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メラの「美味しかった」の言葉が何より嬉しかったナルリス。
-76 吸血鬼も知らない味の秘密-
女子高生の人魚の一言でやっと元気を取り戻した吸血鬼、どうやら間違えて手渡してしまった料理が普段から辛い物が好きな2人の胃袋をぐっと掴んだ様だ。
息を吹き返したかのようにオーナーシェフが数時間もの間座り込んでいたパイプ椅子からやっと腰を持ち上げたのを見たサブシェフは安堵の表情を見せた。
因みに2人は魔学校時代からの同期だったりしたので気軽に何でも話せる仲であった。
ロリュー「ナルちゃん、もう大丈夫?」
ナルリス「悪かった・・・、何とかな。すまんが、水を飲んで来て良いか?」
ナルリスの台詞を予期していたのか、ロリューの手には水の入ったグラスが。ナルリスはグラスを受け取ると一気に煽った。
ナルリス「サンキュー。よし・・、やるか・・・。」
予約が入っている上客の来店に向けて提供する料理の準備を確認した、寸胴の中のフォン・ド・ヴォーとデミグラスソースが減って・・・、いないどころか増えている。おかしい、この2つはこの店の味の決め手で門外不出にしているし隠し味は誰にも言っていない。
ナルリスは恐る恐る味見してみると自分が作った物と全くもって一緒で驚いていた、ただ大量の寸胴鍋が不自然に散らばっていたのが気になったが今はそれどころじゃない。
調理場に復帰していたオーナーシェフを見かけた副店長の真希子が、散らばっていた寸胴を全て『アイテムボックス』に押し込んで目線を低く保ちながら近づいてきた。
真希子「ああ・・・、ナル君ちょっといい?」
ナルリス「真希子さん・・・、そんな体勢でどうされました?」
真希子「フォンとデミグラスなんだけどね・・・。ごめんなさい、ランチで無くなりかけてたから私が『複製』したのよ。気を悪くしちゃったかな・・・。」
ナルリス「いえいえ・・・、私の方こそ申し訳ありません。助かりましたよ、作るの結構時間がかかるのでもし無くなっていたら予約に間に合わないかと。ありがとうございます。」
真希子「それを聞いて安心したよ、ブイヨンはいつも通りで大丈夫かい?」
実は以前、たまたま真希子が賄い用に持って来たブイヨンの香りに誘われ一口啜った際にその味に惚れこんだらしく、それ以来ブイヨンだけは真希子に任せていたのだ。
どれだけナルリスが頭を下げて頼み込んでも頑なに真希子が製法を教えないので、この店の料理全てが真希子無しでは成り立たなくなってしまっていたのだ。
ナルリス「本当・・・、いつも感謝していますよ。このブイヨン無しじゃどうすれば良いか。」
真希子「何言ってんだい、無理に雇って貰っているのはあたしの方じゃないか。こんなブイヨンで良いならいつでも作るよ。」
実は真希子本人も知らないのだ。このブイヨンの製法を唯一知っているのは養豚の仕事をしている息子の守だった。ナルリスがブイヨンの味に惚れ込んだあの時、実は当日当番だった真希子が賄い用に振舞おうとしたスープのベースとして守に作ってもらった物を温めていただけだったのだ。日本にいた頃から真希子は守のスープがお気に入りで、この世界で守と再会したのを機にレストランの皆にも食べさせてあげようと持って来たのだそうだ。
毎回守に頼む訳にも行かないと思った真希子は、一定量のブイヨンを自分用に保管しておいて『複製』したものをいつも渡していた。
個人用のロッカーにしまってあるブイヨンを見ながら「バレたら終わりだね」と汗を滲ませる真希子、バレない内に守に作り方を聞いておく事にした。
そんな事などつゆ知らず、真希子からブイヨンの入った寸胴を受け取ったナルリスは予約の入っている上客の料理の準備を始めた。
ハンバーグを成形し、表面に焼き色がつく程度まで焼いておく。デミグラスソースで煮込んだ後に上からチーズを乗せてオーブンで焼くので完全に火を通す必要はない。店中にデミグラスソースの香りが漂い出す。
ハンバーグの成形を終えた頃に、店の出入口の方からウェイトレスのミーレンの声が。
ミーレン「ご予約のお客様がいらっしゃいました、いらっしゃいませ!!」
お忍びでやって来た上客は「予約席」と書かれた札が置かれたテーブル席に1人で座った、いつもこの席に座っているからこの客から予約が入る度に必ずと言って良いほど毎回ナルリスが自ら席を用意していた。
客が席に座ったのを確認したナルリスは、成形していたハンバーグを魔力保冷庫に入れてお客のいるテーブルへと挨拶する為に近付いた。
ナルリス「いらっしゃいませ、本日はご予約ありがとうございます。ご注文頂いておりますお料理は只今ご用意致しておりますのでもう少々お待ちください。」
上客「おいおい、硬くならずにいつも通りにしてくれよ。俺達、ずっと友達だろ?」
ナルリス「そうだな・・・、すまなかった。」
上客の正体とは。