四日目 昼
ひとしきり泣いて私が落ち着いたあとは、ノックスさんと朝食づくりに取り掛かった。
時間が解決してくれたのか、包丁を持っても昨日のように手が震えることはなかったので、本当なら手伝ってもらわなくても何も問題はなかったんだけど。
でも、ありがたいことにノックスさんが『手伝わせて欲しい』と言ってくれたので、その言葉に甘えさせてもらって手分けして四人分の朝食を作ることにした。
ごろごろ野菜のミネストローネにパンケーキ、それから付け合わせとしてベーコンやゆで卵などのごはん系と、ジャムや蜂蜜などのデザート系も取りそろえる。
ノックスさんに今朝はどれくらい食べるか訊いたら「たくさんかな!」と大変元気なお返事が返ってきたので、ミネストローネもパンケーキの生地もしっかり『たくさん』用意した。
……仕上げの焼く工程がちょっと大変なくらいの量だけど、まあ、うん、無心でやればなんとかなるわよね!
「ジゼル、おはよう」
「おはよう、アドリアーヌ。……クリセルダは?」
「うん……。それが、熱を出しちゃったみたいなの」
よしやるか! と熱したフライパンを前に意気込んだ時、かちゃりと私の部屋のドアが開いた。
ベッドに残してきた双子が起きたのかな? と思ったけれど、ダイニングに顔を出したのは珍しくアドリアーヌ一人だけ。
クリセルダはまだ夢の中なのかしら……なんてのんきに首を傾げれば、しょんぼりした様子のアドリアーヌから告げられたのは片割れが熱を出したことの報告だった。
「もしかすると、ここ数日のストレスが出ちゃったのかもしれないわね。……様子を見たいから、料理を代わってもらってもいい?」
「わかった。パンケーキを焼けばいいのよね?」
「そうそう。踏み台はいつもの場所にあるから」
「任せてちょうだい!」
「ジゼルちゃん、俺も何か手伝おうか?」
「ノックスは駄目よ。レディの寝室に入るなんて、私の目が黒いうちは許さないんだから」
元々、クリセルダは体調を崩しやすいところがあるというか、ストレスがキャパオーバーを迎えるとすぐに熱を出すタイプだ。
だから今回もそのパターンだろう、と検討をつけ、様子見のためにアドリアーヌとバトンタッチ。
ひよこのようにひょこひょこと私のうしろをついて来ようとしたノックスさんは、ドクターストップならぬツインズストップによってダイニングに引き止められた。
……うん、いくらノックスさんが信頼できると言っても、さすがに寝室に入られるのはまだ抵抗がある。
アドリアーヌが止めてくれて本当に良かったと、こっそり胸を撫で下ろした。
「おはよう、クリセルダ。熱が出ちゃったのね」
「おはよう、ジゼル……」
ベッドの上でぼんやりしているクリセルダにゆっくり問診を行いつつ、体温、脈拍、症状を確認して、過去の症例と照らし合わせていく。
お互いに慣れているやり取りなので、ぼんやりしているクリセルダも普段より少しだけ時間をかけていたものの、こちらが知りたい情報をサクサク提示してくれた。
おかげで素人目ではあるものの、クリセルダの熱はいつもと同じ――ストレス性の発熱だろうと判断することができたので、このままいつも使っている解熱薬を処方することに。
……でも、空腹状態のところへ薬をいきなり飲むのは胃が荒れる要因だから、先に何か、食べてもらってからにしなくちゃ。
そんなわけで、アドリアーヌがパンケーキを焼き、焼き上がったパンケーキを片っ端から気持ちのいい食べっぷりでたいらげていくノックスさん……という構図を横目に、私は小さな鍋でコトコトとパン粥を煮た。
牛乳と、パンと、ちょっとのお砂糖で作ることができるパン粥は、この村じゃ誰かが熱を出したり風邪をひいた時の鉄板メニューだった。
ミネストローネを使ってパン粥を作ることもできたけれど、さすがにそっちは今のクリセルダには食べづらいだろうし、ほんのり甘いパン粥の方が良いだろう。
(……パンケーキが余らなければ、固くなったパンをミネストローネで煮て朝食にしようかしら)
鍋の具合を見ながらそんなことを考えて、いやでも場合によってはミネストローネすら残らない可能性もあるわよね? とすぐに思い直した。
なにしろ、わんこそばのようにパンケーキをペロッと平らげていくノックスさんの勢いは留まることを知らないので。
……私どころかアドリアーヌの朝ごはんも残らないんじゃないかと、その様子を見てちょっぴりヒヤリとしたのは、幸せそうにパンケーキを頬張るノックスさんには黙っておこうと思う。
