彼を毎日溺愛しなければ死ぬ呪いにかかってしまった公爵令嬢のお話
「ジレン様」
「どうしたルクシア、顔が少し赤いな。体調が優れないのか? 今日は一日休んでいたほうが」
「体調は問題ありません。その、あ……あのジ、ジレン様のことを……」
「俺のこと?」
朝方、ベラーチェ王国の第一王子であるジレンの部屋を訪れたのは婚約者であるヴァンランド公爵家のルクシアだった。
珍しい訪問者にジレンは首を傾げる。
ルクシア自ら足を運んでくれたのはこれで二度目なのだ。
一度目は挙式の日で二人は結婚して2年が経つ。
昨晩は結婚記念日で宮殿内では豪奢なパーティーが執り行われ各国の重鎮らが集い二人に祝杯をあげた。
だが昨晩と様子が明らかに違うルクシアにジレンは困惑した。
声をかけようとして。
ルクシアはドレスをギュッと握りしめてバッと顔をあげた。
「あ、あああ愛していますっ……!!! 大好きですっ!!」
腹の底から思いっきりそう叫んだ。
そして、タックル並みの勢いでルクシアはジレンへと抱きついた。
それも全身の力を込めて。うっ、と苦しそうなジレンの声がしたが尚もやめない。
「ル、ルクシア?」
ジレンは大変戸惑った。彼女がこんな積極的になったことがないからだ。
嬉しくもあり不安も積もる、自分からの想いが足りなかったのかと。
だがルクシアの行動はそれだけでは留まらなかった。か細い声で「失礼致します」と小さく告げると。
震えながら爪先立ちをしたルクシアはジレンの頬にそっと触れる優しいキスを落としたのだ。
「そ、そそそれじゃあ私はこれで!!」
やるだけやってジレンから離れたルクシアはぺこりと頭を下げて嵐のようにダッシュで駆け去って行った。
(き、きき緊張したぁ……。ジレン様ったら本当に素敵なお方ね。金を溶かし込んだ髪に澄んだ青色の瞳、おまけに高身長で私なんかには勿体ないお方だわ)
人気がないのを確認したルクシアは火照った頬を手でひょいひょいと煽ぐ。
相手に想いを告げることがあんなに恥ずかしいものだったとは思いもよらかったのだ。
そんなルクシアには悩みの種があった。その根源ともいえる指輪を見やる。
中指にはめられたそれは青色の蝶々の形で今のなおキラキラと光り輝いている。
それにホッと胸を撫で下ろしつつ難しい表情を浮かべる。
ルクシアがあんな小っ恥ずかしいことをジレンへしなくちゃいけないのには理由あった。
それは昨晩行われた結婚記念日パーティーを終えた深夜のこと。
* * *
「それじゃあルクシア。おやすみ、今日は疲れただろ。ゆっくり休んでくれ」
「ジレン様、お気遣い頂きありがとうございます。それでは失礼致します」
部屋まで送ってくれたジレンにルクシアはお礼を伝えお互い別れた。
室内に入ったルクシアは侍女達から重たいドレスを脱がして貰い部屋に取り付けられた浴室へと足を運んだ。
浴室には疲れが取れるようにとバスタブには柚が何個かぷかんと浮いていて柑橘系の良い香りが広がっていた。
ルクシアは侍女達に気持ちよかったわとお礼を伝えた。
「今日も……駄目だったわ」
ドレッサー越しに紫色の髪をタオルで拭き取ってくれている侍女達にルクシアは肩を落とした。
本来なら今日ジレンへサプライズを考えていたのだ。
婚約して2年目ということもあって相手にばかりして貰ってばっかりなのがルクシアも申し訳なく思っていた。
だから自分から何か一度で良いからしてあげたかった……。
それなのに今回もまた行動に移せず気を遣って部屋まで送って貰う形となった。
「そんなことありませんよ。ルクシア様」
