3、商家の息子 エムズ
このオストワール王国には、いくつか大きな商会があり、エムズの家もその家の一つで、王国の南の貿易港を利用した交易で財を成した代々続く家だった。その財を成した先祖のおかげで、彼は貴族と変わらない教育を幼い頃から施され、15歳の時、満を持して、この学園に入学したのだった。
昔から続く家だった為、貴族とも関わり合いはそれなりにあったのだが、家業は「お手伝い」程度しか携わっていなかった成人前のエムズにとって、こんなにどっぷりと貴族社会に浸かったのは初めてで、最初は新鮮だったし、自分の家の期待を背に気合も入っていたので、馴染もうと頑張っていたが、慣れない貴族社会に徐々に疲弊していったのは、当然の事だった。
そんな中、彼の前に現われたのが、男爵令嬢シャーロットだった。
彼女は庶子であった為、長いこと市井で暮らしていたとエムズは聞いてから、他の貴族よりも彼女の方が、自分の感覚に似ていると感じていた。よくよく考えれば、大商人の息子と、町民だったシャーロットでは感覚が似ているとは思えないのだが、貴族社会にとても疲れていたエムズにとっては、貴族ではないというだけで近く感じていたのだろう。しかも、シャーロットの容姿は、とてもエムズのタイプだったから、よけいだ。
貴族社会と庶民の生活の両方を知っている自分こそ彼女にふさわしいと考え、貴族社会に中々溶け込めないシャーロットにあれこれと親身に相談にのり、アドバイスし、何かが足りないと言われれば、実家の新商品の「サンプル」と言って彼女に渡していた。「そんなのもらえないわ」と遠慮する控えめな彼女を見て、「気にせずに貰ってほしい」と毎回問答するエムズは、毎日が充実していたのだった。
とはいえ、確かに傍から見れば、エムズの行動はシャーロットに心を寄せていると充分に認識されていたが、彼は、「愛の言葉」を流れるように囁くほどは成熟しておらず、日常の会話だけで満ち足りていた。彼の頭の中は、いつでも自分の都合の良いように妄想しており、エムズは彼女と所帯を持ったら、こんな事をしようあんな事をしようとずいぶん先の未来の夢を見ている事が多くなっていった。彼は、「物」はシャーロットに渡していたが、何も実際には「事」を起こしていないというのに。
そして、転入した時から十分かわいかったシャーロットだったが、エムズのおかげか野暮ったかったその容姿は、段々磨き上げられ、徐々にあか抜けていき、控えめで大人しい性格であったはずなのに、あか抜ければあか抜けるほど、どんどん社交的になっていった頃、シャーロットに他の男性からお誘いが来るようになった。
最初こそ、彼らの誘いを「恐れ多い」と断っていたシャーロットだが、気がつけばエムズと一緒にいる事は殆どなくなり、今まで彼女に与えた知識と贈り物の総額を改めて計算したエムズは、とてもやりきれない思いでいたが、彼女は自分の事を異性として見ていないと途中で、なんとなく気がついていたし、そもそも彼女に自分の思いを何も伝えていない事に気がついた時には、既に彼女は将軍家の嫡男と自分よりも仲良くなっていた。
それでも、思い出したかのように、時たま自分の所に舞い戻ってくる彼女に「おねだり」を言われてしまうと、エムズは抗えない。純粋に彼女に頼られてうれしい気持ちも半分あるが、もう半分は、貴族の“お坊ちゃんたち”では叶えられない、自分にしか出来ない事だと、優越感に浸れるからであった。