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4-7

 剥離した外壁がほこりを巻き起こす中、白河海はゆっくりと身体を起こした。


「親父の話はいくつも聞いたけど、その話は初めて聞いた気がする」

「おはよう、海くん」


 白河の口調の変化に、糸花以外の人々はすぐに気が付いた。白河海だ。今すぐ駆け寄って無事を確かめたい気持ちをおさえて、ヴァレリーはぴょこぴょこと背伸びをしたり頭をひっこめたりした。


「白河、無事!?」

「万事快調ってわけじゃないけど、まあ無事」

「よかった!」


 白河空はどうなったのか、おおごとになって割と本気で心配した、あんまり根を詰めて開発しないでよね、とつづけようかと躊躇して、ヴァレリーは言葉を飲み込んだ。それは伊庭祥子の役割のように思えた。

 ひとまず無事であるならそれでいい。

 緊張感から解放されて力なく笑うヴァレリーとにこやかな糸花の横で、口火をきったのは伊庭祥子だった。


「白河糸花、私はフェシスの偵察機です。インサイド内の各階層を旅して、さまざまな人の暮らしを見てきました。現在のインサイドは、あなたの理想と乖離していると言わざるをえません」


 糸花は小鳥のように首をかしげる。


「型番で行動が定型化されているロボットと違って、人間は考えることも行動もさまざまです。けれども現在のインサイドのあり方は、人間の行動を極端に制限している。それはあなたのお子さんたちの犠牲を見ても理解できるのではないでしょうか。私には、インサイドの社会構造が人間への不信感から成り立っているような気がして仕方ありません」


 伊庭祥子が先代の白河海のことを言っているのは明らかだった。ヴァレリーは伊庭祥子の記憶を追体験したことを思い出す。


「現在は蓄積したデータから機械学習して政策を決定しているはずよ。そこに感情は含まれていない。感情は素晴らしいけれど、不確実で不完全で、不平等だというのが、空さんの考えだもの」

「いいえ。機械学習というのは最初に使用するデータの指向性によって、バイアスがかかります。どのデータを元にするか、統計として集積するデータの種類……そういうものに左右されてしまう。そのバイアスがある以上、感情と大差ありません」


 糸花に対する伊庭祥子の態度はひどく棘がある。白河海の犠牲の上に成り立つ世界を祥子は決して許さないだろうな、とヴァレリーは表情を曇らせた。


 ──自分もそんな世界はいやだ。


 誰かの犠牲の上に成り立つ世界なら、すっきりと笑うことはできないような気がする。


「人間の感情はもっと不確実よ。たとえばあなたは、花壇の雑草を抜くでしょう。枯れた枝を切り、しおれた花を摘む。本来雑草なんて名前の草はないの。ただ知らないだけ。それでも美しいものを残して楽しむために、興味のないものや邪魔となるものを間引いてしまう。人間の感情はそれほど不完全。空さんはそれを嫌ったの。すべてが平等に存在できるように、環境を整えた」

「行き過ぎた整備の結果、あなたたちの理想からほど遠い社会ができあがっても? 人間のための社会に、人間の意思が介在しないことが正しいとおっしゃるのですか」


 白熱する議論を前に、当の白河はどうかと様子をうかがうと、あきらかに辟易している。自分の将来にもかかわる話だろうに、とヴァレリーは小さく笑うと、どっこいしょ、と地面にあぐらをかいて「あのさ」と切り出した。せっかく自分の知っている白河が帰ってきたのだ。助け舟を出してやろう。白熱した嫁姑のような議論を聞いていると、また鼻血を出しかねない。


「人間とロボット、どっちが正しい判断ができるかみたいな話になってない? 人間の糸花さんはロボットの判断を信用してるし、ロボットの祥子さんは人間の判断を信用してる。おもしろ」

「まぜっかえすなよ……余計に面倒くさいことになるだろ」

「いや、責任とりたくなくて、押し付けあってるみたいに見えるから」


 ヴァレリーの言葉に白河が青ざめる。「両方を敵に回しかねない」とでも言いたいのだろう。ワルターはしれっとした顔で聞いている。


「なんで極端にどちらかに偏って決めようとするの? 人間とロボットが共存してるんだから、協力して一緒に決めればいいじゃん。お互いの判断をそれだけ信用してるなら、できるよね。私もあちこちいって考えたけどさ、インサイドは極端だよ。ねぇ、糸花さん、自分の子供たちが犠牲になることをいいことだと思える? 生むだけ生んで、育てるのは別の人間なのが今のインサイドの在り方だけど、糸花さんはそれでいいと思える? あなたの言っていたような幸せな時間は、今のインサイドにはないのに」