「そうです! ルクシア様の美しさは私たち侍女も嬉しいんですからっ! 着飾った時なんてもう女神様みたいです」
「貴女達ね、私がどんな人間か知ってるでしょ?」
緑色の目に涙をぷくっと浮かべて侍女達へ向き直った。
「もちろん知っておりますよ。ねえ、リナ?」
「はいっ! 社交界では氷の姫だなんて気高い呼び方をされているルクシア様ですが、本当のルクシア様はシャイでちょっぴり男性が苦手な可愛い女の子ですっ!! ですよね? ララ先輩!」
「はい、良くできました」
そう、ルクシアは知的でクールでカッコいいと評判があり社交界では氷の姫だなんて呼ばれ方をしている。
でも本当はそんな大それた人柄ではない。
人と話すのがめっぽう苦手で無機質になってるんじゃなくてなってしまうのだ。
思考が回らなくなり冷たい印象を相手に与えてしまう。
けれど本当は優しくて動物や植物が大好きな人当たりの良い穏やかな子なのだ。
「どうしたらジレン様へ想いを伝えられるのかな……」
「ルクシア様……。あ! リナ! ちょっとこっち来て」
「はい? なんですか? ララ先輩、うわぁっ!!!」
「ルクシア様、少々お待ちください」
「へ? は、はい」
リナはララを首根っこを掴んで部屋から出て行ってしまった。
何やら廊下ではドタバタと激しい音が聞こえてくるが、待っててと言われたのだからルクシアは待つことにした。
(な、なんでしょう? 私の主人としての威厳を見捨てられたのかな……)
待つこと20分。
一向にリナとララが帰ってこない。
何かあったのかなと様子を見に行こうとドアノブに手をつけたがすぐに頭を振るう。
待っている間、気分転換に外の空気でも吸おうとルクシアはバルコニーへと赴いた。
バルコニーから見える景色にルクシアは心が弾まなかった。
「ジレン様とお出かけしたかったなぁ……」
ぽつくりと呟く。
いつもこうだ。ジレンと外出だったり外食や二人で行動をしようとするとすぐに体調が悪くなる。
頬が熱くなって心臓が激しく高鳴って頭がふわふわして身体もふわふわして。
どうしようもなくなってしまう、慌ててちゃんと言葉も紡げないし、目も合わすことすらドキドキしてしまうのだ。
ルクシアはため息をついて夜空を見上げた。
すると。
「あ、流れ星……! お願い致します、どうか私ルクシアが素直になれますように。ジレン様に好きだとお伝えしたいです。お願いします……っ!」
両手を組み必死にそう願った。
ーーお願いします、ジレン様に想いを伝え行動する勇気をください。
そう願うと何処からか花の香りが鼻をくすぐり、目を開くと悠々と飛び交う1匹の蝶々が現れた。
蝶々はバルコニーの手すりへと降り立つ。
羽は黒から青と流れるようなグラデーションの色合いをした珍しいもので、その体はすべてガラスで出来ている。
見たことのない蝶々にルクシアは目を瞬かせた。
その珍しさに魅入っていたら蝶々は羽を広げルクシアの指へと止まった。
そこに。
『ルクシアよ。ワタクシは女神、恋を守護とするモノ。貴女にね、お話があるの』
真上からガラスを転がしたような凛とした女性の声が響き渡った。
ルクシアは咄嗟に周りをキョロキョロと見渡したがバルコニーには誰一人としておらず居るのは自分ただ一人だけだった。
「あ、貴女は……いったい?」
『ワタクシね、もう見てられなくなっちゃったのよ』
「な、なにをですか?」
『ルクシアちゃん! 貴女ね夫となったジレン王子にチューのひとつでもしてあげた?』
先程の威厳ある雰囲気とはかけ離れた口調にルクシアは激しく動揺した。
しかも近所のお姉さんみたいなノリと拍子抜けな内容にぽかんと口が開く。
この人は何を言っているのだろう?
