7.王太子ロベルト
本日二度目の更新です。
自分で書いた鬱話に自分でメンタルやられたので、次の展開へ行く前の箸休め的なお話です。
こういう奴が一人いるととても落ち着きますね。
ロベルトはこの国の王太子だ。
父である国王が、幼い頃に一目惚れして惚れに惚れ抜いて口説き落とした美しい母譲りのこの顔のせいで、幼い頃からそれはそれは恐ろしい目に遭ってきた。
幼い子供であっても一目でロベルトの虜になる者は後を絶たない。
王太子であると知っているにも関わらず、いや、だからこそだったのであろうが、不敬となることすら気にせず気に入られよう傍に居ようと縋り付かれまくった。泣き落としや脅迫など日常茶飯事。
罰しても罰しても後から後から湧いてくる不敬な輩を見て、その内にこの国に貴族は居なくなるのではないかと思ったほどだ。
彼は元来おっとりとした気質であった。
魔の物が蔓延る世ではあるがまるで対策が無い訳ではないし、特に他国と争いがある訳でも無い。
また、魔の物にも周期があるようで、ロベルトが生まれてからは活動が緩やかになっている。
そう言った事情もあって、魔の物の活発期と比べると世界の空気も安定していた。それがロベルトを更に穏やかにした。
地位は最高。見目は極上。気性は穏やか。
そうなればもう引く手あまたどころか押し寄せる人々の数と言ったらなかった。
魑魅魍魎の方がどんなに可愛げがあるだろうか。何度とそう思ったか知れない。それくらい容赦の無い取り入り方をされてきた。
穏やかなロベルトが眠れぬほど神経を張り詰めさせるくらいに――。
「貴方の婚約者を決めましたよ」
年々人間不信になってゆく息子を見兼ねて、王妃が選んだロベルトの婚約者がミネアだった。
「婚約者……、ですか」
「コンスタンブール侯爵家のご令嬢です。安心なさい。とても分別のある素晴らしいお嬢さんよ」
正直、令嬢と関わるのは恐ろしかったが、幸いにしてミネアは他の令嬢と異なりロベルトに興味を示さなかった。
先触れを出せば用意を整えて会ってくれる。
会ったら挨拶はしてくれる。出迎えもしてくれる。礼儀も弁えている。
けれど特別親しくなろうとは微塵も思っていないようだった。
すぐに帰ろうとしても丁寧に見送ってくれる。引き留めもされない。長く居座っても心地良くあれるよう気を配ってくれる。
だけど、それだけだ。
彼女の献身にはロベルトからの見返りを求める様子は無い。媚びてくる事も無い。
ただただ侯爵令嬢として自国の王太子を饗す、それだけだった。
ロベルトにとって、そんなミネアとの時間は余りにも心地の良いものだった。
キツい香水や化粧ではなく、花や茶菓子の香り。
ロベルトの寵を得ようと他者を貶したり自身を過剰に押し付けてくる言葉ではなく、いつもロベルトの悩みや煩わしさを解消してくれる提案。
狙い澄ましたような捕食者の眼では無く凪いだ瞳。
そのどれもが全てロベルトを安堵させるものだった。
何度も聞いた。
欲しい物はないか、必要な物はないか。
その度に返ってくる答えは殆どいつも同じ、「特にありません」と、それだけ。そして、いつもそちらは何かないかと問い返された。
無いと答えると返ってくる「分かります」と言うミネアの頷きが、同意が、実はロベルトはとても気に入っている。
自分だけでは無いと言ってくれているようで、世界に自分独りだけのような途方も無い孤独を打ち消してくれるようで、その言葉と肯定がロベルトはとても好きだった。
媚薬を盛られた時もそう。
突然現れたロベルトに対して、初めから当たり前のようにミネアは始終労り続けてくれていた。その距離をもどかしく感じるくらいに。
侯爵家滞在の日々は思い出すと今でも甘美な心地にさせてくれる。あれは至高の日々だった。
元より侯爵家で雇われていた使用人達は当然の事ながら、新たに王宮から派遣された使用人達ですら全く問題の無い人物ばかりだったから、本当に安心して日々を過ごせていた。
