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フェシスに連れてこられたのは、薄暗いすすけた街にある建物だった。どうやら店らしいのだけれど、何を売っている店なのかはっきりしないところがいかがわしさを倍増させている。おかしな店に連れてくることはフェシスの素性からしてありえないのだが、なにしろ店全体にがらくたにしか見えない機械が山と積まれている。多少疑いたくなるのも無理はないと、ヴァレリーは己を納得させた。一歩足場を間違うとがらくたとほこりが、なだれを起こしそうだ。
「ねえ、この店……」
声をあげたところで、カウンターの向こうからひょっこり顔が覗いた。
「おお、隼の姐さん!」
日に焼けた浅黒い肌に、ところどころ白髪の混じった黒い髪、妙なアクセントの言葉。見事な上腕二頭筋が見える。ヴァレリーはそれらの特徴をもつ男を知っていた。
「え、リュウさん?」
「おー、覚えとってくれたなぁ」
カウンターごしの笑顔に、ヴァレリーの頬も自然とゆるむ。インサイドの知り合いがこんな場所にいるとは思ってもみなかった。ヴァレリーの視界の隅で、フェシスが少し微笑んでいる気がした。
「えー、こんなとこで何してんの。ここってヴァーチャル・アウトサイドでしょ? リュウさんも私をたばかってたわけ?」
「まさか! 俺に姐さんを騙す度胸はないわぁ、身包みはがされてバルカン砲でズバババーンと撃たれそうやからなぁ。俺はなぁ、帰省中やねん」
からからと笑うリュウの様子は明るくて、ヴァレリーの気分もつられて明るくなっていく。
「帰省? そんなことできんの?」
「整備班なめんとってくれやー。アウトサイドの国家施設が使ってた《ひつじ》でな、まあ、型は大分古いけど、それを持ってインサイドに亡命したもんやから、俺はインサイドからヴァーチャル・アウトサイドに接続することができるっちゅーわけや」
「あんなでかいもの持って行ったの?」
「分解したけどな」
正規のシステムではないだろうが、便利なことこの上ない。最初から知っていれば、という思いになって、ヴァレリーは少しむくれたが、深夜の通販ショッピング並の爽やかな笑顔を向けられては文句を言う気力もわかなかった。
「ま、ここでの記憶はシステムさんに念入りに消去してもらわなあかんけどな。スパイ容疑でしょっぴかれるよりはマシやし」
相変わらずリュウはにっかりと白い歯を見せている。その笑顔に不安は一切見られない。インサイドからの監視が甘いボーダー要塞にいるからこそ、できることだろう。
「で、システムさん。何の用? 俺が帰るんは夕方やろ? ちょっと早ない?」
リュウ・ファーが首を傾げると、フェシスはうなずいた。
「ヴァレリーも聞いてください」
親近感を抱いていても、翻訳調の言葉を聞くと神妙な心持ちになってしまう。居住まいを正した二人に、少女の姿をしたシステムは静かに告げた。瞳が黒から水色に変化した。
「端的に言います。SH型OS……通称伊庭祥子の暴走の原因を探って欲しいのです」
淡い水色の瞳がとまどうように床に向けられる。フェシスの瞳の色は、空の色に似ている。
「白河が改造したところでしょ? リュウさんは適任だと思うけど、私は開発者でも整備士でもないよ? ファウストのことなら少しはわかるけど……。白河の改造した部分の調査とか、できる気がしないんだけど」
フェシスが顔を上げる。ヴァレリーを見る瞳は真っ直ぐで黒かった。
感情を読まないという約束を律儀に守ってくれているのだと知って、ヴァレリーは言葉を飲み込んだ。せめて口をつぐむことで、フェシスの気持ちに応えることにした。
「修正する必要はありません。覚醒した白河海の仕事は完璧です。改造はされていますが、不備があるわけではない。しかし実際には数度、暴走を起こしている。あなたの記憶を消去しようとしたのもそうです」
てっきり白河がヘマをやったに違いないと思っていたヴァレリーは面食らって咳きこんだ。ほこりのせいだ。
「私にも、祥子にも、本来持っているけれど使われていない機能がいくつかそなわっています。その一つに、《ココロ》と呼ばれる機能があります。人間の心と同じものです」
ロボットに、心?
