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四日目 夕方

「……ん」



 窓から差し込む西日に、いつの間にか自分がうたた寝をしていたことに気が付いた。


 アドリアーヌとおしゃべりをしながら調合室を整理したあと、二人で少し遅めのお昼ご飯を食べて、レナードの様子を見て、体調を崩したせいか気弱になったクリセルダがぐずるのに付き添って――ああ、そうしている間に眠ってしまったのか。


 昨日は一睡もしていないし、今朝もなんだかんだで睡眠時間が短かった。

 そんな状態で、家の中とはいえども動き回っていたものだから、自分でも知らず知らずのうちに身体が疲れていたのかもしれない。


 中途半端に眠っていたせいで重く、ぼんやりとした頭で、ゆっくりと状況を整理していく。



(……そういえば、ノックスさんとハンスはまだ戻ってきていないの?)



 ノックスさんは午前中に出かけているし、その目的はこちらに戻ってくる予定のハンスを迎えに行く、というものだったはず。

 とすれば、同じ道を行き、あるいは帰ってくる二人が途中で合流し、村に戻ってくるまでにこんなにも時間はかからないような気がするけれど。


 ノックスさん曰くの『男同士の話』はそんなにも盛り上がっているのかな、なんて、思い当たる節を探してみるものの実際はどうなんだろう。


 確かにノックスさんはおしゃべり上手だけど、ハンスはあまりしゃべる方ではないから、立ち話にそこまで時間がかからないような気もして。

 ……ほんの少し、心にかかった影は、意図的に見ないふりをすることにした。



「……」

「……アドリアーヌ?」

「!」



 椅子に座ったままのろのろと部屋を見渡した時、ダイニングに繋がるドアの前で、アドリアーヌがじっとしている姿が視界に入った。

 いったいそこで何をしているんだろう、と思って声をかけると、アドリアーヌはバッとこちらに振り向いて口元へ人差し指を立てた。


 ……静かに、ということだろうか?

 振り向いた彼女は瞳がゆらゆらと揺れており、表情も心なしか引きつって見える。そんなアドリアーヌの様子にますます何があったのかという疑問は強まって、自分の顔に怪訝な表情が浮かんだのがわかる。


 ――その時、






 トン、トン






「「!?」」



 非常にゆっくりとした、ノック音がふたつ。

 部屋の外から聞こえてきたことに、私たちは身体を固くした。



(……ノックスさんたちじゃ、ない)



