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開け放たれた扉の内側で、ヴァレリーはためらった。
突然信じろと言われても困る。肩からすっかり力を抜いて、はぁ、とため息とも気が抜けた返事とも取れる声を出した。
ワルターはというと顎に手をやって思案している。そうして、うん、とうなずいた。
「今、俺はメイジスの監視下にない」
「私の心、読んだの?」
眉をはね上げたヴァレリーに、ワルターは首を横に振った。
「読まない。顔、見たらわかる」
「そんなにわかりやすいかなぁ」
ぼやきながらも、灰色の部屋を後にするワルターに従う。天井の明かりがまぶしかった。空気が流れているのが気持ちいい。
ゆるやかなカーブを描く廊下を走りながら、いくつか気になることを尋ねた。靴音に紛れないよう、腹から声を出した。
「私のこと、騙してるの? 意識不明だったのに」
直球の問いに、ワルターは小さく笑った。
二つの足音が廊下を進むたび、格納庫への扉が開いていく。壁に開閉ボタンがあるが、押す必要はないらしい。すべてワルターが開けているらしかった。
「騙してない。ロボットはあんな初歩的な操縦ミスはしない」
「それって結局騙してたってことなんじゃない?」
頬をふくらませたヴァレリーの靴の踵が、床に当たって甲高い音をたてる。幽閉されていたときに壁を殴りつけた右手が痛んだ。
「俺の目を通して、メイジスが君を監視しないようにしたかった。眼鏡かけてみたけど、ダメだった」
「そのための眼鏡なの……?」
「うん」
呆れた。そんなことぐらいすぐにわかりそうな気がする。それを大真面目な顔でやってしまうワルターは、かなり抜けている。久しぶりの笑いがこみあげてきて、ヴァレリーは拳を唇に当てた。堪えきれない。
「ちゃんと遮光眼鏡だったのに、ダメだったみたい。それならこの体を破壊するのが一番手っ取り早い。だからわざと爆発に巻き込まれた。フェシスの救出が意外に素早くて失敗したけど」
先ほど笑いを堪えたのも忘れて、ヴァレリーは足を止めた。笑いは一気に冷めて、ふつふつと怒りがわきあがる。ワルターの胸倉をつかんで引き寄せた。
「自分を破壊するとか、やめてよね。私がどれだけ心配したと思ってんの?」
赤い髪のシステムは珍しく嫌そうな顔をした。ヴァレリーは臆することなく、眼鏡越しに茶色の瞳をにらみつける。
「ねぇ、もう絶対そういうこと、しないで。置いていかれる方は辛いから」
置いていかれるのは嫌だ。だから今からインサイドに乗りこんで、伊庭祥子を連れ戻すのではないか。
殴ってでも、連れ戻す。言い訳なんてさせない。たとえ手遅れだろうと行く。
ヴァレリーの瞳がわずかに潤む。怒りの表情が涙を堪える表情になったのに気付いて、ワルターは視線を逸らした。
「わかってる。だから君も、レイリーと同じ顔で悲しい顔をするのはやめろ」
珍しく自分の気持ちを見せたワルターに、ヴァレリーは胸倉を握りしめた手のひらから力を抜いた。
レイリーの名を聞いて、妙に納得がいった。フェシスとファウストを作った科学者は、メイジスの製作にも関わったのではないだろうか。
「……そっか。それで助けてくれたの?」
「違う。君がこの世界全体のアウトサイダーだからだ」
「ハァ!?」
すっとんきょうな声を上げたヴァレリーに、赤い髪のロボットは走るよう促した。確かに今は、一刻を争う。ヴァレリーが駆け出すと、廊下の先に見える扉がタイミングよく開いた。
「白河空の計画から切り離された不確定因子。要はウイルスだ」
「ちょっと待ってよ……わけがわからない」
蛍光灯が目の端でちらついたのに反応して、ワルターが瞳の色を金色に変える。
「ごめん、フェシスの妨害が入った。くわしい話は後で。格納庫までの管制権は俺が奪ってあるけど、気をつけて」
ヴァレリーは黒髪のシステムを思い出す。彼女と違って、ワルターから処理を進める音は聞こえない。
──フェシスは私を守ろうとして、代表の命令に従ったんだ。彼女が悪いわけじゃない。
わかってはいるが、自分の選択を受け入れてくれなかったことが悲しかった。相手が誰であっても、ずっと一緒に歩いていけるわけではない。それはわかっているが、ヴァーチャル・アウトサイドではいつでも一緒にいた。だから少しだけ、フェシスがいないことに慣れない。
背後の扉がおそろしい勢いで閉まる。フェシスとワルターがどういう攻防をしているのかはわからないが、今のところどうにか進めるらしかった。
「ワルターって、見かけによらず過激なのね」
沈みそうになる気持ちを、軽口を叩くことでやり過ごす。
「君よりましだ」
軽口に返事があることがうれしくて、ヴァレリーは笑った。けれども笑みは歪んだ形にしかならない。すっきりと笑うには、まだ気になることが多過ぎる。
格納庫の扉が目の前で開いて、空気の流れが変わった。前のめりに手すりにつっこんで、ヴァレリーは短く息を吐き、呼吸を整えた。