それに明らかにおかしい人だ。ルクシアは一呼吸して慎重に言葉を選んだ。
「何故ジレン様のことを認識していらっしゃるのですか?」
『あー、それはワタクシが恋の女神だから』
“恋の女神”そんなのルクシアは生まれてはじめて耳にした。
光の女神や太陽の女神などは神話で聞いたことがあるが、恋の女神なんて聞いたことも見たこともない。
というか存在していることに驚きだ。
「そ、その恋の女神様が私に用はなんでしょうか?」
『単刀直入に言うとね、アンタらはよラブラブせぇよ! って話なの! それでさっき貴女のもとに蝶々が来たでしょ? あの子は恋の呪いを運ぶモノなの』
「え?」
『簡単に言うと約三ヶ月間毎日ジレンを溺愛するの』
「だ、誰がですか……?」
『ルクシア貴女よっ! 貴女が彼に好きだの愛してるだの伝えるの! んでブチューっとキスしちゃう! 簡単でしょ? それを繰り返せば呪いは解けるから。頑張りなさい』
素早い口調で話した恋の女神はじゃあねと言ってパリンッとガラスが割れる音がこだました。
ルクシアはびっくりして目をギュッと閉じる。
「い、今のは何……?」
恐る恐る目を開くと何やら指に冷たい感触を感じた。
右手を上に掲げて見てみると中指には青色の蝶々の形をした指輪がはめられていた。
「ゆ、指輪……? それにさっきの声はいったい誰なの?」
心臓はドクドクと早く脈打ち手や背には変な汗をかいている。
あんな出来事は生まれてはじめてだった。幽霊などは信じていたが女神が存在するなんて聞いたことない。
大丈夫、きっとあれは幻覚だ。疲れが溜まって聞こえてしまったものだとルクシアは思い込むことにした。
寝室へ戻り寝台に横になる、眠れなさそうだけど無理やり寝なくちゃと深く布団をこっぽりと被った。
朝、目を覚ませば何もない。何事も起きていないはず……。それにリナとララの悪戯だったのかもしれないとそう思うことにした。
それなのに。
「な、によこれ……」
早朝、目を覚ましたルクシアのベッドには変なものが置かれていた。
禍々しい黒色の封筒が枕元にあったのだ。
震えながらペーパーナイフで開けて中身を取り出し目を通した。
『ごめんねー、一番重要なこと言い忘れちゃった。もしも彼への溺愛っぷりが見られなかったらその青色の蝶々が黒色になって死ぬ事になるから注意してね。それじゃあルクシアの溺愛っぷりを天から堪能すると致します』
嘘だと思いたい。というかこんなのが現実に起こりうることか?
でも現に手紙はちゃんと紙本来のカサカサした手触りを感じるし、指輪だってまだ指にはめられたままだ。
ルクシアは怖くなって無理やり抜き取ろうと指輪を引っ張ってみたがびくともせず指のサイズにピッタリとくっついている。
「もしも、もしもよ。これが現実なら女神様の言う通りにしなければ私は死んでしまうの?」
自分で口にしてぞわりと身震いした。
疑問もある、死ぬのは自分だけなのか? ジレンもルクシア同様道連れになる恐れがあるかもしれない。
ルクシアは頭を抱えながら部屋を行ったり来たりウロウロと不自然に徘徊を繰り返した。
(私が死んで、そのうえジレン様までもが死ぬことになったら……。そんなの絶対嫌よ。ジレン様と離れ離れになるなんて私には耐えられない)
好き、その言葉すらルクシアはジレンに伝えきれずにいた。
言いたくても恥ずかしさと嫌われてしまったらどうしようと不安が襲い正直になれないでいる。
それに2年前ルクシアは第二王子であるリュークの婚約者として選ばれた人材だった。
とんとん拍子で二人の婚約は進むものだろうと皆が思っていた。だが、挙式前にリュークがルクシアを襲おうとしてきたのだ。
怖くなったルクシアは極力リュークとの接点を控えていた。
