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四日目 朝


「……」



 朝日がのぼる前の、ひときわ夜の闇が深い時間に私は目を覚ました。


 右側にはアドリアーヌが、左側にはクリセルダが、私を挟むようにしてすやすやと穏やかな寝息を立てて眠っている。

 月明かりにうっすらと照らされる二人のあどけない寝顔にくすりと笑みをこぼして、やわらかなピンクブロンドを撫でてから、私はそっとベッドを抜け出した。


 双子を起こさないように細心の注意を払いながら、隣接する調合室へ移動した私は、燭台のロウソクに火をつけてから服を着替えた。

 朝方のひやりとした空気が肌に染みるけれど、これから取りかかる作業では火を使うので、きっとすぐに暖かくなるだろう。


 作業中、髪が落ちてこないように三角巾をかぶって手袋を付けたら、戸棚から必要な素材を出して調合作業の始まりだ。


 夜闇を閉じ込めた、黒曜石のようにつややかな黒水晶を削った粉に、乾燥させたトリカブトやスズランの根をしっかりと刻んだもの。

 そのほか、昆虫の体液などを加えてすり鉢でしっかりと練り合わせたら、蒸留水に丁寧に溶かして不純物を濾す。

 そうして出来上がった、さらりとした黒い液体をビーカーに移して、強火でぐつぐつぐらぐら一気に煮詰めていく。


 ……時々、底が焦げ付かないように薬匙を使ってビーカーを混ぜながら、およそ十分。

 ビーカーの中の液体がどろりとし始めたところでビーカーを火からおろし、冷めないうちに事前に用意しておいたベラドンナの蜜をスポイトで数滴たらす。



「――うん、いい感じ」



 ベラドンナの蜜を馴染ませるように薬匙でくるくると混ぜ合わせれば、どす黒い液体は透き通った鮮やかな紫にサァッと色味を変えた。

 煮詰めたことでどろっとしていた液体も、蜜を加えたことで少し緩さを取り戻し、とろりととろみのついた液体になっている。


 確か、飲むヨーグルトがちょうどこれくらいのゆるさというか、固さじゃなかったかなぁ……なんてことをぼんやり考えたりもしたけれど、今しがた作り終えたこの薬はそんなに甘くなければ美味しくもない。

 取扱に厳重注意の必要な危険なアイテムなので、すぐさまいつも使うものとは違う色つきの薬瓶に移して栓をした。



(これで良し、と)



 薬の瓶は昨日と同様、私が肌身離さず持っておくことにして。

 ノックスさんや双子たちが起きてくる前に、一刻も早く、後処理を済ませておかなくちゃ。



(――この薬を使わずに済めばいいのだけどね)



