まさか文通の相手が魔王軍の大幹部だとは思ってなかったけど、私はとても幸せです。
文通。
村や町の権力者がやりとりをする手紙に、冒険者がギルドで用いる掲示板文化を合わせたもの。
人類を脅かす魔王軍との戦争が一時停戦状態になったことで、人々は余裕を取り戻し、色々な「楽しみ」にうつつを抜かすようになってきていた。
文通もまた、そんな「楽しみ」の一つだ。
冒険者に「どこかの町にこの手紙を」と依頼し、冒険者がそれを別の町に運ぶ。
別の町の誰かが、冒険者掲示板に張り出された手紙を見て、返信を送る。
そうして顔も知らない相手と手紙のやりとりをする。
輸送費がかかるのでちょっと値は張るが、一介の町人が危険を冒さず「未知」と出会える、今巷で大流行中の新たな楽しみだ。
もともと本に記された物語を読みふけり様々な物語を頭の中で描いてきた私にとって、その丁度いい「未知」が心を惹きつけないはずがない。
自分の書いた手紙がどんな人の手に渡るのかというどきどきと。
ひょっとしたら返事が来るかも知れないというわくわくと。
そこから広がっていく物語に、夢をはせ、紙にペンを走らせた。
手紙に書くのはいつだって、自分の町の最近の景色のこと。
私の目の前に広がる世界を、誰かの世界と繋げたかったから。
返事を期待していなかったと言えば嘘になる。
だが、時間も手間も金もかかる趣味だ。届けば良いなぁ程度で、知人に頼んで「未知への想像」を楽しんでいた、というのが本当のところ。
そんな手紙に本当に返事が来たのだから、私の興奮は説明するまでもないだろう。
届いたのは、質素な便箋だった。
最初は私宛と聞き、友人の好みそうな便箋ではないななんて怪訝に思っていたが、しばらくしてようやく、その手紙が知らせる「未知」が私の心を天まで引き上げた。
慌てて手紙を手に部屋に駆け戻り、まるで宝箱でも開くように丁寧に封を剥がす。
中に入っていたのも随分質素な紙。
でも、綺麗な文体で綴られていた「未知」は、たったの数行で、高まりきったと思った私の心を更に大きく空へ舞い上げた。
《手紙を読ませていただきました。素敵な手紙をありがとうございます。
あなたの町の花の香り、穏やかな風の音、陽光の優しさまで届くようでした。
私の町ではまだ身を刺すような寒さが残っています。窓を叩く風の音は強く、絶えず、春の足音はまだ遠そうです。》
届いた。
届いていた。
そしてつながった。
私と誰かの世界がつながった。
「ユー! ユー、見て!!」
すっかり有頂天になった私は、手紙を運んでくれた知人……ユークリッド・フーゴーを訪ね、その手紙を見せた。
「今日はまた、朝から元気だな、キーア」
「ほら、これ! 返事が来たの!」
「返事……返事だって?」
顔をしかめ、ユークリッドは私が持つ手紙を、何度も、何度も、確認した。
途中小さな声で何かをつぶやいていたが、浮かれきった私の頭の中は、なんと返事を書こうかということでいっぱいだ。
「ありがとう! ユーが届けてくれたおかげよ!」
「あ、ああ……いや、その……喜んでくれたなら、なによりだ」
どこか歯切れの悪いユークリッドにぐいっと近づき、本題に入る。
「それでね、ユー! 返事を運んでほしいの! 貴方が以前手紙を持っていった町まで!
当然お礼はするわ! お願い!」
「それは、別に構わんが」
「本当!? ありがとう、ユー!!」
感謝の言葉を置き去りにするくらいの速さで家に飛んで帰り、紙を広げる。
何を書こう。書きたいことはたくさんある。季節のこと、趣味のこと、私のこと。
この胸の高鳴りをそのまま伝えたら相手に気を遣わせてしまうだろうか。
そもそも相手は文通をしてくれるつもりで返事を書いてくれたのだろうか。
今まで文通を贈り続けてきたが、こんなに書く内容に困ったのは初めてだ。
推敲は昼から夜まで続き、一枚の手紙を書き終わる頃には私の部屋のゴミ箱は書き損じの山で埋まっていた。
☆
結局、返事に対する感謝と、こちらの町の様子と、名も知らぬ相手の体調をいたわる言葉と。
少々控えめに、私のことを書いて返事とし、ユークリッドに配達を頼んだ。
「お願いね! 本当の本当に、お願いね!」
「……ああ。分かってるよ」
あの日以来考え込むような仏頂面が続いているユークリッドは、それでもしっかり私の手紙を受け取ってくれた。
胸の高鳴りで眠れぬ夜が続くこと数日。再び返事が届いた。
《返事をありがとうございます。
手紙を書くのが初めてだったので、私も少し緊張していました。
私はバグラの近隣に住むグレイという者です。
何分町に訪れる機会が少ないため、お返事の手紙がありましたら、以下の場所に私宛でいただけると、幸いです》
指定されたのはバグラにある交易所。喉の奥から歓声が溢れてしまいそうだった。
こちらの願いと相手の思いが重なって、本格的に文通が始まったのだ。
彼はグレイというらしい。(グレイは男性名なので、きっと「彼」!)
