戦い終わって
魔術の発動と同時、心にのしかかっていた暗いものが吹き飛んだ。
まだ意識は朦朧とするけど、死んでしまう、消えてしまう――そんな恐怖心はすっかり消えた。
『なぜ、なぜ、なぜ! お前がそれを、そんなものを使えるのだ!?』
わたしの意識に興奮した声が入ってくる。
『くそ、こんなもの、紛い物だ!』
どうやら声の主は何度も何度も攻撃を仕掛けてきているようだが、それは無駄だった。わたしを囲む結界がそれをすべて弾く。
ほっと息をついた。
わたしは立ち上がり、敵を見る。
少し離れた先に大きな黒い闇のわだかまりがあった。敵の姿は見えないが、保管室の明かりを受けて、長い影だけがニューッと伸びている。
まるで、猫のような影が。
なんだろう?
いろいろと気になることはあるが、考える時間はあまりないようだ。
現時点でわたしは攻撃され続けていて――
わたし自身も万全ではない。いつ倒れてもおかしくはない。
そうなると、どうなるのか。
その前に決着をつけるしかない!
わたしは次の魔術を詠唱する。
「世界は輩ばかりではなく――暗い心で満ちている――それらを敵と名付けよう――」
『ま、ま、待て待て待て! それは!』
「敵意あるものは討つべし――害意あるものは消すべし――悪意あるものは滅すべし――私の敵を穿ち、砕け――顕現せよ、暁の輝き!」
わたしは結界を解除し、右手を差し出した。
敵の攻撃が私の心をとらえるが――
遅い!
「『世界を浄化せし閃光』!」
わだかまる闇めがけて、わたしの右手から光が放たれる。
その閃光は全てを吹っ飛ばした。
そう、全てを。
闇のわだかまりを一掃し、それを押し流し、背後にある壁を粉砕して夜空を駆ける流れ星のように飛んでいった。
『ニイイイイヤアアアアアアアアアアアアアアアア――!?』
まるで猫の鳴き声のような、敵の声が遠くへと飛んでいく。
それだけではなかった。
エネルギーの余波なのか、空気を吹っ飛ばしたのか。とんでもない暴風が吹き荒れて保管室をむちゃくちゃにした。
具体的には本棚がバタバタと倒れて、中にある本が散乱している。
誰かを、呼びにいかなきゃ――
わたしは疲労で重くなった身体を引きずるように入り口まで歩いていく。頭が痛い。意識がぼうっとする。
それでも、一歩、二歩。
もうすぐ出入り口――そこまでだった。
ぶつん。
まるで音が聞こえたかのようにわたしの意識が途切れた。闇色の井戸を意識が滑っていく。あ、と思った瞬間、糸の切れた人形のようにわたしは床に倒れた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ミリアは人を呼びに行こうとしたが、その必要はなかった。
なぜなら、城の外壁を内側から抜かれたのだから。
そこから飛び出る、夜すらも明るく染める閃光を多くの衛兵たちが見たのだから。
当然、とんでもない騒ぎになる。
「誰だ? 王城の内部で攻撃魔術をぶっ放したバカは?」
不愉快そうに言いながら、ひとりの男が足早に歩いている。
歳の頃は30くらい。白と黒の混じった灰色の髪を短く切った体格のいい男だ。まるで騎士のような身体つきだが、まとっているのはミリアと同じデザインの、宮廷魔術師のローブ。
ただ、色合いはミリアの青と違って緑を基調としているが。
彼の名前はミドルトン。
4つの組織にわかれる宮廷魔術師の1隊――グライディーヌ隊を率いる男だ。
グライディーヌは主に王城の、魔術に関わる施設の警備に関わっている。そういう側面だと騎士に近い職責なので、隊員は身体を鍛える必要がある。
今回は『特秘図書保管室』での異変のため、グライディーヌ隊が動くことになった。
隊長である彼の背後には、多くの隊員たちが付き従っている。
それだけの大事件なのだ。
保管室の前にたどり着く。
ミドルトンはドアを開けようとして、がちゃがちゃと鍵がかかっていることに気づいた。
持っていた鍵束を使ってドアを開く。