 もし彼がハンスを連れて戻ってきたのなら、ノックをしてすぐにきちんと名乗ってくれるはずだ。


 だって、私たちにドアに施錠するよう言ってきたのはほかならぬ彼なのだから。

 ノックをして、自分の名前を告げて、鍵を開けて欲しいと言ってくれるはず。


 だけど、ノックをしている『誰か』は名乗ることもせずに、トン、トンとドアを叩き続けている。


 ノックスさんたちでなくとも、村の外からの来訪者であれば、『ごめんください』や『誰かいませんか』の一言があるはず。

 しかし今はそれすらない、ということは、つまり――ノックをしている『誰か』には私たちに声を聞かせられない・聞かれてはいけない理由があるのではないだろうか。


 たとえば、そう、『自分だとバレたら応じてもらえないとわかっているから』……とか。


 だんだん短くなっていくノックの音に、じりじりとこちらへ下がって来たアドリアーヌがひしり、と私にしがみついた。

 彼女の小さな身体はカタカタと震えていて、顔は誤魔化しきれない恐怖によって歪んでいるのが見える。


 ……アドリアーヌが私と似たような懸念をしているんだろう、ということはすぐに理解できた。

 だってきっと、今の私も彼女と似たような表情を浮かべているに違いないから。


 今の状況で下手に声を発することは躊躇われたので、やわらかいピンクブロンドにそっと手を滑らせた。

 大丈夫、私がいる。私が守る。

 そんな気持ちを込めてアドリアーヌの頭を撫でれば、ぎゅう、と私の腰に抱き着く力が強くなったのを感じる。


 ……正直、焼け石に水というか、その場しのぎにもならない励ましだけど、それでもないよりはマシだったみたい。

 気丈にドアの方を睨みつけるアドリアーヌの様子に、ほんの少しだけ肩の力が抜ける。



「アドリアーヌ、少しだけ離れていてちょうだい」

「ジゼルは……?」

「窓から外の様子を窺ってみるわ。……こちらに気付かれないように、こっそりと」



 こそり、とノックの音に紛れてしまうくらい小さな声でアドリアーヌに話しかけた。

 外にいるのが本当にあの子なのか、それとも外部から来た変質者や犯罪者なのか、あるいはもしかしたら声が出ない・出せないだけの迷子なのか。


 可能性としては、悲しいかなあの子の可能性が一番高い。

 縛り上げているから大丈夫だと思いたいけれど、世の中には縄抜け、というスキルもあるくらいだし……絶対大丈夫とは言い切れないからだ。


 でも、きちんと確認しないことには、こちらが取る行動の選択肢を選ぶこともままならない。

 だから、細心の注意を払いながら、少しだけ確認してみようと思ったのだ。


 ……津波や川の氾濫に流されてしまう人は、それらがどれくらいの規模のものかわからない恐怖を解消するために様子見に向かい、そのまま流されてしまうのだと前にどこかで聞いたけれど。

 たぶん、この時の私の思考は、自分でも自覚していないだけでそれに近いものがあったんじゃないかと思う。



「いつでも移動できるように、調合室のドアを開けておくわ」

「お願いね」



 調合室と、私の部屋と、ダイニング。

 三つの部屋はそれぞれ行き来できるように扉があって、今ほどそのことに感謝したことはきっとない。


 私から離れたアドリアーヌが、外に音が漏れ出ないように気を付けながら、そぉっと調合室に繋がる方の扉を開ける。

 一方で、私は窓がある方の壁にぺたっと張り付いて、そろりと外の様子を窺った。


 ……ちょうど、その時だ。



「ジゼルさん」

「ひっ……!?」

「ッ、調合室に入ってアドリアーヌ!!」



 バンッと大きな音を立てながら、バチルダがべたりと窓に張り付いた。


 ……窓を、壁を振動させるほどのすさまじい力と勢いもさることながら、それ以上に私たちの恐怖を煽ったのは彼女の顔だ。


 左目はお岩さんのように腫れ上がってほとんど隠れており、ぎょろりとこちらを覗き込む赤い右目は逆光で陰りながらも爛々と輝いている。

 振り乱した亜麻色の髪はぶわりと毛を逆立てているかのようで、見るからに正気を失っている形相も相まって、前世のわたしが本で見かけた鬼女を彷彿とさせるものがあった。


 おまけに鼻血や鼻水、涙で化粧された顔はお世辞にも綺麗、可愛いなんて褒め言葉をかけられそうもなく。

 ……見るからに暴行を受けたあとだとわかるその顔は、もはや元の美少女顔の面影をほとんど残していなかった。


 昨日の朝、私が見た時には、まだちゃんと綺麗で可愛らしい乙女ゲームのヒロインらしい顔をしていたはずなのに。

 どうして一晩でこんなことになっているのかはわからない――ううん、わかりたくないところだけど。

 とにかく迫力満点で見るものの恐怖を煽るような姿に、振る舞いに、アドリアーヌがこらえきれず短い悲鳴を上げた。


 私も私で悲鳴を上げそうになったけれど、それどころじゃない、と無理やり恐怖心を押し殺してベッドの上のクリセルダを抱き上げる。

 そのまま、アドリアーヌに調合室へ逃げ込むよう促し、私もクリセルダを抱えて飛び込んだ。



「まって、まってよぉ!! ジゼルさんおねがい、いかないで、わたしをひとりにしないで!! なんでそいつらばっかりなの、なんでわたしをみてくれないの、なんでわたしの、わたしが、なんでなんでなんで――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」

