番外編 侍女サンディ
ifではなく番外編からの続きです。
あれ以来リル様の陛下を見る目が変わった。
私サンディはそう思っている。陛下が日頃から仰っていた、“部屋の外には悪い人攫いが出る”が本当だったからだろう。人攫いに関してはそもそも陛下も同じなのだが。その人攫い、もとい灰蛇族の長に関しては実にいい仕事をしたと思っている。陛下も同意見のようで、殺処分したのは本人や人身売買の関係者のみで一族滅亡はまぬがれたらしい。珍しくお優しい裁きに側近たちも首を傾げていた。
リル様は人攫いの恐怖からか今やすっかり大人しくなり、部屋から続く中庭以外あまりうろうろしなくなった。たまに書庫へ行く程度だ。陛下が時々仕事の合間に様子を見にやってくると、以前より少しだけ嬉しそうな顔をするようになった。陛下もお忙しいとはいえ、元々プライベートの時間は全てリル様に使いたがる方だし問題ない。それらも龍族としては普通の範囲内である。
…で、そんな状況でなんでまだお手をつけられていないのか周りには疑問しかわかないのである。その詰めの甘さが横から誰かに掻っ攫われる所以なのだ。
ただしここで再びの問題が発生はする。それは彼女がすでに生娘ではないということ。まぁあれから1年くらい経っているし、本人さえ黙っていれば分からないことではある。嘘を嫌うリル様ではあるが、あの狼の命がかかっているのだからと言い聞かせてはいる。
さらにこれは自分の勝手な想像だが、絶対に陛下は立派なモノをお持ちだ。見たことはないが絶対そうだろうあの顔は。だとすれば間違いなくリル様は怯える。それを思えばあの経験豊富そうなオオカミに喰われたことで、色事に対する忌避感を無くしてもらえてかえって良かったのではなかろうか。ちょうどいい踏み台だった。などと他人事なのでそう思える。
…で、今目の前の深刻な顔をした陛下である。
「…侍女の目から見て、どうだ?リルのあの様子はどういう感情だと思う??」
齢700超えの男による恋バナである。まぁこちらも800超えなのだが。
「…恐れながら、あと一押しかと。妃殿下は陛下に対し友人以上の感情をお持ちになっているようにお見受けします」
正直それが保護者に対するものなのか、異性に対するものなのかは微妙なところだが。故にここからまた長丁場になってはいけないことだけは確かだ。陛下に対して父性を見出されては終わりだ。
あの犬コロ、もとい銀狼のことを考えてみる。陛下が7年もだもだしていた間にペロリと食べてしまったオオカミを。
あれは傷心だったとはいえあれよあれよという間にリル様の身も心も得てしまっていた。日にちにしておよそ1週間程度。齢20と少しの童のような歳なのに、他部族の男はそういうところが恐ろしい。龍族とは時の流れが違いすぎる。おそらく陛下がリル様を発見するのがもうほんの少し遅ければ、穏便に引き離すには手遅れになってしまっていただろう。奴のハラワタがまろび出るだけで済んで本当に良かった。
あの男のところにいた方が笑顔で暮らせるのでは…と思わず見守ってしまったが、陛下が諦めるわけもないのだ。あやうく他部族に番を得た龍がたまにやるバッドエンドになるところだった。
脱線した。つまり、あの男にあって陛下に無いものだ。若さ?いやいや、それは追求してはだめだ。まぁ見た目や肉体年齢なら陛下も他部族でいう20代だろう。うん。それにリル様は犬コロを大人でかっこいいと表現していた。全くわからないが、そう見えたのだろう。そしてそれがお好みだと。
え?つまり今までずっとそばにいた陛下より大人に見えたということか?あの齢百にも満たぬお子ちゃまが?嘘でしょ??全然わからない。若者の感覚というか他部族の感覚は本当に分からない。
「つんつんした顔も可愛いがやはり笑顔が最高だ。以前は中々見せてくれなかったが俺の愛が伝わってきたのか最近ははにかみながらも愛らしい笑顔を見せてくれるようになってきた。控えめに言ってこの世の春そのものだ。心なしか距離も縮まって来たように感じる。俺のリルはやはり何よりも愛らしく素晴らしい」
ちなみに今私が顔色一つ変えずに思考を巡らせている間、陛下は延々とリル様の可愛さについて語っている。まぁ番を得たばかりの龍というのはこんなものだ。
「…間も無く妃殿下は湯浴みを終えられます。私どもはお支度を終えたのち退出致しましょうか?」
にこりと業務的な微笑みを浮かべながら言ってみる。そう。リル様は今陛下の私室からの続き部屋にある風呂に入っている。扉があるので勿論見えはしないが、音は漏れ聞こえる。彼女が他の侍女たちに楽しそうに話しかける声や水音に陛下が悶々として、恋バナと言うか質問をしてきたことなどお見通しなのだ。
「いや…、そ、れは…」
