3-2
《以上で追体験プログラムを終了します》
灰色の廊下を食堂に向けて進んだ祥子がこれから何をするのか、ヴァレリーはよく知っている。瞳を閉じると祥子の身体から引き離される感覚が伝わった。椅子の上に落ちるような感触がつづく。映画館の銀幕にフェシスの顔が映った。
《アクセスを終了しました。ご利用ありがとうございます》
事務的な言葉が終わると同時に、周囲の世界がヴァレリーの両手に収束していく。のけぞった次の瞬間には、目に映る世界が丸ごと変わっていた。
「うわ……」
「いかがでしたか?」
眼前に現れた通信枠からフェシスが尋ねた。祥子の暴走の原因を伝えようとして顔を上げたところで、ヴァレリーはフェシスの表情が曇っていることに気付いた。よく見れば、眉をかすかにひそめている。画像に小さなノイズが入った。
「フェシス? 何かあったの?」
「申し訳ありません。祥子からの干渉が……」
ノイズの合間に文字が躍る。通信枠の内側でちらつく文字は、ノイズに紛れて読みづらい。ヴァレリーは目を凝らして必死に言葉を読む。
──おく……る? 送る? 一体何を?
フェシスの映像が一瞬乱れて元に戻る。ひそめられた眉はそのままだ。ときおり目を細めて、耳障りな音を嫌うような仕草を見せる。
「フェシス、大丈夫?」
「ええ。ただ、祥子が私との接続を解除しています。じきに私が干渉できなくなってしまう。すぐにヴァーチャル・アウトサイドへ戻る支度をします。ヴァレリーも用意してください」
「祥子さんが接続を解除? どうして?」
フェシスの言葉に割り込んだ。青い世界はヴァレリーが来たときのままで、危機が迫っているようには思えなかった。恐らくフェシスが死守しているのだ。
「下位プログラムが接続を解除するのは、自身が捕縛、あるいは破壊されるのを予期したときです。自らの全データを削除し、敵対者が私やアウトサイドに接続する危険を排除します」
言葉の内容がすんなりと頭に入ってこない。胸にわきあがったいらだちもそのままに、ヴァレリーは叫んだ。
「もっとわかりやすく説明して!」
本当はフェシスの言葉の意味がわからないのではない。内容を信じたくないのだろう。
「祥子は現在インサイドの守備隊と交戦中。彼女は……人間にたとえるなら、死を予期しています」
要求通りわかりやすく説明したフェシスの言葉に絶句する。
死──。
アウトサイドに来て、その言葉が一体どれほどの重みを持っていたのか、段々とわかってきたような気がする。クローンには続きがある。何度死んでも新しい自分が生まれ、その穴を埋める。そう思ってきたヴァレリーにとっては大きな衝撃だった。
ヴァレリーは身体の奥からわきあがる怒りに任せて、通信枠につかみかかった。
「どうして! 一体何のために!」
そんなことは、わざわざ聞かずとも知っている。伊庭祥子が命を懸けるのは白河海のため以外に考えられないではないか。
「私には判別できません。恐らくココロの作動だと思われますが……既に祥子への接続は断たれています」
「祥子さんを助けてよ!」
怒りのままに叫んだヴァレリーに、フェシスは冷酷に首を横にふった。
「インサイドは、遠すぎます」
思わず通信枠につかみかかる。ときどき震える手のひらには、まだ祥子の人生を追体験したときの感覚が残っている。
「ばか、ばか……ふざけんな……」
白河海に見せられた画面の中の自殺という文字、医療用ベッドに横たわったワルターの姿、自分が撃墜した戦闘機。脳裏をよぎる映像は、すべて死の臭いで繋がっている。
震える手のひらに力をこめて、通信枠を小さく殴りつける。仮想空間のものなのに、なぜ触れるのだろう。ヴァーチャルなもの同士は接触が可能だということに気付いたヴァレリーは、すぐさま書庫に駆け寄った。ずらりと並んだ本棚から、本となった祥子の記憶を引きずり出す。何冊も抱えて、ついには抱えきれなくなった。本が青い床の上に散らばっても、まだやめない。新たな本を本棚から抜き出す。
「ヴァレリー?」
「祥子さんの記憶、私が持っておくの! そうしたら、祥子さんが帰ってきたときに、記憶を消去してたって見せてあげられるから!」
「……わかりました。バックアップは私が取ります。ですからあなたは一刻も早く、ここから退避してください」
両腕に抱えられるだけの本を抱えたヴァレリーに、フェシスが淡々と避難を勧める。隼と異名をとる少女は、これ以上自分にできることは何もないと悟って、「お願い」と小さくつぶやいた。
ヴァレリーの腕の中からすべり落ちた本が、床に落ちて開く。白いページが露わになった。蜃気楼のような幻が本から立ち上って、通信枠が姿を見せる。中に伊庭祥子が見えた。
