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ある夫婦の日常

2022年冬、日常。

作者:

この物語はフィクションです。


 彼女はときどき暗い目をする。

 ぼんやりとテレビを見ているとき。外出時に何の気なしに遊ぶ親子を見ているとき。同僚が楽しそうに孫の話をするとき。


 俺は彼女が何を考えているか、気づかない時がある。ある、というよりたぶん、ほとんどだ。

 ――それは、その思考回路が俺にはないから。


 なんでそんな明るいきらきらした話題で、そんなに暗い目になるのか。

 特に引っかからず、楽しそうだな、と思って流してしまえばいいのに。

 彼女は自分の中にある傷をいつまでも掘り返しては、かさぶたを剥がし続ける。

 

 ――痛いはずなのに。なんで自ら剥がしてしまうのか。


「羨む自分が馬鹿なんだと思うんですよ」


 そう、いつだか自嘲気味に言った。


 それは、平日昼にやっている帯のバラエティ番組だった。

 平日の昼のテレビといえば、ワイドショーが多い。

 ニュースや最近の話題を取り上げて、コメンテーターがコメントするような。

 深刻な顔をして、凄惨な事件を根掘り葉掘りほじくったり、政治家の失策や芸能人の浮気問題をこれみよがしに批判したり。


「観ていると、気が滅入る」と言って、そういう番組を彼女は観たがらない。それよりはグルメやお洒落を取り上げて笑いを取るそのバラエティ番組の方が気楽なのだし平和だ、とよく観ていた。俺からすると、どちらも見ても見なくてもいい、似たり寄ったりな番組だ。テレビなど観なければいいのに、と思う。

 でも、暇な時間に何か流れていないと、彼女は手持ち無沙汰なのだ。


 ――まあ、とにかく、その「気楽に観られる」という番組内のコーナーでのことだ。


 どうやら素人の勝ち上がり料理番組のようだった。

 それはおそらく決勝で、二人の主婦が対決していた。


 片方は小学生の子どもがいる主婦。

 毎日、子どもたちのために料理を頑張っている、という。

 可愛らしく素朴な、お母さんが作るいわゆる家庭料理、という風情だった。

 大会参加は子どもたちが勧めてくれたという。

 子どもの可愛らしい応援メッセージも流れていた。


 もう片方は子どものいない主婦。

 子どもを諦めてから、もともと好きだった料理を更にさまざまに勉強して、今回の大会にも臨んだという。

 プロ顔負けのその料理からは意気込みが見て取れた。

 

 結果は、子どものいる主婦が審査員の満票を得て優勝した。


「……不公平だと思うんですよ」


 暗い目をし、不満そうに呟いて、彼女はテレビのスイッチを切った。


「何が?」


 喜び合う家族が微笑ましかったし、気楽に「良かったね」という感想しか出てこない。


「……努力した人が優勝できないって、おかしくないですか?」 

「優勝した人だって努力してたんじゃない?」

「――それは否定しませんけど。……でも、見た目だって、負けた人の方が絶対美味しそうだったし、味に関しては審査員の人だって認めてたじゃないですか。なのに、最終的には『母の愛を感じる方』って、何?」

「大会の主旨に合ってなかったんだろ? だって、『家庭料理対決』なんだし。プロじゃない人が作ったプロっぽい見た目の料理じゃ『家庭料理』にはならないんじゃないか?」

「でも、あの番組、結局子どもと喜び合う家族の画を撮りたかっただけでしょ? なんで、それで子どもを諦めて、せめて自分にできる努力をしようとした人の努力が報われないの?」


 憤懣やる方ない、という風情の彼女に困惑するしかなかった。

 平日の昼間にテレビを観ているのなんて主婦か老人が大半、という考えしかテレビを作っている側にはないに決まっているのに。


 負けた側にこんなにも感情移入するこじらせた人がいるなんて、制作側も思ってもみないに違いない。よしんば思ったとしても、それはごく少数の意見だ。取るに足らない意見に違いないのだ。

 公共の電波を使っているのだから『より大多数の人が喜ぶもの』を想像して作るとああなるのだろう。


 苛立つのなら、平日の昼間なんかにテレビを観なければいい。

 

「……負けた彼女が手に入れられないものを既に手に入れてるのに。更に『料理』っていう、努力の成果も得られないなんて。……ひどすぎる」

「戦う場所を間違えたんだよ。同じ場所で戦うべきじゃなかったんだ。――それに、今回負けたことだって、君がそこまで悔しがるほど当事者は『ひどい』とも『不公平』だとも思ってないかもしれない。別の場所で戦ったら、敗者は逆かもしれないじゃないか」


 ――そもそも、これは気軽に観るためのバラエティだ。なんでこんなに真剣に悔しがるんだ?


