1-3
帰還してファウストのエンジンが停止しても、ヴァレリーは操縦席から下りられずにいた。シートベルトを外し、ヘルメットを脱ぐ。額から汗が滑り落ちた。耐熱エラーを黙殺したこともあってか、異様に暑い。開け放った入口から冷たい空気が入り込んできたが、焼け石に水だった。愛機よりもわずかに狭い空間で、ヴァレリーは頭を抱えた。深緑のファウストがひっかかっている。
何故あんなところにあるのだろう。墜落した味方機だという可能性はあるが、機体に傷などはなく、ずいぶんと綺麗に見えた。
「よう、おかえり」
思考を遮る軽い声が聞こえたが、ヴァレリーは返事をしない。
「派手にやらかしたみたいだな」
その言葉で顔を出したのが白河だと気づいて、軽く右手だけをあげた。
「オレにもさっきの偵察の情報まわってきた。お前のことだ、どうせ話、聞きにくるだろう?」
鉛のように重い背中をシートから起こす。足をふんばって操縦席をまたいだ。
汗に濡れたヴァレリーの金髪を、保管庫の空調から送られるひんやりした風が乾かす。
「そうね。聞くわ」
「どうぞ」
白河にエスコートされてファウストから下りた。無言で格納庫のドアを開けて進むと、ヴァレリーの靴音がせまい廊下に反響する。音が二重にも三重にも聞こえるのは白河の靴音も混じっているからだろう。しばらく歩いて白河の部屋の前に到着した。
「どうぞ」
開閉センサーを押して白河が先に入り、ヴァレリーもそれにつづいた。
「どういうことなのか教えてちょうだい。あの深緑色の機体、ファウスト00Aよね?」
「アウトサイドの新型とかは興味ない……よなあ」
詰問するヴァレリーに苦笑して、白河は告げた。コーヒーをカップに注ぐ。話が長くなるとき、白河は必ずブラックコーヒーをいれてくれる。話の途中で自分が居眠りするのを防ぐ目的なのではとヴァレリーは疑っているのだが、今日はおとなしく従う。
……これから何を話そうとしているの?
ヴァレリーは白河から視線を逸らさないことに決めた。一挙手一投足に至るまで、とにかく全てを見逃してはならない。
「興味ない訳じゃないけど、深緑のやつの方がずっと気になる。あのファウストが撃墜された味方機とは思えない。無人索敵機が味方じゃないって認識したんだもの。正体不明機か敵機のはず。……インサイドとアウトサイドに国交はないでしょう。だったら、今現在メインで使われてる機体の設計図が敵に漏れてるってことになる」
アウトサイドの住民は地中への移動を嫌った民族の末裔と、地上に放置されたロボットたちだと、ヴァレリーは聞いている。そんな彼らが、国交や技術提供もなしに、全く同じ戦闘機を作ることができるだろうか?
「オレと愛に満ちた素敵な運動をするのと交換条件ってのはどう?」
「ぶら下がってる大事な貯蔵庫、クルミみたいに潰されたいの」
「こわっ、お前が言うとシャレにならん」
即座に鼻で笑って返すと肩をすくめられた。絶対に何か知っている仕草だ。紙コップを受け取って、ヴァレリーはコーヒーを一口を飲む。操縦した直後だからか、インスタントの割には美味く感じられた。唇を湿らせて時機が来るのを待つ。
「アウトサイドへの亡命者が乗っていったんだろ」
白河の口は重い。いつもなら頼まなくてもべらべらとしゃべる癖に。ヴァレリーは心の中で毒づいて、矢継ぎ早に質問する。
「じゃあ深緑色の機体に乗ってたのは誰? 私みたいに、ちょっとは名前の知られた人だったんでしょ? でなきゃあんな特殊なカラーリングにはしないよね。所属は? 階級は? 腕前は? 亡命したのは何年?」
「……ちょっと待て、頼むから」
往生際が悪い。次から次へと飛び出した質問に対する返事はそっけなかった。本当は話などしたくないから、なんだかんだとはぐらかそうとするのだろう。先ほどからろくに目もあわせないくせに、とヴァレリーが威嚇すると横目でにらみ返される。
「私に話そうと思ったから、わざわざ格納庫に迎えに来たんだよね?」
