1.余命宣告
その場所は、ひどく廃れていた。
家の中のようではある。
だが真っ暗だった。自分の手すら闇に同化している。
「あ……?」
とにかく明かりをつけよう。ライトのリモコンか、スマホでもあれば……。
そうやって手を右往左往伸ばしたところで、和平は自分が横たわっていることに気がついた。
「ん……? 俺、なんで横になってんだ? 確か……」
今更ながらに感じた違和感に首を傾げる。
「確か……?」
だが、思い出せなかった。
たしかに、それまで横たわってなどいなかった。
起きて何かをしていたはず……。だというのに、何をしていたのか、どうしようとしていたのか――まったく思い出せない。
断片的に脳裏に浮かんでくるのは……。
「そうだ……。学校……。補習だっつって、みんなと……。みんなと……」
ひやりとしたものが、胸の中を伝う。
「みんなって……誰だ?」
両親はいる。神奈川県に住んでいたことも覚えてる。地元の高校に友達と一緒に受かり、『ってか顔ぶれ変わんねえじゃんよ』とかなんとかいって入学式で笑い合ったことも。
全部、記憶にある。
だが、その全てが、フィルターを何枚も重ねたかのように、遠いものに感じた。
まるでテレビで見た遠い国のどこかの出来事……そんなふうに思ってしまう。
加賀美和平。当たり前に身に染みている名前ですら、べりべりとはがれていく気すらする。
「大丈夫、大丈夫だ。俺は――俺は加賀美……」
そうやってつぶやく声を否定するかのように、次なる違和感が襲った。
ずん、と。最初は小さな頭痛だった。のしかかるような重さの鈍痛――それが、一秒を経るごとに、膨張していく。
ドクドクと血流の流れすらも耳に聞こえ、思わずうめいた。
「なんだよ、これ……! 頭が……割れる……!」
雷鳴のような痛みが駆け巡る。
ちかっ、ヂカッ。
その度に、何か知らない映像が脳裏に流れていく。
初めに見えたのは、まったく知らない場所だった。
よく知る地元とはかけ離れている――映画の世界に入り込んだかと思うほどの、古風なヨーロッパな街並み。それを坂の上から眺めている。
ざざっ、という異音と共に、次なる映像が流れてくる。
目の前には、見知らぬ男女が二人いた。二人とも、やはり日本人とはかけ離れた白人の容姿をしている。しかし妙なことに、その顔つきはよく見えなかった。
自分の目が涙で潤んでいるからだと気づいたのは、後ろ向きに倒れてからだった。女の方に突き飛ばされ、地面を転がったのである。どうやら、家を追い出されてしまったらしい。
そうして映像は暗転し、夕陽に照らされた街並みを映し出した。
本当に同じ街なのかと疑ってしまうほど荒れていた。
道はドロドロ家はボロボロで、見かける人たちには正気がない……元気そうなのは、性格と一緒に見た目も歪んだ荒くれ者くらい。最初に見た映画のような街並みとは、随分とかけ離れている。
とぼとぼと歩き……ある一軒の家を目にする。どろどろの道に面したその木造建の家は、壁が腐り、屋根が剥げ、人を拒むかのように暗かった。
そこへゆっくりと近づいてき……。
「カイン……。俺の名前は……カイン、か」
加賀美和平――カインは、何事もなかったかのようにパチリと目を覚ました。
はっとして体を起こすと、”カイン”の記憶がまるで自分の出来事かのように入り込んできた。
体が弱いこと。両親に疎まれていたこと。挙句捨てられ、日にちもわからなくなるほどこの空き家で過ごしていたこと。
そして……。
「なんの冗談だって話だ……。死んだ子どもに……俺が代わりに入り込んだ?」
呆然と、事実を受け止める。
そうしていると、また妙な違和感がこめかみを襲った。
さっきの痛みがくる。無意識にそう決め込み、目を細めて身構え……しかし、思ったほどの衝撃はこなかった。
代わりに訪れたのは……。
『――ねん。少年よ』
声だった。
男か女か、どっちかはっきりしないような声。
『責務を全うしなさい。その”力”で大義をなすのです』
一方的な語り掛けだった。さながら録音された台詞のように、人に対して喋るのではない、声音の硬さを感じる。
それでも構わずカインは怒鳴ろうとしたが……声が出なかった。
『覚えておきなさい。後悔しないように。あなたは……齢六歳の少年に転生したあなたは……その体が十八になる時、壮絶な戦いの末――死してしまうのですから』
なんのことかは到底わからなかったが、一つだけ確定的なことがある。
これは、全て現実なのだ。
覚めない夢でも、悪い夢でもなく……加賀美和平は、カインという少年として転生したのである。
「何を……どうすればいいって? 後悔しないようにっていうなら、前もって教えてくれよ……!」
どれだけ問いかけても、どれだけ足掻いても……。頭の中に響いた声は、応えてくれなかった。ただただ、おんぼろな部屋の中、か細く甲高い声が力無く跳ねるだけ。
「へんっ、いいさ……! だったら俺も、好きなようにさせてもらうぞっ」
誰にともなくそう言い放ち、カインは立ち上がった。