 彼女は大きく溜め息を吐いて、台所に立った。


 ――彼女が苛立つ理由は、実はなんとなく察しがついてはいる。

 しかし、それはもう、どうにもならないことだ。……それこそ、テレビの中の敗者であるあの子どもがいない主婦と同様に。


 なんで、なんで、なんで。


 そんな声が呑み込んだ言葉の陰から見え隠れする。




 なんで、子どもがいるのに。なんで更に幸せが必要なの?

 なんで、それが当然って顔してるの?

 なんで、大変なのわかるでしょう? って、当然のように権利を主張するの?

 産みたくて産んだの、そっちでしょう?

 大変なのだって当たり前でしょう?

 それ、何? 自慢なの?

 私に対する自慢なの?

 うちの子ども、こんないたずらするんですよ? 本当、子どもって、大変。

 って振りをして、ね、可愛いでしょ、って自慢してるんでしょ?

 こんなこと言うと、子どものいる人の気持ちなんてわからないでしょ、って言うんでしょ。

 そうよ。

 でもそっちだって、子どもいない人の気持ちなんてわかんないでしょ?

 だって、良識ある大人はみんな、子どもは可愛いね、って顔して見てるものね。

 

 こうやって不満を言えば、勝手に僻んでって思うでしょ?

 わかるよ。だってそうだもの。

 僻んでるの。

 どうやったって、私は欠陥品だって思わされるから。

 普通の人が普通に手に入れているものを、どう羨んだって私は手に入れられない。

 幸せそうに孫の可愛さを語る人の手に入れているものを、私は手に入れられない。


 他人の子どもを見ると、心が冷える。

 妊娠したから辞めるっていう同僚を「おめでとう」と微笑みながら送り出す陰で、泣き出しそうになってるなんて言えるはずがない。

 他人の幸せを願えず、他人の子どもを可愛いと思えないような人間は、子育てする資格なんてないって、神様もそう思ったんだ。正解だね。


 でも、ねえ。

 そんなにも私は悪いことをしたの?

 不妊治療をしても得られなくて。

 あれほど痛い思いを何度もしたのに。

 結局卵巣も取らなくちゃいけなくなって。

 病気もして。ずっと薬も飲まなくちゃいけなくて。

 そういうすべてに我慢しなきゃならないような、そんな目に合わないといけないような悪いことを、私はしたの?


「赤ちゃんは空の上から、お母さんを選んで産まれてきたんだよ。私はちゃんとお母さんを選んできたの」


 そんなことを言う産まれる前の記憶があるという子どもの言葉を載せた、スピリチュアル本に真剣に腹を立てる。


「じゃあ、不妊治療していて結局子どもができなかった人たちはどんな欠陥品なの? じゃあ、虐待される子はなんで? なんでそんな親を選んだの? そんなわけないでしょ? 選ぶなんてできるはずないでしょ。虐待するなら産まなきゃいいのに。殺すくらいなら施設に預ければいいのに」


 憤りながら、論旨がどんどんずれていく。


 ぜんぶ。

 世の中のぜんぶが私を責めている気がする。

 

 子どもがいる世帯が普通ですよ。

 夫婦二人に子どもはひとりか二人、それが日本の普通のロールモデルですよ。


 子なし夫婦は裕福ですよ。

 子どもがいなくても代わりに仕事を頑張って、女性も立派に社会で働いていて、給料もそこそこあって、それはそれで幸せでしょう?

 それを選んだのは自分でしょう?


 じゃあ、何。

 子どもがいなくて、仕事もパートでたいした給料もなくて。

 なにもない私は普通じゃないの?

 

 普通の人が普通に手に入れられる、経験できる幸せを手に入れられない私は欠陥品なの?


 たすけてたすけてたすけて。

 息ができなくて、苦しい。

 誰か、この思考のぐるぐるから救って。





 ――まくし立てられた記憶が呼び覚まされる。


 彼女のその、ぐるぐるとして鬱々とした闇に、底のないようなドロドロした羨みという沼に俺は立ち入れない。


 わからないから。

 

 できないものはできない。

 手に入らないものは羨んでも仕方ない。

 今、楽しければそれでいいんじゃないか?


「……猫でも飼う?」


 台所に行った彼女にそう俺は言った。

 

「……そうやって、うやむやにしようとするところがあなたのだめなところなのよ」


 彼女の冷え切った声がした。

 それに気づかない振りをして、明るく俺は言う。


「え、でも、今日『スーパー猫の日』じゃん」

「スーパー?」

「うん。2022年2月22日。にゃんにゃんにゃん、にゃんにゃんにゃん」

「ああ……そうか」

「飼う? 猫」

「生き物は殺しそうで、こわい」


 彼女は、小さくそう言った。



  

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