 手袋と三角巾を外しながら、心の中で憂いをひとりごちる。

 静かに吐いたため息は、誰に届くこともなく薄く白んだ朝の空気にすぅっと溶けて消えていった。











「おはよ、ジゼルちゃん。今日も早いな?」

「おはようございます、ノックスさん。まだだいぶ早い時間ですし、寝ていても良いんですよ?」

「んー……まあ、二度寝は確かに魅力的だけど。せっかく人気者のジゼルちゃんを独り占めできる時間があるなら、寝てる方がもったいなくねぇ?」

「またそんなこと言って……。おだてたってパンケーキが増えるだけですよ」



 すり鉢にすりこぎ、ビーカー、薬匙など、調合に使った道具たちを洗って片付けたあとのこと。

 蜂蜜を入れた紅茶を飲みながら一息ついていれば、寝ぼけ眼をこすりながらノックスさんがよたよたと起きて来た。


 ぴょこんと跳ねるノックスさんの寝ぐせに思わずふふっと笑って(どうやらノックスさんは寝ぐせに気付いていないみたいだ)、軽口を叩き合いながら朝の挨拶を済ませ。

 ノックスさんにテーブルにつくよう促したら、彼の紅茶を用意するために席を立った。


 蜂蜜やミルクの類は特にいらないそうなのでストレートティーを用意し、お茶請けにはキャラメリゼしたナッツを出す。

 まだ朝ご飯にはちょっと早い時間だけど、ノックスさんは男の子だし、腹ペコキャラみたいだし、小腹が空いているかな? と思って出してみた。


 カリッと香ばしいナッツとキャラメリゼのほろ苦い甘さはノックスさんの舌にも合ったらしく、「うま!」と歓声が上がってノックスさんがにっこり。私もにっこり。


 昨晩のにぎやかな夕食のことや眠り続けているレナードの容態について、ノックスさんがこの村に来る前に訪れた土地のことなど、紅茶を片手に私たちは始終とりとめのない話をしていた。


 ……バチルダに関する話題が少しも出なかったのはきっと、お互いに意識してのこと。

 二日ぶりの静かな朝の時間を穏やかな気持ちのまま過ごしたい、というのは、わざわざ言葉にせずとも私たちに共通する気持ちだったのだと思う。



「……なぁ、ジゼルちゃん」

「どうしました、ノックスさん?」



 けれど、私とノックスさんのティーカップが空いた頃を見計らって、おかわりを注いだあと。

 口が良く回る彼にしては珍しく、もごもごと口ごもるようにして私に話しかけてきた。


 何か気になることでもあったのだろうかと私が首を傾げれば、ノックスさんは何かを迷うように視線を泳がせ、一度そっと目を伏せて。

 それからパッと、まるで迷いを断ち切ろうとするみたいに私を真っすぐ見据えると、意を決した様子でおもむろに口を開いた。



「ジゼルちゃんはさ、」

「はい」

「その、……こんな山奥に隠れ住んでるのは、ジゼルちゃんが魔女だからなのか?」

「……はい。その通りです」



 ノックスさんは何を言おうとしているのかな、と思っていた。

 でも、いざはっきりと言葉にされれば、昨日訊かれなかったのが逆に不思議なくらい当然の質問で。

 彼の目の前であの薬を使っている以上は今さら取り繕うこともできないし、何より、ノックスさんに嘘を吐きたくないという気持ちが大きくて、投げかけられた問いに私は静かに頷いた。



「昨日の朝に使ってた薬。あれって確か、魔女の秘薬のひとつ――蘇生薬(アムリタ)だろ?」

「ええ。やっぱりノックスさんはご存知だったんですね」

「話に聞いたことがあるくらいで、実際に見たのは昨日が初めてだけどな」



 星色の薬――蘇生薬(アムリタ)はノックスさんが言う通り、この世界で魔女と呼ばれる種族だけが生成することのできる秘薬中の秘薬。

 瀕死の人間が飲めばたちまち回復し、死した人間も一晩のうちであれば黄泉路から連れ戻すことができる――と、まことしやかに囁かれている。


 実際に死人を蘇らせることができるかどうかまでは、私は試したことがないのでわからない。

 けれど少なくとも、生きている人間にとっての万能の回復薬であることは、昨日のレナードの回復具合からしても間違いない。


 ……かつてはこの秘薬を巡っての戦争、あるいは時の有力者による魔女狩りが各所で起きていたことは、当事者である魔女にとっては忘れることも知らないでいることも許されない、苦い苦い記憶だった。



