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「お前、ほんとに性格悪いな」

「いやいや、課長ほどじゃないですよ」


ーやっぱり祐樹だ。

会議が長引いたてたのかな。チャットしなくてよかった。課長に気づかれたら大変だものね。


リフレッシュルームの自動販売機の前に人影が二つみえる。もう一人は課長の川本だった。

そっと、その場を離れようとしていた絵里香の耳に、思いもしなかった川本課長の言葉が飛び込んできた。



「で、伊藤から松沢に本格的に乗り換えるのは確定なのか?」


ーえ?



「そりゃそうでしょ。契約社員のアラサー女と正社員の若くてぴちぴちした可愛い娘なら、どうしたって『あいりちゃん』でしょ」

「まぁなぁ。でも、あれだけお前に尽くしてきた伊藤を切れるのか?」

「そこで課長にお願いなんですよ。あいつの契約、今期で満了ってことで切ってくれませんか。面倒事は避けたいんで」



ーう…嘘……。

聞き慣れた祐樹の声が、初めて聞くような人の声に聞こえる。指の先が冷たくなり感覚がなくなっていくのがわかる。


絵里香は、肩にかけたカバンのショルダーストラップを必死に握りしめた。



「でもなぁ、伊藤の仕事は評判いいんだよなぁ。資料はわかりやすいし急な変更にも嫌がらずに対応するし、教え方も丁寧なんだよな」


絵里香は、この会社に入る前に数社での営業アシスタントの経験がある。その時に口の悪い営業にいびられながら覚えた経験をこの会社で買われたのだ。



「あいつ、社畜気質ですもんね。頼まれたら断らないし」

「おいおい、ひでえな」


がこんと、自動販売機が缶コーヒーを吐き出す。


「ホントのことですよ。それにあいつの仕事の仕方はあいりが覚えてますよ。もうそろそろ一人でやらせても大丈夫でしょ。それに他にも何人かいるでしょ」

「お前が、伊東に育てさせたんだろ」

川本が呆れたような声で返す。



「おかげで部も大助かりじゃないですか。新人教育の手間が省けて、正社員は業務に邁進まいしんってね」

かぽっと、男は缶コーヒーをあけて一口飲むと辟易した顔をした。



「まずいな。これ。良いのはパッケージだけかよ」

男は、躊躇なく缶コーヒーをゴミ箱に捨てた。


祐樹の声で話す男が、今度はカップのコーヒーの自動販売機のボタンを押す。

「川本さん、知ってます? あいつハーフなんですよ」

「え? 伊藤が? 確かに鼻筋は通っているが、ハーフには見えないな」


「死んだ父親に8カ国くらい血が混ざっているらしくて。あいつ、本当は緑の目なんですよ」

「いや、普通に黒っぽい目だったよな?」



じわじわと滲む涙に霞んで、床がグニャリと歪む。なのになぜか耳だけが鋭敏に働き、二人の声が耳元で話されているかのように響く。


「カラコンで誤魔化しているんですよ。髪も黒髪じゃなくて本当は薄い茶色」

「わざわざ染めているのか? もったいないな」


「なんでもそれが原因で中学でハブられたらしくて、転校してからずっとカラコンして染めているんですよ。目立ちたくないってことで」

「ふーん……」

気のない声で返事をした川本は、缶コーヒーをすすった。



高校でも大学でも、社会人になってからも、ずっとその事だけは誰にも話せなかった。

祐樹だけにしか話してなかった過去を、声の主はペラペラと得意げに話している。



「最初は、おもしれえなって思って付き合い出したんですよ。色々付き合ったけどハーフって付き合ったことがなかったからですね。川本さん、あります? ハーフとか外人と付き合ったのって」

「ねぇよ」


心臓がバクバクとなり、足に力が入らない……。


「最初は面白かったんですよ。変わった毛並みだし、ちょっと優しくその事を慰めてやったら、尻尾ふって何でもしてくれるし仕事もやるしで、便利だったんですけどね。でも、最近は焦ってきたのか「結婚」を匂わせてきてウザくて」

「だから、アラサーなんかに手を出すと面倒だって言ったろ?」


川本は蝿を払うかのように、ひらひらと手を振って顔をしかめる。



「だから川本さんは、新人女子がお好みですもんね」

「うっせぇよ。お前も今回は新人女子じゃねぇか。アラサーに飽きてお前も宗旨変えか?」


「いや、本気で結婚は考えてるんですよ。あいりって外見もまあまあだし、わりと扱いやすいし。でも、なにより実家が太いのが魅力かな」

「実家?」

「あいりの最寄り駅は都内一等地なんですよ。で、実家住まいって聞いたから、ちょっと調べたら親はそこそこな規模の輸入会社してたんですよ。雑貨から家具やちょっとした美術品とかの。あいりはそこの一人娘なんです」


遠くからコーヒーの香りが漂ってくる。さっきあの男が買ったカップコーヒーの香りだ。その匂いに胃が鷲掴みにされるような吐き気を覚え、震える手で絵里香は口を押さえた。



「逆玉ねらいか。独身は夢があるねぇ」

「まぁまぁ、俺がその会社の社長にでもなれたら川本さんにもご恩返ししますよ」

「どうだか」


飲み干したコーヒーの紙カップをグシャリと握りつぶすと、男はゴミ箱に放り込んだ。



「なので! いろいろ川本さんの『フォロー』もしてきたんですから、今回は俺の『フォロー』してくださいよ。お願いします!」

「ふん、まぁいいさ。伊藤は予算の関係とかなんとか理由をつけて切ってやるよ」

最敬礼でお願いをする男に、川本はそう告げた。



「ありがとうございます! あ、もうそろそろ行かないと。俺、今日は泊まりの予定なんですよね」


「お盛んだね。伊藤にも松沢にもバレてないのか」

「そこんとこは、うーまく言い含めてますよ。念の為にあいりとのデートの時は、伊東に資料たっぷり渡して残業してもらうようにしてますし」


「ほんとに、悪いやつだよ」

「じゃ、ほんとに行かないと予約に間に合わないんで!」


かつかつと近づく足音が聞こえる。

靴音を聞き、心臓は早鐘を打ち膝は震え足は動かない。



チ…ガウ!チガウ! アレハ祐樹ジャナイ。

私の知ってる祐樹じゃない!



リフレッシュルームの入口で男の靴先を見たとき、絵里香は現実に耐えきれず意識を手放した。




ーん? なんだ…

 蛍? まさかな。


薄暗い廊下に出た時に、目の端に光る何かを見たような気がした。



大友祐樹は、松沢あいりとの待ち合わせの場所に向かう為に、エレベーターのスイッチを押した。


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