雪割山の仙人
子供向けのつもりですが、童話からはちょっと離れたかも?
朝子さんは、最近山に登り始めた、山ガールです。
来年は、日本アルプスに登ってみたいと思っています。
「日本アルプスを狙うのなら、トレーニングが必要だよ。この街の北にある雪割山に通うといい。時々、滑落事故があるけど、気を付けて登れば、一人でも大丈夫な山だ」
山登り道具の販売店の店長に、教えてもらって初めて雪割山にやってきました。
下から見上げると、堂々とした岩壁がそそり立つ、とても険しい山です。
関西でも有名な、ロッククライミングの名所なのだそうです。
元々、修験道者の山として知られ、ロッククライミングではなく一般の登山道もあります。でもそこでも難所には鎖が設置されていて、ハイキングではなくアスレチックのような本格的な登山を楽しむ山です。
修験道というのは、山を神聖な場所としてその山にこもって厳しい修行をして悟りを開こうとする信仰で、山伏とかとも言われます。
朝子さんが、トレーニングに登ろうとしているのは、そんな山です。
登山届けを、決まった箱に入れさて登り始めた朝子さんですが、いきなり始まりからキツイ登りです。朝子さんは、ゆっくりと自分のペースで一歩づつ登ります。
やっとなだらかな場所に出たと思ったら、中央に立つ大きな木の幹に赤いペンキで『ガンバレ』と書いてありました。
朝子さんは「頑張ってるわよ!」と木に向かってひとり言を言いながら、登って行きますが、また急な坂道。今度は木の根がむき出しになった道です。木の根に足を取られないように、気を付けて一歩づつ登って行きます。
次に目を引いたのは、屋根のように頭上に覆いかぶさった大きな岩でした。
よく見ると、そこには岩登りに使うハーケンが岩に打ち込まれたまんま、いくつも残っていて朝子さんの頭の上にまで転々と刺さっていました。
「こんなところを、人が登っていったんだ」
朝子さんは、その岩の大きさと、それを征服したであろう人に関心するのでした。
とうとう、鎖場が出てきました。鎖を握って滑らないように気をつけて登ります。次に出てきたのは、左右の二つの大きな岩が重なった場所に出来たトンネルです。この山は、こんなところが一般登山道になっているのです。
お相撲さんには通れないだろうな。と朝子さんは思いながらも、岩の隙間を通り抜けて行きました。
ふと目にすると、七十歳は超えているであろう、白い髭がたっぷり生えたお爺さんが、先を登っていました。どこかで休まれていたんでしょう、明らかに登って行く速さは朝子さんより早いのです。
「うふふ、仙人みたい」
朝子さんは、そう思いました。
頂上に着きました。小さな祠があって、眺めは最高です。
でも、数歩歩くと、真っ直ぐに切れ落ちた岩壁で、下までは数百メートルはありそうな怖い場所です。朝子さんは、怖くてギリギリまでは行けずに、手前で座って景色を楽しみました。
爽やかな風が吹き抜けて行きます。
「やっぱり、山登りって最高!」
おにぎりを食べ、お茶を飲みながらそう思うのでした。
下りは登りよりも激しい鎖場の連続でしたが、三点確保の原則を忘れず、一歩一歩、一掴み一掴みごとに神経を使って丁寧に降りて行き、無事に麓に辿り着いたのでした。
険しい山に登ると自信が付きます。二度目の雪割山に来たのは、夏の終わりでした。
蝉がうるさく鳴いています。
「キキキキキー!」
ヒグラシという蝉の鳴き声でしょうか、まるで山から山へ渡るように鳴き声がこだまします。
「あっ! また仙人さんだ」
登山届けを出して、登ろうとしたところでまた前のお爺さんを見かけました。
相変わらずの白い髭、仙人みたいですが、朝子さんと同じように登山者の恰好をしているので、この山に再三登られている先輩登山者なのでしょう。
仙人は、先を進むと、見る見る見えなくなり朝子さんよりずーっと先に行ってしましました。
次にこの山に来たのは、秋でした。
紅葉のシーズンともなれば、登山客も多く、いつもの登山道はそこそこの渋滞です。
「こんにちは、お先にどうぞ」
年配の登山者が挨拶をして、道を譲ってくれます。結局、朝子さんはいつもより少し早いペースで登ることになってしまいました。
少し休もうと、前回見つけた、一般ルートからちょっとだけ離れた場所にある見晴らしの良い場所にやってきました。
「あれ?」
あの仙人さんが、休んでいました。
「こんにちは!」
「あぁ、こんにちは! 最近良く合うね。三度目かな?」
仙人さんは、朝子さんにそう言いました。
「そうです! よくご存じですね」
「わはは、私は、ずっとこの山に登っているからね。今年は、今日で六十八回目かな」
「六十八回ですか?! そんなに?!」
朝子さんは、驚いてしまいました。
「ああ、今年で仕事も止めたし、暇になってしまってね」
「ずっと、この山ばかり登っておられるんですか?」
「うん、ちょっと探しものがてらにね」
「探しものって?」
朝子さんが聞いた仙人さんの身の上話しはこうでした。
仙人さんには、二十年前に死別した最愛の奥様がいたそうだ。仙人さんは若いころはロッククライミングをされていたそうで、奥様とも山登りがご縁で結婚されたそうだが、二人で日本アルプスに行ったときに、幸せをもたらすというピンバッジを仙人さんが買って奥様にプレゼントしたそうだ。
奥様は喜ばれて、山に行くときの帽子にそのバッチを付けておられたらしい。
その後、三人のお子様が生まれ、育ってみんなが一人立ちされた後、二人でこの雪割山に登られたときに、奥様がどこかでそのバッチを無くされてしまったらしい。
奥様は大層残念がり、仙人さんはまたどこかで買ってきてやろうと笑ったそうだが、奥様はその後、病気になってお亡くなりになり、その時が二人の山登りの最後になってしまったのだとか。
仙人さんは、一人になった後、この山にしか登らなくなり、もしピンバッチを見つけたら奥様の墓前にお供えしてあげようと探しているのだと。
「すまなかったね、なんだかしゃべり過ぎてしまった。じゃぁ、また」
「はい、素敵な話しを、ありがとうございました」
朝子さんは、この話しを聞いて胸がキュッとなりました。
なんてロマンチックな話しだろう。
でも、仙人さんが探しているのは、本当はピンバッチでなくて、最後にこの山に登った時の奥様の元気な面影なのではないかと、朝子さんはふと思ったのです。
紅葉したモミジの葉っぱが、枝から離れ、ハラリと落ちていきました。