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3-3

 人々の眠る《ひつじ》がずらりと並ぶリアル・アウトサイドの景色を見たのは何日ぶりだろう。ヴァレリー・モーリスはヴァーチャルから醒めきれずにふらつく頭を左右にふって、《ひつじ》の屋根をくぐった。

 先ほどまで口論していたフェシスは、リアル・アウトサイドにはいない。久しぶりの運動に身体が軋むような思いがした。隅々にまで力を行き渡らせ、深呼吸をし、《ひつじ》にぶつからないように気を使いながら歩く。


「おはよう、ロリ子ちゃん」


 《ひつじ》の群れを出た先から、万人を揶揄する、どこか気の抜けた声がした。


「眠り姫様にはご機嫌麗しゅう。ヴァーチャル・アウトサイドでは色々と、ご活躍だったようで」


 伊庭祥子に関することを、フェシスが代表に隠してまで調べたことが思い出される。ヴァレリーは言葉に詰まりそうになったのを無理に飲み込んで、白河陸をにらみつけた。


「祥子さんが今どうなってるか、知ってる?」

「もちろん知っているよ。余計なデータはすべて破棄して、戦闘のためだけにすべての機能を使っている」


 感情の起伏のない淡々とした声に、ヴァレリーは凄みをきかせる。


「これから先、どうなるかも?」

「派手に暴れているし、破壊されるだろうね」


 重責を背負うアウトサイド代表を、自分のような小娘がにらみつけても効果がないのかもしれない。けれども真っ向から視線を返されると、威嚇にすらなっていないようで悔しい。唇を噛みたくなるのを我慢して、奥歯を食いしばった。


「どうして助けないの?」


 ヴァレリーの詰問に、代表はわずかに頬を吊り上げる。


「フェシスに言われなかった?」


 ぞくりと背筋が粟立つ。ヴァレリーは荒くなる呼吸の下で切れ切れに息を吸い込んだ。白河陸の背後には、ヴァーチャル・アウトサイドの様子を映す液晶画面がずらりと並んでいる。その中の一つにフェシスの姿が映っていた。


「インサイドが遠すぎるって言うの? だったら、今すぐにでも行かなきゃ、余計間に合わなくなるでしょ?」


 眼帯で片目を覆った代表の顔から、険が消えた。きょとんとした様子に続いて、ふ、と鼻から短く息が漏れる。


「フェシスはそんなことを言ったんだ? 面白いね。システムが人を気遣って、真実を伝えないなんて。なら、僕が本当のことを言うべきかな。困ったシステムだね、主に憎まれ役を押し付けるなんて」


 やれやれと小さく肩をすくめて、背後に近付いていた給仕ロボットに飲み物はいらないと告げる。視線で「君は?」と注文を促す陸に何も返すことができず、ヴァレリーはただ自分の胸元をつかんだ。

 フェシスが隠した真相には、薄々感づいている。若いながらもエースパイロットと呼ばれた身だ。


「伊庭祥子を助けないのは、アウトサイドにメリットがないからさ。君の言う通り、ファウストで飛ばせばひょっとしたら間に合うかもしれないね。でも彼女は役目を終えた、ただのロボットだ。危険を冒して助ける価値が、彼女にあると思う? 廃棄寸前のロボット一体に大勢の人間の命を賭けるなんて、僕にはできない。こう見えてもアウトサイドの代表だからね」


 代表の理屈は痛いほどわかる。それが権力を持つ者としての当然の判断だということも理解できる。それでも納得することはできなかった。


「だったら私が一人で行くわ。それなら問題ないでしょう?」


 金髪の少女の喉を駆け上がった感情的な言葉を、白河陸はあっさりと退けた。


「あるよ。君はファウストに乗って行くんだろう? インサイドへ戦闘機を出すということは、アウトサイドが国境を越えるということだ。総攻撃の口実にされるからね、迂闊な行動はできないよ。今の伊庭祥子に、それだけのリスクを負ってまで助ける価値はない。冷たいようだけれど、それが大人の判断ってものさ。海君を迎えに行くならまだしもね」


 言われなくても、返ってくる答えはわかっている。けれども、祥子のために何かをせずにはいられない。何もしないでいる自分が許せない。ファウストに乗って操縦桿を握れば、こんな思いにふたをすることができるのかもしれない。けれどもファウストから下りたヴァレリーは感情の塊だ。封じていた気持ちを爆発させて怒り、笑い、ときには沈む。


「もうあんたには頼まない!」


 格納庫へ向き直ったヴァレリーの腕を、白河陸がつかむ。眼帯に覆われていない片目が鋭さを増していた。


「行かせるわけにはいかない」


 《ひつじ》のずらりと並んだ部屋に、硬い声が響いた。びりびりと殺気が伝わってくる。背骨の上を冷たい汗が落ちて、身体がすくむ。肉食動物に見入られた獲物のように、抑えようのない恐怖が満ちる。今のヴァレリーに抗う術はない。


