二日目 夕方
ハンスとの話を終え、ようやく一人の時間を確保することができた。
いよいよお待ちかねの、脳内情報整理のお時間である。
パニックに陥った際、ぐちゃぐちゃになってしまった記憶と思考の整理を始めるにあたり、できれば紙に書き出したいのが正直なところ。
でも、私以外の誰かの目に留まる可能性がある以上、万が一のことを考慮してやめておくのが賢明だよな……とも思っている。
特に今、この家には滞在客のノックスさんがいる。
整理するつもりの内容が内容だけに、何かの拍子でうっかり見られた、なんてことが起きてはたまらない。
もちろん、日本語を使って書けばそう簡単に読み解かれることもないだろうと思うけど(なんせひらがなカタカナ漢字を組み合わせて使う日本語は難解な言語と名高いし)、この言語はなんだと問い詰められた時の上手い言い訳が思いつかないので、こちらの案もやっぱり没。
大人しく頭の中で整理するだけに留めておくしかないから、情報の取りこぼしがないように細心の注意を払わないと。
(……とにかく落ち着いて、ひとつずつ情報を整理していこう)
まず第一に、とっくのとうに自覚はしていたけれど――わたしが死んで、私に生まれ変わったことについて。
つまりは転生、それもネット小説とか夢小説でありがちな異世界転生をしている、ということ。
私の名前からしてここは日本じゃないし、文化──というよりは文明か。
わたしが生きていたころの水準よりかなり劣っているから、異世界転生と断定して間違いない。
……ああいや、それだけなら異世界転生じゃなくて、過去のどこか別の国に転生したって可能性もなきにしもあらずだから、断定するのは難しいか。
でも、断定するからには当然根拠があるわけで……この根拠というのが、次に私が整理すべき情報だ。
わたしは死ぬ前に、とあるゲームで遊んだことがあった。
【月影に花は咲く】というタイトルの乙女ゲームで、テーブルトークRPGの【汝は人狼なりや?】をオマージュした作品である。
十人足らずの小さな村を舞台に、ルートによってボロボロ死人が出たり、血みどろなスプラッター劇場が開催されたり、失踪者が量産されるサイコホラーテイストの異色の乙女ゲーム。
主人公含めた登場人物の死にやすさや、前述の要素から人を選ぶ作品ではあるのだけど、繰り広げられる惨劇を攻略対象と協力して生き残るストーリーには非常に惹きこまれた。
アテレコしている声優さんは登場人物たちにピタリとハマっていたし、イラストは背景までしっかり丁寧に描き込まれていたり、臨場感を煽る音楽が没入感を高めたりと、乙女ゲーム初心者は始終圧倒されまくりで──
(って、そうじゃないだろう、私!)
まったく、危ないところだった。
隙あらば好きな作品について語りたくなるのはオタクの悪い癖で、このまま気付かなければ時間を無駄に浪費していたところだ。
……ということで、気付いたからには脱線した思考はサクッと軌道修正してしまおう。
こういった懐古は、余裕ができたらすればいい話である。
……そう、今の私には余裕がない。
というのも、【月影に花は咲く】の登場人物と、私が暮らす村の住民が完全に一致しているためである。
顔も、名前も、性別も何もかも、寸分の狂いもなく同じだったのだ。
昔からこの村にいる私たちや、一ヵ月前にこの村に辿り着いて仲間に加わったバチルダは当然のこと。
一週間ほど前に薬草探しに森に入った私がたまたま行き倒れているところを見つけ、療養のために村に滞在することになったノックスさんさえ例外ではなく、あのゲームの登場人物に名を連ねる顔ぶれだった。
(……否、違うか)
ノックスさんが例外じゃないのは当然だ。
だって彼はゲームの攻略対象としてパッケージに表記された、れっきとした登場人物の一人なのだから。
……ということは、ノックスさんがこの村に辿り着いたのは決して偶然などではなく、ゲームのストーリー上で必要なイベント──必然だったのだろうか?