「――あらまあ、」
クリセルダにパン粥を食べさせて、ストックのあった解熱剤を飲ませ、寝かしつけて。
そうしてダイニングに戻ると、なんとちょうど私とアドリアーヌの分のパンケーキが焼き上がったところだった。
焼き上がりのタイミングがばっちりだったこともそうだけど、私たちの分のパンケーキが残っていたことにも驚いて声を上げれば、いかにも『心外!』といった様子でノックスさんがムスッとした表情を浮かべているのが視界の端に映り込む。
そんなノックスさんの様子がなんだかおかしくて、私は思わず吹き出してしまったんだけど、アドリアーヌはそんな私を何故か目を丸くして見つめていて。
そんなに変な反応をしたかしらと、私が首を傾げることになったのは言うまでもない。
アドリアーヌがきれいなきつね色に焼きあげてくれた、できたてほやほやのパンケーキ。
ホットケーキのように平べったいそれに、私はオーソドックスにバターと蜂蜜を、アドリアーヌはベーコンと半熟とろとろの目玉焼きをのせて頂いて、ミネストローネは小さめのスープカップにそれぞれ一杯ずつ。
余った分はノックスさんが野菜のひとかけらも残さず丁寧にぺろりと平らげて、私たちの朝食の時間はそれでおしまい。
ただ、食事の間、どうしてかアドリアーヌが私とノックスさんをちょこちょこ見比べていたのが気になったけれど、あの視線は一体なんだったのかしら……?
「んじゃ、ちょっくら行ってくるわ」
「ええ、行ってらっしゃい。ノックスさんなら大丈夫だと思いますけど、くれぐれも気を付けてくださいね?」
「任せとけって。……あ、でも、万が一ってこともあるから鍵はちゃんと閉めといてくれな?」
「ノックスに言われなくてもわかっているわ!」
食後は私とアドリアーヌが後片付けを、ノックスさんはバチルダの様子を見がてらハンスたちを迎えに行くことになった。
最初はどうして迎えなんかと思ったのだけど(なんせハンスは迎えが必要なほどお子様じゃないし……)、男同士で積もる話が~なんて言われたら、いかんせん食い下がることはできそうになくて。
そういうことならと、ノックスさんが出かけるのを見送ることにしたというわけ。
……正直に言えば、ノックスさんがいなくなるのは不安だった。
いくらバチルダを縛り上げ、行動に制限をかけているって言っても、昨日の様子を思い出すとどうにも嫌な予感が拭えないというか。
レナードとクリセルダが身動きの取れない今、ノックスさんが言うように万が一の事態が起きてしまったら、私とアドリアーヌの二人であの子たちを守り抜けるかどうかという疑問もある。
もちろん、何をしてでも私は三人を守るつもりでいるし、そのための準備もしっかりと済ませてある。
だけど、土壇場でどこまで自分がやれるか、というのはあまりにも未知数だから。
……即決即断の必要がある状況に陥った時、私は、その時の最適解を選び取ることができる自信がなかった。
(修羅場慣れしていれば話は違ったのかもしれないけれど、悲しいかな、私はそんな経験もないし……)
「どうしたの、ジゼル? ため息をついているわ」
「うん? ……大丈夫よ、アドリアーヌ。ちょっと考えごとをしていただけだから」
ネガティブなことを考えていたせいか、アドリアーヌに余計な心配をかけてしまったようで反省。
すぐに笑顔を取り繕って『なんでもない』と言えば、訝しむような目を向けられてしまったけれど、その視線には気づかないふりをさせてもらおう。
……この村で一、二を争う年長者であり(もう一人の年長者は魔女同様に長命である人狼のシモンだ)、アドリアーヌたちの保護者でもある私がしっかりしなくちゃ。
アドリアーヌと二人で洗い物を済ませたあとは、軽く部屋の掃除をしたり、昏々と眠り続けるレナードの経過を見つつ寝返りをさせたり、家の中でもできることをして過ごした。
特に、身じろぎひとつせずに眠るレナードは時々体位を変えてあげないと、血流が滞って床ずれが起きてしまう可能性もある。
私たちが起きている間はなるべく定期的に寝返りを打たせてあげて、床ずれの予防をしなくちゃいけない。
一通りやるべきことを終えたあとは、何をしようか少し考えて、調合室の棚を整理することにした。
薬品の調合中に埃や塵が入ってはいけないからと、普段から調合室の掃除はしっかりしている。