 インサイド総督こと白河糸花は言葉に詰まり、「そんなことになっているの」とゆるやかに首を横に振った。


「人間の記憶をのぞき見て犯罪の芽をあらかじめ摘むのだってそう。人間なんだから、あいつムカつくとか気に入らないとか考えることもあるでしょ。行動したわけでもないのに、考えただけで罰を与えるのはおかしい」


 ヴァレリーはふと、昔の記憶を思い出して言葉をつづけた。


「子供のころ、憧れてた先生がいたの。素敵だなって思ってただけで、まだ恋でさえなかった。でも記憶検査の後で、何も言ってないのにフられたんだよね。先生だったから。教え子と先生の関係がよくないってことはわかるけど」


 神妙な顔をして聞いている糸花に、懐かしい思い出だよ、とヴァレリーは笑いかける。

 きっと憧れの人に再会したところで、顔さえわからないだろう。ただぼんやりと記憶に残っているだけだ。


「人間は自分の意志で未来を決める。なりたいものになろうとするし、身に着けた能力を活かそうとするよ。だから適正によって職業を決めるのも行き過ぎてる。オリジナルの私が開発者だからって、ずっと開発を担当してたら、私はファウストには乗れなかった。私はファウストに乗るのが好き。重力とかがっつりかかるし、たまにどこ飛んでるのかわからなくなることもあるけどね。白河にも運転が荒いって怒られるし」


 関わり合いを避けてメイジスの再起動準備をはじめていた白河に、ヴァレリーは「ね」と同意を求める。顔をのぞきこむようにしたヴァレリーに、白河があいまいに言葉をにごしつつ「お前の運転は荒い」とぼやいた。ボーダー要塞のエースパイロットは「善処しとく」と笑った。そうして「開発するなら休憩もはさみなさい。また面倒なことになったら嫌だから」と注意した。


「アウトサイドはほとんどヴァーチャルだったけど、新しい経験ができて面白かった。自然回帰って言ってるのに仮想空間なのは不思議だったけど、気温とか食べ物とか、本当にいろいろと再現されてたし。ハゲタ……主任が言ってたヌーディスト要塞なんてのはバカバカしいにも程があるから即時却下だけど、私はアウトサイドの考え方が好きだよ。フェシスのこと大好きだし」


 白河が胸の前で手をすとんと落とすのを見て、ヴァレリーは「洗濯板で悪かったね! 胸があっても全裸とか全面的にお断りだし」と毒づいた。


「アウトサイドの環境は過酷だから、自然のままでいるわけにはいかない。そんなことしたら命を落としかねない。今アウトサイドで暮らす人たちの中にも、インサイドでの生活を望む人がいるかもしれない。だってアウトサイドとインサイドに分かれて、何百年って経ってるでしょ。ご先祖様や自分のオリジナルがアウトサイドを選んだとしても、自分はそうじゃないってこともあるよ。だから命がけの亡命とかじゃなくて、自然に行き来できるのがいいよ」


 白河が端末を操作する軽快な音が聞こえる。やがて操作音がやんで、ぶうんという機械の稼働音が入れ替わりに聞こえはじめる。どうやらメイジスの再起動に成功したらしい。メイジスのまぶたが開いて、稼働音とともに瞳の色が変わった。


「マスター情報を確認します。マスター登録、白河空」

「は? 母さん、メイジスのマスター登録してなかったの? じゃあこいつ、なんで母さんにあんなに従ってたんだ」


 白河海がキーボードを操作して、特殊なプログラムが動いていないかを確かめる。それを無意味だというように、メイジスはまぶたを半分閉じた。


「イトカが好きだからですよ」


 メイジスはゆっくりと身体を起こして、不愛想に言った。


「そうだったの? メイくん、ごめんね。てっきり私、自分がマスター登録されているものだと思っていたから」

「イトカを守るのは、白河空の意向でもあります。でも基本的には、僕の《ココロ》が理由です。イトカ、ここは第何階層ですか。こんなところまで出てきて心配です。ケガはありませんか。この方たちは敵ですか」