「ここに隠れて暮らしているのは、ジゼルちゃんも魔女狩りに遭ったから?」

「うーん……当たらずとも遠からず、ですね。魔女狩りの憂き目に遭ったのは私の母でした」



 今からおよそ、二百年は遡った頃だっただろうか。

 私が前世を思い出すこともなく、正真正銘の子どもだった時、美人の母と二人でとある町はずれの森に住んでいた。


 あの頃の私も、今のように『どうして自分たちは隠れるようにしてひっそり暮らさなければいけないのか』という疑問もなければ、不満に思うこともなかったような気がする。


 母一人子一人での慎ましやかな暮らしは決して楽なものではなかったけれど、二人で一緒に料理をしたり、母に教わりながら薬を調合するのは幼心にも楽しくて。

 時折『どんな怪我も治せる薬』の噂を聞いて尋ねてくる人へ、ほんの少しだけ魔女の秘薬を分けて助けてあげることは、幼い私にとって誇らしさすら感じることだった。


 ただ――その一方で、母に教わった魔女の辿った歴史から、『母以外の存在は恐ろしいもの』というぼんやりした認識だけは持って生きていた。


 だから、魔女の秘薬を求めてお客さんがやってくる時は、いつも母の言いつけ通り別の部屋に隠れたり、薬草などの材料集めに家を出るようにしていて。

 私自身がお客さんと顔を合わせたことは、記憶にある限り一度だってなかったはずだ。


 ……だからこそ、私は今もなお生きているわけだし。


 転機が訪れたのは私が母に一通り薬の作り方を教わってから、たぶん、一ヵ月ほど経ったある夜のこと。

 私は眠っていたところをいきなり叩き起こされ、かと思えば、鬼の形相をした母に無理やり家を追い出されたのだ。


 それまでの母は私を叱ることがあっても穏やかに、諭すように叱るのが常で、怒鳴られたことなんて一度もなくて。

 そのショックですっかり動けなくなり、地面に座り込んで泣きじゃくる私に気付くと、鬼の皮を被った母は箒を持って家から出て来て――今度は『行きなさい』と、『森の向こうでも、どこへでも行ってしまえ』と何度も怒鳴りながら、手に持った箒を振りかぶって私を何度も殴りつけてきた。


 痛い、やめて、許してと私がどれほど泣き叫んでも、縋っても、母がその手を止めることは決してなく。

 ……ただひたすらに『行きなさい』と繰り返す母はまるで、私を洗脳しようとしているみたいだった。


 優しかった母の豹変に恐怖しながら、戸惑いながら、けっきょく私はその場から逃げ出した。


 一緒に投げ捨てられた荷物を抱え、母に言われた通り、森の奥へと走って、走って、走り続けて……。

 何が起きたのか理解ができなくて、でも、もう二度と母の元に戻れないのだろうということだけは全身の痛みが教えてくれたから、私はずっと泣いていた。



――「お母さん、どうして」



 ただそれだけを壊れた機械のように繰り返して泣き叫んで、泣き喚いて。

 そのうち喉も涙も枯れる頃には、すっかり体力も尽きていた。

 木の根っこに足を引っかけて転んだ時、その衝撃で簡単に失神してしまうくらいには、あの時の私は精も根も尽き果てていたのだ。


 ……気を失った私が目を覚ました時、真っ先に感じたのは焦げ臭さだった。


 どうして、どこから。

 泣きすぎてガンガン痛む重い頭を抱えながら、地面にうつ伏せで横たわったまま、ぼんやりとその焦げ臭さについて私は考えて――それが足元の方から漂って来ていることに気付いた瞬間、心臓がギュッと縮み上がる反動で飛び起きた。


 そりゃあそうだ、私は転んだ時に頭から地面に突っ込んで、そのまま失神している。

 つまり、裏を返せば足元の方は私がずっと歩いてきた方……母と二人で過ごしてきた家がある方角だったんだから。


 歩いてきた道を慌てて引き返して、私はすぐに家に戻ろうとした。


 森の木立の向こうに見える空は夜なのに煌々と赤く光っていて、家に近づくごとに焦げ臭さは増す一方。

 それがいっそう私の不安を煽っていたし、母に対する恐れも戸惑いも忘れさせた。


 ただ、何があったんだろうって。

 何が起きているんだろうって。


 ……お母さんは無事なのかって、私の頭にあったのは、本当にそれだけで。



「……それで、ジゼルちゃんのお袋さんは、」

「魔女狩りに遭った魔女の末路は大抵、火炙りか溺水になるのが常ですけど……私の母の時は、火炙りでしたね」



 私がやっと家の近くまで戻った時、既に思い出の詰まった我が家は炎にまかれていたし。

 あれほど恐ろしかったはずの母は木で組まれた十字架に縛り上げられ、ぐるりと取り囲むような焚火に今にもくべられようとしていた。


 そして、そんな母を取り巻く大人たちは皆、やれ『領主様に逆らった報いだ』だの『悪魔に魂を売った阿婆擦れめ』だのと母を詰り、嘲り、何がおかしいのかケタケタ笑っていて。