その後はバグラ近郊の特産物についてや、最近山の雪を割って伸び始めた新芽と春の訪れについてが書いてあった。
私の世界は、見たこともない彼と、彼が見た世界とつながっていった。
☆
文通は続く。
バグラに春が訪れれば、青草の香りを語ってくれた。私は、町で取れた花を押し花にして、この街の春をグレイに届けた。
春の終わりが私の町に近づけばそのことを書き、グレイは春の風が運んだ鳥の羽を一枚手紙に同封してくれた。
夏が来れば涼の取れる茶葉を同封し、グレイはその御礼と綺麗な貝殻をくれた。
手紙のやり取りを重ねるたびに、私の世界は広がって、見たこともないグレイの世界と繋がっていった。
小鳥のさえずり、川のせせらぎ、木々のざわめき。知らない世界が、すぐそばに感じられた。
そして、グレイという、繊細で気配りが出来て、褒められるのに慣れていなくてちょっぴり照れ屋な友達のことも、どんどん分かってきた。
素敵な日々は、ずっと続くと思っていた。
だが、昼があれば夜がくるように、輝かしい日も終わる日が来る。
「キーア、文通なんだが……もう、やめたほうがいいと思う」
切り出したのはユークリッドだ。
今まで難しい顔をしながらも毎度運んでくれていた彼の言葉に面食らい、そして慌てて尋ねる。
「ユー、もしかして、手紙を頼むの迷惑だった? だったら……」
「そうじゃない、そうじゃないんだ。
キーア、俺は君に謝らなきゃならんことがある。俺は、君の手紙を、一度も届けたことがないんだ」
思ってもいなかった言葉。
飲み込むまでに、時間がかかった。
ぼんやり立ち尽くす私に、ユークリッドは申し訳無さそうに続ける。
「届くはずのない手紙だったんだ。あの日の手紙も、それからの手紙も。
その……すまない。俺は、いつも、君の手紙を、捨てていたから」
「……捨てていた、って」
「……本当にすまないと思ってる。でも、見知らぬ相手とやり取りするなんて、危険過ぎるだろう!
キーアは、その、ちょっと、なんだ……おっとりとしたところがあるから、俺が守ってやらなきゃって……」
足元がぽっかりと抜け落ちたような、太陽が急に世界から消えてしまったような、空虚な気持ち。
ユークリッドは、幼馴染で、ずっと仲良しだった。大雑把だけど優しくて、本の虫だった私にあれこれ世話を焼いてくれていた。
そんな彼が、手紙を捨てていた。それが悲しくて仕方なかった。
彼なりに、私を心配しての行動だったと言うが、私にとってはその優しさは、どんな刃物より鋭く私の心を切り裂いた。
「すまない。本当にすまない。
でも、聞いてくれ! そのグレイっていう奴は、どうしてかその手紙を手にして、ずっと返事を送ってきてるんだ!