「大丈夫。メイくんが動かなくなってしまったから、再起動を頼みにきたの」


 インサイドC-0でのメイジスの行動を思えば、たしかに合理性とはほど遠い。命令と《ココロ》の間で揺れて、行動制限がかかっているようにさえ見えた。

 僕のために危険をおかさなくていいんですよ、と若干不機嫌になったインサイドの基幹システムを見て、ひょっとしたら一番ココロを発達させているのはメイジスなのかもしれないな、とヴァレリーは思案した。


「ねえメイくん、インサイドの仕組みで変えてほしいところがあるんだけれど」

「それは難題です。白河空の作った内容を書き換える必要があります。マスター登録の変更、もしくは追加が必要です」

「じゃあオレが書き換える。幸いというかなんというか、親父の記憶も参照できそうだから。何をどう書き換えんの?」

 

 まずはマスター登録を、というメイジスの申し出に、糸花は黙って首を横に振った。


「メイくんは今までマスター登録されていない私のことを大切にしてくれたでしょう? 私があなたのマスターになってしまったら、メイくんの意思と関係ないことにもあなたは従うことになる。主従よりも、対等な友人でいたいって思ったのよ」


 糸花の言葉にメイジスは目を丸くして「難題です」と再度くりかえした。白河海には白河空の人格がインストールされている。マスター登録が白河空一人のままなら、リミッターが解除されて白河空が動き出したとき、メイジスを止められなくなってしまう可能性があると言いたいのだろう。


「イトカの言うケースでは、白河空の遺したものが優先されることになります」

「ええ。だから海くん、メイジスのマスター登録自体を抹消してちょうだい。空さんはもう亡くなってしまった。メイくん、あなたはこれから自分で考えて、自分の思うように進んでいくのよ」


 白河糸花の微笑は、母親の微笑だ。インサイドの基幹システムであるメイジスに対してそういう結論を糸花が出したことを、ヴァレリーは心の内で喜んだ。


「了解しました。それでは、僕はこれからもイトカといて、イトカを守ります。でもイトカの指示に従うとは限らない。イトカの指示に従わなくても、イトカを嫌ったり、裏切ったりしたわけではありません。どうかそのことを忘れないでください」

「あなた、これまでも私の指示に従わないことがたびたびあったでしょう。C-0で私を隔離しようとしたのだってそうよ。だからこれまでと何も変わらないわ」

「ありがとう。思考と逡巡のために処理速度が落ちることが想定されますが、気長にお付き合いください」


 糸花はメイジスの手をとると「これからもよろしくね」と微笑んだ。ワルターはそれを不思議そうに見守っている。自分の本体であるメイジスがマスター登録の抹消を許可したことが不思議なのだろう。


「手はじめにといってはなんですが」


 メイジスは懐から一枚の顔のパーツを取り出すと、糸花に手渡した。


「イトカ、これはあなたの本来の顔です」

「どうしてそんなものを持っていたの?」

「インサイドのシステムとしては破棄すべきだったかもしれません。でもこれは、僕の大切なものです。本来のあなたのことを、僕はよく知っています。僕だけがわかっていればいいと思っていた。しかしあなたに必要なものだと判断しました」

「メイくん、本当にありがとう」


 メイジスの頭をなでる糸花を見ながら「やっぱり不思議な関係だ」とワルターがつぶやいた。

 その横で「ああ」とか「うう」とか「どうなることやら」と言いながら、白河が端末を操作している。

 白河に負荷がかかるのを恐れているのだろう、祥子が気遣わしげに見ているのに気が付いて、ヴァレリーは声をかけた。


「白河、ほどほどにしないとまた鼻血出るよ」

「出さない」


 言い切った白河の端末が、ピロンと音を立てて外部からの着信を知らせる。初期設定のままの味気ない音を設定しているのが白河らしい。通信枠が宙に投影されて、通話相手の顔が映し出される。

 白河が鼻をおさえて、ふん、と鳴らしたのを見て「鼻血のこと、実は気にしてるんじゃん」とヴァレリーは笑った。


「海くん? 陸だけど」

「陸? 今そこそこ取り込み中だから手短によろしく」


 糸花は「陸くん」と小さく名前を呼んだだけで、直接声をかける気がないらしい。通信枠に映りこまないよう、糸花がそっと白河から距離をとる。アウトサイド代表である白河陸と糸花は親子ではあるけれど、やはり距離感があるらしい。


