5 さまよう勝軍地蔵
根津治山信仰のことは、習っていた。小学校の社会科の授業で、昔、宿屋(当時は旅籠っていった)が並んでいた一角にも行ったことがある。観光課の人が必死で昔の町並みを残そうとしているのだが、持ち主が手入れをしようという気がないので、年々廃れていく。補修にお金を出してくれる協力者も少なくて、このままでは取りこわすことになりかねないという。私はもちろん、不思議さをかもし出す、古い町並みは残っていてほしかった。でも、私のお小遣いのレベルじゃ、全然太刀打ちできないとわかって、そのうち忘れてしまった。
お地蔵様に出会って、根津治山への興味ががぜん出てきた。昔のように熱心な根津治山信仰がされていないからといって、このまま忘れられたり、すたれたりしていいとは思わない。この鞘堂も、この田舎の風景も。弥次さん喜多さんが目の前を歩いててもまったく違和感のない風景なんて、そうそうないでしょう?
「われはもともと、根津治山頂にある根津治寺に置かれていたのじゃ」
じゃあ、根津治寺にお地蔵様をもっていけばいいんだな、と私は思った。なんだ、簡単じゃないの。
「われは根津治寺におったが、本尊ではない。本尊というのは、中心となる仏像のことじゃ。根津治寺の本尊は聖観音じゃ。昔は、いろんな神がひとつところに祀られていてな、われのほかにも十一面観音や四天王などが祀られておった。じゃから、ご利益も火事を防いだり、水難を防いだり、戦いの味方をしたりと、いくつもあったんじゃ」
へえ。祀られている神様って一人(って言うのかな?)だと思ってたけど、ちがうんだね。いろんな神様が同じ根津治山で一緒に暮らしていたって感じかな?
「簡単に言えばそうじゃな。それで平和じゃった……」
お地蔵様はため息をついてから、続けた。
「あるとき、われは寺を離れた。ほら、われは戦のほうが得意じゃろ、そっちの方面で仕事をしたほうがよかろう、ということになっての。そこで、三叉路に立つことになったのじゃ。憬衣殿らが“いわくの三叉路”とよんでいる場所じゃ。そこが、われが戻してほしいと願っておる場所なのじゃ」
お地蔵様は、口をぎゅっと結んだ。いわくの三叉路……。お地蔵様はあそこに祀られていたんだ。あんなに事故が多くて、変な事件が多発する場所に……。あ、だからこそ、そこを守るために行かれた、ってこと? そして、お地蔵様がそこからいなくなってしまったから、事故や事件がよけい多くなったとか?
「うぬ。あのあたりは、昔からおかしなことが起こる場所じゃった。あそこには時空のひずみがあっての。ふとしたことで影響を受けたり、入り込んでしまうのじゃ」
時空のひずみ? SFの世界じゃなく……実際にこの世に存在するのか! そこに入ってしまうと、すべてがぐにゃぐにゃにゆがむ、不気味な空間なんだろうな。お地蔵様が実際にあると言ったことで、空想がはっきりとした現実として、目の前に迫ってきた。
「時空のひずみは、目には見えない、宇宙のブラックホールみたいなものじゃ。ふさいだり、手をかけたり、われらでも、どうすることもできぬ。さけて通るのが一番いいのじゃが、そんなこと、人間たちはわかっておらぬしのう。じゃから、われがそこに立って、おかしな現象が起こらないよう見張っておったのじゃ。おかしなやからが来たら追っ払ってな。迷い込みそうになったら助けてな。もちろん、全部をどうにかできるわけではないがの。今は、昔と違って、人の行き来がまあ、激しすぎて、おいつかん」
目には見えない、ブラックホールみたいなもの。鳥肌が立った。いわくの三叉路は、文化祭の発表のために私が去年調査を担当した場所だった。そのときのことを思い出したのだ。
私は三叉路に近づくにつれ、頭痛がしてきて、酔ったようになってしまった。頭が重く、同行した先輩から、何かに取りつかれているんじゃないの、なんておどかされて。でも、突然あんな症状になったのは、時空のひずみのせいだったんだ。頭痛程度ですんで、よかったのかもしれない。