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1-2

 体にかかる重力に慣れだした頃に、音楽をかけた。ヴァレリーは空を飛んでいるとき、音楽をかけるのを習慣にしている。本来なら耳を遊ばせるわけにはいかないのだが、空気を切る音ばかり延々と聞いているのは退屈だった。

 人が空に飛び出してから数百年以上が経つ。空は決して人に優しい場所ではなかった。昔はオゾンが多数含まれた層が、地表への有害光線を和らげていたらしいが、今やそんな便利なものはない。地表に降り注ぐ有害物質から逃れるために、人はまず、バリアを作った。けれどもオゾンと完全に同じ役割を果たす代用品は未だ完成していない。現在の技術をもってしても対策できていない。人工オゾン層の製作に失敗した人類の大半は地中に逃げ、今では人口全体の八割が地中で生活している。地中はインサイドと呼ばれ、有害物質によって荒廃した地表はアウトサイドと呼ばれる。その呼び名は国家の名称にもなっている。

 下から眺めていると空はとても綺麗なのにと、ヴァレリーはいつも思う。飛んでいる最中もメインモニターを通じて、空が視界に入る。ゆっくりと映像を楽しむ余裕がないのが残念だ。

 インサイドとアウトサイドの境界地域が近い。少しずつ速度を落として低空飛行する。電子音が鳴って、左右の画面も風景に切り替わった。


「報告によると、この辺りのはずなんだけど」


 荒れた大地が見えた。切り立った岩が砂嵐の流れを受け止めている。パイロットスーツを着た程度の生身では、とてもファウストの外には出られそうにない。正面モニタの下方左隅の座標に、境界を示す黄色のラインが刻まれた。それとほぼ同時に赤い点が三つ点灯する。不審な機体というのはこれだろう。


「見っけ」


 さらに減速してオート操縦に切り替える。真下の様子も見ようと、手袋に包まれた手でパネルを操作する。正面の右隅に小さな枠が追加で現れて、外の様子が映った。不審機はまだ見えない。座標上の赤い点が少しずつ近づいてくる。近い。オート操縦を解除して人型に変形し、周辺をじっくりと探すことにする。

 変形が終了して、操作盤上のランプが緑色になった。画面にも「CLEAR」と文字が躍る。大地にファウストが両足を下ろすと、小さな衝撃が伝わった。操作盤で座標をより詳細に表示する。地図を拡大したせいで遠くに移動した赤い点を目指して移動しはじめる。飛行形態とは比べ物にならないほど速度は遅いが、早すぎて目標を見落とす可能性は減る。

 座標上の赤い点が一つ、現在地に重なった。画面右隅の枠内に四台の車が映る。どうやら車が何台かかたまって置いてあったのを、機体と誤認したらしい。人の姿は見えない。


「不審車両発見しました。人は乗ってません。座標のE-1にあたります」


 管制塔に映像を送信する。管制塔からは音声のみの通信回線が開く。


「E-2、E-3は?」

「そいつはこれから」


 答えてからヘルメットの中で唇をなめる。乾いた唇はわずかに舌に吸いついた。

 残り二つの点は、岩陰の奥にある。交戦準備をすべきだろうが、あまりに近い。相手がヴァレリーの存在を知っていて待ち構えているなら、容易に踏み込むべきではない。念のためにライフルを用意する。緊張感から汗をかいたのか、ヘルメットの中が蒸れている。耳に流れてくる音楽が、心なしか小さく聞こえる。そのくせ、自分の鼓動は大きく聞こえる。

 ふと、ヴァレリーは座標上の敵が動かないことを不思議に思った。先ほどの車のように無人索敵機が勘違いしたのか。

 岩にそっと近付く。コックピットに警告音が鳴って、敵が近いことを知らせてくる。自動的にライフルの安全装置が外れた。

 岩の右奥に見えたのは、深い緑色の物体だった。一部分しか見えないが、直線的な独特の形は戦闘機だ。


「ファウスト?」


 思わず声が出た。慌てて正面モニタ右下の枠内を拡大していく。機体自体が苔色に塗装されている。

 深緑のファウスト。恐らくヴァレリーの愛機と同じ00Aだ。


「一機発見。E-2です。映像送ります」


 送信を終えて一呼吸してから、岩の左側に回る。任務を果たすべく、深緑のファウストへの好奇心を一時的に忘れた。

 次の瞬間、ヴァレリーの視界に光が飛び込んできた。即座に操縦桿を引いて身を反らす。敵の銃口から放たれた閃光は、ヴァレリーの機体にかすることなく背後の地面に飛び込んだ。レーザーライフルだ。反射的にヴァレリーも軽く引き金をひく。敵が岩陰から飛び出してきた。見たこともない、人型の機体だ。