白河は手にしたコーヒーカップを揺らしている。小さな波紋ができて、ときどき白衣に小さな飛沫がはねる。シミになってとれないだろうなと思いながら、ヴァレリーは白河の返事を待つが、聞こえてくるのは「どこまで話せばいいのやら」「どういう順番で話せばいいかなぁ」とぼやく声だけだ。
「あーもう、まだるっこしいな。もういいよ、インサイドC-0に接続するから」
ヴァレリーは白河に見せつけるように不敵な笑みを向けた。
インサイドC-0には、インサイド政府機関の情報がつまったデータベースがある。開かれた政治が叫ばれるようになってから、いつでも情報を知ることができるシステムが確立された。もちろん政府も馬鹿ではないから、見られて困るものは置いていない。いつ、誰が、何を調べに来たのかをチェックするのも目的の一つだ。
「おっまえ……これ以上国に目つけられてどうすんだよ。ただでさえボーダー要塞には左遷されて来たんだろ」
「だって白河が教えてくれないんだもん。仕方ないじゃない」
「当たり前だ! お前はいつもいつもいつもいつも、危ないことに首つっこんでひっかきまわすだろうが! だからこっちも、慎重にならざるを得ないんだよ!」
白河相手におねだりしたところで効果はない。女好きが高じて左遷された彼は、色仕掛けにしっかり慣れている。やるなら脅した方がいい。長年のつきあいだけあって、その辺りは心得ている。
「知ってること、全部吐いてよ。そしたら楽になるよ?」
「……あのな」
「私のこと心配してくれてるのはわかるよ。でもさ、やりたいことやって死ぬなら本望でしょ? もやもやしてんの、いやなのよ。どうせ私、クローンだもの」
ヴァレリー・モーリスはクローン人間だ。クローン人間には、死を終わりだと意識しない者が多い。遺伝子の形状が全く同じように再生されたとしても、性格や考え方の全てが同じになることはありえないのだが、未来が確約されているというのは大きな安心感をもたらすらしい。生まれたからには誰でも死ぬが、クローンには続きがある。それが一般的なクローン人間の考え方だ。ヴァレリーの考え方もそれに近い。
白河の険しかった顔が、段々と複雑なものになる。苦虫を噛み潰したような表情だ。
「あんたが生殖法違反すれすれでここに左遷されたのと同じ。好奇心も本能。わかるよね?」
トドメの一言を発すると、白河の表情がげんなりした。
「私の勝ちね。教えてちょうだい」
ヴァレリーは腰に手を当ててふんぞり返る。反対に、白河の背は丸くなった。
「あのファウストに乗ってるのは、通称マサムネ。聞いたことないか」
思い出そうとするが、何度首をひねっても心当たりがない。観念して、ヴァレリーは首を横にふった。
「お前いくつ?」
「352年製」
数百年前、インサイドで自然生殖による子供の数が減った。歯止めのかからない少子化を受けて、クローン人間が多数作られるようになった。今や人口の半分は、過去の時代を生きていた人間たちのクローンだ。クローンが多数派になった頃からだったろうか、生年月日を何年製といった形で表現するようになった。その言い回しは最初こそ馴染まないと反発する者もいたが、今や広く使われる言い回しになっている。
「352年生まれね。そりゃ知らないだろうな」
「生まれ、って……」
それ、いつの時代の言い回しよ? と口を開きかけて、ヴァレリーは飲み込んだ。茶化して白河の年齢など聞いたところで、聞きたいことの核心から逸れていくばかりだ。
夜が近い。太陽代わりの照明がだんだんとしぼられている。白河もそれに気づいたのか、室内用の照明をつけた。白い光が部屋の隅々まで照らし出していく。白河は言葉を選んでいる。あまり語りたくないのだろう。ゆっくりと切り出した。
「マサムネはインサイド初代総督の次男だよ。280年頃、当時要人専用だったファウストに乗って国外逃亡し、アウトサイドを作り上げた。要するにアウトサイドの初代代表だな。だから彼のファウストはあんな場所にあるわけ。ま、以前インサイドにいたことは歴史から抹消されてるから、当時生きてた奴らしか知らないだろうけどね。生きてたとしてもそのほとんどが記憶操作されてるから、覚えてる奴の方が少ない」