私の言う支度の意味が正確に伝わったのか、陛下は言葉に詰まる。そして長らく逡巡に逡巡を重ねた後、ようやく絞り出すような声で答えた。
「…さすがに、早いだろう」
「妃殿下はそうは思っていらっしゃらないようですが、陛下がそう仰るなら…」
通常通りに致します。と言うと、すいーっと櫛や髪用のタオル等を持ってつづき部屋の前に待機する。
「…え?リルが?ん?いや、ちょっ待…」
「あれー?ジーク、珍しいわね。今日はお仕事早く終わったの?」
リル様がそう思っていないとはどういう意味かと聞き返そうとした時、ちょうど本人が風呂から出てきてしまった。そしてそのままその近くの椅子に腰掛けいつものように私に髪を梳かれる。その性格を表すかのようにサラサラで素晴らしい。
「ああ、今日は何も殺…いや、問題もなかったから。ただいま、リル」
「お帰りなさい、ジーク」
にこやかに挨拶をする2人。まだぎこちなくはあるが、最近リル様に少しずつ笑顔が増えてきた。
「リルは今日一日何をして過ごしていた?」
「今日?今日はー…」
リル様の1日についてなどとっくに報告を受けて知っているはずなのに、本人の口から話す内容を嬉しそうに聞く陛下。これはもはや日課だ。
私としてはときおり手入れ中の主の襟足や胸元を見ては目を逸らすという忙しなさが気になるが。
「ジークも入ってきたら?お風呂気持ちいいよ」
「き、君のすぐ後にか…??」
「?うん、今ならまだ温かいし」
陛下に残り湯を使わせようなど本来なら不敬だが、リル様の後ならむしろご褒美だろう。他の侍女たちも一瞬お湯の張り替えを提案しようかと思ったが、絶対にそのままの方が陛下は喜ぶなと判断して全員口をつぐんだ。
「そ、そうだな。君が言うならそうさせて貰おう」
「うん、行ってらっしゃーい」
いそいそと風呂に向かう陛下を侍女たちは無言で礼をしつつ見送る。彼は基本的に他人が身体に触れるのを嫌うため、いつも1人で風呂に入るからだ。
リル様は特に陛下の様子を気にすることもなく、髪を梳かれるがまま手渡された果実水を飲んでリラックスしている。よし、聞いてみるか。
「ところでリル様」
「んー?」
「夜伽の支度をしましょうか?」
「んげほっ!」
私の発言に、リル様は飲んでいた果実水を喉に詰まらせてしまった。
なぜか風呂場からもガターン!という音が聞こえる。
「げほっげほっ…!え?いきなり、なんで?…ジークが…そうしろって??」
「いえ、私が勝手に出過ぎた真似をしようかと思っただけです」
むせながら聞き返す主にしれっと返す。その言葉を聞いてリル様は少ししゅんとする。
「…そうよね、ジークがそんなこと言うわけないわよね。やっぱり私のことそういう風には見てないもの」
「どうしてそう思うのです?」
「だって同じベッドに寝てても何もしてこないし、あれから口説いてくるわけでもないし…。好きって言ってもどっちかと言うと娘を嫁にやりたくないお父さんみたいな感覚だったのかもって…」
侍女たち全員が無言で天を仰いだ。あんな熱を帯びた視線を向けるお父さんは嫌だなー…と思いながら。
しかしリル様の男女の感覚はオオカミに仕込まれていたのだと思い出す。ムラっとしたら視線じゃ済まさず速攻押し倒しますよねー、オオカミでしたらねー。だからハラワタ抉られたんですけどねー。
「リル様は陛下とそういうことをするのがお嫌なんですか?」
「え?私?私は…どう、かな…」
絶対に聞き耳を立てているであろう陛下のため、他の侍女たちは極力物音や声を立てないで控えている。その緊張感にリル様は気づいていないが。
「人攫いに連れ去られそうになった時、陛下のことを呼んだんですよね?それは何故?」
「え、なんでだろ…怖かった、から?」
「叫んだ時にはすでに騎士たちに助けられていたのでしょう?怖くて誰でもいいから助けて欲しい、ならもうその時点でわざわざ呼ぶ必要は無かったのでは?」
私の言葉にリル様は急に無言になってしばらく考え込む。部屋にいた全員が息を呑んでその答えを待った。そしてようやくぽつりといった答えは…。
「…ジークが1番安心できる、から?」
「リル様、それは…」
「そっか!私もジークのことお父さんみたいに思ったのかも!」
ガタン!バシャーン!!
風呂場からなんか騒がしい音が聞こえる。
「そうね、そういうことだったのね!そういう形の番もあるのかもしれないわね」
何やら勝手に納得してしまったリル様。“それは恋です”と言いたかったのに不発に終わり、しくじった…と思いながら無言で主の髪を梳き続けた。やはり若者の感覚は分からない…。詰めが甘いのは人のこと言えないな…と思い直す。
その後、番と親子は全く違うものです。父親なんて言っているとえらい目にあいますよと滔々とリル様に言い聞かせるはめになるのだった。
評価ブクマ等コメント等ありがとうございます!あともう少しだけ続きます!