しばらく侍女も侍従も近付けない生活を求めたら、あっさりそれを叶えてくれた侯爵家には頭が上がらない。
朝はミネアが起こしてくれた。
朝起きたらミネアがいるとか本当に最高過ぎる目覚めである。しかもそれが毎日。あそこは誠に極楽だった。
朝食も昼食も夕食も、合間のティータイムも必ずミネアが傍にいてくれた。
問題は無いのだと分かってはいたが、それでも他人の手作りの食事は体が拒否反応を起こした。
だから時にミネアが代わりに作ってくれたり、時に毒味の為と同じ皿から食べさせてくれたりと、それはそれはもう甲斐甲斐しい献身だった。
それが毎食。あれは最高だった。
夜はロベルトがもう辛抱堪らんと自己申告するまで一緒に眠ってくれた。
とは言っても流石に同じベッドは無いと、ロベルトもミネアも含めて皆が思っていたので、特別に二人の寝室を新たに作ってベッドを二つ並べたのだが。それでも結婚前の男女に在るまじき事態だろう。
初めは一緒に寝るとか何を言っているんだと、同じ人間に向ける目だとは思えないような目をしていた侯爵も、毎晩のように魘されベッドで横になる事すら出来ないロベルトを見て、泣きながら許可を出してくれた。
――苦労をしましたな。
その一言にどれほどの労りが込められていたか計り知れない。
ロベルトの苦痛を慮って涙を流し、ミネアとの同衾を許可してくれた侯爵には、ロベルトは今でもとても感謝している。
お陰でロベルトは一人で熟睡できるまで心が安定した。
しばらくしてロベルトの精神が安定すると勉学が再開された。
そこで問題となったのが、『老若男女問わずミネア以外と二人きりになると吐き気を催す』と言う、ロベルトに残ってしまった最悪の後遺症だ。
だから授業はミネアと共に受けた。
本来ならば一つ年下の、それも女性である彼女が学ぶ事では無いような授業でも、ミネアは常に隣に居てくれた。それは、他人と二人きりの空間に許否反応を起こすロベルトに付き添ってくれたからだ。
王家にのみ伝わる裏の歴史。そんな真実の歴史すら国王が許可を出してミネアも聞いた。
その頃にはすっかりミネアに惚れ込んでいたロベルトは歓喜した。
国の機密をミネアが知った。
それはつまり、例えどんな事があろうともミネアはロベルトに嫁がなければならないと言う事に他ならない。この国が無くならない限り、多少周辺諸国との関係が悪化しても、政略的にも心情的にもミネアの夫はロベルト一択なのだ。
最高。控えめに言って最高。誰がなんと言おうともこれが最高だぞ、皆に見ろ。そう世界に向かって叫びたいほどだった。
王太子の執務は王宮にあるロベルトの執務室で行う。当然の事ながらここにもミネアを伴って行った。
常にロベルトがミネアをエスコートしているように見せ掛けて、その実ロベルトの方がミネアに縋り付いていた。
だが、やはりロベルトが絶対に婚約者から片時も離れない事に憤慨する者も居た。
そう言った輩は必ずミネアを攻撃したがる。
しかし出来ない。
何故ならロベルトがミネアから離れられないので四六時中彼女に引っ付いていて、牽制したり脅迫したりなどとても出来ないからだ。
ならばと二人と居合わせた時に無理に話し掛けて遠回しの嫌味を言っても、全てロベルトがミネア自慢にすり替えて惚気た。勿論、その後にそいつらは何かしらどうにかした。
ミネアという護るべき最愛にして最大の庇護を与えてくれる者が居て、ロベルトはもう黙って脅されているような子供では無い。
言った内容次第で量刑は異なったが、容赦無く鉄槌を振り下ろすロベルトを見て人々は悟った。
侯爵令嬢は王太子の抑え役であり鞘である――、と。
王太子から侯爵令嬢を引き離してはならない。二人の間に入ろうとしてはならない。間違っても二人の間柄を揶揄してはいけない。
強固な二人の関係は、勇者召喚を経て更に強靭なものとなった。
他ならぬ世界を救う勇者その人が何よりも二人の幸せを願うから。心から願うから――。
とある侯爵令嬢Mの供述
「前世の妹のお世話と同じ気分でやっていました」