だけど、そういえば最近、薬草などの材料を整理していなかったな……と気付いたので、どうせ外に出られないのだからこの機会にやってしまおう! と思ったわけ。
この機会に古くなっているものは処分して、新しいものを採取しに行くなり、町へ買い出しに向かう時に買って来てもらうなりしなくちゃ。
「手伝うわ、ジゼル」
「休んでいてもいいのよ?」
「ううん。クリセルダがいないと落ち着かないから、やらせて欲しいの。……何かやっていた方が気も紛れるし」
「……そうよね。それじゃあ、一緒にやりましょうか」
「ありがと、ジゼル」
体調を崩しやすい子だったとはいえ、クリセルダもここ数年は熱を出す回数も少なく、元気な姿を見かけることの方が多かった。
その反動とでも言おうか、久しぶりに寝込む片割れの姿を見て、アドリアーヌもかなり気落ちして不安になっているのだろう。
今のこの子は、きっと私以上に不安な気持ちでいっぱいのはず。
そう思うとアドリアーヌの申し出を断る気は萎んでいったし、ますます自分がしっかりしなくちゃいけない、という気持ちが強まった。
「……ねぇ、ジゼル」
「どうしたの、アドリアーヌ? わからないことでもあった?」
中には取扱注意の劇物もあるので、私が調合の材料を整理して、アドリアーヌが棚の掃除をする。
そんな分担で二人とも黙々と集中し、時々、アドリアーヌの『これはどうしたらいい?』とか『これはどんな効能があるの?』といった質問に答えながら、私たちは各々のペースで作業を進めていた。
――だけどその途中、確認目的以外の理由で手を止めたアドリアーヌが、ふと私にひとつの問いを投げかけてきた。
「ジゼルはノックスのこと、どう思っているの?」
「え?」
どうしていきなり、こんなことを訊かれているのか。
どうして突然、アドリアーヌはノックスさんの名前を出したのか。
投げかけられた質問にどきりと心臓が跳ね、続けざまに疑問がポコポコと浮かんできたものだから、私が咄嗟に返せたのは、肝心の質問に対する答えではなくあまりにも間の抜けた声だけで。
……なんならむしろ、投げかけられた質問に思考がフリーズしてしまって、答えを考えることすらできていないという残念過ぎる有様だった。
「えっと、」
「……」
「その、アドリアーヌ。……『どう』っていうのは、具体的にはなんのことかしら?」
「ノックスのことが好きか嫌いかって話よ」
「好きか、嫌いか」
「ええ、そうよ。……私、ノックスのことは嫌いじゃないわ。彼がもしここに残りたいって言うんなら、無理矢理ここに居座ったバチルダなんかとは違って、この村に残ってもいいんじゃないかなと思うくらいにはノックスのことが好き。……でも、ジゼルは?」
「……」
「ジゼルはノックスのこと、好き?」
残念な理解力を晒す質問をするか、馬鹿みたいに言われたことをおうむ返しするか、あるいは何も言えずに黙り込むか。
そんな私のしょうもなさを笑うことなく、アドリアーヌはわかりやすく質問を噛み砕いて、再度私に同じ質問を尋ねてきた。
……クリセルダと二人一緒の時は見た目通りの子どもっぽい言動になりがちだけど、時々、アドリアーヌはこうして大人びた言動を取ることがある。
本来の年齢を考えれば、むしろこちらが自然なのだと思う。
でも、この子が正真正銘の子どもだった頃から知っている私からすると、大人っぽいアドリアーヌには中々慣れないもので――こちらを見透かすような、ピンクがかった灰色の目にそっと息を詰めた。
「……そう、ね」
「うん」
「私、ノックスさんのことは好きよ」
「シモンよりも、ハンスよりも、レナードやデリーよりも?」
「……うーん。そこはちょっと、申し訳ないけれど比べようがないわ」
「本当に? 誤魔化していない?」
「本当よ? ……だって、みんなのことは家族として大好きなんだもの。血は繋がっていないけれど、アドリアーヌにとってのクリセルダのような片割れとして、あるいはそう、可愛い息子たちとしてね」
素直な気持ちを言葉にすれば、一瞬、アドリアーヌに疑われてしまった。
でも、私の言葉に本当に嘘はない。
ノックスさんのことは、好ましいと思っている。
ただ、シモンたちと比べてどちらの方が好きかと言われると、それを答えるのはやっぱり難しかった。
母を失った私にできた、新しい家族たち。
