講義
アマーリアとのお茶の後で、大司教から国と聖女に関しての講義があると告げられていたとおり、エリカがお茶を飲み終わると待っていたかのように大司教の部屋に呼ばれた。
豪奢なシャンデリアに足が沈むような絨毯、装飾品が品よく飾られたその部屋は、聖職者の部屋というより、王族の部屋のそれに近いなとエリカは思いながら大司教に出迎えられ、勧められた椅子に腰を下ろした。
大きな机の大司教と向かい合わせの席に座ると、若い司教が繊細な飾り彫りが施された書棚から一冊の分厚い本を取り出し、エリカの目の前に静かに置いた。
大司教はエリカに笑顔を向けながら、その分厚い本を指し示し「どうぞ、本を開いてください」と、言った。
ー読めるのかしら?
革表紙の本を引き寄せエリカが戸惑った。
ここは異世界。同じ言葉を話せるのも不思議だが、文章が読めるとは思えなかった。それでもにこにことこちらを見て笑う大司教の手前、本を開かない訳にはいかなかった。
ぱらり
ー! 読める! 読めるわ。
「読めましたか?」
「え? えぇ」
「なんと書いてありますか」
「ヴァロワ国の歴史 王と聖女の偉業録。ですね」
「うむ。次のページはなんと読めますか」
「目次ですね。王名と年号らしい数字が各章に書かれています」
エリカは驚きを隠せず、パラパラとページをめくった。どのページも日本語で書かれている。時折挿し絵があるが、その絵は多分その時代の王と聖女の似顔絵なのだろう。ざっと読むと聖女の外見の特徴や王の治世を褒め称える言葉が並んでいた。
大司教はページをめくるエリカを止めもせず、じっとエリカを見つめていた。
「あ、すいません。勝手に読んでしまいました」
「いえいえ、エリカ様に読んでいただく為にご用意した本です。今から講義を始めますが、紙とペンをご用意しましょうか?」
「あ、はい。ありがとうございます」
大司教は、控えている司教に目をやる。
「文字が読めるのを不思議と思われたでしょうか」
と、大司教はエリカに笑顔を向けた。
「え? ええ、お話ができる事も不思議と言えば不思議なのですが、文字も読めるとは思いませんでした。あの…大司教様はご存知だったのですか? その…聖女は文字も読めると…」
「過去の聖女様も、同じであったと記録にございます。言葉もですが、文字もお読みになられたようです」
「そうなのですね」
ーあ、そう言えばさっき女官のアマーリアさんが、先代のイブリンって人が読書していたって言っていたわね。聖女は召喚された時点で読み書きができるみたいね。
エリカがアマーリアの言葉を思い出していると、先程の司教が銀のトレイに羽ペンとペン立て、それにインク壷と数枚の紙を載せて持ってきた。
ー羽ペンなんて初めて使うわ。
司教がインク壷の蓋を開けてくれて置く様子をじっと見ながら、エリカは羽ペンを手にとった。
普段ボールペンしか持った事のないエリカは、羽ペンの軸は細すぎるなと思いつつインク壷にペン先を少しつけた。
ー意外と書きやすいのね。
紙の端に「こんにちは」と縦書きと横書きで書いてみる。紙は上質なのか引っかかりもせずにすらすらと書けた。書き心地を確かめてエリカは羽ペンをペン立てに置いて、大司教の方を向いた。
「始めてもよろしいでしょうか?」
「はい、お願いします」
初めて羽ペンを触るエリカを大司教は笑顔を絶やさず見守っていたが、エリカが羽ペンを置いたのを見計らって講義開始の声をかけた。
それからはマンツーマンの家庭教師のような大司教の講義が始まった。エリカはプレゼンを聞くときの要領で、大司教の講義で覚えておくべきと思うところをメモを取りながら聞いていく。
大司教の話のほとんどは、歴代の王の治世についてだった。有力な貴族の名前がいくつか世代を繋げて続けて出てきた。
「以上が我が国の千年に及ぶ歴史と歴代の聖女様のおおまかな歩みとなります」
そう言って、大司教は分厚い大きな本を静かに閉じた。
「ありがとうございます」
「お疲れになりましたか?」
「いえ、大丈夫です。とてもわかりやすかったです」
「それは良かった。講義のかいがあるというものです」
「あの、こちらの本をお借りしてもよろしいでしょうか? 部屋で読み返したくて」
「もちろんですとも。あとで運ばせましょう。本日はお部屋でごゆるりとお休みください」
笑顔でエリカを見送った大司教の顔から扉が閉まると同時に笑顔が消えた。そして側の司教に何事か囁くと、書棚から数冊の本を選び始めた。
エリカはまだ人の目が常にある事に慣れなかった。部屋に帰っても常に誰かがいる。若い女官達とおしゃべりをし少し打ち解けたが、一人の時間はほぼ無く、常に気が張っていた。
だからだろうか、寝酒に出された少量のワインを口にしたらエリカはすぐに眠りに落ちていった。
「お待たせいたしました」
アマーリアが皆が待つ王の私室へと、静かに入り恭しくお辞儀をした。
「聖女殿はお休みか」
「はい、お疲れだったのか、先程ぐっすりとお休みになられました」
王の問いに答えると、アマーリアは手に持っていた紙を王に差し出した。