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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

死にたい悪女は処刑前に何度も甦る

作者: 久留茶

 

 カツンと、暗い地下牢に無機質な足音が響いた。


 その音に冷たい鉄格子の奥にいる人物がピクリと身体を揺らした。


 足音の主であるルピート王国のラウル第一王子が、鉄格子越しの相手を冷たく見下ろし口を開いた。


「――最期に言い残す言葉はないか」


 王子の冷たい視線の先にはかつての婚約者である公爵令嬢、ビアンカ・ガナーシュが青白い顔をして石畳の床の上で、力なく膝を抱え座っていた。


「……何もございませんわ」


 ビアンカはそう言うと、ゆっくりと光を失ったアメシスト色の瞳を王子に向けた。


「そうか。それなら精々明日の処刑まで己の罪を悔いていろ」


 これ以上は話すことがないと言うように、ラウルはビアンカを一瞥し地下牢から姿を消した。



 ラウルの消えた地下牢で、絶望の闇に染まったビアンカは現在に至るまでの記憶を一人静かに思い返した。



  ◆ ◆ ◆



 ルピート王国の中でも国で一番の大きな財源を所有する、ガナーシュ公爵家の一人娘としてビアンカは生まれた。

 生まれたときに女であったことで、王国を支配するドアモント城の王は直ぐに当時5歳であったラウル第一王子との婚約を取り付けた。


 これにより、王国の財政は安泰だと王は安堵し、ガナーシュ公爵も王国での確固たる地位を得たことに満足していた。


 その後ビアンカは物心ついた頃より、お妃教育を徹底的に叩き込まれ、日々の努力と優秀さもあって非の打ち所のないお妃候補として成長していった。


 一方でラウル第一王子も幼少の頃より、婚約者であるビアンカを将来の自分の伴侶になる女性として丁寧に扱った。

 お互い美男美女であったこともあり、二人が年を重ねていくにつれ人々は未来の王太子夫妻を羨ましがり、憧れを抱いた。


 ビアンカも王子の優しさに励まされ、辛いお妃教育も何とか耐え抜くことが出来た。



 そんなビアンカを突如として不幸のどん底に叩き起こす出来事が起こった。



 ラウル20歳、ビアンカ15歳の年。

 伝染病が王国を襲った。



 人々が次々と病に倒れ、病気の原因も分からないままラウルも病に冒された。

 発熱と下痢を繰り返すラウルにビアンカは自ら名乗り出て、懸命な介護を行った。

 しかし、ビアンカの努力も虚しく、ラウルは段々と衰弱していき、遂には命も危ぶまれた。


 ラウルの死を恐れたビアンカは、神にも縋る思いで、定期的に訪れていた町の外れに立つ教会へと駆け込んだ。


「神様、お願いします! 私はどうなっても構わないのでラウル様を助けて下さい!」


 ビアンカは一晩中、心から祈りを捧げた。


 すると、その祈りが通じたと言うのだろうか、王国に一人の聖女が現れた。


 聖女は平民出だったが、突然神から神託を受け力を授かったと自ら名乗り出てきた。

 聖女は名をマイラといい、ビアンカと同じ年の亜麻色の髪のエメラルドの瞳がとても愛くるしい少女だった。



 マイラは最初に王国を訪れると、王子の病は聖なる力で治せると豪語し、藁にも縋る思いの王と王妃はそれを快く受け入れた。


 マイラは病床のラウルの側に跪くと、両手を胸の前で組み、静かに祈りを捧げた。


 王子の身体を柔らかい金色の光が包み込み、それと同時に、王子の内側からゆらりと黒いもや(・・)のようなものが出現した。黒いもや(・・)は上空に昇ると、やがて光に浄化されるようにすぅと姿を消した。


「浄化が成功しました。ラウル殿下はもう大丈夫です」


 マイラがほっと安堵の息を吐き、様子を見守って王達にラウルの無事を告げた。


 その言葉の通り、命が燃え尽きる寸前だったラウルの顔色が青白いものから血色の良い肌色へと変化し、遂には意識を取り戻した。

 王と王妃は愛する息子の生還に大層歓喜した。


 マイラはラウルの浄化を皮切りに、街を巡り、次々と病に冒された人々を救っていった。


 そんなマウラを人々は崇め讃え、マイラを王国の【奇跡の聖女】とまで呼ぶようになっていった。


 伝染病の再来を恐れた王はマイラを城で大切に育てたいと申し出、マイラを王の養女にしようと提案した。


 しかし、マイラの功績を讃えた人々はそれだけでは足りず、マイラが未来の王妃になることを強く望み始めた。

 そんな聴衆の声を耳にした王は『聖女をこの国の王妃に』と、ラウルに勧めるようになっていった。


 ビアンカのことを憂慮していたラウルであったが、命を救われて以降、婚約者であるビアンカに代わり、いつも側に寄り添うマイラに徐々に気持ちが傾倒していき、遂には王命のままにビアンカとの婚約を破棄しマイラとの結婚を望むようになっていた。


 これに対して、ガナーシュ公爵は大層怒ったが、王命と大きく膨れ上がった世論を抑えることが出来ず、苦渋の決断の末、娘の婚約破棄を受け入れた。


 ビアンカはラウルからの一方的な婚約破棄にとても傷付いたが、大切なラウルを助けてくれたマイラには大きな恩義を感じており、自分の気持ちは無理矢理押し殺し、王国の未来とラウルの幸せを心から願った。


