わたしは絶対に禁術を使わない
世の中は便利なもので、建築技術への魔術の応用が進んでいて意外と高度なことができる。
上下水道の整備もそのひとつだ。
蛇口をひねると飲める水が出てくる。
そんなわけで、わたしは蛇口の水を皿に貯めて猫の前に置いた。
『おお、おおおおおおおおお!』
短足の猫は興奮した様子で皿に顔を突っ込む。
よほど喉が渇いていたんだねえ……。
そんな様子を眺めつつ、わたしは冷蔵庫――冷却の効果を持ち、中にある食料を長期保管できる魔導具から鶏のささみ肉を取り出す。
それをお湯で茹でて猫の前に置いた。
『ふ、ふおおおおおおおおおお!』
興奮の声をあげて、猫がささみ肉にかぶりつく。
よほどお腹がすいていたんだねえ……。
ごくごく、がつがつ、みゃうみゃう。
一心不乱な暴食の果てに、猫は顔を上げた。
『ふん、 偉大なる我に何を尋ねたいのだ、愚かなる人よ』
「……え、今さら威厳を保とうとするの?」
『何を言っているのかよくわからないな……?』
猫(魔王)は『なかったこと』作戦で行くらしい。
……その口元についている、ささみの肉片を指摘してもいいのだが、本題に入るために話を合わせておこう……。
「ええと、あなたは魔王アンゴルモアなのね?」
『いかにも』
猫が尊大な様子で口の端を持ち上げる。ささみの肉片がついた口の端を。
魔王アンゴルモア。
王国民であれば、貴族から平民まで知っている名前だ。
高い魔力を誇る魔族を従えた王で、その圧倒的な才能を駆使し規格外のオリジナル魔術を数多く生み出した。
そう、それが今の世の中で『禁術』と呼ばれるものだ。
それほどに強大な力を持つ魔王と魔族たちは「我らこそ世界の覇者である!」と傲岸不遜に言い放ち、人類に戦いを挑んだ。
かなりの激戦だったが、最終的には人類が勝利し、魔王は死んだ――そうなのだが。
「魔王は死んだんじゃなかったの?」
『いや……封印されたのだよ。この猫の身体にな』
ぎりっと不快そうに猫が歯を噛み締める。
『どうしてこんな、短足な身体にしてくれたのだ!』
そこかよ。
とは思ったが、少しばかり同情もする。マンチカン。確かに足が短くてヘンテコな体型だ。
「……魔王が倒されたのは500年前だって聞いた気がするんだけど、それからずっと?」
『いかにも。どうやら、この猫は不老不死のようだ』
「それはすごい!」
『……猫の姿で不老不死でもたいして嬉しくないぞ……魔術のひとつもろくに操れないしな』
「……ん? わたしに魔術で攻撃してきてなかったっけ?」
『魔力を少しずつ溜めたのだよ。500年かけてな。その間に偉大なる我が記した、貴様らが呼ぶところの『禁術』をまとめた書物の場所も見つけ出した』
つまり、特秘図書保管室か。
「どうやって、あの部屋に入ったの? あの部屋は鍵だけじゃない、侵入者に反応するような結界も貼っておいたはずなのだけど?」
『ファッファッファッファ! それを偉大なる我に問うか!? 魔術の領域に限れば、お前たちの1000年先を行く偉大なる我に!』
だから、口元にささみの肉片がついているって。
『溜めた魔力で少しくらいなら魔術が使えるようになった。あの部屋への侵入など、偉大なる我にとって朝飯前のことよ!』
「な、なるほど……だけど、ご飯はどうしたの?」
『ご飯と、飲み水はなかったな……』
寂しそうに、辛そうに魔王はつぶやいた。
『魔力の回復も必要だった。そこで偉大なる我はあの部屋で仮死状態となり眠りについたのだ』
「そんなことできるの!?」
『ふふん、魔王だからな?』
「……だけど、寝ている猫がいたなんて話、どこにも聞かなかったけど?」
『偉大なる我の禁書を封印していた隠し部屋があっただろう? あそこだよ』
あそこだよ――そこがどこなのか、今のわたしならわかる。