同じだけの長い時間を過ごしてきたシモンはやっぱり双子の片割れのような気がしているし、子どもの頃から面倒を見ているハンスたちのことは、自分の子どものように思って大切にしているつもりだ。
ほかの人の目からどう見えるかはわからないけれど、少なくとも、私はそういうつもりで接している。
……こんなことを言ったら本人たちには嫌がられるかもしれないし、前世の私は独り身のまま死んでしまったから、そんな私があの子たちを息子だなんて呼ぶのはおこがましいのかもしれない。
だけど、それでも、小さな頃から成長を見守ってきたあの子たちに向ける愛情は……成長を喜び、いつまでも健やかでいて欲しいと思う気持ちに、『悪くない人生だった』と思えるくらいの幸せに満ちた一生を送って欲しいと願う気持ちに名前を付けるとするなら、それはやっぱり、『母性』と呼ぶのが一番しっくりくる気がするのだ。
「じゃあ、ノックスは?」
「ノックスさんは――ううん、言葉にするのが難しいわね」
「どうして?」
「そうねぇ……。なんというか、ノックスさんを好きに思う気持ちはシモンに対する愛情とも、ハンスたちに向ける愛情ともどこか違っている気がするの。……手を握られたりすると、どうにもどきどきしちゃって、恥ずかしくて、そわそわしちゃうから」
「――」
「こんなこと、ほかのみんなには思わないのよ? 変よね、私」
「やだ、ジゼル。本当に気付いてないの?」
「何が?」
「それはきっと恋よ! そうに違いないわ!」
「――は、」
アドリアーヌに問われるまま、思ったことをそのまま口に出せば、きゃー! と黄色い歓声じみた声が上がる。
かと思えば、掃除道具を置いてパタパタと駆けてきたアドリアーヌが私の手を取り、きらきらした目でこちらを見上げてきた。
……対して、アドリアーヌから輝く瞳を向けられた私はというと、今しがた彼女が告げた言葉がどうにも飲み込めず。
虚を突かれてポカンと呆け、ぱちくりと瞬きを数度繰り返す、というしょうもない反応しかできずにいて。
「……えええ? 恋? ……私が?」
数秒どころか、たっぷり数十秒経ってから、ようやく素っ頓狂な声を上げることができた。
そうして発したのは、そんな馬鹿な、と思う気持ちの反射に近い返答だったけれど――アドリアーヌの指摘と自分の感情の相違点を探そうとしたのに、時間が経つにつれて、間違い探しがすり合わせに変わっていることを唐突に自覚した。
……つまりはまあ、アドリアーヌの指摘を否定しようとするたびに、指摘された事実の裏付けになるような感情ばかりが出揃ってしまったということで。
むしろ、どうにも思い当たる節しかないことに気付いてしまったというわけで。
(う、嘘……)
こんなのどうせ吊り橋効果だ! と思うのに、そう思うこと自体が、ノックスさんへの気持ちを如実に語っているというか……。
言い訳しようとするたび、かえってドツボに嵌っていくような予感がひしひしとしていて、むしろ何も考えない方がいいような気がしてきた。
頭をからっぽにして、無心になって。
ノックスさんのことなんて頭の中からぽいと追い出してしまえば、……しまえば、……。
(……できないわ!?)
アドリアーヌの指摘を受けて変に意識してしまっているのか、ノックスさんのことを頭の中から追い出そうにも、どんどんくっきりと鮮明に思い出されてしまう始末。
笑った顔、怒った顔、拗ねた顔。
いろんな顔のノックスさんが頭の中に浮かび上がって、それから、それから……。
「~~~~~!?」
昨日今日と、ノックスさんに慰められた瞬間のことを思い出して、ぼふん! と頭の中が爆発した。
……な、なな、なんで今まで意識せずにいられたの、私!?
あんなことあったら普通、意識しないでいる方がどだい無理な話なんじゃない!?
頬を撫でられたり、涙を拭ってもらったり、手を握られたり……どう考えたって普通の男女じゃ有り得ない距離感だわ!?
(……え、え、待って? というかなんでぇ……??)
いつの間に私、ノックスさんのことそういう意味で好きになっていたわけ?
(ていうか、アドリアーヌに指摘されるまで気付かないのもおかしくない??)
私いったい何年生きていると思うの?
二百年以上、前世も合わせれば三百年近く生きてるわよね?
なのにどうして、今の今まで気付けなかったの?
長生きしすぎてその辺の感覚がポンコツ化してるとか?
つまりはそういうこと、なの……??