「っ、どうするのジゼル? あいつ、このままじゃ、」

「シッ。……あの子に気付かれないように、レナードがいる客間に移動して立てこもりましょう」

「でも、ずっと立てこもるのは無理だわ! 私たちじゃあいつを捕まえて大人しくさせるなんて無理だし、ハンスかノックスが戻って来てくれないと……!!」

「いざとなったら私があの子を引き付けるから、大丈夫。……大丈夫だから、きっと守るから、安心して。ね?」



 バチルダが私の名前を呼ぶ声と、窓をガリガリと引っかく音をBGMに、取り乱すアドリアーヌを励ましながら部屋を移動する。

 調合室からダイニングへ抜け出し、そろそろと抜き足差し足でレナードが眠っている客間へ。


 クリセルダを抱えている私は両手が塞がっているので、ドアの開け閉めはアドリアーヌが慎重に進めてくれた。

 部屋に入ったらすぐにクリセルダをベッドに寝かせ、ドアに鍵をかけて、簡単に部屋に入ってこられないようにサイドボードを引きずって移動させる。


 これで簡易バリケードにはなっているはずなので、あとは――



「……ジゼル」

「うん?」

「私、この部屋の窓から外に出て、ハンスとノックスを探しに行くわ」

「――は」

「どうしてあの二人の帰りが遅いのかはわからないけど、でも、二人とも『ここに帰ってくる』って言ったんだから。だからきっと、そんなに遠くにいるはずがないの」

「待って、」

「私が二人を探して、あいつがジゼルに何かする前に必ず連れて帰ってくる。……お願いよ、ジゼル。囮になんてなろうとしないで。あなたはクリセルダたちとここにいて」

「待ってったら!! ……アドリアーヌ!!」



 あなたに何かあったら、私、自分で自分が許せないわ。

 悲しげな顔でそう言ったアドリアーヌは、立て付けの悪い客間の窓を慣れた様子で素早く開けて、家の外へとひらりと躍り出た。


 こちらが腕を引いて止める隙もないほど素早くて身軽な動き。

 子どもの身体ゆえの俊敏性を活かすように、アドリアーヌはそのまま華麗なスタートダッシュを決めて私の死角へと――村の外へと消えていく。



「……っもう! そんなのお互い様に決まってるでしょう!?」



 勝手に決めて、勝手に行ってしまったアドリアーヌに思わず声を荒げ、地団駄を踏む。

 だけど今さら連れ戻すこともできないし、クリセルダとレナードをほっぽっておくこともできないし、行き場のない感情を胃の中でぐるぐるさせながら開けっ放しの窓をぴしゃりと閉めた。


 ……前にハンスに言われた時は大人しく頷いたけれど、あれは相手がハンスだったからだ。


 普段から野山を駆け回ってシモン以外の人狼が近づいて来ていないか見回りをしたり、猪や鹿を狩ったりしているハンスは、村に留まって農業に精を出したり薬を調合するばかりの私たちよりもずっと場慣れしているし、強い。

 だからあの子が何もするな、と言うのなら、その指示に従うべきだと納得できる。


 でも、アドリアーヌは違う。

 確かにあの子は身体が小さいぶんすばしっこいけれど、言ってしまえばそれだけだ。


 特別身体を鍛えているわけじゃないから私よりも力が弱いし、あの小さな身体は大人の女でもその気になれば簡単に押さえつけることができてしまう。

 ――私とアドリアーヌを比べた時、強いのは間違いなく大人の身体を持つ私なのだ。



(どう考えても、あの子は私に守られているべきだろう……!!)



 苛立ちはそのまま、強かな舌打ちになって室内に大きく響く。


 ……私自身、あまり精神的な余裕がないからか、ついつい言動が荒っぽくなってしまう。

 だけど、本調子じゃない私の可愛い子どもたちに余計な心労をかけたくないし、このまま静かに眠っていていてもらうためにも、もっと声量を抑えるなり苛立ちを押さえつけるなり意識しなくちゃ。



(まあ、私が静かにしたところで、あの子がいる限りは難しいんだろうけど……)






 ――ガシャン!!






