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聖女召喚


「おおー成功だ! 殿下は『聖女召喚』に成功なされたぞ!!」


歓声が、一瞬霞んでいた意識を強引に引き戻す。座り込んだ足に床の冷たい感触が伝わり、意識がはっきりしてくる。



……ここは?


半径五メートルくらいのぼんやりと光る円の中心にぺたんと座り込んでいる自分。


恐る恐る見渡せば、窓のない石造りの大部屋の中で自分は大勢の見慣れない外国人に取り囲まれていた。

歓声に何も言えずにいると、床の光はいつの間にか消えていた。



「よくぞ、『召喚』に応え降臨くだされた。護国の聖女様」


状況がわからずぺたんと座り込んだままでいる絵里香に、群衆の中からカトリックの司祭が着ているような服を着た老人が進み出て、絵里香にそう告げた。



ー護国の聖女?



さっきまで、会社の廊下にいたはずだ。だが、周りを見渡してもここは違う。会社ではない。気が遠くなった覚えはあるから、夢でも見ているのかと絵里香はバッグを強くつかんだ。


「さぁ、お手を」

老人は優しく絵里香に語りかけ、飾りの付いた司祭杖を側のものに渡して優しく手を差し伸べた。


………。

絵里香はその老人をとるのを一瞬迷ったが、どうせこれは夢の中だと、手を差し出す。老人とは思えないようなしっかりとした支えで、絵里香は立ち上がった。



「ささ、殿下のお側へ」

老人に促されるまま進むと、群衆が割れるように引いてゆく。


その先に、すらりと背が高く金の髪で優しげな顔をした殿下と呼ばれる青年がいた。年の頃は二十代半ばだろうか。明らかに周りの群衆とは違う綺羅びやかな服を着ていた。



「聖女様、この方はこの国の唯一の王子。ジュダス・ヴァロワ殿下であらせられます」

老人がその青年の前まで絵里香の手を引き進み出ると、重々しく絵里香に紹介した。


「私はジュダス。ジュダス・ヴァロワ。このヴァロワ国の王子です。護国の聖女よ、よく我が呼びかけに応えてくれました」


王子は、戸惑っている絵里香の手をとると、その甲にキスをした。手にキスをされたことなどない絵里香は、その感触に違和感しかない。



ーなにこの夢。めちゃくちゃリアルなんだけど。


絵里香の手にキスをした王子は、その手を握ったまま微笑んでいる。



ー返事を待っているのかな。なんて言ったらいいんだろう。

見回すと周りの群衆は期待を込めた目で絵里香を見ている。


「いえ……、私でお役に立てるのであれば…」

ここは自分の夢の中なのに、周りを伺って気を使うクセがすぐに出てしまう自分に嫌気がさす。



「聖女殿、お名前はなんとおっしゃるのでしょうか」

「伊藤絵里香です」


「イトウエリカ様ですか」

「あ、エリカ・イトウです」

絵里香はすぐに王子の名乗りに合わせて自分の名を言い換えた。


「エリカと言われるのか。美しい名ですね。清らかで清楚な貴女に相応しい名だ。では、聖女エリカ。我が父、ヴァロワ国王のもとにお連れしましょう」



普段の生活では聞き慣れない褒め言葉に、思わず手を頬にあてると、まだ乾ききってない涙が指に触れた。きっと、涙でファンデーションが筋になっているはずだと気がついた。



ー今ひどい顔している。さっき泣いたから……。


「あの!」

「……。なにか?」


「人に会うなら、身支度を整えたいです……」

ーここは私の夢の中なのよ。このくらい言ってもいいはず……。


落ち着かなくて目を泳がせていると、王子は「確かに」と言って後ろの侍従に目配せをした。



「気遣えずに申し訳ありません。嬉しくて、つい気が急いてしまいました。部屋を用意させます。そちらで身支度としばしのご休憩を」


すぐに侍従に連れられてきた女官達に案内されて、エリカは豪華な客間に通された。天井が高く、テレビでしか見たことがないような大きな窓のある豪華な部屋だった。


その部屋に備えたつけられた化粧部屋に通され、これまた豪華な化粧机の前に案内された。


「ひどい顔…」

泣いたせいか赤く腫れぼったくなった目、涙でファンデーションはドロドロだ。塗り直しくらいでは到底人前に出れない顔をしていた。



ークレンジング。持ってなかったわ。

念の為に化粧ポーチを開けて、ため息をつく。


ー夢だったら、遠慮いらないわよね。

女官に声をかけようと振り向くと、足音も立てずに年嵩の女官が近づいてきた。



「聖女様、よろしかったらお化粧直しのお手伝いをさせていただいてもよろしいでしょうか」

にっこりと笑って女官が、優しい声で申し出てきた。



ーどうしよう。断るのは失礼かしら。

一瞬悩んだが、ここは夢の中。悩むのがバカバカしくなってきた。


「お願いします」

そう答えると、女官達はテキパキと棚から何やらクリームや化粧水の瓶を取り出し、手慣れた手つきで化粧を落としていく。

ひんやりとしたコールドクリームが顔中に伸ばされ、涙の跡もファンデーションとともに落とされていく。


ー気持ちいいな。こんな事されたの、いつぶりだろう。奮発してデパコスのファンデーションを買った時くらいだったかな。


拭き取り化粧水らしいものでコールドクリームを綺麗にぬぐい落とされた後、お風呂を勧められた。


その頃には、すっかり遠慮はなくなっていた。

起きたら待っているのは、惨めな現実しかない。それならば夢の中でくらい贅沢な時間を味わいたかった。



「ご用意いたします。しばし、こちらでお待ちを」

隣の部屋に戻されると、ソファの横のティワゴンには茶菓子が用意されていた。



「お茶のご用意をさせていただきました。お好みがわかりませんでしたので、お好きなものをお申し付けください」


女官が差し出す銀の大きなトレイにきれいに並べられた数種類のお菓子を見て、エリカは急にお腹が空いていた事を思い出した。午後から飲み物以外なにも何も口にしていない。


「あの…こちらとこちらを」

エッグタルトに似たお菓子とベニエに似た揚げ菓子っぽいものを指さした。

「ダリオルとベニエでございますね」


ーベニエは、そのままベニエなんだ。

ダリオルとベニエはきれいにプレートに盛りかえられ一緒に出された紅茶は、心にしみるくらいにおいしかった。


ダリオル Dariole

中世時代のエッグタルトのこと。型に生地を敷き、卵と牛乳でつくったクリームを入れて窯で焼いたパイ菓子のこと。現代でも愛されているお菓子。

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