1-4
白い画面に映った文字は行儀よく並んでいた。まるで霊安室のようだ。過去の白河の記憶なのだから、そう感じるのも無理はない。
アウトサイドとインサイドに分かれた、壮大な親子喧嘩。
正直、羨ましい気持ちもある。
インサイドの子供は基本的に、各家庭ではなく養育施設で育てられる。ヴァレリーも同様の施設で育った。両親の顔を思い出そうとしても、なかなか思い出せないのはそのせいだ。データでしか見たことのない両親は、どこかにいる誰かと大差ない。
接することができたから、喧嘩になったのだ。国と国という大きなものを背負うことで互いに身動きがとれなくなって、長く戦争を続けることになったのではないか。顔を合わせれば仲直りもできたかもしれないのに、国境という大きな壁に阻まれて互いの姿が見えない。もしインサイド総督が顔のパーツだけを交換した同一人物でさえなければ、こんなに争いは続かなかったかもしれない。もちろん、国家間の紛争がただの親子喧嘩だったというのはいただけないけれど。
瞬間、撃墜した敵機の残骸がフラッシュバックした。
──偉い誰かのプライドのために、人間が浪費されていく。
パイロットたちは戦う相手のことを何も知らないのだから、空戦が喧嘩になろうはずもない。ただ自分や味方が落とされないために戦うだけだ。初めて任務に当たったときは、思わず目を覆った。それが次第に、明日は己が落とされるのではないかと首をすくめるようになった。最終的には感覚のすべてが研ぎ澄まされ、何も感慨を抱かなくなった。味方機が裏切って敵機になったとしても、ファウストに乗っている間は瞬時に撃墜することができる。モニタ越しに人を殺す実感は、どんどんなくなっていく。それが魂を売るということなのかもしれない。
アウトサイドの過激派がボーダー要塞に近付いてくるのを撃ち落とす。赤子の手をひねるようなものだと、地中にいた頃は聞かされていた。ボーダー要塞に来てはじめて、味方のファウストが何機も落とされる現実を知った。きっと死んだパイロットたちはインサイドで再生されている。消費を見越して生産されたクローン人間は、何度もパイロットに育て上げられ、親子喧嘩に巻きこまれる。
ヴァレリーは拳に力をこめ、唇をかんだ。国力の差は歴然としていて、アウトサイドがインサイドに勝つことはありえないだろう。けれどもそれは、インサイドで一般的に言われているような技術力の差というより、地理的な条件のせいだ。
ボーダー要塞に左遷されるまでは、インサイド政府に何の疑いも持っていなかった。ただ信じてきた。だから戦ってきた。
けれども真実を知った今となっては、インサイドの手先として動くことに疑問を覚える。もちろん、軍人である以上は命令が下れば忠実に動かなければならない。アウトサイドの戦闘機が境界線を侵したら、すぐに飛んでいって迷うことなく撃ち落す。ミサイル発射ボタンを押す親指に迷いはない。軍人は皆、そういうものだ。
ヴァレリーは頭をかきむしる。
インサイドのためでもなければ、アウトサイドを壊滅させたいわけでもない。ただ自分の愛する飛行機に乗りたいだけだ。ヴァレリー・モーリスは自己犠牲に陶酔する英雄ではないし、殺人狂でもない。よくも悪くも一介の飛行機乗りでしかないのだ。インサイドとアウトサイドの因縁は、ヴァレリーをますます飛行機乗りという立場に固執させた。
「質問がないなら、データベースを閉じるけど」
雲の上の存在であるインサイド総督とアウトサイド代表の仲裁など、ヴァレリーにできるはずもない。それでも真実を知りたいという思いは変わらなかった。今でさえ、知らなければよかったと後悔しているのに、どうして聞かずにはおれないのだろう?
