さよなら
「というわけで、心の広い俺はお前たち銀狼族を許すことにした」
見たこともないニコニコ笑顔で、先ほどまで大暴れしていた暴虐王が告げた。リルリアーナと一緒に戻ってきた時には、先ほどのあの怒りがまるで嘘のように上機嫌になっていたのだ。
そもそも俺ら何かしたっけ?と跪きながら銀狼族は皆疑問に思ってはいるが。
「美しい我が番の姿を見た罪、声を聞いた罪は許そう」
あ、そこなんすね!と声には出せないが驚く銀狼たち。周りにいた龍族は、なんと慈悲深い…!と別の方向で驚いている。
龍帝はただし、と続けギロリとまた目を鋭くして告げる。
「貴様は許していない。が、俺のリルが助けた命だ。今回だけは特別に見逃してやろう」
「だからやめてってば!」
睨みながら言った先は妖精の治癒術によりすっかり回復したカイゼルだ。
が、ぷんすかしながらぺちぺち叩いてきているリルリアーナをみてまたニコニコする龍帝。
そして次にはまた血反吐を堪えるような表情で言葉を絞り出した。陛下は感情がお忙しいようだ。
「我が妃のく…唇を奪った罪は重いが、…ぎりぎり、本当に、ギリギリ、…我慢すれば愛しいリルが我が元へ戻ってくると言うから一度納めてやる」
「妃じゃないわよ!!」
ん…?と龍族の数名と、辺りにいた銀狼族のほぼ全員が違和感に気づいた。唇…?
自分からぺちん!と勢いよく叩いておいて、痛いー!と騒いでいるリルリアーナは気づいていなさそうだが、龍帝はもしや…。
「リル!大丈夫か!?君が望むのならいくらでもこの腹も顔も自分で抉るから!君の手が傷ついてはいけない!」
「抉りたくなんてないわよ!」
ぎゃあぎゃあ騒いでいる2人を見て周囲は思う。そういえばカイゼルは“リルちゃんの初めて”としか言っていなかった。いやいや、まさかではある。まさかではあるが、もしや、この龍帝…。
「あのっ…カイゼルさん!銀狼族の皆さん!本当にご迷惑おかけしました!ごめんなさい!でも…」
くるりと向き直ると、名残惜しそうにカイゼルを見ながらリルリアーナが声をかけてくる。龍帝は止めたそうだが彼女に触れなくてもだもだしている。
そしてとととっ…と跪くカイゼルの元に近寄ると、ひそりと耳打ちをするリルリアーナ。
「本当に、全部初めてで楽しかったです」
「リルちゃん…」
えへへと照れ笑いしながら言うその言葉で疑惑は全て確信へと変わる。…まさかではあるが、初めてというのは…。
「リル!そんな犬コロに近寄っちゃだめだ!行こう!今すぐ帰ろう!」
慌てながらもそれでも、愛しい番だというリルリアーナを掴みもしない龍帝。触りたいけど自分からは触れない。そんな様子が伝わってくる。仕方なく近くにいた侍女のサンディに申しつけてやんわりと離させる。
そして龍帝は龍の姿になると、そのままリルリアーナをその背に座らせた。
「さよーならー!」
そうして飛翔した黒龍の背から別れを告げるリルリアーナと、付き従うように続く龍たち。
遠い空へと飛び去って行った、嵐のような龍たちを見上げながらカイゼルは呟く。
「うん百年も貫くとあんな風になるのか…」
「いやもうほんとやめてくださいよ、命知らずなまねは」
さらに不敬を重ねようとするカイゼルを即座に止めに入り、こっちの寿命が縮むと言いながらもう何度目かも分からないため息をゼフはつく。なんとか収まったけれど、この後はもはや賭けだなと思いつつ。
命が惜しい銀狼たちは、気づいてしまったとんでもないことを墓場まで持って行こうとその場にいた全員心に決めた。身に覚えがありまくるカイゼル本人は勿論だが、リルリアーナとカイゼルがキスだけの関係ではないだろうことは狼の嗅覚で銀狼たちにも周知の事実だ。と言うか2人の雰囲気や距離はどう見ても…だった。
全部初めて。拗らせまくった龍帝は、カイゼルの言った“リルちゃんの初めて”を誤認識したのだろう。しかしそれでもすでにカイゼルは一度殺されかけている。本当はもっととんでもないものを奪われたと気づいたらやはり街の全ては焦土だったかもしれない。それを思えば銀狼族の結束は強固にならざるを得ない。
しかし、それより何より単純に驚いたのは…。
キスすらしていなかったのかあの龍はーー!!
オオカミたちからしたら全くもって理解不能なことであった。