「!!」



 突如として響いたガラスの割れた音に、反射的にびくりと身体が震えた。

 同時にあの子が、バチルダが窓を割って家に入ってきたのだと理解して全身が強張る。


 ……終わったことをぐだぐだと考えていても仕方がない。

 今はとにかく、レナードとクリセルダを守るためにも、バチルダの強襲を凌ぐ方法を探さなければ。


 ポケットに入れっぱなしの薬瓶をぎゅっと握りしめ、自分がこれからどうすればいいか考える。


 一番手っ取り早いのは、やっぱり私が囮になってこの部屋から離れることだと思う。

 どうやらバチルダは依然として私に執着しているようなので、私があの子を呼べば、きっとこの部屋に残っている二人をそっちのけに追いかけてくることだろう。


 ……けれどその方法を取った時、私を追いかけてきたバチルダにどう対処するかが問題だ。


 今朝作った()()()を使えば、バチルダなんて()()()()()()()()()

 でも、ハンスに『人殺しは駄目だ』と言った私が、そんな短絡的な方法を取っても良いものかという疑問もあって。



(どうする? どうすればいい?)



 ああ、でも――大切な息子(レナード)を殺そうとした気違い女(バチルダ)と、今さら平和的な和解が私にできるのかしら。



「ジゼルさん、ここにいるんですか?」

「ッ……!」



 ガチャガチャと激しい音を立てて動くドアノブ。

 対比するように、不気味さすら感じるほど静かなバチルダの声が私の所在を問う。


 内側から簡易バリケードを作ったドアを無理やり押し開けようとしているのか、ガンガンと音を立ててドアは揺れている。

 その振動で少しずつサイドボードがズレかけていることに気付いた私は、慌てて全身を使ってサイドボードを押し返した。



(このままじゃ、部屋の中に押し入られてしまう……!)



 そう思っての、とっさの行動だったけれど。



「……」

「……?」

「ああ、ああ! ジゼルさん!! やっぱりここにいるんだ!! そうでしょう!?」

「!?」



 一瞬、ドアが揺れなくなったかと思えば、喜びに満ちた声と共にいっそう激しくドアが揺れ始める。

 どうして、とサイドボードが動かないように必死に全体重をかけながら思考を巡らせて、――もしかしたらこの行動が理由なのではないかと思い当たった。


 押し開けようとしてガタガタと揺れるドアが、突然、その動きをに鈍くしたら。

 部屋の中から、押し返そうとするような力を感じたら。


 ……そりゃあ、部屋の中に誰かがいると考えたってなんらおかしい話じゃない。

 ましてや、バチルダは私を探しているのだから、部屋の中にいるのが私に違いないと思い込むことも当然の成り行きで――



「クソッ!! なんで開かないんだ、なんで私がジゼルさんのところに行く邪魔をするんだ!! あのやたら姦しくて憎たらしい双子のガキどもか? それとも昨日、私が殺しそこなったクソッタレか? ――くそ、くそ、くそ! どいつもこいつも私の邪魔をするんじゃねぇよ!! シモンの野郎みたいに全員ぶっ殺してやろうか!?」

(……ほんっと私の地雷をとことん踏み抜くわね、このクソガキ!!)



 そんなことさせるわけねーだろ馬鹿! と、心の中で悪態を吐く。

 相手の口が悪いからか、自然と私も口が悪くなっている気がするけれど、バチルダ相手に分け与える優しさの在庫はもはや残っていないのでさもありなん。


 ……そもそも、大事な大事なうちの子たちの悪口を言われたことはもちろん、勝手にシモンを死んだもの扱いされたり、うちの子たちの殺害宣言されたりしても平気な顔をできるほど、私は心が広くないのだ。



(子を守ろうとする母親が何をするかわからないってことは、貴女が強引にここに住み始めた時、熊を例に教えてあげたはずだわ)



 ねぇ、バチルダ。

 他人を殺そうとするってことは、当然、自分が殺される覚悟もあるってことでいいのよね?


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