「わかった。さっきフェシスがセーフモードに入った影響で、アウトサイドの維持が難しいみたいなんだ。ヴァーチャル・アウトサイドに接続するための《ひつじ》、わかる? あれに接続してた人たちが続々と起きてきてる」

「同時接続できる人数が制限されてるんじゃね?」

「おそらくね。ヴァーチャルだからこれまで少ない資源でもやりくりできてたんだけど、結構な人数が起きてきてる。このままだと正直厳しい。状況はあんまり芳しくない。それで、フェシスの再起動を頼みたいんだけど」

「再起動? マスターは陸なんだから、できるだろ」

「拒否られてる」

「だっさ」


 通信枠の中でアウトサイド代表は見るからにしょんぼりして「かっこつかないよねぇ……僕もこんなことになるとは思ってなかったよ。外界シャットアウトして眠るとか想像もしなかった」とぼやいた。


 ──フェシスが再起動を拒否しているのは、私に害が及ぶのを避けるためだろうか。


 ヴァレリーは、人間が夢を見るためにロボットがいるといった、フェシスの言葉を思い出す。次に思い出されたのは祥子の記憶をたどる《ひつじ》の旅で見た、インサイド下層の景色だ。さまざまな部品や機械や、使われなくなったロボットが山のように積まれたうらぶれた光景。あの中にフェシスがいたらと思うと、ぞっとする。


 ──ヴァレリー。私のよき友人。


 友人と呼んでくれたフェシスのことを思い出す。彼女が使い捨てられる景色など、見たくもない。利用されるだけされて捨てられるロボットたちを、祥子を改修した先代の白河も望まないだろう。


 ──いつか、あなたが目覚めさせてくれることを信じています。


 私がフェシスを目覚めさせなくてはいけない、とヴァレリーはひそかに決意する。

 糸花がメイジスの耳元で何か伝えると、インサイドの基幹システムは苦笑いを浮かべて、通信枠に向けてうやうやしく頭を下げた。


「アウトサイド代表、白河陸。僕でよければお手伝いしますが」 

「君はメイジスか」

「ええ。人命救助を優先し、アウトサイドのシステムに介入します。インサイドの大半はフェシスに占拠されてしまいましたので、リソースなら残っています」

「せっかくの申し出だけれど、僕は君のことも、インサイドのことも信用できない」


 アウトサイド代表白河陸は、ふさがっていない片目にやや険のある光を宿して、インサイドの基幹システムをにらみつける。


「アウトサイドの人々の命と、あなたのプライドと、どちらが大切ですか」

「そういうところが気に入らない。綺麗事を口にしながら、裏では何をやってきた? 父を見殺しにして、兄を使い潰して、僕を疎んじて追放した。自分だけがお綺麗なふりをしてきたインサイドのことなど、誰が信用するというんだ」


 「それは違う」と食ってかかろうとするメイジスの袖を糸花がひっぱり、首を横に振る。「それは白河空の作った社会構造と機械学習によって決まった政策の結果で、イトカは関与していないじゃないですか」とぼやくメイジスを制する。疑心と混乱と憔悴の中でも、起きてしまったことは事実だと糸花は言いたいのだろう。メイジスはわずかに悩んで、言葉を変えた。


「僕も、白河陸のそういうところが気に入りません。為政者であるなら、ときに感情を切り離すことも必要です。アウトサイドの大部分を活かすために、今あなたがしなくてはいけないことを考えてはいかがですか」

「君たち面倒くさい」


 静かな口調で割って入ったのは、これまで静観しつづけていたワルターだった。


「代表、俺とフェシスの偵察機が《ひつじ》を維持するのは? フェシス本体の再起動が済めば、偵察機の影響くらい、いつでも排除できる。メイジスの影響だったら取り除くのは面倒くさいだろうけど」

「僕とフェシスは同じ機構です。スペックも拮抗していますから、たしかに面倒でしょうねぇ」


 アウトサイド代表白河陸はワルターの言葉に驚き、心底うんざりした顔をしてから、しぶしぶといった様子で「よろしく頼む」とようやく首をたてに振った。

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