はっきりと思い出せなかった昨夜の記憶だが、もう完全に蘇っていた。おそらく、青空に向かって放った『世界を浄化せし閃光』の輝きがトリガーとなったのだろう。
確かに、あの隠し部屋ならば、身を潜めるにはうってつけだ。
『そして、偉大なる我は待った。時が――否、魔力が満ちるのを。あの部屋にやってきた人間を操って『禁術の書』の中身を覚えさせて、その身体を乗っ取るための魔術を使うためのな』
昨日、わたしがやられたことだ。
「どうして、いきなり乗っ取らなかったの? まず乗っ取って、自分の身体にしてから自分で禁術を覚えればいいじゃない?」
使う魔術も一発にできて効率がいいと思うのだが。
猫は不快そうに鼻を鳴らした。
『偉大なる我が乗っ取ると、それは魔族種の身体になる。だが、あの書物にはちょこざいな封印が施されていてな、我ら魔族種ではページがめくれないようになっているのだ!』
……なるほど、だから、先にわたしを操って禁術を覚えさせたわけだ。
結局、それがあだとなったわけだが。
『そして、ついに魔力が満ちた日、やってきたのが貴様というわけだ』
「で、あなたは手痛い反撃を受けた、と」
わたしの指摘に猫は不快そうに首を回した。
『仕方あるまい。まさか、ただの人間が、偉大なる我の禁術を使いこなすことなど、想定できるはずもない』
そう、禁術は人間の領域を超えた魔術と呼ばれている。確かに、使えることがおかしいのだ。
「どうして、わたしには使えたの?」
そう尋ねると、猫がすっと目を細める。
『……お前、演算容量にただならぬものを感じるな……?』
「そこは自信がある部分ではあるんだけど――それだけで禁術が使えるようになるの?」
『――ッ!? 本当にお前、人間か!? 人間とは思えない演算容量だな!? 偉大なる我をしの――しの――しの――しのぐほどではないがな! それだけあれば、多少の無茶は通せるであろう!』
……そうか、魔王の演算容量をしのいでいるのか。
なかなか人間離れしているな、わたし。
まあ、そのおかげで助かったのだけど。
「でも禁術が使えるかあ……困ったなあ……」
『何を悩んでいるのだ?』
「王国の法律だと、禁術を覚えたり使ったりすると死刑なのよ」
『なるほど、覚えて使ったのだから、死刑2回分だな』
にゃにゃにゃ! と大笑いする猫にわたしは大声で言い返した。
「誰のせいだと思っているの!?」
『まあ、いいではないか。力を手に入れた――それはそれで気持ちがよかろう?』
「別に力なんていらないから! バレて死刑になる恐怖のほうが困る!」
『くだらぬなあ……お前はもう、人のしがらみなどに囚われない強さを持っているというのに』
理解できないという様子で猫がぐるりと首を回す。
『まあ、平和を望むなら、それもよかろう。だが、それならそれで問題ないのでは?』
「どういうこと?」
『使わなければバレない。単純な理屈だと思うが?』
その言葉は、ずんとわたしの心にのしかかった。
そうだ。この力は決して表に出してはならない。
逆に言えば、それさえ守ればわたしの安全は保たれるのだ。
その事実がはっきりと頭に焼き付く――はあ、と小さな息がこぼれた。
正直なところ、心苦しい。自分は国が作った法律に反しているのだから。嘘をつき続けることを良しとするほど太い神経も持ち合わせてはいない。
――ごめんなさい! なんか知らないけれど、禁術を覚えちゃいました!
なんて誰かに報告して洗いざらいぶちまければ気が晴れるだろう。
だけど、その先に待っているのは確実な死刑。
うううう……やだやだ。まだ19歳の若さで死にたくはない。そもそも理不尽な状況なのだ。それで死を受け入れられるほど、自分は達観もしていない。
そうだ。
決めた。
禁術は封印する。それが残された唯一の――平凡に、普通に生きる術だ。
「そうね、絶対に禁術は使わない」
それは、わたしが魂に刻んだ誓いだった。