告知
ーな…なんで?
日が傾きかけた頃、眠りから目が覚めた自分は、あの白いドレスを着て座り心地の良いソファで目覚めた。
ー夢から覚めてない? まさか…まだ夢を見ているの??
ソファから立ち上がり振り向くと、あの年嵩の女官が部屋に入ってきた。
「聖女様、これから国王様へのお目通りがございます。その前に大司教様より聖女様に、聖女召喚のご説明をされたいとのことですが、お通ししてもよろしいでしょうか? まだご気分がすぐれないのでしたら、もう少しあとにと、お伝えしますが」
「え…。あ、いえ、大丈夫です」
優しく声をかけられて、つい大丈夫だと答えてしまった。
エリカの返事を伝え聞いたのか、大司教は若い司教を二人伴いすぐにやってきた。
召喚の間でエリカの手を取った大司教は、先程より豪華な衣装を身に付けていた。
エリカは、若い女官から部屋の中央のソファセットの大司教と向かい合っての席を勧められた。女官達はエリカと大司教にお茶を出すと、エリカの後ろに控えた。
出されたお茶は、先程と同じくリンゴの香りがする濃いめのカモミールティだった。
「召喚のお疲れはとれましたかな」
「はい…」
勧められたお茶に口をつけた後、大司教にそう聞かれ心中では穏やかでないが、そう答えた。
「この召喚を夢の中の事と、思われているのでしょうか?」
「え?」
思っていた事を言い当てられて、エリカはどきりとした。目の前の大司教はただ穏やかに、しかし観察するような目でエリカを見つめている。
「この世界は聖女様のおられた世界とは違う世界と、伝えられております。我らは…いえ、王となる方は違う世界に住まう聖女様をお呼びする力をもって、この国に安寧をもたらすのです。ですので、夢の中の話ではなく現実に聖女様はこちらの世界においでになられたのです」
「現実……」
持っていたティカップを落としそうになり、急いでソーサーに置くと、ガチャンと小さな音がした。
「驚かれるのも無理はない事です。歴代の聖女様の中には、この事実をお伝えすると、取り乱されたり泣き止まぬお方もおられたと記録に残っております」
大司教が目配せをすると、後ろから若い女官がそっとエリカの手からティカップを外した。
「あの…、そのお話が本当の事だとして、私はいずれ元の世界に戻れるのでしょうか。呼び出したってことは、戻せるのですよね?」
「いえ、お戻りになるのは叶わないかと」
「か…叶わない? それって、戻れないって事ですか!」
思わず立ち上がろうとしたエリカの後ろから、手が伸びる。それらは優しい手つきであったが、落ち着かせようと…宥めようとしている手だった。
「どうぞ、お鎮まりを」
大司教は、穏やかな口調でエリカに告げる。
エリカは、混乱していた。
それはそうだろう。非現実的な異世界転移の話をいきなりされ、信じろという方が無理な話だ。だが、実際に触れる物や話す相手が、夢の中出来事とは思えない。
ー現実……とはね。
わずかに揺れる、目の前のティカップの中のカモミールティを見つめながらそう思った。
少しの間、静寂が流れる。
ーもう戻れないって……。
ぐるぐると考えが頭の中を錯綜する。祐樹達に会わなくていいと、ホッとしている自分。
そして、一人元いた世界に残される母の事を思い浮かべた。明るくパワフルな母、さくら。
幼い頃父が事故でなくなった時も大丈夫だからと抱きしめてくれ、どんな時も味方でいてくれた。
学生のうちは女手一つで育ててくれ、私が成人してから知り合った男性と親しくしている。
就職してしばらくしてから、その男性にも正式に紹介された。そして、穏やかで優しいその人とはこのままの関係でいると、母は笑って言っていた。
きっと、娘に配慮した選択だったのだろう。だからこそ、家を出たのだ。
ー私がいなくなっても、大丈夫かな…。
自分がいなくなっても、母にはあの人がいる。
母以外の未練は、あの世界にはない。
「ふぅ。元いた世界の私は、どうなりますか?」
「……どうなるとは?」
口調は穏やかだが、窺うような視線で大司教は問うた。
「私がいなくなって、その…、死んだとか、行方不明になったとかに、なるのでしょうか」
「それは、我らにはわかりません。過去、こちらの世界に召喚された聖女様が、元の世界に戻られ再びこちらに来られたという記録はございませんので」
大司教は、感情が読み取れない顔で首を振る。
「そう……ですか。あの。私は、貴方がたのいう『聖女』って、なにをする人か何も知らないのですけど、そんな私に、聖女って務まるものなのですか?」
エリカの言葉に、こちらの世界を受け入れる可能性を感じとったのか、大司教は表情を緩め「もちろんですとも」と笑顔をみせた。
カモミールティには、ストレスや不安、怒りを落ち着かせる効果があると言われています。