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2-9

 インサイドの最下層に白河の隠れ家はあった。家の主が「どうぞ」と祥子をにこやかに迎え入れる。白い壁にところどころ金属が埋まっているが、それが何をするためのものなのか、ヴァレリーにはさっぱりわからなかった。

 過去の白河は当然ヴァレリーに気付くことなく祥子にタオルを投げ、木箱につっこんできた部品を一つ一つチェックしはじめた。機械の関節を曲げ、ドライバーで分解し、タオルで拭き、油をさして使える部品を探す。こちらを向いてはいないものの、祥子を気にしているのは確かだ。


「服濡れてるし、脱いだ方が錆びないかもね」


 さらっと恐ろしいことを言ってのける。ヴァレリーは思わず自分の身体を抱きしめて「イヤだ!」と叫ぼうとしたが、すぐに身体を動かせないことを知った。これは祥子の記憶の追体験であって、ヴァレリー自身ではないのだ。


 白河の奴、一体何を考えてるんだか──いや、あいつはまごうことなきエロサイダーだ。歩く破廉恥だ。常に隣に連れて歩く女性が違う、生殖法違反すれすれの男だ。ロボット相手に欲情しても不思議はない。


 ほんの一瞬、ヴァレリーは白河の命を助けるのが馬鹿らしくなった。どこかの誰かとよろしくやっててくれ、と投げやりな気持ちになって打ち消す。頭が痛いことは確かだけれども、友人であることもまた確かなのだ。


「私は愛玩用ではありませんから、そういった機能はそなわっていませんが」


 服のボタンを外しながら祥子が告げると、白河は背を丸めて吹き出した。椅子の背もたれにかけた白衣の裾が床に触れた。


「ないない。君、ロボットだろう」

「確認です」


 淡々と答えた祥子に、白河はドライバーを片手にしたまま、はいはいと笑った。


「どうせまともなメンテナンスされてないだろ?」

「最終メンテナンスは363年2月です」


 祥子がフェシスによく似た調子で答える。ヴァレリーの会った祥子とは別人だ。


「一昨年だぁ? なんちゅうマスターだ。いくら中身がわからんっていっても、そりゃないわ。普通自己修復プログラムくらい動かすでしょ。機械に対する愛情ってもんが欠片も……」


 祥子は瞬時に身体をかがめ、前方へと踏み出す。手には短刀がにぎられている。白河の頬すれすれに刃を構えて警告する。ヴァレリーはその動きに舌を巻いた。フェシスと対峙したときも思ったが、動きに無駄がない。追体験をしているのだとわかっていてもまるで自分の身体が動いているようで、ヴァレリーは感嘆のため息をついた。


「マスターを侮辱する者は許しません」

「わかった。わかったから物騒なものはしまってよ」


 祥子が短刀をしまうと、白河は肩から力を抜いてあごに手をやった。


「そうか、君、近接戦闘型か。最下層に適してるっちゃあ、適してるけど、いまどき武器が短刀はないよな。十九世紀じゃあるまいし」

「もう一度警告が必要ですか?」


 白河は祥子の冷たい声に肩をすくめると、はいはい、わかりましたよ、と金属性の固い寝台を指差した。


「メンテナンスするから、服脱いでそこに寝て」


 一糸まとわぬ姿になった祥子が、言われるままに寝台に寝そべる。今この場にいるのは過去の祥子であって自分でないとわかっていてもつい身体を隠したくなる。当の祥子が堂々としているから余計だ。視界に入る祥子の身体の造りが人間と違うことが、ささやかな慰めである。私の身体じゃない、と何度もヴァレリーは胸の内でくりかえした。

 白河はごく自然に、祥子の左の鎖骨に指をかけた。軽くひっぱってできたすき間にドライバーを差し込んで力をかけると、てこの原理に従って左胸の皮膚がはがれる。


「申し訳ありません。ちゃんとメンテナンスのできる方だったのですね」


 白河は歯を見せて笑うと「よく勘違いされるけどね」と頭をかいた。


「確かに女の子は好きだけど、オレ、まだ六歳だしなあ。どちらかというと、子供が母親を慕うようなもんだと思うんだけど」


 寝台に横たわったままの祥子が小さく息をつく。調子の悪い空調の音は切れ切れで、窓の向こうの雨音の合間を埋めるように切れ間なく続いていた。


「さぞかし誤解されてきたのでしょうね。その軽薄な物言いのせいで」


 白河は祥子の左胸から回線を出して、寝台脇にある端末に繋げる。すぐに計器の針が揺れた。


「誤解ねぇ。とかない方が都合がいいよ」


 乾いた空気が喉にひっかかる。ロボットの祥子にそんな感覚があったのか、それとも追体験している自分だけが感じる感覚なのか。人格で分けて考えることが無意味に思えてきた。