 婚約破棄後、傷心のビアンカは屋敷で塞ぎ込む日が続いたが、娘を心配した父親の薦めもあってガナーシュ家が所有する辺境の地へと移住し、そこでひっそりと生きていくことを決めた。


 ビアンカがルピート王国を去る日、思いもよらぬ知らせがガナーシュ公爵家に飛び込んできた。


 聖女マイラが今回の伝染病の原因は魔女であるビアンカが引き起こしたものであった、と王に吐露したと言うのだ。


 これにはガナーシュ公爵も黙っていられず、国王に聖女の発言に対して苦言を呈したが、聖女を心酔している王には全く公爵の言葉は届かなかった。


 民衆も巻き込みあっという間にビアンカは捕らえられ、処刑を言い渡された。


 余りの理不尽さにビアンカは無実を訴えたが、公爵同様ビアンカの言葉は聞き入れて貰えず、遂にビアンカは魔女として国を混乱に陥れた稀代の悪女として処刑されることになったのだった。



  ◆



 処刑当日、ビアンカは腰まであった濡羽色の艶やかな髪の毛を肩まで切り落とされ、余計な言葉を言わないよう舌を切られた後、火炙りの刑にされた。


 最期の瞬間、ビアンカは心から愛したラウルの姿をその瞳に焼き付けた。


(――さようなら、ラウル様……)


 業火の燃え盛る中、ビアンカは静かにその命を散らしたのだった。



  ◇ ◇ ◇



 ――熱い。身体が燃える。助けて、誰か。お父様、お母様。……ラウル様。


 ハッ、としてビアンカは目を覚ました。


「ここは……?」


 辺りを見渡すとそこは、見覚えのある地下牢の中だった。


「私、火炙りになって死んだ筈じゃ……?」


 生々しい処刑の記憶が脳裏を過り、ビアンカの身体を冷たい汗が伝う。


 あれが夢であったとは到底思えず、ビアンカは暫く混乱しながらも思案した。

 処刑直前に切り落とされた髪の毛と舌を恐る恐る指で触れ、切られていないことを確認する。


「……予知夢だったと言うことでしょうか?」


 いつから自分はそんな特殊能力を身に付けたのだろうと疑問を抱く。しかし、予知夢を見たところで処刑される現状は変えることが出来ない。

 混乱するビアンカの耳にカツンと足音が響いた。


 聞き覚えのある足音にビアンカは音の先をゆっくりと見つめた。


 暗闇に蝋燭の火を灯し、自分を冷たい目で見下ろす元婚約者のラウルがそこにいた。

 ビアンカは呆然としながらも、次に起こるであろう出来事を確信していた。


(ああ、私、この次の言葉を知っていますわ……)


「――最期に言い残す言葉はないか」



  ◇ ◇ ◇



 ビアンカは再び暗い地下牢で目を覚ました。


「間違いありませんわ。私、処刑前に戻っているのだわ……」


 そして、時間が何度も巻き戻される事実をはっきりと受け止める。

 しかし、現状の把握が出来たところで、よりにもよって何故処刑前日に甦るのか、ビアンカはその意味が分からず混乱した。



 二度目の処刑は一度目と全く同じ内容を辿った。

 王子の言葉の後、ビアンカは一夜を牢屋で過ごし、処刑直前に髪と舌を切られ、火炙りの刑を受けた。


 二度も想像を絶するほどの苦しみを味わい、ビアンカは恐怖に震えた。


「これは、私に対する罰なのでしょうか。でも、私は伝染病を撒いた魔女なんかではありませんわ。何故私だけがこのような目に遭わなければならないのでしょうか。私の罰とは一体何なのですか!?」


 ビアンカは一人、暗い牢屋の中で決して答えてくれることのない神に向かって半狂乱で問いかけた。


 何も変えることが出来ないまま、地下牢での時間は過ぎていった。ビアンカは再び訪れる三度目の死に怯えた。


 ――カツン


 三度目の牢屋に再び鳴り響く足音に、ビアンカは恐怖にビクリと跳ねた。


「あ、ああ……」


 暗闇に蝋燭の灯りで浮かび上がった元婚約者の冷たい端正な顔を見て、ビアンカは絶望のどん底に叩き落とされる。


 自分の顔を見て怯え震えるビアンカに、ラウルが訝しげに眉根を寄せた。


「ようやく罪を認め、悔いているのか」


 三度目にして、ラウルの言葉に変化が見られたことに、ビアンカは内心驚き、弾かれたように顔を上げた。


「……私の罪とは何でしょうか?」


 そしてビアンカは震える声でラウルに偽りの罪ではなく、真実の罪を問うた。


「しらを切るな。お前は魔女で国中に伝染病を撒き散らしたのではないか!」


 ビアンカの質問の真意に気付かないラウルは、罪を認めようとしないビアンカの態度にカッとなり、声を荒げた。


「 私には生まれつき魔力など一切ありませんわ。私が魔女ではないことは、いつも傍にいたラウル様が良くお分かりでしょう? もし仮に私が魔女であったとして、何のために婚約者であるラウル様を病に冒す必要があったというのです?」