「……大体、君は彼女に裏切られたんだろう? それを助けようなんて、ずいぶんお人よしだね」


 呆れたような声は、いつもと同じ気の抜けた声だ。それが罠だとも知らず、ヴァレリーは少しだけ安堵した。


「祥子さんは白河を守りたかっただけ。私も白河を助けられたらって思ってる。だから──」

「だから敵じゃない。そういうことか」


 にやりと笑った白河陸がうしろの液晶画面を振り返る。荒れた大地に立つフェシスの姿が映っていた。


「フェシス、君も《ココロ》を作動させたみたいだね。今の君は、僕よりロリ子ちゃんを取るんだろうな」


 黒髪の少女が白河陸に厳しい目を向ける。ヴァレリーはそこでようやく鎌をかけられたことに気付いた。迂闊だった。フェシスは伊庭祥子の記憶を追体験することを、白河陸に隠していると言っていたのに。


「でもロリ子ちゃんが命の危険を顧みず、インサイドに戻ると言い出したらどうする? フェシス、君は格納庫の扉を開ける? それとも僕に従って、彼女を幽閉する?」


 幽閉という言葉に目を剥いた。白河陸の声が鋭さを増す。全身が萎縮していくのから逃れるように身じろぎする。自由を奪おうとする手を振り払う。失敗する。もう一度挑む。失敗する。フェシスへ助けを求めると、ふいと視線を外された。


「従います……マスターに」

「……だってさ。ごめんね、ロリ子ちゃん」


 アウトサイドに来たばかりの頃に通った灰色の廊下を過ぎ、部屋に案内される。四方から灰色ばかりが襲ってくる部屋には、ベッドしか見えない。ヴァレリーは憎憎しげに代表を見上げたが、軽く流されて部屋に放り込まれた。瞬時に扉が閉まる。拳を固めて振り返ったとき、扉横の小さな液晶画面に光がともって、白河陸の姿が映った。


「伊庭祥子の破壊が確認されたら、君も自由の身に戻れる。それまでの辛抱だ。鍵はフェシスに任せてある。フェシスが許せば扉も開くよ。でも逃げられるとは思わない方がいい。ああそうだ、海君なら僕が迎えに行くから心配いらない」


 一方的に告げられて映像が切れる。ヴァレリーは呆然と腕を投げ出した。よろめくようにあとずさって、ぺたりとベッドに座りこむ。

 自分にできることは何もない。できることはやった。

 伊庭祥子のために何かしたい。彼女を助けたい。

 そんな思いとは裏腹に、死地に行かずに済んだことを喜ぶ気持ちがあるのに気付いた。まさか、と頭を振る。否定すればするほど、死なずに済んだという思いが胸の奥底からじわりと広がって、ヴァレリーに安堵をもたらす。ヴァレリーはクローン人間であるがゆえに、これまで死を恐れる感情とは無縁だった。

 慣れぬ感情に戸惑う前に、嫌悪感があふれて処理しきれなくなる。


 ──汚い。


 静寂まで、ちくちくと自分を責めるように刺さる。喉が渇いて声がひっかかった。


「出してよ……」


 呟いた瞬間、両腕に鳥肌が立った。臆病な心を押しこめるように、両腕をまわして自分の身体を抱きしめる。

 ただ黙って震えているだけの人間に、一体何が待っているというのだろう。この部屋から出ることさえできれば、ファウストに乗ることさえできれば。


「フェシス……聞こえてるんでしょう? 出しなさいよ……ここから出しなさいよ」


 ファウストさえあれば、ヴァレリーは大空を駆ける本来の姿に戻ることができる。空を飛ぶこともできず、自ら進む道を選択することもできないなら、国の保護機関にいる隼と同じだ。やがて翼は劣化し、羽ばたくことができなくなる。


「出して」


 扉へ駆け寄って灰色の金属製の扉に拳を叩きつけ、わずかな継ぎ目に爪を立てる。激情のままに叫んだ声がかすれ、瞳に狂気と攻撃性が宿る。


「出せ! 私をここから出せ!」


 金色の髪を振り乱して、液晶画面を殴りつける。拳に走った痛みに、ヴァレリーは動きを止める。乱れた呼吸の合間で声を絞り出す。


「出しなさいって、言ってるでしょ」


 フェシスからの返事はない。


「今すぐここから出しなさいよ! 出せ! 出してよ!」


 壁に見事な上段蹴りが入って、つづけて真っ直ぐ放たれた拳が画面にひびを入れた。


「誰でもいいから、私をここから出せ!」


 徐々に整合性のあった動きに乱れが生まれる。青い瞳を見開いて拳をにぎりしめ、ふりあげる。拳が何度も往復するうち、画面が割れて欠片が落ちる。わずかに残る画面に歪んだ映像が映った。


「俺でもいいなら」


 歪みきった映像はノイズがひどい。画面自体も断片的でよくわからない。じっと見つめるうち、赤い髪が見えた。ヴァレリーは今にも殴りかかろうと引いていた拳を下ろし、肩で息を繰り返した。


「誰……? ワルター?」


 画面の向こうで眼鏡の青年がこくりとうなずく。


「俺でもいい?」


 画面のこちら側でヴァレリーは小さくうなずいた。

 無表情なワルターがほんの少し、頬に笑みを刻む。茶色の瞳が金色に変化して、すぐに扉が開いた。流れこんでくる風が心地いい。


「……ありがと」


 ワルター・ミュラーはインサイドのシステム、メイジスの偵察型だ。そんな相手を目の前にして身構えたヴァレリーに、気遣わしげな声が届く。


「信じられないなら、行くのをやめるけど」

「行くわ……聞きたいことは色々あるし、あなたのことを完全に信じたわけでもないけど」

「信じてくれていいよ。俺は君の味方だから」

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