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エリカの花の咲く頃  作者:


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疑惑の芽


ーもしかして…、ううん。あれはきっとミネルヴァ様が後世の聖女にだけわかる暗号として、あの刺繍を残したんだわ。


寝る前の温かいミルクティを口にしながら、エリカは窓に映る月を見上げて一人考えていた。



あの後、大司教に他の遺品も見せてもらった。

他の遺品はそれぞれの聖女の愛用した椅子や肩掛け、宝飾品など多岐にわたったが、その中に紡ぎ車(糸車)スピンドル(紡錘)、小さな織り機という庶民の女性が使う物もあった。


午後のジュダスとのお茶の時間に、大司教に過去の聖女達の遺品を見せてもらい大司教から彼女達の文字が読めないかと問われたと言うと、ジュダスは苦笑しながらティカップをソーサーに置いた。



「聖女の残した文字は未だ解読されていないんですよ。大司教はその文字をずっと研究してるんですが…。貴女の国の言葉は彼女達と違うと私からも伝えていたのだけど、直接聞きたかったんだと思います」

「申し訳ありません。お力になれず」


「気にすることはないですよ。貴女の国の言葉とは違うのなら、しょうがないことです」

以前のお茶の時間でジュダスに日本語の事は話していた。


ひらがなカタカナ漢字の3種類の文字が混じる言語で難解言語のうちの1つと言われていると説明し、「神戸」と書いて9種類以上の読み方があると説明したら、ジュダスはそれを聞いてすごく難しい顔をした。


こちらの世界では、1つの言葉にいくつか意味があっても読み方は同じらしいのだ。



「あ、でも、貴女が学生時代に学んでいた言語や仕事で使っていた他国語に似てはないのですか?」

と、ジュダスは朗らかに笑いながら聞いてきた。


エリカはその目の奥に薄っすらと探るような色味を見つけた。


あのタペストリーを見る前だったら、素直に大司教やジュダスにタペストリーやミネルヴァやエリザベスの文字は読めると言ったかもしれない。


だが、エリカは首を横に振った。


「いえ、それらとは違った言語でした」

「それは残念です」

エリカの返事に、ジュダスはただ笑っていた。



その話題の後のお茶の時間も一人でとる夕食も、エリカはなるべくいつも通り振る舞うようにして過ごした。


長い派遣生活で、職場まわりに違和感を持っていると悟られるのは良くないと、エリカは身につけた処世術で平静を装った。


そのおかげか、アマーリアからも侍女達からも特に不審がられるような気配は感じられなかった。やっと寝る前のひと時、一人になれる時間になってエリカは、ふぅーっと息を吐けた。



ー確か中世から近世の中頃まで、ラテン語はヨーロッパの貴族の教養として学んでいた人が多かったはず。


母がラテン語を勧めてくれた時に言っていた言葉を思い出していた。


『当時もラテン語喋る人はそういなくて、王族や貴族、聖職者や知識人の共通の書き言葉として使っていたそうよ。まぁ、漢文みたいなものね。でも貴族女性でラテン語の読み書きができた人は、ごく少数だったようね』と。



ーお母さんの話が本当だったら、女性で母国語とラテン語が書ける…ミネルヴァ様達は貴族の中でもかなり身分の高い家…、王族だったかもしれないわ。そして用心深い方達だったんでしょうね。


エリカが考えたミネルヴァ様の行動はこうだ。

この国に何かしらの危機感を持ったミネルヴァは、貴族の教養語であるラテン語の筆記体で警告文をタペストリーに残し、母国語であるドイツ語のブロック体でノートに書付けを残した。


そんな面倒な事をしたのは、おそらくこの国の人間にタペストリーの警告文を解読されないようにする為。そして、ラテン語の知識があったジョルジャとエリザベスもそれに習ったのだと考えた。


大司教が言うには、召喚される聖女達の前世の身分は貴族の姫から村娘迄と幅広く、召喚の条件に身分は関係ないのではないかと聞かされた。


確かにあのトルソー達が着ていた服で、昔の絵で見るようなゴージャスなドレスは3着だけだった。あとはどちらかといえばシンプルなロングスカートにブラウスとストールというものが多かった。


大司教に、自分のような短いスカートの方で召喚された方は居なかったのですかと聞いたら、大司教はトルソーを見回し「おられなかったようです」と答えた。


どうも大司教は聖女の服装には関心があまりない感じがする。


夕食時にアマーリアに聞いてみたら、こちらの世界ではエリカが履いていたようなスカート丈は幼児の頃だけで、子供も親と同じ格好をするのだと言われた。


だったら短さにびっくりされたでしょう?と、聞いてみたらアマーリアは完璧な笑顔で「いいえ」と、答えた。


と、言うことは…きっと周りは少なからずエリカの格好に驚いていたということだ。



アマーリアの答えに、ふと疑問が頭をよぎった。


だったら、前の聖女であるイブリンはどんな格好で来たのだろう。大司教の授業ではイブリンは24年前に召喚されていると教わった。


姿絵で見たイブリンは自分より若く見え、その頃ならミニスカートはもちろん、ジーンズだってショートパンツだって普通に履いている時代だ。


イブリンに仕えたことがあると言っていたアマーリアなら、「イブリンもこの世界と少し違った格好だった」と答えてもおかしくないはずである。


三聖女達の後で、自分より前に召喚された聖女達はこの世界と同じような時間の流れで呼ばれているんじゃないかと思い、アマーリアにイブリンが召喚された時の服装はどんなものだったか尋ねようとしてエリカは思いとどまった。



よく思い返してみたら、アマーリアの言っていたことも少しおかしい。


ここにきた当初、先代聖女のイブリンは教養もあり刺繍と読書を好んでいたとアマーリアは言っていた。


だったら、アマーリアがなにか書いたものが残っているはずなのに、ノートはおろか紙ばさみにも名前はなかった。


ートルソーの中にも現代風な衣装はなかったわ。どれも中世ヨーロッパ風なものばかりだった…。



考えれば考えるほど、わからなくなっていく。


エリカはぬるくなったミルクティを飲み干して、柔らかなベッドで丸くなって眠りについた。

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