そんなある日の晩ーー。
* * *
「ルクシア・ヴァンランド! 貴様は俺からの愛を拒否した挙句侮辱した! 到底許された行いではない! 今この場にいる者達へ告げるアイツは欲に塗れた穢れた魔女だ!」
夜会でリュークは憤慨しながらルクシアを指差してそう叫び散らかした。
散らばっていた視線は一気に二人へと集まる。
ルクシアは何を言われているのか分からなくて戸惑った表情をさせた。
笑ってなどいられない、何故なら周りの視線が風変わりしたからだ。
ルクシアさんって、と蔑む白い目が集中して向けられはじめる。
「私はリューク様のことを侮辱した覚えはございません」
震える手を握りしめてルクシアはハッキリとそう伝えた。
婚約もしていない身でありながらリュークはルクシアを部屋へと連れ去りベッドに押し倒したのだ。
なんとか逃げおおせはしたがそれがリュークにとって癇に障ったのかもしれない。
「とぼける気か! お前が抱きしめて来たのを受け入れてやったのに俺からの好意をお前は拒否した! それに俺達はまだ婚約も済んでいない身だ、お前は何がしたいんだ!?」
頭を手で抱えてギロリとルクシアを睨みつけた。
ビクッと肩が跳ね上がる。リュークの怒鳴り声にルクシアは目がじわりと熱くなっていく。
(私は何もしていない……。それに抱きついてきたのはリューク様からじゃない。私がリューク様を受け入れれば済む話だったの? 私が悪いの?)
耳鳴りが酷くなっていき立っているのさえやっとだ。
周りはもはやリュークの肩を持つものばかりで誰一人としてルクシアが被害者だと考えていない。
リュークは嘘をつくのが得意な人間だ。
ルクシアの功績をまるごと奪い去り自分がしてやったとホラを吹き宣言して周りの人間から敬意を表されてきた。
だからもうリュークには敵わないとルクシアは諦めて俯いた。
だが、それはリュークにとって良い合図だったのかニヤリと口角をあげて声を張り上げた。
「何も言えないということは認めるのだな! はっ、やはりお前のような女は俺の婚約者に似合わない。俺は俺を愛してくれる人が良い」
「ええ、全くですわ。お姉様ったらリューク様に無礼な態度を取って申し訳の一つもないの?」
「え……ルーナ? 何故貴女がここに?」
聞き慣れた声にハッと顔をあげると桃色の髪に緑色の瞳をした義理の妹であるルーナがリュークと腕を組んでいた。
その顔はとても満足気だ。
「お姉様が心配でわたくしここまで着いてきたのよ? それなのにとんだ酷い人、同じ家柄として恥でしかないわ。リューク様からのご好意を拒否するなんてどれだけ侮辱すれば気がすむの?」
「なにを言って……」
「とぼけないでくださいな。お姉様は一度もリューク様の想いに応えた事も応えようとしたこともありませんわよね? それを侮辱と言わずなんと言いますの? わたくしリューク様からお姉様について色々お聞き致しましたのよ?」
ルーナは球がつきない機関銃のようにバババっと言ってのける。
悪い方向に事が流れはじめた、まるで全ての元凶がルクシアであるかのように。
「私は何もしておりません。それに私はリューク様の妃になるべく努力してーー」
「努力? そんなものより大切なのは愛でしょう? 何を履き違えてるのか分かりませんけれどお姉様って頭がお堅いお方だったんですね」
クスッと馬鹿にして笑われた。
周りの人間達もルーナに釣られてクスクスと笑い出す。
ルクシアはもう何も見たくない聞きたくないと膝から崩れ落ちる。
まだ耳にはせせら嘲笑う声が会場内を行き交う。
それはどんどんと増していきルクシアの居場所が無くなりかけた時だった。
「大丈夫か?」
ふわっとルクシアの背に何かが覆い被さった。
