『Ⅷ :目覚め』
地面を抉るような死の音が背中へと迫る。
恐怖と絶望で痺れる体を奮い立たせ、その音から少しでも離れようと僕は必死に足を回す。
「ハッ…ハッ…ハッ……」
止まったら死ぬぞ…、回れ僕の足。
自分に言い聞かせる。これを辞めたら直ぐにでもこの体は動くのを放棄しそうである。
後ろを振り向くと口に大きな石を咥えた凶獣が追いかけて来ている。
凶獣はその蛇のような体を大きく揺さぶると、口の石を飛ばした。
巨大な石は勢いよく僕の背中に目掛けて飛んできている。
「まずい…」
足に力を入れ大きく踏み込んだ僕は横に大きくジャンプした。
僕の右腕を掠った石は鈍い音と共に地面と接触し砕け散る。
間一髪で避けた僕は直ぐに立ち上がり走り出した。
「もう少し、もう少し時間を稼ぐんだ…」
こうして倒れて立ち上がるという行為を何度繰り返しただろうか、もう途中から数えるのをやめてしまった。
あれからどれほど逃げ回り続けたんだろうか…。そろそろ東君はスタート地点に戻れただろうか。
「ごめん…」
…東君の別れ際の呟き、本当はどんな意味だったのか僕は分かっていたんだろう。きっと分からないフリをして無意識に自分は助かると、大丈夫だと考えようとしていたのかもしれない。
しかし、自分が囮にされたと理解っていても、不思議と怒りなど微塵も湧き上がらなかった。
だって、彼は…東くんはこんな所で死んでいい人では無いから。彼は将来、必ず素晴らしいヴィクティマになるのだから……そう僕なんかとは違って。
「……痛っ‼」
僕は木の根に足をとられ地面に倒れた。
なんとか起き上がろうとするも、身体中が痛く思うように動かせない。
僕は燃料を切らし、いつも以上に弱々しい植物軍器を一瞥した。
予備の燃料も途中で落としてしまった…。これではもう何も出来ない。
フランザを取り上げられた僕たち人間はここでは唯の弱者なのだ。
「ぐうっ……‼」
僕は最後の力を振り絞り、木にしがみつきながら上体を起こす。
地面から伝わってくる振動に立ち上がる気力等…有る筈もなく、せめての抵抗で足にぐっと力を込めた。
ボコッと地面が一瞬隆起すると、目の前に巨大な大蛇が地面から飛び出した。
その場に留まる僕を一瞥すると、鋭い二本の牙を見せながら突進してくる。
ああ、悪運の強い僕も流石にこれは死んだかな……?
最後に右手の植物軍器に視線を落とす。
その時、
『…なんのために僕は生きているんだろう』
こんな時にも頭を過ぎるその問いに、思わず僕は呆れてしまう。
僕には結局分からなかったけれど…
「ずっと考えていた…でも…きっとその問いの答えは、僕の届かない場所にあるんだろうなぁ……」
…本当にそうなのだろうか?
『僕が知らないうちに目を背けていただけなのでは無いか?』
―そうだ、さっきも僕はそうだった。
いつも分からないフリをして、鈍感なフリをして……逃げていた。
いつからだろう、幾度も過るその問いの答えを考えるのを放棄したのは。
いつからだろう、心の奥底で確かに存在していた探究心に蓋をしたのは。
いつからだろう、自分を卑下にして生きることを諦めたのは。
その瞬間、
僕の中の、
僕の知らない、
…いや、本当は知っていた…僕の本質が
……溢れた。
まだ死にたくない!まだ見ぬ景色が見たい!強くなりたい!暗闇から飛び立ちたい!馬鹿にされないくらい強くなりたい!この鳥籠から出て、この世界の真実を知りたい!誰も知らない真実を知りたい!ヴィクティマになりたい!
……知りたい!あの問いの答えが…‼‼
『いいね〜。少しは楽しめそうだ』
カチッ!
突然湧き上がった衝動は今まで無意識に、しかし必死に抑えていた僕の心の鍵を破壊した。
すると、僕の黒く、萎れていた植物軍器にピシリと罅が入った。
そして罅の隙間から白銀の強い光が漏れ出る。
表面の黒が剥がれ落ちるたびに白銀の光は薄暗い森を幻想的に照らし、白い雪のような胞子が辺りを飛び交った。
そして不思議なことにまるで先程までの疲労が嘘のように力が湧き出てくる。
僕は立ち上がり、凶獣に鋭い眼光を飛ばした。
「本番はここからだよ…」
そして、凶獣向かって思いっきり地面を蹴る。
「ハアアァァァァッッ!!!!!!」
不思議と周りの動きが遅く見える中、向かってくる巨大な凶獣の首を斬りつけた。
しかし、僕がつけた傷は大して深くなく、とても即死するような傷ではない。
凶獣は僕に憤怒の視線を向ける。
「しまった…仕留めよそこねた」
慌てて僕は反撃に警戒した。
「……?」
しかし、何故か大蛇はそのままピクリとも動かなかった。
すると途端に傷口から繁殖するかのように白い苔のようなもが勢いよく凶獣の体から溢れ出た。
尻尾の先まで覆い尽くされると凶獣は白い胞子となりその形を崩す。
「…⁉やったのか…?」
目の前の不思議な現象に戸惑いながらも、脅威が去った事に安堵する。
「戻らなきゃ…」
スタート地点に戻ろうと足を踏み出したところで、僕の視界は突如暗転した。
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少年は星明かりと微かに残る白銀の残光に照らされながら、まるで糸の切れた操り人形のようにその場で倒れる。
すると、一連の終わりを告げるかのように柔らかな風が一帯に吹き込んだ。
地面に積もっていた白い胞子は風に乗って渦を巻くように宙を舞い、星明かりに照らされながら宝石のような煌めいている。
「……もう片付いているようだな」
そんな幻想的な景色を瑠璃色の瞳に映していた黒い制服の男は、そう呟くと木の上から飛び降り、闇へと消えたのだった。