 一度目と二度目の処刑前には全てを諦め、ラウルとの会話を放棄していたビアンカであったが、ここに来て変化の兆しが見られた為、僅かな期待を胸に、三度目にしてようやく胸につかえていた思いを、元婚約者へと吐き出した。


(私が何度も処刑前に生まれ変わるのは、身に覚えのない罪で本当に罰を受けているから? それとも……)


「ええい、うるさい!! お前が第二王子と一緒になるために私の存在が邪魔で消そうとしていたことは分かっているのだ!! その為にお前が悪魔と契約をし、魔力を手に入れたとマイラが私に教えてくれた」


「なんと、愚かなことを……」


 ラウルの言葉にビアンカは恐怖も忘れ、怒りに震えた。


「第二王子であられるジョシュア様はまだ年端も行かない幼子であられます! そのような方と私がどのようにして心を通わせ、ラウル様を消そうなどと画策出来ましょうか。ラウル様の命を救って下さったマイラ様に対して、醜い気持ちを抱きたくなく今まで黙っておりましたが、何故そのような滅茶苦茶な話を鵜呑みにされているのですか? 私の知っているラウル様はそのような愚かな王子ではありませんでしたわ!」


「おのれ、罪人の分際で王子を愚弄し、聖女の悪口まで言うのかっ!!」


 ビアンカの必死の言葉はラウルには届かない。

 怒りに震えるラウルが腰に差している剣に手を添える。

 ビアンカはその様子を視界に捉えると胸が酷く痛んだが、ラウルの激昂に臆することなく真摯な態度を貫いた。


「私はラウル様を心から愛しております!」


 ビアンカの悲痛な叫びのような告白に、ラウルの剣を持つ手がピクリと揺れた。

 それはラウルが初めて耳にする婚約者の言葉だった。


「幼い頃からずっと、ラウル様の隣に立ちたいと必死で頑張って参りました。この先ずっとラウル様と一緒に、王国を支えて行こうと心に決めておりました。辛かったお妃教育もラウル様の優しい励ましで耐えることが出来ました」


 ビアンカのアメシスト色の瞳から涙が溢れ、無機質な牢屋の石床を濡らしていく。


「ずっと……愛しております」


「今更、何を……」


 カシャンと牢屋に金属音が鳴り響いた。


 いつも堂々と自信に溢れ、凛としていたビアンカの姿しか知らないラウルは、元婚約者の泣き崩れた姿に動揺し、ふらりと身体が揺らめくと手にしていた剣を思わず床に落としていた。


 動揺するラウルの隙を突き、ビアンカが鉄格子から素早く手を伸ばす。

 ビアンカはラウルの落とした剣を拾うと、急いで牢屋の中に引き寄せた。


「ビアンカ、よせっっ!!」


 ラウルが咄嗟に声を上げるが、ビアンカは涙に濡れたままの顔で一度だけラウルへと視線を向けると、ゆっくりと、目の前に握り締めた剣に視線を戻し、自分の胸へと思い切り剣を突き刺した。


「ビアンカ!!」


 冷たい地下牢に流れる、ビアンカの血液だけが温かい。掠れゆく意識の中でラウルの声だけが牢屋に虚しく響いていた。


(神様……、私、ようやく自分の素直な気持ちをラウル様に言うことが出来ました……。もう、思い残すことなど何も有りませんわ……)


 ビアンカは今迄言えなかった心の内を今回ラウルに吐露したことで、自身の未練は断ち切れた、と反応のない運命の神に向かって必死で訴えた。


(今度こそ、本当に死なせて下さい……)