 ……お前たちの方がよっぽど悪魔じゃないかと、私は茂みに隠れて様子を窺いながら、吐気を催すほどの恐怖に震えていた。


 怖かった。

 恐ろしかった。


 母を助けたいのに、助けなくちゃいけないのに、腰が抜けた私は立ち上がることもできなくて。

 燃え盛る火に炙られ、苦悶の表情を浮かべて焼け爛れていく美しい母を食い入るように見つめながら、目の前の光景を受け入れられずに呆然と泣くことしかできなかった。


 枯れ果てたはずの涙は留まることを知らず、息苦しさに喘ぎながらしゃくり上げて。

 おかあさん、おかあさんと、届くはずもないのに掠れた声で呼びかけるのが、あの時の私のせいいっぱい。


 でも――パチパチと爆ぜる炎の音、あるいは母を火炙りにして喜ぶ大人たちの歓声でかき消され、本来であれば届くはずのない私の声は彼女に届いたようだった。


 焦げてチリチリに縮れた髪により覆い隠されていた俯き顔がふと、前を向いて。

 うつろな瞳が茂みに隠れる私を確かに捉えると、母は優しく微笑みながら『いきなさい』と言ったのだ。


 ……厳密にはそう言われたような気がしただけで、実際には別のことを言われていたのかもしれないし、顔も知らない父への愛を紡いでいたのかもしれない。

 だって私と母はあまりにも離れていたし、いくら炎で辺りが明るく照らされていたと言っても、激しい煙で視界はどうしても霞んでしまうから。


 だから正確には、母の唇が動いているのが見えただけなんだけど――あの時の私は本気で母に『行きなさい(生きなさい)』と言われたに違いないと信じて、ガクガク震える足を叱咤して逃げ出した。



「――とまあ、そうして逃げ出した先でシモンと出会って、シモンと暮らしているところへあの子たちが迷い込んできて、一緒に暮らすようになって今に至る……みたいな感じですね」

「……」

「そんなことがあったので、お恥ずかしい話、今でも人間が怖くてこんな山奥に隠れ住んでいるというわけです。……まあ、元々母と一緒に住んでいた頃も今と似たような暮らしをしていたので、遅かれ早かれ山か森にこもる生活は始めていたかもしれませんけど」



 内容が内容だけに、この話をするとどうしたって空気が暗くなってしまう。

 だからその分、私はなるべくさらりとした語り口で軽く話すことにしているし、話を締めくくる時にはへらりと笑っておどけることで『あくまでも過去の話として割り切っていますよ』風を装うことにしている。


 ……人間に対する恐怖心が消えていないあたり、実際には完全に割り切れているわけじゃないけれど。

 それでも、こうして他人に話すことができる程度には自分の中で整理がついている話ではあるので、まったくの嘘というわけでもないから。


 強がりだって続けていれば、そのうち本当のことになる時だってある。

 そんな願掛けも込めて、私は今回も笑みを張り付けた。



「……ジゼルちゃんはさ、」

「?」

「たったひとりの家族を人間に寄ってたかって殺されてさ、人間のこと、憎くはならなかったのか? ……それだけのことがあったら、こんな風に人間と暮らすことも、人間を助けることも嫌になりそうな気がするけど」

「――ふふ、」

「!?」

「いえ、ごめんなさいね。この話をすると、みんな決まって同じことを訊いてくるんだなと思ったらおかしくなっちゃって、ノックスさんを笑う意図はまったくなかったんです。……勘違いさせてしまったらごめんなさい」