ヴァレリーは驚きのあまり目を丸くした。目的のために存在するロボットに、心があるというのは不思議な話だった。人工知能は知っている。けれどもそれは、心というにはあまりに稚拙な代物だ。ある種の行動にあらかじめ決められた反応をするといったプログラムでしかない。
灰色の廊下を進む祥子の姿を思い出す。笑って、照れて、喧嘩して、欺いて──、少なくとも彼女は人間と同じように見えた。
「《ココロ》はどの命令よりも優先される。それが我々に施されたプログラムです。祥子の暴走の理由はそこにあるはずです。しかし私の《ココロ》が作動したのはつい最近ですから、蓄積されたデータというものがない。その動きを比較することも、検討することもできません。ですからあなたにお願いしたいのです」
フェシスは遠くを見ながら言ったが、口調は普段以上にきっぱりしていた。
「パイロットとしてのあなたではなく、人間としてのあなたに。もちろん、断っていただいても結構です」
陰のある表情が伊庭祥子によく似ていた。思わず警戒しそうになるのを、ヴァレリーは必死で打ち消した。
フェシスは違う。ヴァレリーの感情や思考を読むことを避けるし、今回の調査も無理強いしないのがその証拠だ。
ヴァレリーに向けられた黒い瞳は一点の曇りもなく輝いていた。
「祥子の状況は逐一私が把握します。もし危険があれば、すぐにあなたをこちらへ呼び戻します。ですから、彼女の内部を見てきてはいただけませんか」
まわりのがらくたを崩さないように気を使って立っていたせいか、身体中の筋肉がこわばっている。せめて椅子の一つでも出してくれないだろうかとリュウに視線で訴えるが、この店の主はフェシスの言葉を真剣に聞いていた。
「それやったら国のを使ったらええやんか。リアル・アウトサイドで隼の姐さんを叩き起こして接続しなおした方が、負担が少ないやろ。《ひつじ》でヴァーチャル世界に入っとるもんを、さらに軍事用の《ひつじ》で……祥子ちゃんやっけ? そのロボットの中に転送するなんて無茶や」
「マスターには、知られたくないのです」
即答したフェシスに、二人は目を丸くした。システムが主に隠しごとをするなど、聞いたことがない。
「今もダミーを使って、私たちが接触している様子を隠しています。マスターは白河海をアウトサイドに呼ぶために、ヴァレリーを利用しようとしている。私はあなたが傷つくところを見たくありません」
リュウ・ファーが大きな口を開けて笑うと、筋肉質な肩が揺れた。その拍子にがしゃん、と派手な音がして、がらくたが床に落ちる。ほこりが舞った。
「なるほど、システムさん、今が最優先されとるわけや」
「はい。ヴァレリーにかかる負担も障害も、全て私が引き受けます」
アウトサイド随一のシステムは、自信に満ちた顔で言い切った。一方のヴァレリーは苦々しく笑う。
──私のために、代表まで裏切るの?
ロボットやシステムにとって、マスターは絶対だ。そのマスターまで裏切るというシステムの思いは相当なものに違いない。
「どうしてそこまでするの?」
腹はほとんど決まっているが、素朴な疑問が口をついて出た。
「ヴァレリー、あなたは無計画すぎる。私が人間だったなら、きっとそれを腹立たしく思うでしょう。けれど、同時にうらやましいとも、変わらずにいて欲しいとも思うはずです。……うまく説明できませんが、無鉄砲なあなたを見ていたいのですね、きっと」
フェシスにたずねたことを、ヴァレリーは少し後悔した。普段通りの表情で言い切られると、こちらが恥ずかしい。
「おかんみたいやな、システムさん。でもその気持ち、わかるわぁ」
中年整備士がしみじみとつぶやいたのを受けて、ヴァレリーは観念した。わざとらしく大きく息を吐いて、肩の力を抜く。
「……リュウさん、お願い」
ヴァレリーの言葉にうなずいて、リュウ・ファーはがらくたの海からヘルメットを拾い、数回はたいてから投げてよこした。ほこりにまみれていた古いヘルメットを頭にかぶる。いい臭いだとは口が裂けても言えなかったが、大目に見ることにした。
店の隅のあやしげな機械に乗りこむと、リュウが慣れた手つきで電源を入れてくれた。普段の《ひつじ》と同じように、いくつもの管が機械に装着されていく。
「ヴァレリー・モーリス、行きます」
その言葉を最後に、ヴァレリーの視界はヴァーチャル・アウトサイドではなくなった。光が点滅している。ぽーん、と起動音らしきものが聞こえた。
《ひつじ二号機へようこそ。ちょっとボロいけど堪忍な》
リュウの声だ。思わず笑ったヴァレリーに、妙なアクセントの言葉は現在の状況を知らせた。
《インサイド偵察機SH型0Sに接続すんで──ヴァーチャル・アウトサイド中枢部フェシス・システムから許可済みや。気を楽にして待っとってな》
ヴァレリーは自分の意識が深く沈みゆくのを感じた。眠るときに似ている。
誰かの意識をのぞき見る。それは自分が最も嫌っていたことではないのか。
罪悪感はあるが、祥子はヴァレリーの記憶を見たのだ。お互い様、お互い様、小さく口の中でくりかえした。なにより祥子はロボットなのだから、人間の記憶とはまた違うはずだ。一瞬頭をよぎった思いを、ヴァレリーは打ち消す。心があり、記憶がある以上、誰にも知られたくない秘密だってあるはずだ。ロボットだろうが人間だろうが関係ない。
迷いがわずかに意識を浮上させる。自問自答を続けるヴァレリーの耳に、そっとフェシスの声が届いた。
「リュウ、せっかくの休暇に無理を言ってすみません。けれど私は、ヴァレリーの力になりたいのです。白河海の犠牲の上にできる世界を、ヴァレリーはきっと恨みます。かつてのレイリーがそうだったように」
白衣の軽薄な男が脳裏に浮かんだ。彼に残された時間はあとどれくらいなのだろう。
助けなきゃ──。
ヴァレリーは目的を見定めると自問自答をやめた。悩むより動く、それが自分だ。明滅する光の中で、四肢が溶け出した。身体が溶けて、《ひつじ》の中で大きく広がっていく。ヴァレリーの認識できる空間いっぱいに、意識が広がっていくのがわかった。
「姐さんが好きなんやろ、あんた」
「はい」
「俺もや。せやから構わんよ。どうせ暇やし。しかし、よりによって開発の白河か。ありゃ、泣かされても文句言われへんで」
「ヴァレリーを悲しませる人間は私が許しません。それがマスターであろうと白河海であろうと」
白河はケンカ友達で、恋愛感情はない。リュウの勘違いもはなはだしいが、フェシスの言葉は頼もしい。先ほどの自信に満ちた顔が思い出された。ヴァレリーは少し笑うと安心して、伊庭祥子の意識に自分の意識を重ねていった。