「……ねえ、それを知ってるあんたは何者?」
先ほどの緊迫した様子から一変して、白河の表情が穏やかになる。普段から親しくしてはいるが、互いの過去など話したことはなかった。いまさらだが、目の前にいる開発者は得体が知れない。
「オレ、初代総督の長男」
思わずその場に崩れ落ちたくなるほど脱力する笑みを浮かべて白河は言った。
「ずいぶん長生きしてるのね……」
ヴァレリーのためいきに、笑い声が返ってきた。
「五歳だけど?」
「はあ? じゃあクローン人間ってこと? 倍速成長が使われてるの?」
インサイドでは人間、クローン人間、サイボーグ、ロボットが共存している。人間とクローン人間の寿命は百年ほど。人間は死んでしまえばそこで終わるが、クローンは再生される。インサイドでは一定以上の能力をもつ者をクローン技術によって復活させることが当たり前になっている。
「そ。長男だけどあんまり出来がよろしくないから、開発のできる年齢まで倍速成長させられるクローンってわけ。本当なら、総督関係者はそれなりの待遇を受けるんだけどさ、悲しいことにオレくらいの開発者はごろごろしてるんだよね。まあ、でも優秀すぎたら仕事が一点に集中して、今よりもっと徹夜続きになるかなあ。女の子に声かける暇がなくなるよりは、ずっとマシかも」
関係ない方向に話を進めだした白河を凝視する。彼はヴァレリーを見ることなく、視線をそらした。明らかに話を終わらせようとしている。深緑のファウストのパイロットが誰かわかったのだから、もういいだろうと言いたいのだ。
国外逃亡するなんて正気の沙汰じゃない、とインサイドの住人たちは口をそろえて言うだろう。けれどもヴァレリーは、マサムネが亡命した理由を想像できないこともない。
話を終わらせてたまるもんか。
ヴァレリーは白河の言葉から疑問を見つけ、再び投げかける。焦ることはない。少しずつ核心に近付いていけばいい。
「クローン以上の待遇があるんだ?」
ヴァレリーの追求に白河の表情が固まる。いつもの白河なら「そこに戻るのかよ」とでも言うだろう。今日は大人しく、コーヒーカップを机に置いた。
「……全身サイボーグだよ」
「サイボーグ? あれって心臓が止まったら、そこで終わりじゃないの?」
サイボーグは機械のパーツを含む人間のことだが、生身の部分が死んでしまえば、機械がそのまま使用できる状態であったとしても死亡したと見なされる。
「全身機械なんだよ。心臓まで、全部」
ヴァレリーはまばたきをくりかえした。簡単に想像ができなかった。白河は真面目な顔で、余計なことを話さないよう、最小限の答えを用意しようとしている。
「ちょっと待って。さっぱりわかんないよ。そこまでいくとロボットとどう違うの?」
インサイドでは重労働や危険な労働はロボットたちに任されている。人間と区別がつかないほど進化してもなお、ロボットは虐げられていた。数種類の感情パターンをもったロボットが生産されるようになっても、扱いは変わらない。
「感情パターンが統一されてるのがロボット。個体で違うのが全身サイボーグ」
「……よくわかんない」
「例えばさ、オレが女の子を口説いたとしよう。ロボットの子に花束をあげたら『海さん、素敵』って、みんなときめいてくれるわけ」
白河が椅子から立ち上がって、両手を広げた。
「なにそれ、自慢したいの?」
ヴァレリーが冷ややかな視線を投げた途端、白河は両腕を投げ出してため息をついた。
「ちがうって。同じ型の子は、同じ行動でときめいてくれるってことだよ。でも全身サイボーグはそうじゃない。『花束よりダイヤがいい』って子もいるし、『食べられるものがいい』って子もいる。わかる?」
「なんとなくわかった。考え方がそれぞれで違う、ってことね」