おかしいだろ!? そんなの、有り得るはずがない」
口にされるのは、更に私の心を傷つける言葉。
グレイ。彼とのやり取りは、なんだったのだろう。
誰かのいたずらだったのだろうか。誰かが、広がる世界に心を躍らせる私を見て、笑っていたのだろうか。
涙が溢れた。
どうしようもなく、悲しくて。
どうしようもなく、辛かった。
世界のどん底に落ちていくみたいな感覚が、私の体のすべてを飲み込んでいった。
それから、どうやって、なにをしたのか、覚えてない。
気付いたら、家に帰り、机の前に座っていた。
机の上にはいつもどおり、手紙用の紙とペンが置いてある。その奥には、グレイからもらった大切だったものが、いくつも並べて飾ってある。
ペンを手に取り、ゆっくりと紙に、字を書いていく。
悲しみと、迷いの分だけ、インクが染みて滲んでいく。ぼろぼろ溢れる涙が、手紙を濡らしていく。
《会いたい》
誰に送るでもなく書いた、四文字きりの手紙。
書いた手紙を小さく笑い、窓を開ける。
秋の近付く夜の風は、高ぶっていた心を冷ますのに十分なくらいに、冷え切っていた。
素敵だった思い出に別れを告げるように指を放す。手紙は、どこかに飛んでいった。
私の手紙は、もう、きっと、誰にも届くことはない。
その日、キーアは初めて、窓を開けたまま、眠りについた。
☆
轟音が響く。
絶叫が聞こえる。
手紙に別れを告げたまま眠っていた私の耳に届くのは、日常の壊れる音だった。
開け放ったままの窓に目をやる。
山が動いている。
轟音を響かせながら、山が、私達の町に向けて迫ってきていた。
唖然としてその光景を見つめていると、無数の冒険者たちが町の外に集まっているのが見えた。
豆粒みたいな大きさの人混みに、ユークリッドが居るのも見えた。
冒険者が集まる理由。流石の私でも分かる。魔物が襲ってきているのだ。
じゃあ、その魔物って。
ゆっくりと、もう一度、山の方を見る。動いている山に頭がついているのが見えた。
あの山は……山と見間違うほどの大きさの、ドラゴンだ。
あんなのが、この近隣に居るなんて、産まれて初めて知った。
きっとあの大きさのドラゴンは、神話級の強さを持つものだ。あるいは、一時停戦を貫いていた魔王軍が繰り出した、再戦の口火を切るための最大戦力かもしれない。
体が勝手に動いた。
頭に浮かぶのは、最前線に立とうとしているユークリッドのこと。
彼のやったことは許せない。きっと一生、恨むと思う。
でも、彼は大切な友達だ。大切な友達が、仲違いをしたまま死んでしまうかも知れない。そんなの、嫌に決まってる。
昨夜の服のまま町を駆け、町の入口を目指す。
ドヤドヤと集まった野次馬たちを掻き分け、町の出入り口の直前に辿り着く。
「ユー!」
「……よう、キーア。また話してもらえるとは、思わなかった」
「ユー……私、昨日のこと、話したくて! すっごく悲しかったけど、話をしたくて!!」
「……ありがとな。その言葉だけで、絶対に負けられないって気持ちになってきた」
ユークリッドは振り向かず、剣を構え、山の如きドラゴンと対峙したままだ。
ドラゴンはどんどんその巨体を引きずり近づいてくる。
そして、不意に立ち止まり。町中に響く声で、こう告げた。
「人よ、武器を降ろしたまえ。私は、友人に逢いに来たのだ。
無用に剣を振るえば、その分だけ私の可愛いダルダイオスが君たちを蹴散らすことになる」
凛とした声。ドラゴンではない。ドラゴンの上で、誰かが告げている。
ドラゴンの上の誰かは、続ける。
「町の者に告げる。キーア・ノーシュトンという娘を、ここに呼びたまえ」
心臓が高鳴った。
呼ばれたのは、私の名だ。
町の人々の、冒険者たちの視線が、一斉に私に注がれる。
まるで人混みという生き物に吐き出されるように、一歩前に歩み出てしまう。
私の一歩に合わせるように、冒険者の人垣から飛び出るものが居た。ユークリッドだ。
剣を構え、雄叫びをあげながら猛然とドラゴンへと駆けていく。
「知っているぞ。その風貌。君がユークリッド・フーゴーだな。
無駄な抵抗は控えたまえ。君が死ねば、キーアが悲しむ」
誰かが、何かをした。瞬間、土がうねるように脈打ち、ユークリッドの横腹を叩いた。
まるで石ころのように転がっていく。思わず駆け出し。
「キーア」
空から私の名が呼ばれた。
見上げる私のそばに、ふわりと一人、降りてくる。
はためく大きなマントがまず目を引く。次に目を引くのは、風に舞う明るい鳶色の髪だ。