自分のポンコツ脳に頭を抱える私の横で、アドリアーヌは嬉しそうににこにこと笑っている。
……何がそんなに嬉しいのかはわからないけれど、少なくとも、私がノックスさんを好いていることを、この子は嫌がっていないみたい。
それどころか、むしろ歓迎しているような雰囲気すらあるのは、私の気のせいなんかじゃないはずだ。
「……人からすれば若作りのおばちゃんどころか、おばあちゃんよ?」
ただでさえ自分の感情に理解が追い付いていないのに、アドリアーヌの好意的な反応に戸惑って、口をついたのはそれだった。
「そんなこと、ノックスにはきっと関係ないわ!」
「断言するの?」
「断言するわ! だって私が見ていた限り、ノックスはずっとジゼルのことが好きなんだもの!」
「え」
ずっと――というと、アドリアーヌが初めてノックスさんとちゃんと顔合わせした、二日前からはそうだったってこと……よね?
待って待って、それじゃあ、ノックスさんがことあるごとに言ってた『好き』は本当の本当にそういう意味だったの?
リップサービスや、おべっかではなく?
(ほんとうに……?)
「ジゼルはノックスにも、ジゼルのママのことを話したんでしょう?」
「――、うん」
「ということは、ジゼルの本当の年齢のことだってノックスはもう知っているのよね?」
「……まあ、大体は?」
明確に私が何歳、とまでは言っていないけれど(いくら魔女が長命だからと言えども年齢の話はやっぱり恥ずかしいので)、今朝の話で二百年以上もの時間を生きていることは伝わっているはず。
そう考えてアドリアーヌの質問に頷けば、彼女はますます目を輝かせ、身を乗り出してきた。
「そうでしょう? ……それでもノックスは昨日までと何も変わらない熱で、ジゼルのことを見つめているんだもの。きっと彼は、ジゼルの年齢なんて気にしていないわ」
くふくふと笑うアドリアーヌは、当事者の私より、よっぽど冷静に状況を把握できているようで。
その冷静さが羨ましい……とちょっぴり恨みがましい目を向けてしまう私を、穏やかに、慈しむように優しいまなざしがじっと見据えている。
「ねぇ、ジゼル。あなたが人間を好きになるのは、きっと怖いわよね」
私の両手を包み込むようにして握り、アドリアーヌは語りかけてくる。
内緒話をする時みたいな、静かで小さな囁き。
その声はどこまでもあたたかく、柔らかく、私の心にじんわりと染み込んでくる。
「ジゼルのママのこともあるし、それに、私たち人間は魔女よりずっと寿命が短いもの。いつかあなたが置いて行かれてしまうことを考えたら、一人の方がずっと楽だし、辛くないって思うかもしれない。ノックスよりも、シモンを選んだ方が良いのかもしれない」
「でもね、ジゼル。私、誰しも愛するひとができるのは、本当に奇跡みたいなことだと思うの。家族でも簡単に捨ててしまえるひとがいたり、大人だろうが子どもだろうが売ってしまえるひとがいたり、生まれた種族の違うひとがいたり、そもそも一生出会わないまま生きて死んでいくひとなんてごまんといる」
「……そんな優しくない世界、冷たい世界で、たった一人。特別に自分を愛してくれるひと、特別に愛したいひとに巡り合えるのは、きっと奇跡に等しいことなんだわ」
そう言って、アドリアーヌはふわりと大人びた微笑みを浮かべる。
彼女の瞳に映る私は、困ったように眉をハの字にしていて――路頭に迷った迷子みたいな、そんな顔をしていて。
そのせいか、今だけは、私よりもアドリアーヌの方がよっぽど大人なんじゃないかという気がしてくる。
「ジゼル、ジゼル。私のともだちで、お姉ちゃんで、ママでもあってくれた大切なあなた。私たちに等しく注いでくれた愛が、私はずっとずっと宝物よ。……そんなあなたに私は幸せになって欲しいし、愛し合える特別な誰かと巡り会えた奇跡を決して無駄にしてほしくないわ」
アドリアーヌがぐぐぐっと背伸びして、コツン、と私と額を合わせた。
小さな手のひらが私の頬を包んで、そして、彼女は見たことのない微笑みを浮かべると――
「……あのね、ジゼル。私、あなたのことが好きよ。だいすき。愛してると言ってもいいくらい」
「アドリアーヌ、」
「だから私、ほかの誰がなんと言おうと、あなたの幸せを一番に願っているわ」
秘密を打ち明けるように、アドリアーヌは私にそっと愛を囁いた。
――その声がどこか切なさを滲ませているように聞こえたのは、私の気のせいだったのだろうか。