禁術を覚えてしまった!
目標はとてもシンプル。
使えるようになった禁術でみんなを助けること。
たったそれだけのことなんだけど。
難しい部分もあって。
禁術は使っちゃいけないんだよね――
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「禁術とは、かつて魔王が作り出した禁断の魔術。使えば死罪、覚えるだけでも死罪だ」
「……確か、そうでしたね」
わたしは上司である中年の男性――宮廷魔術師ダグラスの言葉にうなずいた。
宮廷魔術師。
それがわたしとダグラスの職業だ。王族に仕え、王宮に勤める魔術師を意味する。なので、今わたしたちが働いている場所も王城の一角なので、とても立派な造りの部屋だ。
「だから、うっかり『禁術の書』が目についても読むんじゃないぞ?」
「読みませんよ。……でも、本当にあるんでしょうか、それ?」
「ない」
「え? ないんですか?」
「ないな。保管室はうちで管理しているけど、そんな話は聞いたことがない。ただの噂だ。それにさ、禁術ってのは『人間よりもはるかに魔術を使うことに熟達した魔族』の、その王だけが使えたものだ。万が一あったとしても、普通の人間じゃマスターもできないだろうな」
そう言って、ダグラスが笑う。
「じゃ、鍵。よろしくな」
「わかりました」
ダグラスが差し出した鍵を受け取る。
その鍵は王宮にある『特秘図書保管室』のものだ。様々な理由で表に出すことを禁じられた書物が収められている。
噂によれば――
魔王が操った禁術に関する書物もあるなんて話も。
その噂をふと口にして、さっきの話になったのだ。
「急ですまん。やっていた仕事は明日でいいから」
そう言うと、用事のあるダグラスが部屋を出ていく。
わたしは部屋を見渡した。
わたし以外、みんな帰ってしまった部屋を。
窓からのぞく景色が暗くなってだいぶ経つ。
ひとり残って事務作業をしていると、上司のダグラスがやってきて「ミリア、急ぎなんだが――」と言って、わたしに仕事を頼んだ。
お願いされた仕事は、渡されたリストにある書物を保管室から探し出してくること。
趣味で魔術の研究をしている高位貴族からの依頼らしい。貸し出しはできない類の本なので、別室で読んでもらうことになるが、明日の朝までに用意して欲しいとのことだ。
こんな夜遅くに――
わたしは小さく息を吐いてから部屋を出る。
だけど、不満は胸に留めておく。
そもそも不満など口していい身分ではない。
破格の待遇なのだから。王国に仕える宮廷魔術師――魔術師としての最高位の仕事。
わたしのような『できそこない』にはもったいない職位だ。
わたしの名前はミリア。19歳で、アインズハート伯爵家の3女として生まれた。
幼少時、ただの平凡な女の子だと思われていたわたしだが、どうやら魔術の才能があった――少なくとも、あると思われていた。
魔術の習得が他の子たちよりも早かったのだ。
わたしは『魔術を使う際の演算』が他の人よりもはるかに優れていた。
魔術を使うとき――魔術師は体内にある魔力を『力』へと変換する。その変換を『演算』と呼んでいる。演算できる容量によって、使える魔術が決まってくるのだ。
子供にしては大きな演算容量を誇るわたしは、小さい頃から難しい魔術もなんなく習得することができた。
「すごい、すごい、ミリア! 子供なのにこんな魔術を、よくぞ!」
――だけど、それだけだった。
演算の容量は大きいことに越したことはないが、大きすぎても意味がない。わたしの唯一の才能、演算容量はあるときを境にオーバースペックになっていた。
具体的には、こうだ。
わたしの演算容量は200なのに、現存する魔術の習得には50で充分だった。
まさに無用の長物の生き字引、それがわたしだった。