降り立ったその体躯は、人間と変わりない。私よりも頭一つほど大きい、ただの人間の背格好だ。
顔も普通の人間そっくりで、どちらかといえば美形に入る、涼し気な目元にすっきりとした眉をした顔をしていた。
「……」
その人は、しばし私を見つめて黙り。
そして、懐から、ひとつの栞を取り出した。
その栞に飾られている押し花は。
「……それ……」
「見覚えがあるか」
「はい。あ、いえ……あの、その押し花が、知人に送ったものに、似ていて……」
男性は目を伏せ、静かに笑い、その名を名乗る。
「私は魔王軍大幹部が一、《天蓋》グレボロウス。
……君には、グレイと名乗った方が、いいかな」
その名が口にされた瞬間に、確かに時が止まった。
こんなことになるなんて、誰が想像しただろう。
私の書いた未知への手紙は、魔王軍の大幹部で、山のように大きなドラゴンを従える人に、届いていたらしい。
☆
「高い所は得意かな」
「はい……あの、多少」
「ならば良かった。ダルダイオス、頭を差し出せ」
魔王軍大幹部グレボロウス……グレイの言葉に従い、ドラゴンが頭を地に着ける。
キョトンと見つめているとグレイが先にドラゴンの頭に乗り、私に手を差し伸べた。
「《天蓋》の称号に誓い、身の安全は保証する。一時、私に攫われてくれるか」
手を取れば、すぐに乗ってしまえそうな、段差だ。
だが、ドラゴンの頭に乗るかどうかを考える日が来るなんて、さすがの私も考えたことがない。
迷っていると、グレイが付け加える。
「君が乗ってくれれば、それだけで私の目的は達せられる。
人の国の王へも、我が国の王より事の次第を伝え、万が一にも君に危害が及ばぬよう手を回す。身を委ねてほしい」
ちらりと後ろを見る。町の人々は何が起こるのかと震えている。
ここで私が乗ることで不安が解消されるなら、それに越したことはない。
グレイの手を掴んでよいしょと登れば、たちまちドラゴンは首を持ち上げた。
すぐに地面が遠くなり、雲に触れられるんじゃないかという高さまで登ってしまった。
そのままノシノシ歩き出すドラゴンに揺られながら、おっかなびっくり、グレイを名乗る大幹部に尋ねる。
「なんで、この村に?」
「……送っただろう、手紙を。《会いたい》と」
思ってもみない返事だった。
誰にも宛てず、窓から風に載せた手紙が、グレイに届いていたらしい。
あんな、よれよれで、くしゃくしゃな手紙が渡ってしまったのか。
ちょっとだけ恥ずかしくなった。
だが、恥ずかしさを覚えたのも次の問いが浮かぶまでの間。
「グ、グレボロウス、さんは、なにゆえに、私、ワタクシめ?を、えーっと」
「畏まるな。グレイで構わない。喋り方も気にする必要ない」
「……グレイは、私に会いに、ドラゴンと来てくれたの?」
会いたい。たった四文字の手紙。
その四文字を見て、魔王軍大幹部手ずからドラゴンを引き連れて会いに来る。
そんな状況が、私にはどうにも、理解できなかった。
グレイは少し黙した後、顔を少し空の方へ持ち上げて、呟くように答えた。
「……手紙が、いつもと違っていた」
「いつもと」
「書きなぐるような字に、濡れた紙。大事でもあったかと、少し……気になったのだ」
「それだけのために?」
「……キーアは私の友だ。友の大事は、『それだけ』と切って捨てるものではない」
じっと見つめる。
グレイは、少し視線を交わした後、ドラゴンの進路の方を向いてしまった。
人間とはまるで違う、透き通るような白い肌に、少し赤みがさしている。
まるで照れてるみたいだ。
でも、そんなやりとりが、手紙の中の彼と重なり、彼が間違いなくグレイであると、直感的に信じさせた。
一気に力が抜け、ぺたんと座り込んでしまう。
「疲れたか?」
「ううん……ちょっと、気が抜けちゃって。
本当に、グレイなんだね」
「そうだ。随分驚かせてしまったか」
「当たり前だよ。まさか、私の手紙が、魔王軍の大幹部に届いてるなんて」
「……それについて、謝らなければならないことがある。
私は、君の手紙を受け取ってはいない。拾っただけなのだ」
聞けば、ある日ダルダイオス(ドラゴンだ)が何かを拾い、それがユークリッドが捨てた私の手紙だったのだという。
人間文化に疎く、返事がなければ落胆しようと、返事を綴れば、そこからまた数日でダルダイオスが手紙を咥えていた。
それからは、定期的に『呼び出しの魔術』を使い手紙を取り寄せていたのだとか。
「……良かった」