 言葉を選ぶように、慎重に尋ねてきたノックスさんには本当に申し訳なく思う。


 でも、ハンスも、アドリアーヌとクリセルダも、レナードもデリーも、この話を聞いた時はノックスさんとまったく同じ――とまではいかずとも、似たり寄ったりな質問をしてきて。

 ……なんならシモンだって、最初の頃は同じ懸念を理由に、人間(ハンス)たちを助けることさえ難色を示していたほどだったくらいだ。


 客観的に見れば、それだけ(ジゼル)の過去は他者からの同情を誘う悲劇的かつ凄惨なものなんだろうと思うし、他人事のように自分を俯瞰してみれば、なるほど確かにその通りだと納得できる。


 でも――



「結果的に裏切られて、殺されてしまったけれど、母が人を助ける姿を見ていたからですかね? ……私が人を怖がることと、泣いていた小さな子どもたちを助けないことは、イコールで繋がるものじゃないなぁと思ってしまったんです」



 前世のわたしがただの人間だったことや、私に強い恐怖を植え付けた人間たちが大人だったから、というのも、きっと一因なんだと思う。

 ここに辿り着いた小さな子どもたちの、悲しみに暮れた瞳や、自分以外の他人に対する猜疑心がありありと読み取れる姿を見ていると、私が恐怖を抱いた人間たちとはどうしたって同じに思えなかったし、結びつかなかった。


 家族に捨てられたり、奴隷商から逃げて来たり、故郷を人狼に滅ぼされてここまで流れ着いたり。

 経緯にそれぞれ違いこそあれど、誰もがなんらかの悪意に晒されてここに流れ着いた。


 それは私自身も同じことで、……だからだろうか?

 ただでさえ一人で生き抜くこともできないくらい幼い子どもだったから、見て見ぬふりはできなかったし――あの子たちを見ていると、どうにも母を失ったばかりの頃の自分を思い出して、なおさら放っておくことができなかった。


 ……つまるところ、私の優しさは決して母のように純粋なものではなく、まぜこぜになった倫理観と打算を見目よくなるようラッピングしただけのものであり。

 今もこうしてあの子たちと暮らせているのは、あの子たちが私を害さないように洗脳(すみこみ)した結果に過ぎない、という、なんとも悪辣な理由というわけだ。



(……これじゃ魔女と呼ばれるのも仕方ないわね)



 種族としての魔女ではなく、人を盲目にさせ、意のままに操る物語の中の魔女。

 今の私はまさにそれだな、なんて、心の中で自嘲の笑みを浮かべたのも当然のことだった。



「……優しいんだな、ジゼルちゃんは」

「まさか! ただの自己満足だし、善意の押し売りみたいなものですよ」

「仮にそうだったとしても、自分が辛い思いをしたからって子どもに当たらなかったことに違いはないだろ? それに、ただただ自己満足や善意の押し売りをしてるだけじゃ、この村のヤツらからあんな風にジゼルちゃんが好かれることも慕われることもないはずだ。そうだろ?」

「……んふふ。そうやって言ってくださるノックスさんの方が、私なんかよりもよっぽど優しいと思いますけどね?」

「俺ぇ? ……いやー、俺の方こそジゼルちゃんが思ってるほど優しくないぜ? 基本的に情がないっつーか、なんつーか」

「えええ? まさか、そんな風にはとても思えませんよ?」

「そりゃあ、誰だって好きな子には優しくしたくなるじゃん?」

「またそうやって私をからかう……」

「いやいや、本気だって!」



 ――ノックスさんと話すうちに、緊張感で張り詰めていた空気が少しずつ、ゆるやかに弛緩していくのを感じていた。

 自分でも気付かずに詰めていた息と共に安堵をゆっくり、ひっそりと吐き出して、そのままノックスさんとのテンポが良い会話に再び興じていく。


 ……彼が一体どこまで本気で言っているのかはわからないけれど、それでも、明け透けな好意に身構える気持ちは先日よりもずいぶん薄らいでいる気がした。


 ぷんすか怒るノックスさんの様子にクスクスと笑いながら、『やっぱり彼は良いひとだな』と思ったのは、私の打算的な施しの話を聞いてなお『優しい』と――私に失望せずに、今までと何も変わらぬ態度で接していてくれるからだ。