メイジスとの戦いの最中に使っていたのと同じように、短刀が青白い光に包まれて長く伸びている。敵に駆け寄り、斬りつけてはまた別の敵に対峙する。銃声に一度体勢を整えるべく退いて、灰色の壁の後ろに身をひそめる。ヴァレリーの見知った顔が、祥子の隣にあった。
「白河!?」
金髪の科学者は明らかに不機嫌だ。
《白河博士、あなたはアウトサイドへ逃げてください。格納庫にファウスト02A改があります。アウトサイドには連絡しておきます》
《それで恩に着せたつもり? こっちはあんたのやってることに巻き込まれただけだ》
容赦ない言葉が祥子に向けられる。ヴァレリーはすぐさま白河にビンタの一発でもくれてやりたい気持ちになった。
偵察型ロボットは気弱な笑みを浮かべて《これが今、私にできる精一杯です》と言った。そこにどれほどの思いがあるのか、祥子が何のために全てを賭けているのか、白河はさっぱりわかっていない。
《ヴァレリー・モーリスによろしく》
祥子の言葉を、白河が鼻で笑った。ヴァレリーの記憶を奪った癖にと言いたいのだろう。瞬時に灰色の壁が度重なる銃撃に崩れ落ちて、白河は黙った。祥子は左胸のポケットから小さな記憶媒体を取り出して、白河に渡す。
《遠距離攻撃用プログラムです。ファウストにこのプログラムをインストールして、システムを立ち上げてください。そうすればアウトサイドまで、無事にたどりつけるはずです》
白河はじっと祥子をにらみつけ、やがて小さく笑った。
《オレが女の子見捨てて逃げる男だと思う? たとえ嫌いでもあんたは女だ。それでオレは男》
ズボンのポケットを漁って銃を取り出し、弾倉を確認する様子が映し出された。安全装置を解除すると、灰色の壁からそっと敵の様子を伺う。二、三発撃っては隠れ、うへぇと口をへの字にする。ヘタクソ、とヴァレリーは目の前の光景に毒づいた。
《白河博士──私は女性ではないんです。ロボットだから》
《知るか! 胸があって骨盤が広けりゃ女だ! 今さらややこしいこと言われたって……》
儚げな笑みを浮かべていた祥子は白河の言葉に一瞬驚き、続けて苦笑した。首を左右に小さく振る。
《ごめんなさい》
金髪の科学者の首筋に見事な手刀をくれて、祥子は白河を担いだ。銃で敵を威嚇しながら格納庫に向かい、白河をファウスト02A改の操縦席に放り込む。操縦席の黒い壁を剥がして、先ほどの電子チップを埋め込んだ。
《ヴァレリー、私の声、聞こえてる?》
コックピットに滑り込んだ祥子がファウストの主電源をオンにする。作動を知らせる電子音が鳴って、色とりどりの光があふれだす。白河の白衣にも、祥子の横顔にも赤や緑の光が映り込んだ。
《こんなことに巻き込んでごめんなさい。白河博士は必ずそちらへ送るわ。だから、あなたが迎えに来てあげて。あなたがそっちに行ってから、ケンカ友達がいなくて寂しがってたのよ》
光の点滅が落ち着いて、起動完了の文字が正面の液晶画面に出た。祥子はすぐにキーボードを取り出し、遠距離攻撃用プログラムのインストールをはじめる。左の液晶画面に黄色の棒グラフが表れて、徐々に伸びていく。数字と%が増えるのを待つ間、祥子は小さく笑った。
《ヴァレリー、今、きっとあなたは怒ってるんでしょうね。私はあなたを裏切ったんだもの。当然よね》
「当たり前じゃない! 怒ってるわよ! 私の文句、直接聞く前に死のうだなんて思わないでよ!」
現在の祥子と繋がる本の前に座りこんだヴァレリーは、両の拳を膝に叩きつける。
《許してもらおうとは思ってない。白河博士に恨まれたままなのも、あなたと直接話をできないのも少し辛いけど……私はやるべきことをやった。こうして今の白河海を助けられることを、誇りに思うわ。あの人の後を追って死んでいたら、きっと今の彼を助けることはできなかったから》
「なによそれ、遺言のつもり!? 私聞かないからね! 白河に伝えてなんかやらない!」
黄色の棒グラフが100%に到達して、COMPLETEの文字が出ると、祥子は操縦席から滑り下りた。操縦席のドアが閉まって、ファウストのエンジンが動きだす。ジェット音が轟く中、格納庫の扉をこじ開けた祥子は不敵に笑った。
《さようなら。私の大切なあの人に。それから──》
大きくなった音が祥子の言葉をかき消した。同時に壁際で爆発音が起こって、地上守備隊がなだれ込んでくる。空へ飛び出していくファウストへ向けて銃撃がはじまる。守備隊に向き直った祥子は、もう感傷的な言葉を口にすることはなかった。
愛する人が最期に遺した言葉さえもその記憶から消して、ただ戦闘用ロボットとしての任を果たす。右手に青白い光を湛えた短刀を構えて駆け出した祥子は、重力を無視して壁から壁へと跳躍し、次々と追っ手を屠っていく。祥子の視界から完全にファウストが消えたところで、ぶつりと映像が切れた。




