争に使う無人機が開発された。ミサイルの誘導もロボットを介して行われるようになり、人間が危害を加えられる状況が生まれた。
人間に従うことは、ロボットが永久的な機関ではないことで崩れた。壊れたロボットは人間の命令を聞かないし、動作不良を起こしたり、人間の期待通りに動かないことだってある。
自分の身を守ることというのも、人間が盾に使ったことで叶わなくなった。自爆するドローンなどが、その嚆矢となった。
ならばロボットは、フェシスの言ったように「人間のよき友人」であることを求められるのではないか。AIによるサポートが増えたころに、ロボットに恋をする人も出てきた。
レイリーが≪ココロ≫を開発した理由には、そんな背景があったのではないか。
「人間はロボットにとって、よき友人だったかな。無茶なお願いとか、してなかった?」
これまでのフェシスとの日々を思い出して、ヴァレリーは苦笑いする。ヴァレリーの安全を優先して、フェシスはアウトサイド代表白河陸の命令に従った。ヴァレリーは出せと暴れて、ワルターに脱出を手伝ってもらい、インサイドに伊庭祥子を助けに行った。
ヴァレリーの行動はフェシスの望んだことではなかっただろう。それでもフェシスは白河陸の命令を拒否して、ヴァレリーを助けた。ヴァレリーの、よき友人であるために。
「ねぇ、フェス。起きて。私、あなたを起こしにきたよ」
ヴァーチャル・アウトサイドに、一際大きなノイズが走る。現在のエリアにたどりついてから、ノイズやモザイクが少なくなっていたことに気付いた。フェシスの居場所に近づいたのが理由だろう。
スリープ状態でも、白河陸の再起動命令を無視していても、フェシスがヴァーチャル・アウトサイドに生きる人間たちを守ろうとしているのだということに思い至って、ヴァレリーは唇を噛んだ。
小さな通信枠が開く。白河だ。音声のみのそっけない通信はいかにも彼らしいなとヴァレリーは思った。
≪フェシスの再起動準備完了。5、4、3、2……≫
「フェス、起きて」
アウトサイドの基幹システムのまぶたがゆっくりと開く。いつかのように、瞳が黒と水色を頻繁に行き来するのをながめながら、ヴァレリーは涙ぐんだ。
「フェス! よかった……本当によかった」
「アウトサイド基幹型フェシス・システム、再起動します。……リアル・アウトサイドでの状況を把握。セーフモードから通常モードへの移行を開始します。酸素供給、栄養供給を優先……」
フェシスはベッドの上から身体を起こすや否や、アウトサイドの状況を把握して次々とアウトサイドの管理をはじめる。ヴァレリーは涙ぐんだ目元をごしごしとこすった。
「おはよう、フェス」
「……あなたは、どなたですか?」
フェシスが自分のことを覚えていないことは、覚悟していた。それでもいざ直面すると、ヴァレリーの胸に苦いものがこみあげてくる。
「データを参照します……ヴァレリー・モーリス。最近アウトサイドにいらしたのですね。ヴァーチャル・アウトサイドでの暮らしはいかがですか?」