考えてみても、その答えはわからない。
わからないけれど、ゲームのいちプレイヤーとしては、なんらかの関係はありそうな気がしている。
(……まあ、起きた物事が偶然か必然かなんて、考えるだけ無駄か)
神様でもなんでもない私が思索を巡らせたところで、どうせ正解なんてわかるわけもなし。
もっと別なことを思考した方がよほど建設的である。
例えば、そう、これからの身の振り方とか。
(どうして私が生きているんだろう)
真っ先に浮かんだ疑問のおぞましさに身体が強ばった。
……でも、この疑問は至極当然のものであり、今後に関わる重要なことだ。
何故なら本来、シモンの代わりに何者かの襲撃を受けるのは私だったのだから。
【月影に花は咲く】において、私が死体として発見されることは誰のルートでも確定事項。
刺殺や絞殺は序の口で、死亡前後に陵辱されたような痕跡が残っていたり、顔半分を残して挽肉と化していたり、身体のあちこちが食いちぎられたような欠損死体になっていたり、血溜まりに腕だけ残して消えていたりと、本当に多種多様な死に様を晒している。
つまり、私の死は物語の始まりと同意義なのだ。
私が死ぬことにより、わずか九人ばかりの小さな村で惨劇の幕が上がる。
ジゼルを殺した犯人探し──それがあの物語の大筋であり、恋愛と並行する主題。
……そのはず、だったのに。
(どうしてシモンが襲われたんだろう)
本来、今日未明の犠牲者は私のはずだった。
人狼ゲームでいうところの初日犠牲者として、その役割を果たすためだけの存在として命を散らすのが予定調和。
なのに、その私が傷ひとつなく生きている。
現状を鑑みるに、どうやら攻略対象の一人であるシモンが代わりの被害をこうむったようだけど、……予定調和を外れた理由には皆目見当もつかない。
(――それに、シモンはまだ生きていた)
物語冒頭で発見されたジゼルは、必ず死体になっていた。
惨状に程度の差こそあれど、絶対に息絶えたあとで発見される。
けれどシモンは生きていた。
虫の息でもちゃんと生きていて、死を目前に持ちこたえていた。
彼が生きていてくれたのは言うまでもなく幸運にほかならず、私にとっても仲間たちにとっても喜ばしいことだと断言できる。
……ただ、【月影に花は咲く】を、その元になった【人狼ゲーム】知る身としては、違和感をおぼえざるをえないのが正直なところ。
(大体、どうして今になってあのゲームのことを思い出したんだろう?)
転生した自覚は子どもの頃から既にあったんだし、もっと早くに思い出していれば警戒することができたのに――なんて。
そんなのは結局あとの祭りで、実際に思い出していても実現できていたかはわからない。
……そもそも、今まで思い出すことができなかった理由だって、『子どもの頃は生きることに精一杯だったから』なんだろうなとアタリがついている。
ある日、なんの前触れもなく捨てられた私は死なないために、生きるために生活の知恵を絞ることで精いっぱいで、娯楽関連の記憶に意識を向ける余裕がなかった。
そんな有様で『自分が何者か』なんて気にしていられるはずもなく、むしろ今更でも思い出すことができただけ幸運だったのかもしれない。
(……でも、そう思いたくなるのも仕方ない、よね)
私にとってのシモンは家族であり、片割れのような存在だ。
アドリアーヌとクリセルダのように生まれながらの双子というわけではないけれど、独りきりになった私が初めて出会い、長年連れ添ってきた相方。
そこにいるのが当然で、いなくなることなんて考えたこともない――言うなれば空気のような存在、というか。
それだけ私の中では大きな存在だからこそ、シモンが傷つけられたことも、治療のためとはいえシモンがこの村いなくなってしまったことも、すごく怖くて……これからもっと嫌なこと、恐ろしいことが起こるんじゃないかって、不吉な予感がして仕方がないんだ。
(本当に、困ったことになったな)
私が無事でシモンが脱落したなんて、件のゲームには絶対に有り得ない展開だ。
あの作品で描かれた世界線──もとい、攻略ルートはいずれもジゼルの犠牲の上に成り立ったもの。
いわば私の死が大前提に置かれているわけで、肝心の私が無事である以上、ゲームで見てきたルートの知識はほとんど役に立たないことになる。
(しかもその上、犯人はほぼヒロインで確定みたいなものでしょ? ……一体どうなってんの、この世界)
ため息をつきながら思い返すのは、ノックスさんと双子が去ったあとで交わした、ハンスとの密談だ。
+ + +
「……なぁ。ジゼルは本当に、シモンを襲った犯人は人狼だったと思うか?」
「そんなわけないじゃない。人狼に襲われたんなら、傷口があんなに綺麗な刺傷になるはずないわ」
ハンスから投げかけられたその問いかけを、間髪置かずに私は否定した。
人狼が人を殺す時、その手段は大きく分けて三つある。