ゆっくりと顔をあげるとリュークの兄であり第一王子であるジレンがルクシアへ上着をかけてくれたようだ。
ギュッと肩を抱き寄せられジレンの胸元にポンっと顔があたってルクシアは目をゆっくりと瞬いた。
不思議と落ち着きを取り戻してきたからだ。
さっきまで怖くてどうしようもなかったのに。
「あ、あの……」
「ジレン何故お前が此処にいるんだ! 遠征に行っていたはずではなかったのか!」
ルクシアがジレンへお礼を言おうとしたらリュークがすかさず言葉を遮ってきた。
ジレンを不安気に見やると大丈夫だと言うように微笑む。
その笑顔にトクンと大きく心臓が飛び跳ねた。
「おかしいな。遠征に行っていることはごく僅かな人しか周知していないはずだが? リューク何故お前がそんなことを知っている?」
「父上から聞いたんだよ! ジレンが遠征に行くとな、それに俺が知っていたとしてもなんらおかしくないだろ」
「ああ、言い方が悪かったな。俺が遠征に行くのを把握しているのは俺と俺の部下だけだ。なのにお前は親父から聞いたと言っていたな。リューク、親父から何をどうやって聞いたんだ?」
「な、!」
ふっと鼻で笑う。
ジレンの不敵な笑みにリュークはごくりと固唾を飲み干す。さっきまで威勢だった空気がガラリと変わった。
リュークは躍起になって腰に取り付けている鞘から剣を抜き取りルクシアへ矛先を向けた。
向けられた鋭い剣先と憎悪の眼差しにルクシアは息が詰まりそうになる。
だがジレンから強く抱きしめられ彼の腕の中に包まれた。
「元はと言えばルクシアが悪いんだ! 俺はお前を心から愛し妻にしようとしていたにも関わらず俺を毛嫌いし俺のことを避け続けた! そんな態度を示した奴を許せるか!?」
ぎゃんぎゃん喚き散らかすリュークにジレンはため息をついた。
相手にするのも億劫だというその顔はとうに愛想が尽きているようにも見える。
「ルクシア嬢少しだけここで待っててくれるか? あ、でもこんな所で貴女を一人にするのもなんだしな」
「何をおっしゃって……きゃっ! ジ、ジレン様?」
「少しの間だけ大人しくしていてくれるか? 直ぐにリュークとの話に蹴りをつけるから」
ぺたりと冷たい大理石のうえに座り込んでいたルクシアをジレンは軽々と抱き上げた。
急に体が宙に浮いてびっくりしたルクシアはギュッとジレンへと抱きつく。
「な……何をなさっているのですか?」
「ん? お姫様抱っこだが? あ! もしかしておんぶの方が良かったか? 悪いそこまで気を使えなくて」
「いえ、おんぶとかではなくて、わっ……!」
ジレンに抱かれたまま話をしていたらリュークが突然剣を振り下ろしてきた。
ジレンはそれをひょいと交わして隙だらけのリュークに蹴りを一発食らわせた。
リュークは、うっ! と呻き声をあげて蹴られたお腹を腕で抑えている。
「お前な、人が話をしているときに割り込んでくるな。ちっちゃい頃に教わらなかったか? 人の話を邪魔してはいけませんって」
「うるさい! お前が俺に命令するな!」
「おおー、怖い顔。もうちょっとお前笑顔を覚えた方がいいぞ?」
にっと笑顔を見せるジレンにリュークは顔を真っ赤にさせて激怒しながら剣を強く握りしめた。
周りの人間達も今度こそどちらかの血を見ることになると興奮している。
往生際の悪いリュークと観客にやれやれとジレンは肩をすくめた。
その時、地を蹴り勢いよく飛び出してきたリュークに今度こそ駄目だとルクシアは目をつぶったがーー。
「うぐっ!」
目を開けるとルクシアの前には白目を剥いて仰向けにリュークが倒れていた。
ジレンに目で訴えかけたがにこっと爽やかに笑顔を返されてしまう。
いったい何が起こったのか分からなかった。