結局、周りが成長過程でしかなかった幼少期しかアドバンテージは役に立たず、周りが成熟していくにつれて、わたしは普通になってしまった。
ただ、幼少期の輝きというものは恐ろしいもので。
わたしの才能を本物だと信じてしまった大人たちは、わたしが子供のうちに、いずれ宮廷魔術師に配属されるように取り計らってくれたのだ。
堕ちた才女――
彼らの期待外れの人間であることがわかってしまったが、約束は約束。
わたしは学院を卒業した後、宮廷魔術師として就職することになった。
もちろん、わたしは断ろうとした。
宮廷魔術師とは、才能ある魔術師としての到達点のひとつ。今のわたしにそんな場所に行く価値はない。
だが、父が難色を示した。
「アインズハート家の娘として、箔をつけるのもお前の責務だ」
元天才として目立ったぶん、凡人に格下げされたダメージは無視できない。せめて宮廷魔術師という格のある仕事で体面を保て――ということだ。
そんなわけで、わたしは宮廷魔術師となった。
覚悟していたとおり大変な日々が始まった。
単純に周りのレベルが高すぎる。
宮廷魔術師とは優秀な魔術師のみがなれる仕事だ。よって、同僚たちはあらゆる側面において『優良』だった。一方、わたしは演算容量だけが常人を遥かに超えているだけで、他はすべて『普通』だ。
ついていくだけで精一杯。
いや、ついていけているのだろうか……。
同僚たちは協力的で人柄がいいのは救いだが。
そんなわけで『宮廷魔術師として、いさせてもらっている』わたしとしては、あまり仕事に不満は言えない。
「頑張らなきゃね」
代わりに自分を励ます言葉を口にする。
なんてことをつらつらと考えつつ歩き――
わたしは特秘図書保管室までやってきた。
預かっていた鍵を差し込み、両開きのドアを開ける。中に入ると、ふわっと古びた書物の香りがした。
そこはさほど広くはないが、本の詰まった本棚が大量に並ぶ空間だった。
「王国500年の歴史はすごいなあ……」
この中から数冊の本を探し出すとなると、なかなか骨の折れる作業だ。
だが、そう悪くはない作業でもある。
コツコツと積み重ねていけば確実に終わる作業ではあるのだから。
内側から鍵をかけ、わたしは歩き出した。
「よーし、頑張る――」
ぞ、と言おうとしたところで、わたしは急に立ちくらみを覚えた。
「え?」
ぐらっと身体が揺れて、本棚に右肩をぶつける。
「な、何が――?」
身体の異変は終わらなかった。何かがわたしの身体に入っていく感覚。意識を上書きしていく感覚。
「うう、う……」
わたしは耐えきれずに床に崩れ落ちた。
意識が闇に落ちる、いや、呑まれる――
しばらくして、ミリアが立ち上がった。わたしが立ち上がったはずなのだけど、わたしはわたし自身を自分だと認識できなかった。どこかの知らない人を見ている感じだった。
意識が朦朧としている。
これは、どういうことだろうか?
ミリアは何の迷いもなくすたすたと壁に近づいていく。
壁に手を当てて何事かをささやいた。
まるで、ささやくべき言葉を知っていたかのように。
その瞬間――
壁に黄金色の魔術陣がふわりと浮かんだ。
ミリアは魔術陣に向かって――つまり、壁に向かって歩き出した。
ぶつかる!
そう思ったが、そうはならなかった。ミリアは壁の向こう側へと移動していた。
そこは本当に小さな部屋だった。
四方を壁に囲まれている。おそらく、ミリアが通過した隠し通路以外では侵入できないだろう。こんな場所があるなんて。
わたしは知らなかった。
いや、きっと、誰もここを知らない――
部屋には祭壇があり、そこに1冊の古びた書物が飾られている。
ミリアは本に近づいた。
書物を開く。
そこには、わたしの知らない魔術が記載されていた。
わたしには理解できない魔術が。だけど、それはちらりと見ただけでも、荘厳で強大な何かをわたしに感じさせた。精神のふちがびりびりと震えるかのような。
これは――
何?
