3 勝軍地蔵現わる
神社をあとにし、私は自転車を引きながらあぜ道を歩いた。新緑がまぶしく、吹く風は暑くもなく寒くもなく爽やかだった。青々とした稲が、何度も私におじぎをしてくる。
途中から車道に出た。手前にバス停がある。ペンキがはげた木の長椅子がおいてあった。このへんはバスの便が悪く、一時間に二~三本しかない。
ふと見ると、バス停の後ろに、祠にしては大きな、木造の小屋がたっている。近づいてみると、高さは私の身長……百五十センチよりちょっと高いくらいで、幅と奥行きは、両手を伸ばしたくらい。
建物のてっぺんは三角屋根で、青銅色に光る、立派な瓦屋根だった。鬼瓦は、龍だ。欄間には立派な彫刻がほどこされている。
これが祠だとしたら、私が今まで見たことがないくらい豪華な祠だ。でも、四方向とも、私の目のあたりの高さまで腰板が張られていて、中は見えない。正面に引き戸はついていたが、鍵がかかっていて、開かなかった。
中に何が入っているんだろう。腰板の上は、連子窓になっているので、そこからなら中を見ることができるが、背伸びしたぐらいではだめだった。腰板に足をかけてのぞいてもよかったのだが、そんな格好を人に見られたら恥ずかしいので、自転車を横につけ、それに乗っかって中をうかがった。その格好もかなり恥ずかしく怪しげだったが、周りに誰もいないのを確認したし、なにより中が見たくてたまらなかった。
小屋の中には――灯籠があった。神社や日本庭園とかに並んでいる、石の灯籠。珍しくもなんともない、普通の灯籠。「なあんだ」と思わずつぶやいてしまう。どうしてこんなおおげさな建物に入れられているんだろう。夜になると、明かりがつくんだろうか。
そんなことをぼんやりと考えていたら、明かりを灯す火袋のところが、ポッ、っと輝いた気がした。ん?? まばたきをくり返すと、何もなかった空間に、武士のような格好をした石像が現れたのである! 明かりに照らされるように石像が徐々に浮きあがってくる姿は幽霊そのものだった! 心臓が止まり、声も出なかった。血の気がひいていくのが身体でわかった。私はバランスをくずし、自転車からぶざまに転げ落ちた。
痛いけどその時は痛みなど感じる余裕はなかった。ま、ま、まさか、こんな真昼間から幽霊だなんて。この私が幽霊を見るだなんて。不思議なことは好きだけど、霊感もないし、おかしな体験も、一度もしたことはなかった。今見たのは幻? いや、確かに見た。
沼田君がよく話に出す、合戦で戦死した武士の怨念だろうか? なんで沼田君のところに出ないのよ。ううん、そんなことはどうでもいい、早く逃げなければ。気は焦っているのに身体のあちこちがもつれてうまく動けない。やっとのことで自転車を起こし、その場から立ち去ろうとした。すると、肩に手をのせるかのように、声がしたのだ。
「待て。われは幽霊なぞではない。地蔵じゃ」
腰が抜けるというのはこういうことだったのだ。その場にへなへなとしゃがみこんでしまう。祠の鍵がカチャリ、とゆっくり外れる音がして、風もないのに、引き戸がひとりでに、きしんだ音をさせながら開いた。私は、口をあけたまま、ただそれを見ているしかなかった。
戸が開くと、さっき見た武士の石像が、はっきりとした形となっていて、火袋から、ぴょんと地面に飛び降りた。重たいはずの石像が、軽やかに。
気絶できたらどんなに楽だったろう。だけど、残念ながら私は気絶しなかった。そんなか弱くは生まれなかった。
武士は、私の目の前に立った。頭に兜をかぶり、鎧をつけ、背中に弓を背負い、左手には剣を持っている。今にもおそいかかかるぞ、って顔つきで、私は身の危険を感じて凍りついた。次の瞬間、武士は私に向かって――口元をゆがめ、にっと笑ったのだ!
「佐々木憬衣殿、待っておったぞ」
わ、私の名前……?言ったよね??