すなわち、凶悪な牙で噛み殺す方法と、鋭い爪で引き裂く方法、そして人外特有の怪力で蹂躙する方法のいずれかということ。
どれを取っても殺された人間の死体は見るも無残、ぐちゃぐちゃのスプラッター状態になるのが常であり、シモンのように綺麗な刺し傷がつく、なんてことは有り得ない。
だから――
「やはり、犯人は人間か……」
ぽつ、とハンスが呟いた言葉に頷く。
そう、ハンスを襲った犯人は人狼ではなく、人間だ。
ナイフや包丁と言った刃物でシモンを刺し、何度も場所を変えて念入りに刺すことで確実に彼を殺そうとした執拗で明確な殺意。
……もし刺されたのがシモンじゃなければ、きっと私があの場に辿り着く前に事切れていたに違いない。
その点だけは私たちにとっての幸運であり、犯人にとっての大きな誤算だったことだろう。
「シモン相手に銀を持ち出さなかった、ということは、外部犯か――」
「……もしくは、シモンが人狼だと知らない、ノックスさんかバチルダのどちらかでしょうね」
彼が人狼である、という情報は、昔からこの村に住んでいる仲間たちであれば誰もが知っていることだ。
私も、ハンスも、アドリアーヌとクリセルダも、レナードやデリーだってそう。
皆、この村に住むことを決めた時、シモンが人狼であること――人狼らしからぬ穏やかで慎重な性格から群れを追い出され、独りぼっちになったという過去を知った上で、彼と共に生活することを選択をしている。
逆に、それを知らないのは押しかけ女房よろしくこの村に住むことを宣言したバチルダと、今はまだあくまでも滞在客としての扱いを受けているノックスさんの二人だけ。
ノックスさんはともかく、この村の住人であるバチルダは本当なら知っていてもおかしくないのだけど……ほかならぬシモン自身が伝えることを躊躇っていたから、あの子にはまだ知らせていなかったのだ。
「外部犯の可能性はどれくらいありそう?」
「ほとんど皆無と言ってもいい。前にレナードたちと村の周辺に仕掛けた罠はそっくりそのまま、綺麗に残っていたからな。外部の人間が入ってきた可能性は限りなく低い。……ノックスはどうだ?」
「昨晩――少なくとも私がシモンの家から戻って来てからは、この家の外に出ていないと思うわ。部屋の間取り上、ノックスさんが玄関から出ようとしていたら私が気付いたでしょうし、彼に貸している部屋は窓の立て付けも悪いから。もし窓から外に出ていたとしても、その物音に私が気付いたはず」
「とすると、状況証拠的にはバチルダが犯人の可能性が高いな」
「わざわざ『シモンが人狼に襲われた』なんて嘘も吐いている以上、限りなくクロに近いわね」
「どうする?」
「シモンに手を出したんだもの、できることならすぐにでも拘束したいところだけど……あくまでも出揃っているのは状況証拠だけ、というのが駄目ね。言い逃れしようと思えばできてしまうから」
バチルダをこの村から追い出す想定で動く必要がある以上、『シモンが人狼である』という情報は伏せまま、あの子を追い詰める証拠を揃えなければならない。
何故ならこの村から出て行ったバチルダが、流れ着いた先でこの村のことを――人狼が人間と一緒に暮らしていることを悪しざまに話してしまったら、シモンを殺すために狩人が徒党を組んでやってくる可能性がある。
当然、そうなれば私たちは徹底抗戦するつもりだけど、全員無事で狩人たちを追い返すことはきっと難しい。
最悪の場合、シモンがこの村を出て行ってしまう可能性もある。
……私でさえ想像のつく話をシモンが思いつかないはずもないし、彼もこの村のことをとても大切にしているから。
私たちを守るためと言って、この村を出て行くという選択を取ってしまうかも。
そんな悲しい選択をシモンにさせないためにも、彼が人狼である、という情報はバチルダに隠し通さなくちゃ。
(それに――)
犯行が行われた時間帯のアリバイを証明できないのは、バチルダだけではなく、この村の全員だ。
かろうじて私とノックスさん、それからアドリアーヌとクリセルダはお互いの無実を証明できないこともないけれど、『二人で結託して犯行に及んだ可能性がある』なんて言われてしまったらどうしようもない。
そういった点からも、状況証拠ではない、もっと確実なもの……たとえば凶器がバチルダの家から見つかるとか、返り血まみれのバチルダの服が見つかるとか、そういった証拠が欲しいところで。
「わかった。そういうことなら、今夜の見回りの時に村の外は俺が探そう」
「じゃあ、あの子の家は私が――」
「駄目だ」
「っえ、」
「ジゼルはあいつに近づくな。アドリアーヌたち……よりは、レナードの方が万が一の時にも対応できるだろうから、そっちはレナードに任せる。バチルダは俺が適当な口実で連れ出して隙を作るから、ジゼルは何もしないでくれ」
「でも、」