「……良かった、のか?」
「うん。グレイが、手紙を受け取ってくれてたなら、私は、幸せで間違いなかったんだって」
捨てられていたと聞いた時は悲しかったけど、その御蔭でグレイと出会えた。
私の世界は、確かに、誰かの世界と繋がっていた。
それが今は、嬉しくて、嬉しくて、たまらなかった。
それから少しの間、手紙では交えることの出来ない生きた言葉の数々を交わした。
私が話すことが多かったが、グレイは確かに相槌を打ち、そして凛とした表情を少しほどいて、答えてくれた。
「……キーア」
ドラゴンが私の町に向かい始めた頃、グレイが随分思いつめた顔で、私に語りかける。
「迷惑をかけたな。しばらく、君の身辺が騒がしくなるかもしれないが、許してほしい」
「はーい!」
「それと……」
しばらく沈黙が続く。
だが、沈黙の先が紡がれることはなく。
「いや、辞めておこう」
グレイは、自分だけで何かを決心し、言葉を飲み込んでしまった。
非常に気になってしまうのは、私の悪いところかもしれない。
「何言おうとしたの?」
「……話せばたちまち砂になってしまいそうな、下らない話だ。気にしないでくれ」
「そう言われると、ますます気になるわ」
「君は随分、私にずけずけと来るな。今更だが、怖くないのか?」
「怖かったけど……グレイだもの。グレイとはずっと話してきたから」
「……そうか」
「ねえ、グレイ。もしこれから先、話しても良いって思ったら、その時でいいから、手紙に書いて教えてね?」
私の言葉に、グレイが一瞬固まった。
そしてゆっくり、私の方を見る。
「また、手紙を……私と、君がか」
「……駄目?」
「……いや。そうだな。私達は友だ。手紙くらい、なんとも言わせん」
そういって、グレイは確かに、笑った。
その笑顔は、秋の空がよく似合う、通り抜ける風みたいに澄んだ笑顔だった。
☆
グレイが町を訪れてから数日が経った。
グレイの宣言通り、私の身辺はしばらくの間随分騒がしかった。
王の家来や王立軍を名乗る人物が来て、何を話したのかを事細かに聞いたり、どういう関係かの確認が行われたり。
でも、先に魔族の王様が説明してくれていたようで、私の要領を得ない説明でもしっかり分かってくれた。
すべてが終わると、私はまたペンを握った。
記す内容は山ほどある。
届ける相手は一人きり。
今日もスラスラペンを走らせ、書き損じの山を築いていく。
手紙の配達は、ユークリッドにまだ任せている。
あの後、ユークリッドは額を地にこすりつけて謝ってくれた。
完全に許せたわけではないが、グレイとの縁が産まれたのもユークリッドが手紙を捨てたからこそと思えば、少しだけ、許してもいいかなという気持ちになれた。
「今度は捨てないでね」と言うと、いつだってユークリッドはバツが悪そうに笑う。
幼馴染をからかうネタが増えたのは、ちょっとうれしい。
グレイは、変わらずグレイのままだ。
魔王軍大幹部という肩書を明らかにしたので、ダルダイオスの背中から見つめた景色や、魔族の領地に咲く話などが増えたのは、凄く面白かった。
文通は続き、もらった素敵な思い出の品も、どんどんどんどん増えていく。
文通を続ける中で、グレイから「私の領地に遊びにこないか」との誘いがあった。
家族全員どころかユークリッド含め町の全員が反対したが、とりあえず遊びに行くことにした。
グレイと文通をし始めてから夢見がちな頭に行動力が伴ってしまったと、家族が顔を青くしていたのは記憶に新しい。
ダルダイオスの頭の上で、ゆっくり揺られながら、グレイと語らい、魔族の領地を目指す。
魔族の領地に着けば、そこからまたしばらく歩いてグレイの領地に入り、そこで二人で日がな一日散策する。
魔族の人々も、最初は人間の私に戸惑っていたが、最近では「キーアが来たぞ」とやいのやいの賑やかに迎え入れてくれている。
私の世界は、物語の中を飛び出し、手紙の上も飛び出して、どんどんどんどん広がっていく。
それが楽しくてたまらない。私は今、すごく幸せだ。
「……キーア、君さえ良ければ、だが」
グレイは時折、何かを伝えようとして、「やめておこう」と口をつぐむ。
以前伝えられなかった言葉が「また文通をしてほしい」という話だったのは聞き出せたが、今度はこちらを語ろうとしない。
でも、まあ、これもいつか語ってくれる日が来るだろう。
私はそれまでペンを握り続けることとする。
この繋がりが切れてしまわないように。
この幸せが、終わらぬように。