「なぜ?」


 ヴァレリーが言葉を発するのと同時に祥子の声がそう言う。同じ問いを同じタイミングで口にするほど、ヴァレリーと過去の祥子は同化しつつあった。


「無報酬でこんなことしてるって知られたら仕事増やされるから。さすがにこの若さで過労死はゴメンだわ」


 からからと明るく笑う白河の笑顔が胸に突き刺さる。これまでの白河海たちがどのように死んでいったのか……以前見かけた文字の羅列が思い出された。


「罰金で済む生殖法違反の方がマシだなあ。金なんて使うヒマないから貯まる一方だし」


 かたかたかた、とキーボードが続けて鳴る。白河の焦げ茶の瞳がせわしなく上下に動いている。端末の液晶画面に現れた祥子の内部情報を読んでいるのだろう。


「それにしても珍しい基盤だな。経験を蓄積して変化する……サイボーグに限りなく近いロボットってとこか。はじめて見た」


 この白河は行方知れずになった。かつて祥子から聞いたその話を思い出す。真剣な横顔を直視していられない。それなのに目を逸らすことができない。過去の祥子は、記憶の中の白河がこれから先どうなるかを知らないのだから、視線を逸らす理由などない。


 ──これは、私だけの気持ちだろうか?


 ヴァレリーが内心そう首を傾げたとき、フェシスからの通信が入った。


《現在の祥子から妨害が入っています。除去します》


 淡々と告げる声をヴァレリーは止めた。この感情は、きっと祥子が過去をふりかえるたびに思うことだ。機械の心に蓄積された経験から生まれた感情だ。


《しかし──》


 妨害を除去しなくていいよ、と意識したヴァレリーに、フェシスは言葉を濁す。

 何のためにこんな手のこんだことをしてるの? と意識上で問うと、フェシスは《了解しました》と手短に答えた。

 祥子の記憶のなかにいる白河は、端末操作に夢中だ。祥子はそっと目を伏せる。白河は画面から目を逸らさぬまま「スリープモードで待ってて」とそっけなく言った。

 まぶたを閉じると視界が真っ暗になった。キーボードを操る音が波のように切れ間なく響く。眠りにつくように意識をゆだねるヴァレリーの胸の奥で、急に激しい感情がわきあがった。フェシスが現在の祥子からの妨害と言った感情──深い悲しみ。

 あまりの激しさにヴァレリーはおびえた。現在の祥子からの妨害のなか、ひときわ強いノイズが入る。その声には聞き覚えがあった。


 ──メールが到着したよ。


 一体どこで聞いたのだったか。男の優しい声は不思議とヴァレリーの恐怖をやわらげた。

 視界が白く焼かれて、無数の記憶がなだれこんでくる。


「博士、今日も徹夜ですか? きちんと眠ってください。感知器によると昨日の夕方から微熱が出ているのですから」

「色々な機械を使うせいでメンテナンスの最中は熱いというのはわかるけれど……服を脱ぐ必要、ありますか? え? ほこりが入る? 組み立てるときはそういうもの?」

「あなたが眠っている間は、私がちゃんと監視します。だからゆっくり休んで」

「海、古いマスター登録を消して。あなたが私の新たなマスターになって」


 幸せな日々の記憶が濁流となってヴァレリーを飲み込む。人間とロボットの間に恋愛感情が生まれるものだろうか。人間からの一方的な執着と、ロボットからの絶対的な服従。二者の間にあるのは決して交わることのない感情だ。けれどもきっと、互いが恋愛感情を抱くこともあるのだろう。

 過去だとわかっていても恋人同士にしか見えない二人を見守るうち、ヴァレリーは鬱々とした思いになった。そのたびに、祥子が一人取り残された部屋の映像が頭をよぎった。


 ──いいの。もう死んでるから、きっと。


 はじめて伊庭祥子に出会ったとき、彼女と他愛ないやりとりをした。メールの到着を知らせる声もそのときに聞いたものだ。

 ついにヴァレリーは全てを悟った。

 行方知れずになったという祥子の恋人の声に聞き覚えがあって当然だ。先代とは言え、あれは白河海の声なのだから。

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