「これはこれは――」
中に入ると、実に壮観だった。
本棚という本棚が倒れて、中身の本をぶちまけている。
「ん?」
ミドルトンは気がついた。少し離れたところに茶色い髪の女が倒れていることに。
(……宮廷魔術師のローブを着ているな。青色? ドリッピンルッツ隊か……)
ミドルトンは中に入ろうとする部下に指示した。
「救護班、女がひとり倒れている! 様子を見てくれ! 他は現場の調査だ!」
救護班がうつぶせになっている女をあおむけにする。
顔立ちの整った、若い女だった。
「どうだ? 起こせそうか?」
こんなタイミングで、こんな場所で倒れているのだ。おそらく何かを知っているだろう。証言を取りたいところだが――
介抱している男は首を振った。
「いえ、極度に疲労――衰弱していますね。無理に起こすのは避けたほうがいいでしょう」
「そうか」
ため息まじりにミドルトンが応じたときだった。
「ミリア!?」
そんな声が背後から聞こえた。
振り返ると、黒い髪の若い男が立っていた。ミドルトンの部下で下っ端のラルフ、クオーデン子爵家の出だ。ラルフの目は真っ直ぐに倒れている女を見ている。
「知っているのか、ラルフ?」
「はい。彼女はミリア。アインズハート伯爵家のご息女です。私の実家の近くなので、家同士でつきあいがあります」
「なるほど」
ミドルトンは少し考えてからラルフに言った。
「ならば、ミリア嬢のことはお前に任せよう。うちの救護室に連れていき、回復次第、話を聞け」
「わかりました」
うなずくラルフにあとを任せて、ミドルトンは部屋の奥に進んだ。
怪光線が飛び出した場所は――
ぽっかりと壁に大穴が開いていた。穴の向こう側には月と星の輝く夜空が広がっている。
ミドルトンは大穴のふちを調べている隊員に話しかけた。
「どう思う?」
「いや……なんでしょうね、これは……」
隊員は大穴のふちを手で触る。
「溶けたでもなく、砕けたでもなく……鋭利な刃で切り抜いた感じ、というか。まるで、ここだけがきれいさっぱり消失したかのような断面です。一瞬で膨大な出力を叩きつけた――そんな感じでしょうか。これほどの高出力を出せる魔術に思い当たらなくて」
「そのアプローチはいらないな」
隊員にそう伝えた後、ミドルトンはこう続けた。
「とりあえず、既存の魔術に存在しないのは間違いない」
「え!?」
「そもそも、この外壁が抜けること自体がおかしい」
ミドルトンはこんこんと壁を叩いた。
「王城、つまり、最後の防衛ライン。簡単に壊されるわけにはいかないからな、こいつは錬金術師どもが採算度外視で作った特殊な資材なんだよ。対魔力防御もかなり高い」
「……そうなんですか!?」
「正直、俺が全力の魔術を叩き込んでも、ひびが入るかどうかくらいだろう」
魔術の威力は『使用者の能力』と『魔術そのもののスペック』で決まる。魔術師の最高峰である宮廷魔術師、その部隊のひとつを率いるミドルトンの能力を大きく超える魔術師はそういないだろう。
であれば、魔術そのもののスペックと考えるしかない。
だが、そんな魔術もまた存在するはずがない。
「つまり、誰にもこいつを撃ち抜くことなんてできないってことさ」
「え、いや、しかし――!?」
「そうだな。できているんだよな」
ぱんぱん、と楽しそうにミドルトンは壁を叩いた。どこかの誰かさんは見事に壁を撃ち抜いて見せた。
できない、というミドルトンの考え方は間違っている。
「既存の魔術の枠外にある魔術なら、あるいは――」
「既存の魔術の枠外? それは、なんですか……?」
「そうだな……例えば魔王だけが使えたという――」
一拍の間を開けて、ミドルトンは言った。
「禁術、とかな?」
「禁術……」
部下はそう応じたが――
「いや、そんなわけないでしょ!?」
「ないよなー」
ミドルトンは笑う。
まだ禁術の存在は多くの魔術師にとって伝説の領域にあった。
少なくとも、今はまだ。