「頼む。いくら死んでいないとはいえ、シモンが今、この村から欠けていることには変わりがないんだ。その上、ジゼルまで失うようなことが起きてしまったら、俺たちはきっと耐えられない……!!」
食い下がる私にいやいやと首を振り、私の手をきつく握りしめるハンスはまるで、駄々をこねる小さな子どものようだった。
……その姿を見てようやく、私がシモンのことで傷ついているように、この子もまた内心ではひどく傷ついていることを理解した。
特別身体を鍛えているわけでもなく、人並みの力しか持たない私は、ハンスが言うように何かあった時に抵抗する術がない。
その点、ハンスやレナードは男と言うだけで腕力があり、何かあればバチルダを制圧することも容易なはず。
だから彼は自分たちに任せろ、と言っているのだろう。
年上の私より、ハンスの方がよっぽど冷静に状況を見極められている。
そのことが私は恥ずかしくて、申し訳なくて、……『何もしないで欲しい』とこの子が望むのであれば、それを叶えるのが今の私にできる唯一のことなのだろうと無理矢理にでも自分を納得させるしかない。
「わかったわ。……でも、貴方たちも気を付けて」
私だって、ハンスたちが傷つくのは嫌なのよ。
ハンスの頭をそっと抱きしめ、震える声でそう言い聞かせる私に、「約束する」とハンスもまた頷いた。
……もう家族を誰も喪いたくない、という思いは、私もハンスも同じだから。
この子が約束を違えることはないと、信じて任せることができるんだ。
+ + +
(バチルダをゲームの役職に当てはめるなら、さしずめマフィアと言ったところかな)
ハンスとの会話を思い返しながら、頭の中でぼんやりとそんなことを考えた。
【人狼ゲーム】にマフィアという役職は存在しないけれど、あのゲームの元になったのは【マフィア】というアメリカのTRPGだったはず。
細かなルールは異なるけれど、『市民陣営とマフィア陣営に分かれて討論を重ね、相手の陣営を抹殺して自陣営の勝利を目指す』という点は【人狼ゲーム】と同じだし、シモンが何も注意してこなかったあたりバチルダは正真正銘の人間。
であれば、あの子のゲームでの配役は人狼ではなく、マフィアと定義するのがぴったりだろう。
(……人狼が初日犠牲者で犯人がマフィアだなんて、混沌としてるなぁ)
まあ、そんなことを言ったら主人公が襲撃者になっている時点で、あのゲームは全ルート破綻しているんだけどねっていう……。
なんせ【月影に花は咲く】だとヒロインが襲撃者になることはなく、ルート次第で村人陣営として攻略対象と人狼を追い詰めていくか、攻略対象のために村人陣営を裏切って人狼陣営につくかのどちらかだったのだから。
ちなみにエンディングは攻略対象一人につき両想いではあるが死別するバッドエンド・友愛止まりのノーマルエンド・両想いかつ両者生存のハッピーエンドの三種類で、全十五ルートが存在している。
なお、エンディングまで辿り着けるか、それとも途中で死んでしまうかは進行中の選択肢と好感度次第となっており、どちらか一方が基準を満たしていないとデッドエンドによるゲームオーバーへまっしぐらという仕様。
……こまめなセーブの欠かせないある種の死に覚えゲーなんだけど、ただただ惨たらしいものから鬱くしい死に様まで多種多様だったので、ゲームオーバーを回収するのもあのゲームのひとつの楽しみだった。
その代わりメンタルはめちゃくちゃ引きずられて、思い返すたびに悶々として夜に中々寝付けなくなる……なんて弊害もあったりしたのだけど。
「それがどうして、こうなっちゃったんだろう」
呟いた声は一人きりの部屋に虚しく反響する。
そこにはどこか寂しげな、あるいは悲しげな響きが混じっていたような気もするけれど、きっと私の気のせいだろう。
私の大切な片割れを害し、殺そうとしたバチルダ。
あの子を赦すなんて選択肢は最初から存在せず、今はただ、一刻も私たちの村から早く出て行って欲しいという気持ちしかない。
……やれ冷徹だの、冷酷だのと言われるかもしれないけど、仕方ないでしょう?
親の借金のカタに娼館に売られたので逃げてきた、という境遇に同情の余地はあれど、軽々しく他人を――それも私たちの大切な家族を傷つけ、殺そうとした人間にかける慈悲はないの。
ここで暮らしたい、と言い出したのはあの子なのに、『喧嘩以上の揉めごとはご法度』という最低限のルールさえ守れないのなら、出て行ってもらうしかないじゃない。
(そのためにも、確かな証拠が早く見つかればいいのだけど)
山の向こうから差し込む西日が部屋を赤く染め上げていくのをじっと見つめて、心の中でひとりごちた。
――もうじき、襲撃時間がやってくる。
じんわりとブクマ数が増えてきていて、本当にありがたい限りです。
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