 そして、次こそは確実な死を迎えさせて欲しいと強く望みながら、三度目の死を牢屋の中で迎えたのだった。



  ◇



 目の前でビアンカが己の胸を刺した瞬間、ラウルの脳内をずっと支配するように覆っていた黒い膜の様なものが、パリンと硝子のように砕けて割れた。


「ビアンカ……私は、何故ずっと君を憎いと思っていたんだろう……」


 目の前で血を流して倒れたビアンカをゆっくりと抱き締めながら、力なくラウルが呟いた。

 膜が剥がれすっきりとした頭に、ビアンカへの自分のこれまでの行いが甦り、ラウルは罪悪感で上手く息が出来なくなった。


 やがてビアンカの心臓がゆっくりと止まっていく。


「……ビアンカ、……ビアンカ。……君をこんな風に失うなんて……。罰なら私がいくらでも受けるから、どうかもう一度幸せな未来を君に……」


 ビアンカの命が完全に尽き、ラウルの目から止めどなく涙が溢れ、零れ落ちた。



 どれ位の時間が過ぎただろうか。

 数分か、はたまた数秒だったのだろうか。

 悲しみから抜け出せないまま、ラウルは暗闇の世界でビアンカの亡骸を抱え過ごした。


 しばらくすると、暗闇に僅かな光が灯り出し、その光でようやくラウルは悲しみから意識を取り戻した。

 ぼんやりとした視線をさ迷わせ、ラウルが光の出所に目を向けると、光はラウルの腕に抱いたビアンカの身体から放たれていた。


「これは……っ!?」


 ビアンカとビアンカを腕に抱いていたラウルの身体が光で覆われる。

 更に光は大きく広がり、遂には暗い地下牢全体をすっぽりと包み込んだ。


 光がやがて一際大きな輝きを放つと、ラウルの意識は、徐々に光に飲み込まれるように、ゆっくりと消えていった――――



  ◆ ◆ ◆



 伝染病に冒されたラウルは苦痛の中で、必死に看病を続ける婚約者のビアンカを(とこ)の中から視界に映していた。

 病が伝染るから自分を放っておけ、と何度も声をかけるが、ビアンカは食い下がらず、身の回りの世話を必死で行っていた。


 この病に冒された者が次々と亡くなっていることは王子である自分の耳にも届いていた。


 ラウルはいよいよ自分の死を覚悟した。


 心残りは今も尚、必死で看病を続けてくれている健気な婚約者のことだった。


 自分がこの世からいなくなってもビアンカだけは幸せになって欲しいと、心から強く望んだ。



 ◆



 ラウルとビアンカは物心つく前から婚約者同士であり、頻回に顔を会わせる機会は多かったが、二人の間に色恋の雰囲気はあまり感じられなかった。


 なにせビアンカはとても真面目で、使命感が強い女性だった。

 生まれた頃からラウルの婚約者として未来の皇后になるため、厳しいお妃教育を受け続けており、ラウルの前では常に凛とした表情を崩さず、一歩後ろに下がりラウルを支えている存在だった。


 当時の幼いラウルにとって、ビアンカは婚約者というよりは腹心の部下という言葉の方がストンとはまっていた。


 しかし、二人が成長するにつれて、やがてラウルの心にも徐々に変化が表れ始めた。


 陰ながら自分を支えようと努力を続けるビアンカの健気な姿や日毎に美しく成長していく彼女を、いつも一番近くで見ていたラウルは、いつしかビアンカに対する気持ちが身内に対する親愛の情からはっきりと熱情を伴った感情へと変化していくのを感じ取っていた。


 一方、ビアンカの方はと言うと、ラウルから自分に向けられる熱を帯びた視線に気付かず、通常運転の冷静さを崩さず「殿下、私の顔に何かついておりますの?」と鈍感な返答を返すばかり。


 ラウルは自分は異性としてこの美しい婚約者に意識されていないのではないか、と不安に駆られ消極的となり、二人の仲が婚約者という形だけのものから一向に進展する気配は見られなかった。



 ◆



 遂にラウルに死の影が近付いてきた時だった。

 今にも泣き出しそうなビアンカが、涙を必死で堪えるように口をキツく結び、ラウルの前から逃げるように城を飛び出した。


 ラウルは病の中、自分の側から去っていくビアンカに対して、『それでいい……』と思う気持ちと、『最後まで自分の側にいて欲しかった』と思う気持ちの矛盾した感情を抱いたまま、意識を手放した。



 次にラウルが目を覚ました時は、ビアンかではない見知らぬ少女がラウルの目の前に顔を覗かせていた。


 死の淵をさ迷っていたせいかラウルの意識は朦朧としており、意識がハッキリとしてくるまで見ず知らずの女が馴れ馴れしく付きっきりで自分の看病を行っていた。


()()()()はお前じゃない……」


 ラウルは小さな声でボソリとひとり()ちた。



 しかし、やがてラウルが徐々に元気を取り戻していくと、そんなラウルの気持ちとは裏腹に、ビアンカに対する気持ちに変化が表れ始めた。


 婚約者であるビアンカはあの時、城を出たきり自分の元には姿を現さなかった。

 自分が死んだものと思ったのだろうか。しかし、自分はこうして生きている。

 やはり、自分だけの独り善がりの恋心だったのではないか、とラウルの心に黒いもや(・・)がかかり始めた頃に、目の前で甲斐甲斐しく、自分を看病してくれている女性――マイラに心が揺れ動かされるようになっていった。


 そんな折、マイラから驚くべき事実が告げられる。


『公女様は悪魔と契約をし、魔女となり幼い第二王子を操り王国を支配するため、邪魔な存在となる第一王子を伝染病に巻き込まれた形で亡きものにしようとしていた』


 と。マイラは更に言葉を続けた。


『自分が聖女となった時にその事実を神託で告げられ、それを阻止せよと神様から聖なる力を授かった』


 と。以前のラウルならそんな荒唐無稽な話は一笑に付し、まともに受け止めることはしなかっただろう。

 しかし、ラウルに必死で訴えかけるマイラのエメラルドの瞳を見ていると不思議とそんな気持ちが掻き消され、マイラの話す言葉が全て正しいことのように思えてくるのだった。


 それと同時に、自分の死の間際に逃げ出したビアンカをひどく恨み憎む気持ちが芽生えて、ビアンカを苦しめてやりたいという思いが心を強く支配した。


「ビアンカを捕らえよ!!」


 遂に、ラウルの口からビアンカ捕縛の命令が下されたのだった。



 ◆



 城に連れて来られ、腕を縄で縛られ捕らえられたビアンカを、ラウルは玉座から静かに見下ろしていた。

 久しぶりに見るビアンカは、ラウルの知るかつての凛とした気高く美しかった頃の面影が薄れ、あの頃のビアンカと同一人物とは思えない程に顔色も悪く、憔悴しやつれた様子が窺えた。