ミリアはページをめくっていく。そこに書かれている文字が、ものすごい勢いでわたしの意識の中に流れ込んでくる。
え、え、どういうこと?
あっという間にミリアは全てのページを読み終えた。閉じた本を元に戻し、再び壁へと向かっていく。
壁にぶつかった瞬間に風景が切り替わって――
さっきまでいた保管庫に戻ってきていた。
ミリアの身体がぐらりと揺れる。
どさりと音を立ててうつぶせに倒れた。
……うん……?
ミリアに感じていた他人感が消えた。わたしの意識と身体がゆるゆると統合していく。ふわふわとした多幸感がわたしを包む。
だけど、その感じは、それほど長くはなかった。
倒れるわたしの目の前に、影が差した。
……猫?
頭が動かせないからよくわからないけど、それは確かに猫っぽい大きさの、猫耳な生き物の影だった。
『ふぁっふぁっふぁっふぁ。わが大計なれり!』
普通の声とは違う――意識に響く声が聞こえた。
そう思った瞬間。
急に、わたしの意識に何かが割り込んできた。それはさっきのような、ミリアとわたしの意識がわかれたのとは根本的に違う――まるで、わたしの意識をかき消すかのような、削り取るかのような『攻撃』だった。
これ、は――!?
『終わりだ、前人類! お前の身体は私がいただく!』
真っ黒い何かが、わたしの心をぼりぼりと噛み砕くような感覚。
死が――
わたしという存在感が消えていく。
わたしは根源的な恐怖を感じた。
だからだろうか。
わたしは無意識のうちに必死に生きる術を探した。己のうちにあるものを引っ掻き回し、少しでも打開できる何かがないか探し続けた。
そして、見つけた。
先ほど身体に詰め込まれた大量の魔術の中に、それは確かにあった。
複雑な魔術だった。途方もない魔術だった。今まで学んだ魔術の体系には存在しないもの。どれだけの天才であれば、これを作ることができるのであろう。
知らない魔術。
だけど、なぜだろう、わたしは正しく『使うべき魔術』を選択できた。
言葉が、自然と口から漏れる。
「西から現れし天使――東から現れし悪魔――肉を食み殺し合う――それは世界のありよう――すべては決裂し――分かり合うことなどなく――世界は混ざり合う必要もない――ゆえに私は望む、全てをただ阻むことだけを!」
『な、なに、なぜ、貴様、それを!?』
影は困惑するが、すぐに立ち直った。
『だが、ははは! 無駄なことを! お前たち人間に使えるものではない!』
わたしの身体が『演算』を始める。
魔力が身体を走り抜けていく感覚――いつもの感覚。
いや、違う。
これは明らかに違う。わたしのうちに秘めた全演算能力が稼働している。
こんなことは初めてだ!
どんな魔術も、ほんの一部の演算だけで充分だったのに。
だけど、この魔術は違う。明らかに普通の魔術の領域を超えている。発動に必要な演算は膨大で、普通の魔術師の手に負えるものではない。
普通ならば。
だけど、わたしは違う。
ただ一点ものの才能だけを持つ規格外。わたしの全身全霊であれば――
この化け物をねじ伏せることができる!
「は、はは――!」
わたしの口から笑いがこぼれた。
どれだけ久しいだろう、わたしが世界に受け入れられたと感じることができたのは。自分の存在を抱擁できたのは。自分が尽くすにたる瞬間と出会えたと感じることができたのは。
己の才能を、正しく使えたと確信できたのは。
今、わたしはわたしの力を知ることができた。
身体中にあふれる力が、今ならば不可能はないと教えてくれる。
さあ、解き放て!
わたしは身を起こし右手を差し出して叫んだ。
「『断絶されし世界の沈黙』!」
瞬間――
わたしの身を守るように結界が出現、意識の奥底に食い込んでいた漆黒のあぎとを弾き飛ばした。