よく見てみるとリュークの顔からは鼻血が出ていて顔面にジレンの蹴りをどうやら食らったみたいだ。
そこに血相を変えながらルーナはリュークに駆け寄り肩を揺らして叫んだ。
「きゃぁぁあ!! リューク様お気を確かに!!!」
「後の処理は任せたぞ」
「「はっ!」」
到着した衛兵達へジレンはそう伝えてルクシアを抱き上げたまま会場を抜け出した。
ルクシアは今になって身体が震え出した。もしもあの時ジレンがあの場に来てくれなければ今頃自分はどうなっていたのだろうか、と。
そんな不安を掻き消すようにジレンはルクシアをそっと地面に下ろして頬にそっと優しく触れた。
「怖い思いをさせてしまったな」
「いえ。あ、ありがとうございました」
「少し歩くか」
「はい」
宮殿内を二人でゆっくりと歩いて行く。
リュークの妻としての責務に追われていたこともあってじっくりと中庭を見る機会なんてなかったルクシアは目の前の美しさに感嘆した。
藍色をした夜空を背景にして周りには星屑がキラキラと輝いて、大きくてまんまるなお月様は花達が主役だと照らしていた。
その花達は夜風にふわりと揺られ踊っているみたいだ。
「ジレン様助けて頂いてありがとうございます」
「いいや、俺は何もしていない。それとだなルクシア嬢」
「はい。なんでしょうか? あ! 上着ずっとお借りしてしまい申し訳ありませんでした……!」
慌てて上着を脱いだルクシアは綺麗に折り畳んでジレンへと差し出した。
だがジレンは、ぽりぽりと頬を指で掻きながら目を逸らす。
それじゃないと言うように。
「服は別に構わない。えーとだな……」
歯切れの悪いジレンにルクシアは首を傾げた。
何か至らぬことを仕出かしてしまったのだろうか?
畳み方がまずかったのか? それとも洗濯してから返すべきか? でもそれだとジレンの服が一着駄目になってしまうし。
「悪い。少しだけ待っててくれるか?」
「は、はい。構いません」
ジレンは手を前に出して、くるっと後ろを向き何やらブツブツと念仏を唱え始めた。
何十回か繰り返したのちルクシアの方へ向き直ったジレンは突然地面に片膝をついた。
「ジレン様どうかなさいましたか?」
もしや体調が優れないのだろうかとルクシアは手を差し出そうとしたら何故かジレンに握られてしまった。
そして、はっきりとこう告げられた。
「ルクシア嬢俺と結婚してくれますか?」
「え……」
「貴女の不意をついてこんなことをするのは良くないと分かっている。けど、もう我慢出来ない。俺はルクシア嬢のことが好きなんだ」
立ち上がったジレンからルクシアはギュッと強く抱きしめられた。
リュークに抱きしめられた時はあんなに怖かったのにそんな感情は芽生えない。
それどころかポカポカと心が暖かくて安心する。
でも何故だか胸がドキドキと鳴り止まない。
この想いが何なのかルクシアにはまだ分からないけれど、何故だか大丈夫な気がした。
「ジレン様。私で宜しければ婚約を受け入れます」
「本当か!?」
「は、はいっ」
「ルクシア嬢、愛している」
ルクシアの額にそっと優しくジレンからキスを落とされた。
しばらくして二人は婚約の発表した後、挙式を披露した。
その時のルクシアは美しく優美な姿をしていたこともあって氷の姫となづけられた。
リュークとルーナはといえば騒ぎを起こしたと王様から罰せられ遠い国へ飛ばされてしまった。
「ジ、ジレン様っ! 本日宜しければその手を繋いでお出かけしませんか?」
ルクシアは恋の女神からの呪いを解くために今日も今日とてジレンの部屋へと勤しんでいた。
急に活発な動きを見せはじめたルクシアにジレンと周囲の人間達が驚き慌てふためいたのは言うまでもない。