 ズキリ、とラウルの心臓が鈍い音を立て痛んだが、それに気付かない振りをして、捕縛され自分に跪き項垂れている元婚約者へと言葉をかけた。


「お前が、今回の伝染病を流行らせた張本人だということは、横にいる聖女のマイラから聞いている」


 ラウルの言葉に弾かれたようにビアンカが顔を上げる。

 やつれてはいるが、今も尚変わらないビアンカの美しいアメシスト色の瞳に、ラウルの心臓が一瞬ドキリと跳ねた。

 先程からビアンカを見るたびに苦しくなる心臓に、ラウルは密かに動揺した。


「何を仰っているのか、わかりません」


 青褪めた顔をしながらも、凛とした表情でビアンカが口を開く。


「何を……」

「ラウル様、ビアンカ様をよくご覧になって下さい」


 ラウルが言葉をかける前に、すかさずマイラがラウルに耳打ちをしてきた。

 マイラの言葉にラウルがビアンカを凝視する。


 ゆらりとビアンカの身体を黒いもやが覆っていた。


「あれは!?」


「見えますか? あれがビアンカ様の魔力の証です。私の浄化で、ラウル様の身体からもアレが出てきました。私の言葉が真実です、ラウル様」


 マイラの囁きが、耳から脳へと流れ込む。

 全身を不快な気分が覆い、ラウルはくらりと眩暈を覚えた。


 玉座の下から二人の様子を眺めていたビアンカは、二人の親密そうな雰囲気に半ば自暴自棄気味になり、抵抗することを諦めた。


(ラウル様の隣にはもう私の居場所はないのですね……)


「地下牢へ」


 頭を押さえながら、ラウルがビアンカの身柄を地下牢へと移すよう城の兵士に命令した。

 命令を受けた兵士により、ビアンカは両脇を抱えられ乱暴に立たされる。ビアンカは力なく俯き、そのまま地下牢へと連れて行かれた。


 そんなビアンカの姿をラウルは苦痛の表情で見送っていた。



 一方、ラウルの隣で寄り添うように佇んでいたマイラは怪しい微笑みを浮かべていた。

 マイラの瞳がエメラルドから血に染まったような紅い色に変わったことに、誰も気付く者はいなかった。



 ◇ ◇ ◇



 カツンと、暗い地下牢に無機質な足音が響いた。

 ラウルは静かに鉄格子の向こうにいるビアンカの姿を捉えた。


「ビアンカ……」


 ラウルの静かな呼び掛けに、ビアンカは何の反応も示さない。

 光の失われたアメシスト色の瞳は、薄暗い地下牢の空虚な空間をぼんやりと眺めているだけだった。


「ビアンカ」


 ラウルがもう一度静かに声をかけるが、やはりビアンカからの返事はない。


 三度の死を経験し、尚も死の前日に引き戻される状況にビアンカの心は半分壊れかけていた。


 自分を呼ぶかつて愛した婚約者の声も、今はこの殺風景な地下牢の様に、ビアンカには無機質な音にしか聞こえてこない。


(この世に未練はもうないはずなのに、何故私はまた甦ってしまうの……。もう、疲れましたわ……。いっそ、このまま魂ごと消滅できる方法はないのでしょうか……)


 心の奥底でビアンカは悲痛な思いを巡らせていた。


 キィ、と鉄格子の扉が開く音が聞こえ、ラウルが牢屋の内側に入ってきた。

 ラウルが静かにぼんやりとしているビアンカの目の前に跪く。ビアンカに視線を合わせる形でいるのに、ビアンカの瞳にはラウルの姿は映らない。


 痛々しいビアンカの姿にラウルは堪えきれず、強引に自分の胸に引き寄せ、力一杯抱き締めた。


「ビアンカ、すまない。私は君に何て酷いことをしていたんだ」


「…………」


 反応のないビアンカに、尚も必死にラウルは言葉を続けた。


「私の剣で君が胸を刺す姿に、私の中でずっと燻っていた何かが(ほど)け、私はようやく目が覚めた。そして君を失った悲しみに、息が出来ない程の苦しみを味わった」


 ラウルの目から一筋の涙が零れ落ち、涙がビアンカの頬を伝った。


「……君が死んだ後、光に包まれた私は奇妙な体験をした。……君の死だけが永遠に繰り返されていく地獄を、目の当たりにしたのだ」


 ラウルの涙と言葉に反応するように、光を失っていたビアンカの瞳が、ゆらりと揺れる。


「ラウル様……」


 ビアンカは静かに愛しい人の名を呼んだ。


「ビアンカ!」


 ラウルはようやく聞けたビアンカの声に嬉しそうに表情を和らげる。


「ラウル様……。私は何故何度も死を繰り返すのでしょうか?」


 ラウルの腕の中で恐怖に震えるビアンカに、ラウルは労るようにビアンカの髪を優しく撫で付けながら、ビアンカの繰り返される死について考えた。


「……分からない。しかし、必ず意味はあるはずだ。君が死の前に何度も戻るということは、君の死自体が運命の神に認められていないのかもしれない」


(だとしたら、本当に死ぬべきだったのは……)