「そうそう。個体差が大きいんだよ。基本的には世界に一体のオーダーメイドだからね。隼たん、よくできました」
頭を撫でる手を、払いのけることはしない。いつもなら即座に払いのけて怒るところだが、今は考えることが多すぎて手がまわらなかった。知恵熱が出そうだ。
ヴァレリーは黙りこんで、一度頭を整理することにした。
インサイド政府が成立したのはちょうど000年だ。
初代総督の次男であるマサムネが国外逃亡して、歴史から消されたのが280年頃だという。
ヴァレリーは指を折り計算する。
よぼよぼのおじいちゃんがファウストに乗って亡命……なんて訳ないか。
マサムネは通常の人間ではないと考えるのが妥当だろう。そうでなければ、280歳まで生きられるはずがない。さきほど『総督関係者はそれなりの待遇を受ける』と白河が言った。深緑のファウストも、有害光線の多いアウトサイドに百年も放置されていたとは思えないほどきちんと整備されていた。マサムネは今も生きていると考えて間違いないだろう。
「マサムネは心臓までサイボーグ?」
「半分クローンで、半分サイボーグ」
ヴァレリーは頭の中を整理するが、今の状態でもかなり混乱している。
「クローンじゃ100年以上はもたないでしょ?」
「部分的なクローニングで、定期的に部品交換」
そうまでして生きていたいものだろうか、とヴァレリーは首をかしげる。瞬間に生き、戦場のスリルを楽しむ隼にはあまり理解できることではない。
「じゃあインサイド総督は全身機械だ?」
たずねるヴァレリーに、白河は黙ってうなずいた。大量の謎から正解を導き出した快挙ににぎりこぶしを作ったところで、ヴァレリーははたと動きを止める。
「じゃあ総督が交代する必要、ないじゃない」
「あれはメンテナンスのときに、顔の部品だけ変えてるんだよ。中身は同じ」
「ずるい!」
思わず紙コップを握りしめてコーヒーをこぼした。白河は慌てず、リモコンで掃除ロボットのスイッチを入れる。部屋の隅にいた小さくて丸い円盤がヴァレリーの足元にやってくる。ロボットはずずず、と音をたてて床のコーヒーを吸い込んだ。すぐにモップで床を洗い、ていねいに拭いて消臭剤を撒く。
「あれ? じゃあもしかして、この戦争ってただの親子喧嘩ってことにならない? マサムネはアウトサイドの代表で、インサイド総督の次男なんでしょ? だからインサイドはアウトサイドより優位に立ってるはずなのに、本格的な攻撃をしないの?」
「……隼たん、刑事に転職した方がいいんじゃないの?」
「教えてくれるよね?」
「いいけど、C-0には接続しないって約束しろよ」
「教えてくれたらね」
笑顔のヴァレリーを置いて、白河がデスクに向かう。電源を入れ、盤上で骨ばった指を躍らせる。画面に写ったのはデータベースであるらしい。
「何これ」
「過去のオレの記憶」
画面一杯に広がった情報は、ヴァレリーに衝撃を与えた。
「ちょっとまってよ……いくつあるのよこれ」
「今のオレ本人に自覚はないけど、何回も生まれて死んでるみたいだよ。自殺とか他殺とか、物騒なんだよねえ。だからクローン再生された回数も多いんじゃない? で、何が知りたい?」
ふり返った白河の目を見て、ヴァレリーは考える。世界の謎に対する好奇心は泉のように湧き出てきたが、何を知りたい? ときかれると、何から聞けばいいのか困る。機密を簡単にしゃべる男を頭から丸々信用するのは怖いが、最初に知りたかった情報はもうほとんど得られた。
「何が知りたい?」
白河が画面上の右から左まで、視線を走らせながら問う。ヴァレリーは喉をかきむしりたい気持ちになった。今を逃せば、きっと情報は得られない。命令に沿ってファウストを乗りまわして、ときどき手に汗握るスリルを味わう、普段どおりの生活に戻る。休日は疲れから寝てばかりで、いつのまにか銀行にたまった給金を、ときどき派手に使うような、そんな生活に──。
本当に、それでいいの? 戦争の原因を、知らないままで?