「インサイドとアウトサイドのことを教えて」
「ざっくり過ぎるくらいざっくりと質問したな」
「戦争の原因が知りたいの。実際戦ってる私には、知る権利があるわ」
「最後に確認するけどさ、好奇心が猫を殺すって言葉知ってる?」
険のある口調に顔をあげてみると、友人の眉間には珍しくしわが寄っていた。人差し指が机をコツコツと叩いている。
往生際が悪い。とにかく口を割りたくないらしい。白河の口が滑りやすくなるように茶化してやる。
「へえ、白河って日本地区出身なのに色んなこと知ってるのね。それ、アメリカ地区の言葉でしょ?」
「意味、わかってる?」
さらに冷たい視線が返ってきた。
「もちろん。私、アメリカ地区出身だし?」
にこやかに笑ったヴァレリーへの返事は白河の深いため息で、笑ってごまかすよりなかった。照明が白い光を投げかけている。重い空気に耐えられずに、ヴァレリーは笑い声をしぼめていって、最後にため息をついた。
それを聞いた白河が盤上で指を躍らせる。小さな画面にいくつもの項目が出てきた。
『アウトサイドについて──』
「これは他殺された二人目の記憶かな」
ぶん、と低い音がして、画面上に文字の群れが押し寄せる。波のように一気に押し寄せた情報を、白河が操作して進めていく。
『282年白河陸(シラカワ/リク)とインサイドのあり方を疑問視していた一部のインサイダー、地上に残った少数の人間、アウトサイドに放置されていたロボットなどが結託し、アウトサイド政府を樹立。白河陸はインサイド初代総督イトカと、白河空(シラカワ/クウ)の間に生まれた次男。本記憶データを持つ白河海の弟に当たる』
「インサイド政府って嘘つきね」
人類がいよいよ地上に住めなくなったとき、科学の進歩について来ることができなかった人間が地上に残り、アウトサイドを建国。優秀な人々はインサイドに居住区を移した……教えられてきた事実とは大いに異なる。
「信じてるお前が悪いんだ。国が本当のことを言うわけがないだろ。都合の悪いことは隠す」
画面上の文字が進むと、次の波があらわれる。ずらりと並んだ過去の白河の数も相当なものだったが、一つ一つにこれほど情報が詰まっているとは思いもしなかった。ヴァレリーは全てを確かめるように文字を追った。
『アウトサイドでの政治・生活形態は不明。ただし代表は白河陸であることが確認されている』
「形態が不明? 今にも滅びそうな、貧しい国なんじゃなかったの? メディアまで政府の嘘の片棒担いでるわけ?」
「インサイドが建国される前にメディアの暴走ってのがあってだな。メディアが恣意的に情報を曲げたせいで、おおごとになったんだよ。以降、メディアは国の監査を受けることになった。でも時代が進んで、今は国が情報操作をしている……と。こういうのは両方バランスよくってのが理想だね。片方だけに権限を与えると、ろくなことにならない」
背もたれに身を預けると、ヴァレリーは鼻で笑ってみせる。
ボーダー要塞に来て、ヴァレリーは変わった。インサイド総督のスピーチに同じ顔で同じ手を振るインサイダーに対して、疑問を抱くようになった。これもインサイド不適合者に分類され、左遷されたおかげだ。
「まったく……恥ってものがないのかしら。上から降りてきたものを発表するだけなら、政府発表だけでいいじゃない。メディアって給料泥棒ね」
『オゾン層に代わる人工バリアが開発不可能であることから、紫外線その他有害物質などに対し、無防備に生活していると推察される。調査機関の報告によれば、現在の汚染状況で人間が長く生活することはできない。人々の寿命は短いが、人間の再生技術は極力使わない方針を持つ。これらの事実から、アウトサイドの人口は減少していくであろう』
「ねえ、じゃあアウトサイドは放っておいても滅びるってこと?」
「そ。滅亡の坂道を緩やかに転がり落ちていってるわけ」
白河はいつもと同じように笑っていたが、どこか寂しそうに見えるのは気のせいではないだろう。一瞬訪れた沈黙に耐えきれなくなって、ヴァレリーは口を開いた。
「親子喧嘩よね?」
「まあ、そうだね」
「寿命が短いとか滅亡とか、物騒だよ。インサイド総督、長い時間生きてきたせいで、頭おかしくなっちゃったんじゃないの? 話し合いでなんとかするでしょ普通」
「だよねえ。残念ながらインサイド総督に話し合う意思はないんだな。何年もかけて口説いてるんだけど、聞き入れてくれる気配がまったくない」
白河が肩をすくめておどけてみせる。その仕草でヴァレリーは、白河が何度も心を砕いてきたのに違いないと悟った。
「あんたも苦労してるのね」
「夫婦喧嘩は犬も食わないっていうけど、親子喧嘩も相当なもんだよ」
白河のすくめた肩がすぐに落ちて、背中が丸くなる。小さくため息が聞こえた。
盤上で踊る白河の指をながめながら、ヴァレリーは過去に彼が他殺されたという話をふと思い出した。
インサイド総督は、子である白河陸の治めるアウトサイドを滅ぼそうとしている。
……まさか白河も?
頭をふって黙りこむ。本当にインサイド総督が狂っていたとしても、親が子を殺すわけがない。インサイドでは、親になるためには審査がいる。そうして生まれた子供たちも、親元ではなく養育施設で育てられる。そんなシステムを作ったのはなぜだ? 親が子を殺さないためだ。熟考を経て作られたシステムの中で、初代からインサイド総督を勤めているというイトカが白河の命を奪うことなど考えにくい。
しかし白河は自分のことを、倍速成長させられたクローンだと語った。倍速成長は、人間ではなく労働力として見なされていることの証明でもある。
憂鬱な現実から逃れるように、ヴァレリーは画面の文字を読み進める。
『アウトサイド政府は使者を送り、平和的解決をしようと試みたがインサイドはこれを拒絶。それを受け、両国間に国境を設定した』
ボーダー要塞に来て、確実にヴァレリーの認識は変わった。地中にいた頃には、見えなかったものが見えるようになった。実際に己の目で見ることの大切さを知った。
……一度、アウトサイドへ行ってみたい。
そうすればきっと、インサイドがどういう国なのかはっきりする。
画面の文字を目で追い続けるヴァレリーに、白河は冷たい視線をよこした。
「ほっといても滅ぶんだ。アウトサイドに肩入れしたっていいことなんて一つもないぞ」
単純な己の思惑など、あっさり見破られてしまうのだろう。苦笑して「あんたも十分肩入れしてるじゃない」と凝り固まった首筋を伸ばした。その間にもヴァレリーの視線が画面から動いていないのを見た白河が嘆息した。
「不毛だってことを身をもって知ってるから、忠告してるんだよ」