 ラウルは胸の内で確信した。


「死ぬべきは、あの時病に罹っていた私のほうなのだ」


 ラウルのはっきりとした強い口調に彼の覚悟が見られ、ビアンカは慌てた様子で彼を仰ぎ見た。


「何を仰られるのですか!? ラウル様が死んでは元も子も有りません!! 私がラウル様の死の間際に教会に駆け込み、神様に『私はどうなってもいいから、ラウル様をお助け下さい』とお祈りした結果、こうなったのだと思っております」


 ラウルはこの時、ようやく自分の前からビアンカが姿を消した理由が分かり、この状況で不謹慎ではあるが、思わず嬉しさが込み上げ胸が熱くなるのを感じた。


 そんなラウルの心の内を知らないビアンカは自らを自虐するかのように、フッと笑った。


「ですが、人の命と引き換えの代償がこれ程の苦痛を招くとは思いもしませんでしたわ……」


 ビアンカの瞳が再び絶望の色に染まる。

 ラウルは過去三度のビアンカの死を思い出し、苦悶の表情になりながらも、力強くビアンカを見据えた。


「ビアンカ、すまない。今度こそ君を死に追いやることはしないと誓うよ」


「ラウル様……」


 ラウルの誠実な言葉にビアンカの恐怖心が僅かに和らぎ、二人の気持ちが重なり合おうとしたその時だった。


「何をしているの!?」


 牢屋にヒステリックな声が響いた。



 ◇



 地下牢の入り口で灯りを手にしたマイラが、牢屋の中で抱き締め合う二人を目にすると日頃の可愛らしい容貌を大きく崩し、物凄い剣幕で二人に近付いてきた。


「マイラ……」


 ラウルは庇うようにビアンカを背中に隠した。

 その様子に更にマイラが激昂する。


「何故その悪女を庇うのですか! 人々や殿下を殺そうとした魔女だというのに!」


「私はそのように恐ろしいこと絶対にしませんわ! 何故貴女は魔力のない私を魔女だと言い張るのですか!?」


 マイラの言葉をビアンカが初めて否定した。


「神の声を聞いたからよ! その証拠に貴女の身体を黒いもや(・・)が覆っているのを殿下は見ているのよ!」


「もやなど見えない!」


 ビアンカに続き、ラウルがマイラの言葉を否定する。


「何ですって?」


 ラウルの言葉にマイラの目元がピクリと反応する。


「処刑宣告時に見えていたビアンカの身体を覆っていた黒いもやは、今や私には見えていないのだ」


 ラウルの言葉に、マイラは信じられないというように二人を凝視すると、先刻からの怒りを忘れたかのように表情を消し、口に手を当て何やら考え始めた。


「私の力が効かなくなったということ……? 何故? ずっと感じていた違和感の正体に関係あるのかしら……」


 ぶつぶつと独り言を言い出したマイラに、ラウルは得体の知れない気味の悪さを感じていた。


「ラウル様、マイラ様の瞳の色が……」


 つん、とラウルの背中に隠れるように立っていたビアンカが、驚いた様子でラウルの服を引っ張った。


 ビアンカの言葉を受け、ラウルがマイラの瞳を見ると、マイラのエメラルド色の瞳が血のような深紅の色に変わっていた。


「マイラ、その瞳の色は一体……!?」


 ラウルはビアンカをゆっくりと後ろに下げると、マイラを警戒するように腰に差していた剣に手を伸ばす。


 再びマイラは驚きで目を見開いた。


「何故お前達に私の本当の姿が見えるの? ……成る程、お前達、神の干渉を受けているね? それならばこの地下牢の奇妙な時間の歪みも理解できる」


 その言葉と同時にマイラの姿が変貌する。

 亜麻色の煌めく髪の毛は真っ白なパサパサの髪に。

 少女のような艶々の肌は深い皺が刻まれた老婆のように。

 ちょこんと置かれるようにあった小鼻は大きな鷲鼻に。

 瞳だけがギラつく血の色に。



「マイラ! 貴様が魔女だったのか!?」



 マイラは少女の姿からは想像もつかない、黒いローブを纏った陰湿な雰囲気の老婆の姿へと変貌した。


「王子を我が物にしようとした私の計画を、よくも壊してくれたな」


 正体が明らかになり、マイラは隠すことなく自身の計画を打ち明けた。


「折角人々も王も、そして王子も魔法で心を操っていたと言うのに! 神のやつめ邪魔しおって!」


 姿の見えない神に不満をぶつけると、マイラが呪文を唱え始めた。

 マイラの魔法詠唱で太く鋭い棘を持ったいばらが地下牢の石床を突き抜け、ビアンカ目掛けて真っ直ぐに伸び、ビアンカの身体にぐるりと巻き付いた。


 そのままビアンカの身体は伸びたイバラに吊るされ、無理矢理押さえ付けられる苦しさにビアンカが顔を歪める。


「やめろ! ビアンカに構うな!!」


