4 勝軍地蔵の頼み事とは
今、私の目の前に、人間の及ばない力を持ってる神様がいる。こんなことは一生のうちで一度あるかないか、だ、きっと。でも――なんで私?
頼みがあるってさっき言ってたっけ……。頭よくないし、特技もない、普通の女の子だよ? 大人でもないし、できないことのほうが多い。頼みごとって、何……。
「怖がらなくてもよい。できぬことは頼まぬゆえ」
私ははっとしてお地蔵様を見た。心の中で思ってることが聞こえている。黙っていても全部見透かされているってことか……。
「われは仏じゃから何でもわかるのは仕方がないのじゃ。かんべんしておくれ。それに、憬衣殿を怖がらせたり、危ない目にあわせたりもせぬゆえ。びくびくされたり、疑いを持たれているうちは、事は成らんのじゃ。頼む」
真剣なおももちで、お地蔵様は小さく頭を下げた。神様が、人間に頭を下げるなんて、ありえない。きっと、とても大事な用事なのだ。いかつい顔の、小さな石のお地蔵様の必死な思いが、こんな私にも伝わってくる。よし。できるかどうかわからないけど、やってみよう。
お地蔵様の頼みごとは、もといた場所に自分を祀ってほしい、ということだった。土地開発によって転々と移されたあげく、祀る場所に困った工事業者によって、この鞘堂の中におし込まれた。土の中に埋められたり、藪の中に捨てられたりするお地蔵様もいるそうで、それにくらべれば、雨風がしのげる建物の中に入れられたのは、まだましだったと、お地蔵様は言うけど、やっぱりかわいそうになる。
あ、鞘堂っていうのは、建造物を守るために、外側にかぶせるように作る建物のことだって(お地蔵様から教えてもらった)。そう、この建物は、祠ではなく、灯籠を守るために作られた鞘堂だったのだ。灯籠は、正確には、常夜灯という。庭などに置く装飾目的の灯籠と違って、常夜灯は暗い夜をてらす目的でつくられた。鞘堂も、常夜灯も、私にとっては初めて耳にする言葉。もちろん、その意味も。
石の常夜灯が、鞘堂で守るほど大事なものには、私にはとても見えなかった。
「この常夜灯は、江戸時代に造られたものでな、根津治山に詣でる人びとのために、各村の衆がたてたものじゃ。昔は電気などなかったから、夜、道行く人が危なくないように、火を灯したんじゃよ。ほら、常夜灯の正面に、根津治山、という文字が彫ってあるじゃろう」
お地蔵様はそう言って、剣を握った左手で、常夜灯をさした。読みにくいけど、確かに文字が彫ってあるのはわかった。
「昔は全国から参拝に来る人がいっぱいいてなあ、そりゃあ、にぎわったもんじゃった。参拝者が泊まる旅籠も軒並みだったしのう。今じゃ、どんどん家が建ち、ビルが建ちして、常夜灯も減っていった。邪魔になるといって、神社や公民館の敷地に移されたり、こわされることもあったんじゃ。嘆かわしいことよ。
それでも、なくならずに残っている常夜灯もまだある。数としては、けっこうあるんじゃよ。憬衣殿は知らなかったようじゃがな」
お地蔵様はくすりと笑う。私の家は町の南部、南遠矢にあり、根津治山からだいぶ離れているし、氏神様はそばの稲荷神社だから、根津治山とは縁がうすかった。だからお地蔵様の話はとても新鮮で、七不思議とおなじくらい、おもしろい。
いくらほとんど誰も通らない田舎道とはいえ、鞘堂に向かって話しているのはおかしいので、私は鞘堂の前の木のベンチに座り、お地蔵様の話を後ろから聞く格好になっていた。