 昨晩の様子からしても、ノックスさんはきっと私の話を聞いてもあの大人たちのようなことはしてこないはず、という確信に近い予感はあったけれど、実際に結果を目の当たりにするまでは可能性は半々で。

 彼の態度が豹変する可能性もなきにしもあらずだったから、完全に不安がなかったとは嘘でも言えない。


 でも、実際のノックスさんは、こうして変わらない距離感で接してくれている。

 ……人間との関係についてはやっぱり気になったようだけど、それ以外は特に過剰に反応することもなく、腫物のように扱うこともなく表情豊かにおしゃべりしてくれるから、私も肩の力が抜けてすごく気が楽だった。



(昨日のアドリアーヌとクリセルダも、こんな気持ちだったのかな)



 そんなことを考えていると、気付けば私は、誰にも打ち明けたことのない話をぽろりとこぼしていた。



「……実はね、私の髪、今はこんな色ですけど。元々は、私の目と同じような色をしていたんです」

「そうなのか?」

「母が火炙りにされた夜、気が付いた時にはこうなっていたんですよね。……ふふ、若作りのおばあちゃんとしてはぴったりな色だと思いません?」



 私にとっては、鏡を見るたびにあの夜の出来事を思い起こさせる過去の象徴。

 良くも悪くも気にしすぎる()()()のあるシモンや、あの子たちにはとてもじゃないけど言えないな、と思って黙っていた。


 ……でも、ノックスさんになら話してもいいんじゃないか、なんて。

 そんな気の迷いが生じてしまったのだと思う。



(私を『優しい』と言ってくれるこの人なら、もしかしたら――)



 この髪の色にも、過去の象徴以外の意味を見出してくれるんじゃないかと、期待してしまったから。



「若作りのおばあちゃんって……魔女はそもそも、魔力のおかげで長命な一族だって話だろ?」

「でもほら、二百年以上生きているともなれば、人間からすれば信じられないくらいおばあちゃんでしょ?」

「そりゃあ、確かにそうかもしれないけど……」

「ほらね」

「――でもさ、」

「?」

「髪の色が抜けちゃうくらい辛くてしんどいことがあっても、ジゼルちゃんが負けずにこうして生きててくれてる証だって思えば、全然悪いものなんかじゃないと思うぜ」

「――そう、かしら?」

「トーゼン! ……なんならむしろ、俺は綺麗だと思うけどな」

「やだもう、お世辞はよしてったら」

「まあ、俺はジゼルちゃんに出会えて本当によかったと思ってるから、多少の色眼鏡があるのは否定しないけどさ……。なんていうのかな、今の君の優しさと強さの象徴、みたいな。俺はそんな風に思うんだよ」

「……ほんと、ノックスさんは口が上手いんだから」



 考えながら、言葉を選ぶようにゆっくりと、彼が私に告げた言葉たち。

 それらは口が上手い彼なりのリップサービスかもしれない、という気持ちは拭いきれないけれど、それでも確かに私は嬉しかった。


 過去に負けずに生きている証。

 優しさと強さの象徴。


 そんな風にこの髪の色を考え、捉えることは、母を見殺しにして逃げた私にはとてもできないことで。



(……ちょっとだけ、この髪を好きになれそうな気がする)



 ふふふ、と私の顔は笑っているのに、何故か自分の髪をいじる手は震え、頬が濡れていた。

 そんな私の手を、テーブルの向こう側から身を乗り出すようにしてノックスさんが取り、空いた方の手が昨日のように私の涙をそっと攫っていく。


 頬に添えられた手のぬくもりの心地よさにすり寄ったのは、きっと無意識だった。


最終話まで、あと…。

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