 ラウルが剣を振り上げビアンカに巻き付いたイバラを切り落とすが、切り落とされた場所からすぐに蔦が伸び、更にビアンカの首や手足を拘束するように巻き付いた。


「うっ……」


 首を絞められた形になり、息苦しさにビアンカが小さく呻いた。

 そんなビアンカを睨みつけるように老婆姿のマイラが口を開いた。


「お前から神の干渉の力を強く感じる。お前さえいなくなれば、再び私の魔法で王国を支配することが出来るだろう」


 そう言うと、マイラは一際大きく伸びて尖ったいばらの棘をビアンカに向けた。


「やめろ!」


 ラウルがマイラに斬りかかるが、魔法で虚しく弾き飛ばされる。


「ラ……ウル……様……」


 首が絞まり意識も薄れ始めたビアンカは、目の前に突き立てられたいばらの棘を見ながら四度目の死を覚悟した。


(神様、私を何度も甦らせたのは、この真実を暴くためだったのでしょうか。でも、魔女の正体を突き止めたところで、私にはどうすることも出来ませんわ……)


 力なくビアンカが目を閉じ、いばらの棘がビアンカの胸を貫こうとしたその時だった。


「ビアンカを二度と死なせるものか!」


 ラウルがビアンカを庇うように目の前に立ち塞がった。


 信じたくない光景にビアンカが微かに首を横に振り、振り絞るように声を上げた。


「ラウル様、……い、や……」


 ビアンカの目の前に胸をいばらの棘で貫かれたラウルの姿があった。


 ポタポタと胸から血が止め処なく滴り落ちる。


「……いいんだ、これで」


 ラウルが口から血を吐きながら、優しくビアンカに笑いかけた。


『死ぬべきは、あの時病に罹っていた私のほうなのだ』


 ビアンカの脳裏に先程のラウルの言葉が浮かんだ。


「ラウル! 愚かなことを!!」


 老婆姿のマイラが悲鳴のような声を上げる。

 途端、ビアンカを捕らえていたいばらの蔦が小さく萎んでいき、ビアンカの身体が自由になる。

 ビアンカはその場に膝をつくように倒れ込むと、喉を押さえ咳き込んだ。


 そして、ふらつく足で目の前に倒れるラウルの身体を抱き起こした。


 ラウルは浅く小さな呼吸で、命は最早風前の灯であった。


「……こんなことってあんまりですわ、神様!!」


 散々自分が理不尽な死を繰り返した結果、四度目は最初に生きて欲しいと願った愛する者の死である事実に、ビアンカは涙を流しながら神を呪った。


 目を閉じているラウルはピクリとも反応しない。どんどん冷たくなっていくラウルの身体を、ビアンカは血まみれになりながら、温めるように必死で抱き締めた。


「ああぁぁっ!! 私の悪魔との契約が……っ!!」


 ラウルの死を感じたマイラは狂ったように怯え始めた。その直後に、ボゥッとマイラの身体が蒼い炎に包まれる。


「あぁぁぁぁっっ!! 熱い!! 身体が燃える!! こんなはずじゃ……っ!!」


 炎に包まれたマイラは抵抗することも出来ず、断末魔の悲鳴を上げながら、みるみる焼け焦げ、やがて跡形もなく消えていった。


 静まりかえった地下牢には血まみれのビアンカと、ビアンカの腕に抱かれ、完全に冷たくなったラウルだけが残された。


「う、うう。こんな、結末……私は望んでいませんわ……」


 ビアンカは涙で滲む視界で、地下牢の扉の手前に落ちていたラウルの剣を見つけると、そっとラウルの亡骸を床に優しく横たえ、ふらつく足取りで剣を取りに向かった。


「ラウル様、ご免なさい。折角助けて頂いた命ですが、貴方のいない世界など、私には死んだも同然なのです。でも、もう死ぬのは怖くありませんわ」


 そう言うと三度目の時と同様にビアンカは自分に向けて剣を突き立てた。


 再び甦るかもしれない。

 次こそは魂が消滅するかもしれない。

 しかし、不思議と恐怖はなかった。


 ドスッ――――


 自らの強い意志で、ビアンカは自分の胸に剣を刺した。


 薄れゆく意識の中、床を這いずるように愛しのラウルの横に近付くと、ビアンカはそっと自身の手をラウルの手に添える。

 ビアンカは安心したように微笑を浮かべると、静かに目を閉じた。



 ◇ ◇ ◇



 柔らかな風を頬に感じビアンカは目を覚ました。


 目覚めたそこは何度も絶望を感じた暗い地下室ではなく、白地に上品な金色の装飾の施された、見慣れた天井の見える自分の部屋だった。


「戻った……のですか……?」


 ゆっくりとビアンカはベッドから身体を起こして、状況を確認するように部屋をぐるりと見渡した。


(今は一体何時(いつ)で、この世界はどんな状況になっているのでしょうか……)