「な……な……」
なんで、と言おうとしたが、言葉が出てこない。なぜ私を知っている……わけ? 武士はうなずくように頭をさげ、
「驚かせて悪かった。われは憬衣殿を存じておる。頼みがあって、こういう機会を待っておったのじゃ」
と威厳たっぷりに言った。芝居がかってなどまったくない。位の高い人からしぜんとにじみ出てくる威厳、といえばいいか。身体とは反対に、私の頭はとてもはっきりしていたのだけれど、情けないことに言葉がやはり出ない。それを察して、武士はおだやかに続けた。
「突然のことじゃからのう。驚くのも無理はない。まずは、われのことを話そう。われがこんな格好をしているので武士だと思うておろうが、われは武士ではない。地蔵じゃ」
地蔵……。さっきもそう言っていたな。
「地蔵は……わかるの?」
私は小さくうなずいた。神様みたいな存在よね。
「地蔵にもいろいろおってな。得意分野、とか、受け持つ担当分野が、それぞれあるわけじゃな。地蔵という地蔵がみな、坊主頭で、袈裟を着て、宝珠や錫杖を持っている姿でいるわけではない。坊主頭は……同じじゃがな」
そう言って、地蔵様は兜をとって、坊主頭を見せてくれた。つるんとした石の頭がシュールすぎて、私は思わずふきだしてしまった。緊張が切れた。よくわからないけど、これは夢ではないんだってことは、感じた(・・・・)。私がずっと憧れていた不思議が、実際に起こったのである。すでにおかしくなっていた思考回路のせいばかりではない、私の心は、スッと、その事実を受け入れていた。取り乱すことなく、お地蔵様の話を聞けている。こんな感覚は初めてだ。お地蔵様の顔が、少しやわらいだように見える。
「われは、勝軍地蔵という。勝つという字の勝に、軍隊の軍じゃ。戦のときに、弓矢や刀の難をさけ、勝利をもたらす地蔵なのじゃ。ゆえにこういう格好をしておる。一目でそうとわかるように、仏師が彫ってくれたわけじゃな」
勝軍地蔵。そんなお地蔵様がいるなんて、初めて知った。確かに、お地蔵様がこんなに勇ましい姿なら、心強いし、戦いにも勝てそうだ。でも……ふっと疑問がわく。両軍ともに勝軍地蔵を拝んでいたら、勝敗はどうなるのかな。引き分け?
お地蔵様ははっはっはっ、と笑った。
「戦だけでなく、勝負事には必ず神仏がかかわっておるのじゃ。かかわる神仏は、腕組みしながらずっと様子を見ていて、どちらを勝たせるか、あるいは、誰を一番にするかを最後の最後に、決められる。人間は、精いっぱいを尽くすだけ。勝つのも、負けるのも、引き分けるのも、すべて神仏が決められること。人間は結果を受け入れるだけじゃ」
ふうん……。神仏を信じて願をかけても、必ず勝てるとは限らないってことね。友だちのよっちゃんの顔が浮かんだ。よっちゃんは私立中学を受験したのだけど、落ちてしまったのよね。とても頭がよかったし、まさか落ちるとは誰も思っていなかった。よっちゃんは、まさに余裕のよっちゃん決め込んで……私たちと遊んでいたし、勉強もそんなにがんばってやらなかったみたい。中学受験は、高校と違って、受験する生徒がとても少ないから――特にこのへんは田舎だし――気合がどうしても入らなかったのだろう。頭がいいという自負は大きな油断になった。
よっちゃんは学問の神様といわれるあちこちの神社のお守りを持っていたけど、「全然きき目ないじゃない!」って怒ってたなあ。それって、八つ当たりだよね。結局、努力せずして目標は達成できないということを、よっちゃんは内心わかっていたし、私達も気づかされたんだ。
よっちゃんは、今、私と同じ公立の中学に通っている。私だったら、恥ずかしくて学校に来るのが嫌になるだろうけど、よっちゃんは自分への戒めとしてそれを我慢しているんだって。高校では絶対に失敗しない、そう心にちかって、猛烈に勉強しているよっちゃん。えらいな、って思う。そういう意味では、よっちゃんは負けたという結果から、学んだんだ。
神様はずっと様子を見ていて、最後の最後にどうするかを決められる……か。なんだか怖い。でも、きっと人間の及ばない力には、そういう怖さがあるんだ。自然だってそう。癒してくれる一方で、災害ももたらす。