目の前の格納庫には、青い機体がある。
灰色のはずの機体を空と同じ青に塗った、ヴァレリー・モーリスの専用機。言葉が出なかった。
感動の再会に震えるヴァレリーの横で、ワルターが着々と準備を進めている。ワイヤーロープの端についたフックをセットして、強度を確かめる。
「ヴァレリー」
声に頷いて、ベルトにロープを固定する。手すりを乗り越えたヴァレリーが一歩ずつ確実に降りていく隣で、ワルターはロープもつけずに上から飛び下りた。
「ありえない!」
「人工筋肉の開発は飛躍的に進んでる」
しなやかに着地する音がして、ヴァレリーも降下を急ぐ。いくら軍人であってもロボットに身体能力で勝てないことは、よく知っている。悔しいが仕方がない。何度も鉄の壁を蹴って、下へと降りた。
「迎撃隊はいない。出撃準備をしておく」
ワルターがファウストに立てかけられた階段を三段飛ばしで上がる。彼が操縦席に入ったところでようやくワイヤーロープを外すところまで来たヴァレリーは、あわてて後を追った。
「何してんの?」
階段を上りながら声をかける。がちゃがちゃと不審な音がする。
「脱出用ポットのふたを開けた」
「開けてどうすんの?」
「俺が座る」
操縦席の後ろでこじんまりと座るワルターの姿を想像すると、なんだかおかしい。このロボットは突然予想もしない行動をとる。急に親近感がわいた。
「変なの」
つぶやいて操縦席に目を向ける。せまいスペースに、正面と両脇の液晶画面。懐かしい景色が目の前に広がっている。脱出用ポットの中に座ったワルターが耳やこめかみに電気コードを何本も接続しているが、それ以外は見慣れた愛機の内側だ。
ヴァレリーは操縦席に滑りこむと同時に、電源を入れていく。椅子に置いてあったヘルメットをかぶって扉を閉めると、外の光が遮断される。目が慣れる前に、次々とシステムを起動させていく。
ヘルメットごしの視界に色とりどりの光が映りこむ。作動を知らせる電子音がつづいて、ヴァレリーは大きく息を吸い込んだ。ファウストが起動するまでの時間は、集中するのにちょうどいい。
目を閉じて数えるうち、意識が次第に隼へと切り替わる。
命令などなくとも動ける。迫り来る死の恐怖も踏み越えて行ける。
ヴァレリー・モーリスはパイロットだ。
──それが、私のプライドだ。
今ここにいるのは、レイリー・モーリスでもなく、これまでクローン再生された何人ものヴァレリー・モーリスでもない。アウトサイドにまでやってきたヴァレリー・モーリスは、自分ただ一人だ。
正面画面が切り替わる。格納庫の扉が開くのが見えた。
「ヴァレリー!」
左の液晶画面にフェシスの姿が映し出される。黒髪のシステムは頬を上気させ、メイジスの偵察体に負けた屈辱に唇をわななかせた。
「ごめん」
たった一言ですべてを察したフェシスの表情が悲痛なものに変わる。誘導灯のずっと向こうに、外界の白い光が見えた。フェシスが開けてくれたのだろう。
「フェシス……いいの?」
「いいはずがないでしょう。それでも行くと言うなら、私はあなたを止めない。止められない。けれど、必ず生きて帰っていらっしゃい。死んだら承知しません」
水色の瞳にこめられた愛情と殺気に、ヴァレリーはたじろぎながらもうなずいた。
「ワルター。ヴァレリーを死なせたら許しません。もしものときはあなたが身代わりになりなさい」
「ああ」
物騒だなぁと頭をかこうとして、ヘルメットに邪魔された。
「インサイドに行けば、メイジスからの干渉が入るはずです。ワルター、私のデータを一部転送します。あなたがたインサイダーの言う前時代的な、近接戦闘対応データを含みますが」
トゲのある物言いをしているが、フェシスなりにワルターを認めているらしい。そうでなくてはデータを渡さないだろう。
「助かる。防壁ブロックに三箇所穴を開けた。3284……」
「知っています。あとは5360と9048でしょう。現在修復中です」
ワルターの言葉をさえぎって、フェシスがモニタ越しににらみをきかせる。ヴァレリーは自分がにらまれているようで落ち着かない。
「すまない」
謝ったワルターに、フェシスはさらに表情を険しくした。
「メイジスのメインシステムを誤作動させて私を足止めするなんて卑怯です。しかし相手があなたでよかった。今から対策プログラムを作っておきます。次は、負けませんから」
「了解した」
薄く笑ったワルターを見届け、フェシスは「いい旅を」と通信を切った。
正面画面に目を移すと、オレンジ色の誘導灯が次々と灯るのが見える。
「行くわよ」
唇をなめて操縦桿を握る。ブレーキを外す。アクセルを踏みこんで、慣性の法則にしたがって発生した衝撃に耐える。
青い戦闘機が前進するにつれて、重力がかかった。腹に食い込むベルトの痛みを堪えて、正面を見据える。格納庫を出ると一気に暗くなった。オレンジの誘導灯が繋がって見えた。
空は、もうすぐだ。