「ごめん、敵に見つかっちゃった。E-3、敵機でした」


 崩れた体勢のまま、ファウストの背中の推進器を使ってバランスを取りながら後ろに飛ぶ。体勢を整えつつ管制塔に敵機の映像を送信した。


「任務と違うけど、これって正当防衛よね」


 敵が引き金を引きながら近付いてくる。敵は遠慮なく撃ってくるが、ヴァレリーはたまに撃ち返すだけだ。乱射は必ず弾切れを招く。補給基地がそばになく、援軍もいない状態で弾切れを招くことだけは避けたい。

 敵の機体はファウスト01Aより一回り小さく、動きが早い。このまま人型で戦うより、飛行形態に変形した方が逃げ切れるだろう。だが変形の最中に狙われるだろうことは想像に難くない。少しだけ時間が欲しい。戦闘機乗りのヴァレリーには、飛行形態に変形さえすれば負けないという自負がある。隼の名は伊達ではない。

 敵が小刻みに撃ってくるのは変形させまいとしているのか、焦っているのか。


「そんなに連射してるとエネルギー切れ起こすよ」


 ヴァレリーは距離を保つために威嚇射撃をしながら、機会を待つ。一分でいいから変形のための時間が欲しい。


「被弾覚悟で変形しちゃいたいよ、もう」


 慣れぬ人型を使い続ける緊張感が、ヴァレリーの集中力を削っていく。愚痴が増えてきたことを自覚して、ヴァレリーは突然ライフルの安全装置を作動させた。引き金を引くと、銃口から軽い音だけが漏れる。その様子を見た敵機が退いた。好機として追撃してくるか、自分の補給のために退くかのどちらかだろうと思っていたが、見事に騙されてくれた。あれだけ連続して撃っていれば、エネルギーを補充しなくてはならないだろう。ヴァレリーは敵機を追いかけて撃墜することよりも、変形することを選んだ。相手は弾を残している。せっかく作った時間なら、有意義に使わなくてはなるまい。任務はあくまでも偵察だ。


「早く! 早く早く早く!」


 気が急くままに指を操作盤上で躍らせる。ファウストの足の裏から青い炎が小刻みに噴き出した。同時に背中のジェットからも噴射がはじまる。後方へ跳躍すると同時に、背中に格納してあった流線型の機首が起き上がった。

 操縦席のヴァレリーにもジェットの振動が伝わる。負けないようにとキーボードを強く叩く。普段変形機能のついていない機体に乗っているから、変形のための時間がもどかしくて仕方がない。唇が乾いて割れるような気配がしたが、気にしていられなかった。着地するまでにエラーを黙殺するためのダミープログラムを組んで、動作を完了させねばらない。一瞬弱まったジェットが再び力強く噴きだす。絶妙にバランスをとりながら宙でもう一段高く飛ぶと、腕が格納されていく。一番隙のできる状態だ。ファウストが重力に従って落ちる。

 コックピットの中で重力と戦いながらも、視線を中央画面から外すことはない。見えるのは岩肌ばかりだ。敵機はまだ現れない。流れる空気を切って、落下しながらファウストは可変翼を広げる。


「行けっ」


 最後のキーをだん、と押して最終処理を終えると、キーボードを脇に立てた。普段はモニタ上のキーボードを使っているが、ときどき反応しづらいことがあってもどかしい。

 ブレーキをかけたままジェットを全開にする。不安定な浮遊の間でファウストの動力がうなりをあげた途端、操縦室が警告の赤い光に染まった。耐熱エラーだ。炎を噴いたままの脚を格納しようというのだから当然だろう。通常なら重大なエラーが生じて動かなくなるが、即席で走らせたダミープログラムに賭けるしかない。ヴァレリーは一層力をこめてペダルを踏んだ。滑り落ちる汗が赤い視界を歪めるのにも構わずブレーキを外すと、一気に加速した。身体が慣性に従って揺れ、ベルトが腹に食いこんだ。暑い。

 ぽーんと音がして、赤い光が消える。緑色のランプが点いていた。変形が完了したようだ。

 敵機が姿を現したのと、画面上に「CLEAR」の文字が現れたのはほぼ同時だった。ファウストが機尾から青い炎を吐き出す。一瞬遅れて、背後に敵弾が叩き込まれた。


「あっぶなー」


 手袋の中で、手がびっしりと汗をかいている。いつもかけているはずの音楽が、自分の心臓の音にかき消されて聞こえない。なんとか無事、空へ逃れることができた。旋回して方向を改める。地上からのレーザーをかわして機体をねじらせると、敵はそれ以上深追いしてこなかった。


「もしかして飛行機能はついてないの?」


 上空からもう一度、あの深緑色のファウストを見ようとモニターを操作する。岩陰に阻まれて見ることができなかった。惜しかったが、敵機がいる以上悠長なことは言っていられない。


「ヴァレリー・モーリス、今から帰還します」

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