 少しだけ開かれた窓から外を見る。


 窓からは穏やかな日の光が差し込み、中庭の花々が朝露に濡れ、綺麗に咲き誇っていた。


 ビアンカは鏡に映る自身の姿を見た。

 姿は処刑当時のものと変わらないようだったが、ラウルが病になる前の血色も良く、元気そうな姿の自分がそこに映っていた。


 コンコンコン――


 部屋の扉がノックされ、ビアンカの目覚めに合わせ、気心の知れた侍女が朝の支度の為にビアンカの部屋を訪れた。


 支度中にビアンカは侍女から流行り病のこと、ラウルのこと、聖女のことを尋ねたが、侍女は不思議そうな表情をした後、くすりと笑って答えた。


「お嬢様、まだ夢を見ておられるのですか? そのような出来事は全く起こっておりません」


 その言葉にビアンカは思わず泣きたくなったが必死で堪えたのだった。




 ビアンカが目覚めたその日は休日で、お妃教育もなく、何となくビアンカは教会へと足を運んだ。


 朝の礼拝時間からやや遅い時間だった為か、教会はガランとしており、ビアンカだけがまるで貸し切り状態のように教会の中へとただ一人足を進めた。


 中央の祈りの場に着くとビアンカは膝を折り、祈りを捧げた。


「神様、私の人生はこれで落ち着いたということでよろしいのでしょうか? この先、再び病が流行ることはあるのでしょうか? そうなればまた私は死の場面に向き合うことになるのでしょうか?」


 誰もいない教会にビアンカの静かな声が響いた。


「そんなことは二度と起こらない」


 カツン、と何度も聞き慣れた足音が聞こえ、ビアンカは弾かれたように後ろを振り返った。


「ラウル様っ!!」


 ビアンカの後ろには病気になる前の元気そうな姿のラウルが立っていた。


「私の心の弱さが全ての元凶だったのだと思う」


 ラウルが静かにビアンカに近付く。


「そのせいでマイラのような魔女につけ込まれる隙を与えた」


「心の弱さとは一体何ですの?」


 ビアンカがアメシストの瞳を揺らしながらラウルを見つめる。


「君から愛されていないのではないかという、自分の臆病な心だ」


「そんな……」


「そうだ。それはとても愚かな考えだということにようやく気付くことが出来たよ。君の気持ちは関係なく、まずは私が君に対して気持ちをしっかりと伝えなくてはいけなかったのだ」


 ビアンカに向き合いながら、ラウルがビアンカの両手をそっと優しく自分の両手で包み込む。


「愛してるビアンカ。必ずこの先君を幸せにすると誓うよ。どうか私と共に王国を支えていって欲しい」


 真摯な瞳でラウルは、ビアンカにようやく自分の気持ちを打ち明けた。


「はい。私もラウル様の隣に相応しいお妃になれるよう、もっともっと精進致しますわ!」


 ビアンカもラウルに続いて真摯な瞳で真面目な決意表明を行う。

 そんな相変わらずなビアンカにラウルは思わず噴き出した。


「もう充分相応しい。寧ろ、私には君は過ぎた女性だ」


 そう言うとラウルは身を屈め、ビアンカの薔薇色の唇にそっと優しい口付けを落とした。

 触れるだけの口付けに、名残惜しそうにラウルが唇を離す。


 初めてのラウルからの口付けに、ビアンカは冷静さを取り繕うことも忘れ、年相応の少女のように真っ赤になって慌てふためいていた。


「ビアンカ、私ももう自分の気持ちを抑えることは止めるから、済まないが覚悟しておいて欲しい」


「う、ぁっ……。は、はい。承知致しましたわ」


 訳の分からない返答をしている自覚のあるビアンカは、再び恥ずかしさに顔を赤く染め俯いた。

 そんなビアンカの顎を上に上げ、ラウルがもう一度愛の言葉を囁いた。


「この先も何度も言うよ。ビアンカ、愛してる」


 ビアンカを失った瞬間に押し寄せた後悔の念を、ラウルは今でもはっきりと覚えていた。

 ビアンカのいない世界では、自分が上手く息も出来ないことを知っている。


(だからあの時言いたかった言葉を、あの時後悔した分、ビアンカの為に……)


 教会の前でラウルは密かに心の中で神に誓うと、再びビアンカに口付けを落としたのだった。



 ◇ ◇ ◇



 その後のルピート王国では、仲睦まじくなったラウル王子とビアンカ公女が一層人々の注目を集め、憧れの存在として常に話題の的となっていた。


 今日も街で人々がため息混じりに噂する。


「最近の殿下は公女様以外のご令嬢には全くご関心が無いようで、密かに公女様を出し抜こうとしていたご令嬢達は付け入る隙がないと嘆いているらしいわよ」


「そうなのね。以前の二人なら、何となく形だけの許嫁同士にも見えたから、狙っていたご令嬢達もいたらしいという噂は本当だったのね」


「ええ。殿下はご婚姻の儀を一日でも早めたくて、ご自分の寝る間も惜しんで仕事に取り組まれているそうよ」


「「 羨ましいお話ね~ 」」



 そんな人々の噂話を耳に入れながら、一人の少女が手に持っていた、街で売られているラウルの絵姿を描いた紙に視線を落とした。

 少女はどこか諦めたようにハァと短いため息をつくと、その絵を街の中心に流れる川に橋の上からそっと流した。少女の白い腕からちらりと痛々しい火傷の痕が覗いていた。


「さようなら、殿下……」


 亜麻色の髪の毛が太陽の光に反射し、キラリと輝いた。

それ以降、その少女を王国で見かける者はいなかった。




その後、ルピート王国に伝染病が流行ることも聖女が現れることもなく、王国の人々は幸せに暮らした。


 王になったラウルの隣にはいつも幸せそうに微笑むビアンカの姿があったという。




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